ルドルフ・シュタイナー

人智学的共同体形成 (GA257)

第3講

シュトゥットガルト、1923年2月6日

佐々木義之 訳


 今日の講義の構成は、人智学協会の再編を目的としてここで行われている討論を考慮して、聴講者の皆さんがこの決定的な日々の中で独立した判断を形成するための助けとなるようなものにしたいと思います。そのため、私は人智学の諸側面についてのいつもの議論よりもいくらか簡潔で、格言的な仕方でお話しするつもりですが、私のコメントは人智学の働きにおける第3のフェーズに関することに限ったものになるでしょう。同じ理由で、今夜は人智学運動の3つのフェーズというテーマについてお話するつもりです。

 私たちはここ数日、コペルニクスが古い宇宙像を彼の新しい宇宙像で置き換えたとき西洋の精神生活にもたらされた大いなる変化について言及されるのをしばしば聞いてきました。この変化の本質とは何だったのかを簡単に記述するとすれば、次のように言うことができるでしょう。以前の時代の人間はその研究や主要な学びの関心事として地球領域についてだけ考慮していた、天上を巡る天体については、あまり、あるいはほとんど注意を払っていなかった、と。

 最近では、天体は以前に比べてはるかに大きな重要性を帯びるようになりました。実際、地球は宇宙の中の単なる塵芥に過ぎず、人間は宇宙やそこにある無数の世界に比べて全く取るに足らない地球という小さな点の上に住んでいる、と考えられるようになったのです。けれども、もし、私たちの人智学運動の第3フェーズを特徴づけるためにこの点を簡単に図示させていただくとすれば、人間は地球を単なる塵芥へと還元する一方、そのことによって、地球以外の宇宙全体についての正当な判断に関しても、それに適用されるような物理的な概念やより最近の化学的な概念による判断を除いて、その可能性を失ったのだ、ということが指摘されなければならないでしょう。それを越えていく探求、宇宙の魂的な側面や精神的な側面に捧げられる探求は無視されることになったのです。もちろん、このことは現代の学問の全体的な立場と全く調和しています。人間が自分の魂や精神と呼ぶところのものは星の世界から私たちのところに降り注いで来るものと何らかの関係があるのだということを理解する可能性が人間から失われたのです。私の著書「神秘学概論」の中の特定の記述を読めば、人智学が目指しているのは、宇宙全体が魂や精神に満たされているという事実、すなわち、人間の思考は宇宙的な思考に、人間の魂は宇宙的な魂に、そして、人間の精神は宇宙的な精神あるいは宇宙の創造的な精神性に結びついているという事実に対する理解を新たなものにすることである、ということが見て取れるでしょう。人智学は精神としての宇宙を知る可能性を再創造しようとしているのです。

 人々が大いなる熱情をもって人智学の正当性を擁護するのは全く正しいことです。しかし、彼らは、彼らが擁護している信条は自分たちの経験にではなく、精神的な探求者の経験に基づいている、ということを強調します。例えば、このことが、現代文明の主流になっている考え方、つまり、権威に基づく観点を推進する人を非難する考え方との軋轢を生んでいるのです。もし、人々が、人智学によって認められる精神的な探求によって発見されたことがらは様々な探求に適した様々な方法を用いることによって到達することができるものではあるが、それらが獲得されるやいなや、それらは真に偏見のない心情によって容易に把握され得るものである、ということに気づきさえすれば、そのような非難は消え去るでしょう。とはいえ、真に偏見のない心情によって受け入れられ得るような発見をしたとしても、人智学的な内容を提示する人がそれを提示するときに要求されるような態度でそれを提示しないのであれば、やはり実り多い結果をもたらすことはないでしょう。そしてそのような態度がいつも支配的であるとは限らないのです。

 はっきり申し上げましょう。私が30年前に著した「自由の哲学」をひもといて、今日、思考として通常認められているものとは異なる特別な種類の思考に関するページの中にある記述を思い出してください。思考について語られるとき―そして、このことはその意見が最も重きをなすような人たちの場合に特に当てはまるのですが―概念とは、思考する人間の精神を受動的なものとして描き出すような何かなのです。人間の精神は外的な観察に、つまり、現象を探求したり実験を行ったりすることに没頭した後、これらの観察結果を関連づけるために思考を用います。そのようにして、それは何らかの自然法則を打ち立てるのですが、その正当性については、あるいは、その形而上学的あるいは単に物理的な重要性については議論の余地があるかも知れません。いずれにしても、その人が自然を観察することで彼のところにやって来るところのこれらの思考を単に心に抱くだけなのか、あるいは、そうではなく、彼が自然の手助けによって形成したこれらの思考−実際、その自然に関する思考を形成する能力を彼が発達させたのはただ最近になってからなのですが−に対する彼自身の人間的な関係性に関して何らかの明快さに到達しようとして前進するのかでは大きな違いがあるのです。と申しますのも、もし、以前の時代、そうですね、13、12、あるいは11世紀にまで遡るならば、自然についての人間の思考は今とは違った魂の態度の産物であった、ということが分かるからです。今日の人間は、思考とは現象やそれが生じる際の首尾一貫性―あるいはその欠如―を単に受動的に書き留めるだけのものであると考えています。人は単に受動的に思考を現象から生じさせ、それがその魂を占めるままにさせるのです。これに対して、私の「自由の哲学」では、いかに思考における能動的な要素が重視されるか、いかにして意志がそこに入ってくるか、私が純粋な思考と呼ぶところのものを行使する中で、いかにしてその人自身の内的な活動への気づきが可能になるか、ということが強調されます。これとの関連で、私は、すべての真の道徳衝動の起源はこの純粋な思考の中にある、ということを指摘しました。私は、いかにして意志が、そうでなければ受動的な思考の領域へと割り込んできてそれを目覚めるようにと掻き立て、そして、思考する人の内面を活動的にするか、ということを示そうとしたのです。

