ルドルフ・シュタイナー

人智学的共同体形成 (GA257)

第4講

シュトゥットガルト、1923年2月13日

佐々木義之 訳


 人智学協会をめぐる情勢を見ますと、その少なくともいくつかについては、今夜もう一度、簡単に触れておくのがよいように思われます。けれども、協会の組織やその発展といった側面に立ち入るために講義の時間を使うのは、全く私の意図するところではありませんでした。と申しますのも、私の使命は人智学そのもののために働くことであり、協会の活動やその発展に関するあらゆることがらは、様々な場所でそのための責任を負ってきた他の人たちに喜んで任せたいと考えているからです。とはいえ、今日の講演のために当初意図していた課題については、間もなく開催される代表者会議の場で十分時間をかけて議論できればと考えています。協会における最近の情勢から明らかになったような必要性から見て、恐らく、皆さんは、私が人智学的な発展における3つのフェーズについて一週間前にお話ししたことがらについて、いくつか補足的にコメントすることをお許しくださるでしょう。

 今日は、これら3つのフェーズすべてに共通するあの側面を取り上げたいと思っています。これら3つのフェーズの違いについては、先週、素描的にではありましたが、集中的にお話ししました。

 まず、私たちのような協会はどのようにして存在するようになるかということについて議論することから始めたいと思います。私がこれからお話しすることは、聴衆の皆さんの多くにとって自己認識のための手段となり、そして、そのことで、来るべき代表者会議のためのよい準備であったことが分かる、ということになると信じています。

 現在の文明や文化の発展に通じている人であれば誰であれ、人智学が提供すべき知識の深化、倫理的実践、内的宗教生活は時代そのものの要求である、ということを知っているはずです。けれども、他方、私たちのような協会は、今日蔓延している状況の下で切実に必要とされているあれらの要素をますます広く普及させることにおいて、先駆けとなって活動しなければなりません。

 そのような先駆けはどのようにして作られるでしょうか?恐らく、人智学協会を真摯に追い求めて来た人は皆、私がこれから記述しようとしていることがらの中に自分自身の運命の一部を認めることになるでしょう。

 過去21年か22年に渡る人智学協会の発展を振り返ってみるならば、人智学協会にアプローチしてくる人たちの大多数は、今日の生活において、自分たちを取り巻く精神的、心理学的、そして、実際的な条件に満足できないと感じているからこそそうするのだ、ということが確かに分かるでしょう。最初の頃の協会は、批判的にではなく、事実に基づいて考えたとき、良き時代であったとさえ言えるのですが、そこでは、何かほとんど現在の生活から別の種類の生活への飛翔、そこで暮らす人々が人間としての尊厳に適った生活ができると心から感じられるような人間的な共同体の上にうち立てられた生活への飛翔とでも言えるような何かが起こっていました。彼らを取り巻く生活の中に蔓延していたこの精神的、魂的、実際的な状況からの疎外が、人智学協会の設立に当たって、ひとつの要素になっていたと考えなければなりません。と申しますのも、人智学徒になった人々は、他の何千、何億という人たちが実際、そう遠くない未来に切実に感じているであろうことを最初に感じ取った人たちだったからです。つまり、彼らは、過去の時代には完全に正当化されていたばかりではなく、歴史的な意味で必然の所産でもあったところの古い形態、そして、それはその時代から現在の形態へともたらされたものではあるが、そのような形態は現代人の内的な生活が要求し、十全たる人間としての尊厳が求めるものをもはや提供できない、ということを感じ取っていたのです。

 これらのことがらに関してオープンな心を持ち、真摯な探求の中で人智学へとやって来た人であれば誰であれ、もし、自己観察をしてみるならば、単に今日的なその他の人間の集団の中においてではなく、特別な共同体の中で自分の魂の要求を満足させたいという願いは自分の人間としての最奥の中心から湧き出してくるような何かであり、現時点における特別な現象であると感じられ、全人としての永遠の源泉から自分の魂の表面へと歩を進めているような何かである、ということに気づくでしょう。ですから、本当に素直な気持ちで人智学にやって来た人たちは、人智学協会に所属することの必要性を本当に自分たちの深い、心からの関心事として、もし、彼らが正直であるならば、それなしでは本当にやっていけないような何かであると感じる人たちなのです。けれどもまた、私たちは、人々が人智学協会への帰属を求めるときの明確さ(思考の明確さではなく、感情の明確さ)そのものが、十全たる人間性への希求に対して、いかに外的な世界が無力であるかを示している、ということを認めなければなりません。今日存在している世界の条件からの疎外についての魂の感じ方がそれほど強烈なものになっていなかったとしたら、人々はそれほどまで差し迫って人智学を求めざるを得ないとは感じていなかったでしょう。