 ところで、「自由の哲学」の読者にはどのような種類のアプローチが期待されたでしょうか?その読み方は特別なものでなければなりませんでした。読者がそれを読むときには、ちょうど外的な意味で朝眠りから覚めるときの経験に似た種類の内的な経験をすることが期待されたのです。それについて人が持つべき感情とは、「受動的な思考における私の世界に対する関係は、より高次のレベルにおいて、横たわって眠る人のそれであった。今、私は起きている。」と言わせるようなものです。それは、人が、目覚めに際して、自分はベッドに受動的に横たわっていた、自分の体を自然のなすがままにさせていた、ということを知るようなものです。けれども、そのときから人は内的に活動的であることを始めます。人は自分の感覚を周囲の色鮮やかで鳴り響く世界の中で生じていることがらに能動的に関連づけます。「自由の哲学」を読む人は受動性から活動性への移行というこの目覚めの瞬間に似た何かを経験すべきなのですが、それは、もちろん、より高次のレベルにおいてです。彼は、「そうだ、私は確かに以前、思考を思考していた。けれども、私の思考形態は、単に思考が流れるのにまかせ、思考が私を連れ回すのにまかせる、というようなものであった。今や、私はそれらの思考の中で少しずつ活動的であり始めている。私は私が朝起きたとき私の感覚を色や音に関連づけ、私の体の動きを私の意志に関連づけるのを思い出す。」と言えなければなりません。私がヨハン・ゴットリープ・フィヒテについてコメントした本「Vom Menschenratsel」の中でも述べられているように、この目覚めの経験とは、今日広まっているものとは完全に異なる魂の態度を発達させるということなのです。けれども、このようにして到達した魂の態度は、単に誰か他の人の権威によって受容されるべき知識へと私を導くのではなく、自分がかつて有していた思考とは何だったのか、自分がかつて有していた受動的な思考に打ち込むべく今や開始するところのこの活動とは何なのか、という自問へと導きます。人は、自分の魂と精神の生活が目覚めに際してその体に対して有するところの掻き立てるような影響と同じような影響を自分がそれまで有していた思考に対して有しているところのこの要素とは何なのか?と問いかけます。(私はここで目覚めについての外的な事実についてだけ言及しています。)人は、生きて活動する機能としての思考を知ることなしには不可能であったような仕方でそれを経験し始めるのです。

 受動的な思考について考える限り、思考は単に体の中で展開し続けるものに留まり、物理的な感覚は外的な対象物に関わり続けます。けれども、人がこの受動的な思考に内的な活動を浸透させるとき、彼は彼が以前に取り組んでいた思考に対する別の同様な比較に思い当たり、その受動性が何に似ているかを理解することができるようになります。彼は、彼のこの受動的な思考とは、正に、物理的な領域において肉体が表現しているものを魂の領域において同様に表現するところのものである、ということに気づくようになるのです。人は、この物理的な世界の中で死体を見るとき、それは彼が見ているようなものとして創造されたのではなく、この体の現在の物質的な組成はいかなる通常の自然法則によっても説明することはできない、ということに気づくべきなのです。物質元素のそのような構成が生じることができるのは、生きた人間が今は死体であるところのものの中に生きた結果としてだけでしょう。それは以前そこに住んでいた人によって捨てられ、単なる遺物となりました。それは前もって生きた人間が存在していたことを仮定することによってのみ説明することができるようなものです。

 自分自身の受動的な思考に直面する観察者は、死体以外のものを見たことがない人、生きた人間を眺めたことがない人に似ています。そのような人はあらゆる死体を奇跡的な創造物として眺めなければならないでしょう。何故なら、自然界におけるいかなるものもそれらを造り出すことができなかったはずだからです。人は、その思考に活動的な魂の生活を浸透させるとき初めて、思考は残渣に過ぎない、何か死んだものの遺物である、ということに気づくのです。通常の思考は死せるもの、魂の死体に過ぎません。そして、人は、自分自身の魂の生活をそれに浸透させることで、つまり、抽象的な思考というこの死体が新たな生命状態の中にあることを知り始めることを通して、そのことを意識するようになるべきなのです。通常の思考を理解するためには、それは死せるものであり、地上以前の魂存在の中にそのそれまでの生を探すべき魂の死体である、ということが分からなければなりません。そのフェーズを経験している間の魂は肉体を持たない状態で思考の生命要素の中に生きていました。そして、地上生の内にある魂に残された思考とは地上以前の存在の中で生きる魂の魂的な死体とでも見なされるべきものなのです。

 それは意志を思考に投影する際に可能となる内的な経験を照らし出すものとなります。現在の人類進化の段階に合わせて、純粋思考の中に倫理的、道徳的な衝動を探求するときには、思考はこのような仕方で眺められなければなりません。そのとき、人は、純粋思考そのものによって、自分の体から地球以外の領域へと引き上げられるという経験をします。そして、人が純粋思考の中で有するものは物理的な世界とは一切関係がないけれども、なおかつそれは現実的なものである、ということに気づきます。それは物理的な眼では見ることができない世界、人が肉体の中に降りてくる以前に住んでいた世界、つまり精神的な世界と関係しているのです。人はまた、私たちの惑星系を支配する法則でさえ、賦活された思考をもって私たちが入っていく世界とは無関係である、ということに気づきます。私は、わざと古めかしい言い方で、人が生きた思考の中で把握するものがその真の意味を有している世界に到達するためには惑星系が終わるところまで行かなければならないだろう、と言っているのです。生きた思考が適用される世界、それは地上における創造性の宇宙的な源泉が見出される世界でもあるのですが、そのような世界を見つけるためには、土星を越えて行かなければならないでしょう。

 これは、私たちが自分たちを宇宙の中のひとつの小さな塵の上に住んでいるものと見なしているような時代にあって、再び大宇宙に出ていくために踏み出すべき第一歩なのです。それは、現実であるところのものをそこに見るという可能性、生きた思考をもってそれを見るという可能性へと向かう最初の前進です。人は惑星系の限界を越えて行くのです。

 もし、皆さんが、私の本「自由の哲学」の中で行われたように、人間の意志についてのさらなる考察を行うならば、とはいえ、このようなことがらは徐々に発展させるべきであり、そのため、その本の中での議論は完全に感覚の世界に限定され、より進んだ側面についてはその後の仕事にゆずられているのですが、皆さんは次のようなことを見出すでしょう。つまり、人は以前の受動的であった思考に意志が打ち込まれるとき、土星を越えた宇宙の中へと運ばれるように、完全に無活動になるほど深く意志の中に入っていくときには、つまり、そうでなければ意志の世界の中に人が生じさせるはずの運動の中で静止の極になるときには、反対側に進むことができるということをです。私たちが意志するとき、私たちの体は動きの中にあります。その意志が単なる願望以上のものではないときにも、体的な物質は動きへともたらされます。通常の意識にとって、意志とは動きなのです。人は、意志するとき、世界の運動の一部になるのです。

 ですから、もし、人が、私の本「より高次の世界とその達成」の中で述べられている訓練を行い、そして、それによって、人が意志行為を行うたびにその中に捕らえられるところのこの運動に対抗して、自分自身の意図的な内的平静を据えるのに成功したならば、もし−それをすべての意志活動に適用できるような像で表現すれとすれば―人が、体は空間中を動き回る一方、魂を平静に保つことに成功したならば、つまり、魂を平静に留めたまま活動を遂行すると同時に静かにそれを観察する一方、世界の中で活動的であることに成功したならば、ちょうど、以前、意志が思考に浸透したように、思考が意志に浸透することになるでしょう。

 このことが生じるとき、人は世界の反対側から出て来ます。人は意志を、何かそれが物質的な体から自らを解き放つことさえできるもの、人を通常の地上の法則に支配される領域から抜け出させることさえできるものとして知るようになります。このことは人間と宇宙との結びつきに光を当てるような特に重要な事実についての知識を人にもたらします。人は次のように言うようになることを学ぶのです。「お前は、お前の意志の領域の中に、多くの種類の渇望、本能、そして熱情を有している。けれども、そのどれひとつとして、お前が、実際には地上的な感覚の世界に限定されるようなお前の実験の中で、それについて学ぶような世界には属していない。それらは死体の中に見出されるようなものでもない。それらは、単にこの世界へと張り出してきているだけの異なる世界、その活動を感覚の世界に関係するあらゆるものから完全に切り離している世界に属しているのだ。」と。