 ですが、その他のことがらについての考察へと話を進めましょう。これまで私がお話ししてきたことは人間の意志衝動の逆転とでも呼べるものです。人はある一定の時代に生まれ、その時代の人間として教育されます。その結果、彼の意志衝動はひたすら彼を取り巻くすべての人間世界の意志衝動と一致したものになる、ということになります。彼は成長しますが、周囲にある意志の傾向へと内的に大いに掻き立てられながらそうするというわけではありません。そのことは、これまで彼が外的な世界から取り入れてきたところのこれらの習慣的な意志衝動に対する内的な反感を深く経験し、それまでのこの外的な意志を内的なものに変える、という結果をもたらします。そのとき、彼は、彼の意志のこの方向転換によって、私たちの時代があれほどまで切実に経験しているあこがれ、永遠の源泉から湧き出してきて、彼の意志がそれまで向かっていた方向とは異なる共同体への帰属を求めるように強いるあこがれに気づかされるようになります。

 ところで、本来、意志に関するものはすべて倫理的、道徳的なものですから、人を人智学協会へと駆り立てるのは、少なくともその意志と感情の側面においては、倫理的、道徳的な衝動なのです。彼を人智学協会へともたらしたこの倫理的な衝動は、彼を彼の魂生活における永遠の泉へと運んで行くとき、彼の最も内的な至聖の場所で彼を掻き立てることによって、宗教的な衝動へと発展します。もし、そうならなかったとしたら、外から課せられた規則、伝統的な慣習、あるいは、その人を取り巻く生活の中から多かれ少なかれ考えなしに取り入れた習慣、言い換えれば、その人が成長する過程で発展してきたあらゆる倫理的、道徳的、宗教的なものに単に対応することで終わってしまっていたはずですが、それが今や内へと向かい、その人の倫理−道徳的、宗教的なあり方を、十全たる内的な現実にしようとする苦闘へと変わるのです。ですから、人がその意志生活と―少なくともある程度の―感情生活を、単に偶然出会ったような何らかの知識を受け入れることに結びつけようとしても、その人の身の丈に十分に適ったものにはならないのです。

 私たちが母乳と一緒に吸収するような種類の知識ではなく、私たちが6才までに内的な魂の訓練として確かに受け取り、その後も受け取り続けるような知識、つまり、私たちの心がその学ぶ能力において受け入れるところのあらゆることがらは、それらの対極にあるとはいえ、それらと完全に調和し、一致するところの倫理的、道徳的、宗教的な要素に直面することになるのです。とはいえ、それらは、宗教的な深化を人智学的な努力へともたらそうとする人にとっては、決して思いもよらないようなものではありません。ここ何世紀かに渡って文明人が発達させてきた種類の実際生活とは、人智学徒が正にそこから自分の道徳的、倫理的、宗教的な本性を自由にしたいと望んでいるような生活なのです。たとえ彼が彼を取り巻く生活と妥協したとしても、そして、実際、彼はそうしなければならないのですが、彼の本当の望みとは、ここ数世紀の間に文明が創り出したもの、すなわち破滅的な現在の状況へと直接導いてきたところのものから逃げ出す、ということなのです。この望みは、人智学運動を希求する人の多くの中では、本能的なものとしてだけ存在しているかも知れませんが、確かに存在しているのです。

 さて、ここ数世紀に渡る宗教衝動や意志衝動の発達を説明することができる要素というのは、正に現代における学問生活の方向性と全体的な色合いを決定づけたものと同じである、という事実に眼を向けてみたいと思います。現代的な認識方法が客観的な物理学、客観的な数学、客観的な化学を創り出した、それは客観的な生物科学やその他のものに向かって働き続けている、と信じ、そのように言うことができるのは単に偏見に陥っている人だけです。それは全くの偏見です。実際、私たちがおよそ6才の頃から自分にたたき込んできたのは、ここ数世紀に渡って発達してきたような外的な影響を受けた意志衝動の産物であり、宗教衝動の産物である、というのが本当のところなのです。人智学を求める人がこれらの意志衝動から、そして、その人の道徳生活がその最高の表現をその中に見出すべき宗教的な形態から逃れたいと思うとき、その人は、同時に、彼がそこから立ち去りたいと思う世界にではなく、彼が求める新しい世界に合致した認識方法を求めざるを得ません。言い換えれば、彼はその意志衝動を内側に向けているために、彼の内転した意志に対応した知識、過去数世紀に渡って続いてきた文明世界におけるあらゆる生活の外面化から発生したところの外面化された科学をはるかに越えたところへと彼を連れていくところの知識を追求せざるを得ないのです。人智学徒は、もし、認識の方向性を変えないとしたら、自分は首尾一貫しない人間になるだろう、もし、そうなれば、自分の意志の方向性を再び変えなければならないだろう、と感じます。彼は、全く無思慮な人間として、「私は私の人間性がこれまでの世紀によって私たちにもたらされた種類の生活と実践から疎外されていると感じるけれども、それらが産み出した知識には全く満足している。」と言うことになるでしょう。内転した意志を持つ人は、彼がそこから逃れたいと思っている世界によって獲得された種類の学びによって満足させられることは決してありません。多くの個々の人々は、彼らが逃げ出したいと思っている実際生活は、人が目で見ることができたり、物理的な観察によって知ることができたりすることがらのみを信じているという事実からその現在の形態を受け取っている、ということに全く本能的に気づくようになります。ですから、求道者たちは認識のベースとしての目に見えない超感覚的な領域に向かうのです。生活や実践において外的なものにされた形態は唯物的な科学から成長してきたものです。そして、それらの形態を十全に人間的なものとしてではなく、人間以下のものとして見なさざるを得ない人は、外的、物質的なものやそれについての判断のみを信じることに基づく科学に自分は適っていないと感じます。