 今日、私はこれらのことがらについて皆さんにスケッチを示しているだけですが、それは人智学の第3フェーズについての特徴づけを行いたいからです。人は反対の側面から宇宙の中に入って行きますが、それは外的には物理的な月によって特徴づけられる側面なのです。月は太陽光を吸収するというよりもむしろそれを弾き返します。つまり、それをその表面で反射することによって、それをあるがままにしておきます。それはその他の宇宙的な力をも同様に反射します。それは、私たちに見る能力を与えるところの世界とは異なる世界に属しているため、それらを排除するのです。光は私たちに見ることを可能にしてくれますが、月は光を吸収することを拒み、それを反射します。内的な活動の中で自らを支配する思考は私たちをはるか土星へともたらす一方、意志の支配は私たちを月の活動へと導くのです。私たちは宇宙に人間を関連づけることを学びます。私たちは「ひとかけらの塵である」地球から導き出され、そして、それを越えていくのです。学びは宇宙に対する関心へと再び自らを引き上げ、私たちは魂的、精神的な存在として私たちの中にも生きているところの要素を宇宙の中に再発見します。私たちが、一方で、意志を浸透させることによって思考が活性化されるような魂の状態を達成し、他方で、私たちの意志を思考で浸透させることに成功するとき、私たちは、ある面では、土星の領域にまで出て行くことによって惑星系の境界にまで達し、別の面では、宇宙に出て行くとともに、月の領域へと入っていくのです。私たちの意識が、宇宙の中にあっても地球上においてと同様、そこを故郷のように感じ、そして、そこで生起していることを私たちの通常の意識が地上のできごとを経験するのと同様の親しみをもって経験するとき、つまり、私たちが、宇宙の中で意識的に生きながら、そこで自意識を達成するとき、私たちは以前の地上生を思い出し始めます。今や私たちの一連の受肉は、私たちが参入することができるようになった宇宙的な記憶の中で経験されるひとつの事実となるのです。

 私たちが受肉している間は以前の地上生を思い出すことができない、というのは驚くべきことではありません。何故なら、私たちがそれらの合間にある状態で経験するのは地上的な経験ではなく、ある人生が次の人生に影響を及ぼすというのは人が地上の領域から自らを引き上げる結果として生じることだからです。もし、人がまずその意識を天上の水準へと引き上げるのではないとすれば、以前の受肉を思い出すことなどできるでしょうか?

 これらのことがらについてはこれまでに何度もここで議論してきましたから、今日は大まかに描写するだけにしたいと思います。私が思い描いていたのは、人智学がここ何年かに渡ってその探求を遂行してきた領域を示す、ということでした。何が起こってきたかについて推し量ることに興味がある人たちは、いかに私の最近の講義が正にこれらの領域に絶えず関わってきたかということを思い出すことができるはずです。それらの講義の目的は、通常の意識からより高次の意識へと発展していくことができるプロセスを少しずつ明らかにする、ということでした。私がいつも申し上げてきたのは、通常の意識は、もし、それが偏見のないものであったならば、人智学的な探求によって見出されたことがらを把握することができるということでした。また、今日では、人智学が語る世界への入り口となる新しい種類の思考と意志を発達させることができるような意識状態を達成することは誰にでもできる、ということも強調してきました。本質的なことは、他の哲学的な書物に向かうような心的な態度をもって「自由の哲学」のような本を読む習慣を変える、ということなのです。それを読むときには、そのことによって全く異なった考え方、意志の仕方、ものの見方へともたらされるのだ、という事実に注意が払われなければなりません。もし、そのことがなされるならば、そのようなアプローチは人の意識を地上的なものから別の世界へと引き上げ、精神的な探求の結果について確信をもって語ることを可能にするような一種の内的な確かさがそこから引き出される、ということが分かるでしょう。「自由の哲学」をそれが読まれるべき仕方で読む人は、その人が初心者として自分で到達した状態を越えて行った探求者が見出したことがらを内的な確信と自信をもって語るようになります。しかし、「自由の哲学」が正しい仕方で読まれるならば、それはそれを受け入れる人を私がこれからお話しするような種類の初心者にします。そのような初心者は、ちょうど化学の分野に通じている人がその分野における探求について語るのと全く同じようにして、より進んだ探求において見出されたことがらについて、さらに詳細な報告をすることができます。彼はそれがなされるのを実際に見たわけではないかも知れませんが、それは彼が学び、聞き、そして現実の一部として知っているところのものから彼には周知のことなのです。人智学について議論するとき、いつでも決定的に重要なのは、単に一般的に受け入れられている世界像とは異なる世界像を写し出すということではなく、ある特定の魂的な態度を発達させるということです。

 問題は、私がお話ししてきたような異なる仕方では「自由の哲学」は読まれてこなかった、ということです。それが問題であり、人智学協会の発展が人智学そのものの発展から遙かに脱落してしまわないためには、その点が強調されなければなりません。もし、それが脱落してしまえば、協会を通して人智学から伝達されるものは完全に誤解され、その唯一の果実は終わりのない争いであった、という結果になることでしょう!

 さて、ここでは、人智学協会の三つのフェーズについて簡単にお話しすることによって、この現状の改善を図りたいと思います。始まりは約20年前に人智学を提示したことでした。20年前と言いましたが、それは既に、私の「自由の哲学」やゲーテの世界観に関する著作のような形で確かにそこにありました。とはいえ、人智学という形での提示は20年前に始まりました。皆さんは、私がこれからお話ししようとしていることから、当時それは確かに人智学として提示されるようになったのだ、ということがお分かりになると思います。

 20世紀が始まって数年後に、私がベルリンでの最初の講義(これは「新しい時代の夜明けにおける神秘主義」という題名で出版されました)を行ったとき、私は神智学協会からその活動に参加するように誘われました。私の方から神智学協会に接近したのではありません。その協会に属していた人たちが、私自身の認識の道を追求するための講義の中で語られていたことがらを、彼らもまた聞きたいような何かであると考えたのです。私は、神智学者たちはそこで提示されていたことがらを聞きたいのだと思いましたが、それについての私の態度は、私の話を興味深く聞いてくれる聴衆にはいつでも対応する、というようなものだったのです。神智学協会についての私のそれまでのコメントはいつも正に友好的なものであったというわけではなく、その後もそのようであり続けたのですが、精神的な世界から私に委ねられた内容をその前で提示してほしいという誘いを断る理由は見あたりませんでした。私がそれを人智学として提示したということは、神智学協会のドイツ支部が設立されるという正にそのときに、私がそれとは別個に人智学についての講義、それもその題目に人智学の名前を含む連続講義を行っていた、という事実からも明らかです。神智学協会ドイツ支部の設立式典と私の人智学についての講演会が同時に進行していたのです。目的は、正にその最初から、純粋な人智学を提示するということだったのです。

 これが人智学運動の第一フェーズの始まりでした。それが最初に実証されたのはドイツ支部の中の人智学を吸収する容易ができていたメンバーたちの中においてでしたが、神智学者たちの別のグループもそれに加わりました。この最初のフェーズにおいては、人智学協会は神智学協会の内部でその胎動期を送っていました。お話ししているように、それは神智学協会の内部で育ったのですが、それにもかかわらず、人智学協会として発展しました。それは、この最初のフェーズでは、古代東洋の叡智を受け入れるという伝統に従う神智学協会の路線に対抗して、ゴルゴダの秘儀を中心とした西欧文明の精神性を主張する、という特別な使命を負っていました。

 人智学運動のこの最初のフェーズは1908年あるいは1909年まで続きました。この運動の歴史を辿ってみるひとであれば誰にでも容易に分かることは、その胎動期に見出されたすべてのことがら、輪廻転生やその他のことがら−それは時代を越えて受け継がれてきた古代の伝統にではなく、現在における直接的な経験に基づいて見出されたことがらです−は、ゴルゴダの秘儀やキリスト衝動の中にその中心を有するところの人間の地上生におけるあの進化発展段階をいかに明確に指し示しているか、ということです。福音書が他の多くのものと並んで詳しく取り上げられました。私の神秘劇の上演をもって人智学運動の芸術的な表現形式への移行が可能になりましたが、それまでは、人智学の内容への働きかけと、その核心であるゴルゴダの秘儀への関連づけがなされてきたのです。

 そして、神智学協会が、奇妙な展開に向けて、脇道に逸れるときがやってきました。それは、ゴルゴダの秘儀について全く理解していなかったことによって、いくつかの馬鹿げた間違いを犯してきましたが、中でも、ある現在の若者が再受肉したキリストであるという宣言を世界に向けてしたのです。確かに、まともな人であれば誰もそのようなナンセンスに耐えることはできないでしょう。それは西洋人の目からすれば馬鹿げたことのように見えました。しかし、人智学は西洋文明の一部として発展してきたので、その結果として、ゴルゴダの秘儀は人智学的な教えの中で全く新しい光の下に現れることになりました。このことは神智学協会とは異なった結果へと導き、最終的に、すべての人智学者たちが事実上追放されることになったのです。彼らはそのことを気にしませんでしたが、それは、いずれにしても、そのことで人智学が変化することはなかったからです。私自身は、人智学が外的には神智学協会に含まれていた時代を含めて、人智学について聞くことに興味を持っていた人たちにそれ以外の話をすることは全くありませんでした。

 そして、人智学運動の第二フェーズが始まりました。このフェーズは一つの基礎の上に立っていましたが、その基礎は、既に、運命についての最も重要な教え、つまり、繰り返される地上生とゴルゴダの秘儀についての教えを今日の文明には完全に閉ざされている精神的な光の中で包含していました。それには、現代人が現在においても生きて活動しているキリストの助けを借りて把握することができるものを伝統と和解させる福音書の解説が含まれていました。

 1916年か1917年まで続いた第二フェーズは、一般に認められている科学や現代社会の実際的な関心事を大いに探求することに費やされました。人智学はいかに現代の科学、芸術、あるいは、実際の生活により深いレベルで関連づけられ、そして、調和させられるか、ということが示されなければならなかったのです。例えば1910年のヨーロッパの民族魂に関するクリスチャニアでの講義や1911年のオカルト生理学に関するプラハでの講義のような当時行われた私の連続講義について考えてみるだけで、人智学の第二フェーズは科学や当時の実際的な関心事に対する関係を築き上げることに捧げられた、ということが分かるでしょう。ここではふたつの連続講義を例示しただけですが、全体の目的は、近代科学や実用に関連づける、ということだったのです。

 協会が第二フェーズにある間、あらゆることが、人智学が語ることを聞くことができるような内的な態度を有する多くの人々を見出すという目的に向けられました。そのような人々がますます多く見つかるようになりました。人智学に対して本当にオープンな魂の状態にある人々が集まるということだけが必要だったのです。そのことによって、いわば人智学的な共同体の基礎が据えられたのです。その使命は、現代人の内的な進化の過程で、人智学に対する何らかの理解をもたらすことができる地点に到達していたこれらの人々の関心をひたすら満たすということでした。魂の発達のために彼らが必要としていたものが与えられなければなりませんでした。人智学を提示するということだけが問題であり、第一、第二フェーズの間に人智学への道を見出した人々がセクト的な小さなグループとして集まるのか、あるいは公開講演のようなものに来るのかということは大した問題ではありませんでした。あらゆることがらを正直に探求された知識という基礎の上に据え、そして、それを提示するところにまで進む、ということが絶対的に重要なことだったのです。発展しつつあったその種の人智学協会においては、このことを満足のいく仕方で行うということは十分に可能でした。

 第二フェーズの別の側面は芸術的な要素のさらなる発展です。その道程の半ば当たりでゲーテアヌムを建設しようという計画が具体化しました。神秘劇とともに始まったひとつの傾向がこうして芸術の領域、彫刻と絵画へともたらされました。そして、オイリュトミーが構想されたのですが、その要素については公演の前のイントロダクションでしばしば特徴づけて来たところです。そのすべては、ある源泉から存在へともたらされたものですが、それは「より高次の世界の認識とその達成」の中で描写された道、と言いましても、その道を進むことを本当に望む人であれば、それを理解して進むことができる程度に十分詳しく描写された道ですが、そのような道によって参入することができるような源泉です。

 協会が第二フェーズにあったこの時期は、その後ヨーロッパと現代社会を席巻した恐ろしい戦争の勃発によってとりわけ困難なものとなりました。不信と憎しみが文明世界全体に溢れていたこの時期の嵐の中を人智学という小さな船で漕ぎ出すのはとりわけ困難なことでした。ゲーテアヌムが中立国に存在していたという事実は国境が閉ざされていた時期にそれを訪問するということをしばしば困難なものにしました。けれども、人智学的な努力の誠実さを信じる理由は、戦時においてさえ、その後にそれに対して不信を持ついかなる理由よりもなおしっかりと事実に基づいていたのです。実際、戦争の時代にも仕事は中断しなかった、それは継続していたのだ、と本当に言うことができます。既に述べましたように、戦場では憎しみと敵意の中で対峙していた多くのヨーロッパの国々から来た非常に多くの人たちが、平安と人智学的な精神の中で、今は恐ろしい火災という悲劇の中で私たちから失われてしまったゲーテアヌムのために共に働いていたのです。

 そして、運動における第三フェーズ、多くの人たちが様々な活動を始める時期がやって来ました。ここで、そして、他のところでも強調しましたように、これらの取り組み自体は良いことでした。しかし、それらは鉄の意志もって始め、適切に、そして、最後までフォローされるべきものであったのです。後に「自由な精神生活のための会」や「より高次の教育のための会」などと呼ばれるようになった三分節化運動はその人の全存在を抜き差しならない仕方でそれらの背後に置くという明確な意図を持って取り組まれるべきものでした。第三フェーズにおいては、単に人智学を提示したり、自らの内的な探求によって人智学に導かれた人たちで集まったりすることだけで満足していることは不可能になりました。その代わり、多くの人たちがあれこれのプロジェクトに取りかかることを望み、実際にそうしたのです。このことは、当初の純粋に人智学的な共同体に加えて、あらゆる種類のグループを創り出すことになりました。

 その内のひとつが科学的な運動だったのです。それは第二フェーズの間に確立していた科学と人智学との間の関係に基づいて打ち立てられました。科学者たちが私たちのただ中に現れたのです。彼らは人智学が提供すべきものを現代科学にもたらすという使命を持っていました。とはいえ、現代科学に対する関係を構築する方向で私が始めていたことが継続されるべきであったのです。私が運動の第二フェーズの間に行った講演を思い出していただければ分かると思いますが、私は、例えば、現代の物理学がいかにしてそれに特有の考え方をするようになったかということに対していつも注意を促してきました。私はその考え方を拒否しません。私が、もし、物理学者たちが立ち止まるところから出発するならば、私たちは物理学から人智学に至るであろう、と言うときのように、私はそれを認め、それを私自身の出発点としていました。私は学びのその他の側面の場合にも同じことをしてきました。この態度、この関わり方が卓越し続けるべきだったのです。もし、そうなっていたとしたら、科学的な活動の展開は私たちがこの第三フェーズの間に目撃し続けたものとは違った結果となっていたでしょう。とりわけ、私たちは私が以前の会合の際に記述したような実りのない論戦や、議論のための議論から守られていたはずなのです。そうすれば、私たちは今、建設的な仕事に向き合うことができ、人智学には科学に対して貢献すべきことが実際にあり、それはそれが一定の道筋に沿って先に進むのを助けることができるということを、そして、それはどのようにすれば達成されるのかということを語ることができたでしょう。もし、そうなっていれば、「ディードライ」の最新号の中で明白になったような態度、実際、先のクリスマスの季節にドルナッハで行われた科学についての私の連続講義との関連で私が目を通した何号かの中で明白になったような科学に対する態度はもっと違ったものになっていたはずです。私はそこでの科学と人智学の取り扱いに戦慄しました。それは両方にとって有害なものだったのです。人智学者たちがそのような実りのない議論に関わるとき、人智学は否定的な光の下に置かれることになります。これは批判するためではなく、科学者たちの協会の中での使命とは何かを指摘するために言っているのです。

 その他の関連でも何か同じようなことが起こっていなければなりません。問題のケースを取り上げてみましょう。それは前回ここで連続講義を行ったときに注意をうながしたことがらです。

 私たちは運動の第三フェーズにおいて、「より高次の教育のための会」が結成されるのを見ました。それはすばらしいプログラムを持っていたのですが、誰かがそれをバックアップしながら自分のすべてをもってそれを支え、そのすべての責任を引き受けるべきでした。私が責任を取るのは人智学そのものについてだけです。ですから、誰か別の人が人智学に根ざした独自の企画を始めるときには、そのプロジェクトはその人の責任になります。私がお話ししているケースでは、そのプログラムが計画されていた時点で誰かが責任を負う必要性が指摘されていたにもかかわらず、誰もそうしようとはしなかったのです。私がそのときに申し上げたのは、その種のプログラムは最後までやり通す鉄の決心があるときだけ始めるべきであって、そうでなければ決して立ち上げてはいけない、ということでした。このケースでは、そのバックアップに失敗したのは協会を指導していたグループでした。

 その結果、どうなったでしょうか?多くの学生運動からの若者たち、真の人智学に対する強いあこがれを持ちながら、求めるものを協会の中に見いだせない若者たちが人智学の生きた源泉を求める、という結果になったのです。彼らは、人智学の芸術的な側面やその他の側面を知りたかったのだと明言しました。彼らがシュタイナー博士夫人にアプローチしたのは、暗唱や朗読によってものごとの人智学的な動きとでも呼べるようなものを経験するのを手助けしてほしいという意図を持ってのことでした。

 親愛なる友人の皆さん、これと平行して、別の展開がありました。精神的な世界は、運動の第三フェーズにおいては、今日の講演の冒頭で、純粋に精神的な思考の立場から、つまり、いかにして異なる意識を発達させ、それによって精神的な世界にアクセスすることができるようになるかということを示すことができるほどのレベルから、ある種のことがらを簡単にスケッチしたときのような仕方で記述されています。第一および第二フェーズにおける関心事は、ゴルゴダの秘蹟、科学、あるいは実際的な生活態度に運動を関連づける、ということにありました。第三フェーズで付け加えられたのは精神的な世界の直接的な描写です。これら三つのフェーズを通して、ドルナッハで、そして、例えば、ここでもなされてきた試みについてフォローしてきた人、第三フェーズが第一、第二フェーズの上に積み重ねてきた前進に対する本当の感情を有している人、近年、中央ヨーロッパの境界を越えて人智学を広めることがどの程度可能になってきたかを知っている人、そのような人であれば誰であれ、私たちは、第一と第二フェーズの直接的な継続であり、そのさらなる発展形としての真に新しい第三フェーズを実現することに関わってきた、ということに気づくはずです。もし、私たちが第三フェーズに入っていなかったとすれば、人間の永続的な本性とともに時限的な本性をも考慮することに基づくウォルドルフ学校教育を発達させることは全く不可能だったでしょう。

 さて、昨日や前週の議論と、そして、今日、私が率直に、そして、誰かを批判しようとする意図は全くなくお話ししてきたこととを比較しながら、私たちの仕事のこれら三つのフェーズにおける変化は協会にどのような影響を及ぼしてきたのかと自問してみてください。内容的には同じこれらの議論を人智学的な仕事をして20年経過した今日とちょうど同じような仕方でするということは16年か18年前には考えられなかったことではないでしょうか?私たちはまるで協会が発足した時に戻ったかのようではないでしょうか?

 繰り返しますが、私は誰も批判しようとしているのではありません。けれども、人智学協会が何か価値あるものになることができるとすれば、人智学が達成しようとしているあらゆるものを育む基礎となり、例えば、私たちのところの科学者たちが科学を優遇するあまり人智学を無視することなく、むしろ、ごく最近の科学的な発展の頂点を飾るものにするようにいつも心がけるときだけなのです。科学者たちは不毛な議論によって人智学を科学的な攻撃に曝すことがないように気をつけなければなりません。

 教師たちも同様の使命を帯びていますが、実際的な生活分野に関係している人々は特にそうです。と申しますのも、彼らの活動は、実用性に対する特別な可能性を有している人智学に対して、それが実用的ではないとする最も悪意に満ちた攻撃による最も激しい集中砲火を誘起するような種類のものだからです。

 ですから、現在、協会に求められているのは、どこか他の場所で行われている真に人智学的な仕事の単なる傍観者以上の存在、人智学に基づいて始められるその他の企画に対して真に人智学的な熱中と熱情を与え損なうようなただの設立者以上の存在になる、ということです。協会は人智学的な仕事に対して意識的に照準を合わせる必要があります。これは正に詳細に至るまで完遂される必要があるその使命についての完全に前向きな発言なのです。もし、この前向きな使命に取りかからないとすれば、人智学協会は、世界との関係で、人智学に対してますます害を及ぼすだけのものになるでしょう。三分節運動が、自らと人智学との関係はどうあるべきか、ということについて理解し損なったために、あれほど多くの人智学運動にとっての敵が創り出されたのではなかったですか!それは、そうする代わりに、妥協に妥協を重ね、その結果、とうとうある方面の人たちは人智学を軽蔑し始めるようになったのです。私たちは他のところでも同じようなことが起こるのを見てきました。ここでの最初の講義のときにも申し上げましたが、人智学はその運動の親である、ということが気づかれなければなりません。その事実は気づかれなければならないのです。もし、そうなっていたとしたら、私がその立ち上げに協力した宗教改新運動は人智学運動に対して正しい関係を持つに至っていたことでしょう。この分野でも、そうなる代わりに、あらゆることがらが不都合なことになっているのです。ですから、私は、この重大な局面に際して、前向きな仕事へと導く助けとなるような言葉、私たちを20年前に連れ戻すような話し合い、その間、人智学的な仕事は何も達成されなかったかのように思わせるような不毛な話し合いを越えて私たちを導くような言葉を見つけたいのです。

 親愛なる友人の皆さん、私がこのような仕方で皆さんにお話ししていることで気を悪くなさらないでください。そうしなければならなかったのです。1月6日にドルナッハでお話ししたように、人智学協会は公正であり、それについて私がお話しした最も辛辣な部分でさえ受容的に聞く能力を持っています。しかし、協会の中で指導的な立場にある人たちは、もし、協会が将来名声を得るべきであるならば、そこが意識的に仕事をする場であり続けるように自ら責任を負わなければなりません。現在生じている争いはそのような意識の必要性が善意の精神の中ではっきりと、そして十分に認識された瞬間に終息するでしょう。けれども、その必要性が明らかにされ、不毛な批判が取り下げられるためには善意がなければなりません。さらに言えば、あれこれの運動のつじつまを合わせるために妥協を重ね、気持ちのよい幻想に身を委ねても何の役にも立ちません。それではいつもながらのマイペースに終わってしまうだけです。今は人智学的な仕事に完全に真剣に取り組むべきときであり、すべての個々の運動がそのゴールに向けてともに働くべきときなのです。私たちは別個のウォルドルフ学校運動、別個の宗教改新運動、別個の自由な精神生活のための運動があることで満足しているわけにはいきません。そのすべてが、自分たちは人智学運動に属しているのだ、と感じるときにだけ、それぞれの繁栄があるのです。

 私は、本当に人智学運動のことを心配している人たちは心の中で同じことを言っていると確信しています。今日、私があえて厳しい言い方でそのことをお話ししたのはそのためです。皆さんのほとんどは、私があれほどまでに本質的なものであるとして記述してきたところの意識を達成するためにははっきりと申し上げる必要がある、ということに既にお気づきでした。

 人智学運動は今や、三つのフェーズを通過してきました。第3フェーズにおいては、派生した様々な運動が優先され、人智学は無視されて来ました。しかし、それは現代の文明生活、とりわけその精神的な部分が要求するような生きた精神的運動として再発見されなければなりません。どうか私の言葉をその目的に貢献するように意図したものとして受け取ってください。それが厳しい響きを持っていたとしたら、それはそれだけ真摯な提案なのだと考えてください。それは、それによってさらに辛辣な議論を呼び起こすのではなく、人智学に対する真実な心によって導かれた運動への参加を促す、ということを意図した言葉だったのです。