 人智学徒の魂のドラマにおける第1幕、つまり、道徳・宗教の幕の後に続く第2幕は超感覚的な認識の探求へと駆り立てられることから構成されています。そして、それは既に第1幕の中に種子の形で含まれています。人智学協会がその内容を超感覚的な世界から得た知識の上にうち立てるのは、何か全く自然に生じるようなことです。こうしてその意志がその運命として経験するあらゆることがら、洞察へと向かう努力がその探求の内容として認識するあらゆることがらは、人智学徒の心と魂の中で分かちがたく結びついたひとつの全体へと融合されます。それは彼の人生と人間性の正に核心であり、彼の全般的な態度、すなわち彼が社会の中で自分の居場所を占めるときの魂の状態を形作り、色づけるものなのです。

 ですがここでは、人智学を指向する人物にとってそれが暗示する帰結について考察してみることにしましょう。その人も外的な人生や実践から自分を解き放つことはできません。彼は人智学協会に飛び込んできたのですが、人生の外的な必要性は継続し、直ちにそれらから逃れることはできません。その結果、彼の魂は彼の継続する外的な生活と、人智学協会のメンバーとして育んできたところの理想とする生活や認識との間に捕らえられ、引き裂かれるのです。この種の亀裂は痛ましいものであり、悲劇的な経験でさえあるのですが、その程度はその人の深み、あるいはその浅薄さに応じたものとなります。けれども、正にこの痛み、この悲劇の中にこそ、私たちのこの朽ち果てつつある文化のただ中にうち立てられるべき新しい、そして建設的な生活のための最も貴重な種子が含まれているのです。と申しますのも、人生において、あらゆる花咲き、実をつけるところのものは、痛みと苦しみから成長して来る、というのが本当のところだからです。協会の使命を引き受けるとき、それについての最も深い感情を有している人こそが、恐らくこの痛みと苦しみに対して最も個人的な経験をしなければならない人なのです。けれども、真の人間の力とは、苦しみを乗り越え、それを生きた力、克服する力の源泉にすることによってのみ発達させることができるようなものである、というのもまた真実なのです。

 ですから、協会へと導く道は、第一に、意志の方向性を変えるということ、第二に、超感覚的な認識を経験するということ、最後に、時代の運命がその人の個人的な運命になる程までにそれに参加するということにあります。人は自分の意志を反転させるという行為において、そして、すべての真実の超感覚的な本性を経験するという行為において自分が人類の進化に与っているのを感じます。私たちは、その時代の真の重要性についての経験に与ることによってはじめて、私たちが人間であるという事実に対する真の感情を与えられるのです。「人智学」という言葉は、本当に、その人を十全たる人間にするような魂の態度と経験であるところの意識内容を意味する「智」の同義語として理解されるべきです。「人智学」の正しい説明は、「人間の叡智」ではなく、むしろ「その人の人間であることの意識」です。言い換えれば、意志の反転、認識を経験するということ、そして、時代の運命に与るということはすべて、魂にある一定の意識の方向性、すなわち「智」を付与することに向けられるべきなのです。

 私がここで記述しているのは、人智学協会を存在へともたらしたいくつかの要素についてです。協会は、本当は設立されたのではなく、単に生じたのです。何らかの真に内的な現実から発展してくるようなものを、あらかじめ決められた手続きを踏んで設立することはできません。人智学協会というようなものが生じることができたのは、私がここで特徴づけた意志の反転、生きた認識、そして時代の運命に与ることに対する準備ができていた人たちがいたからであり、それらの特別な心たちの中の要求として生きていたところのものに適うような何かが、ある場所から現れたからに他なりません。けれども、そのような人間の集まりが可能なのは、私たちの時代である意識魂の時代においてのみです。そして、意識魂の本性についての正しい考えをまだ持つことができない人たちはこの発展について理解することができません。そのひとつの例として、三人の力が合わさることによって人智学協会の実行委員会が形成されたのだ、という奇妙な話をした大学のドンが挙げられます。このドン的な脳味噌は(と申しますのも、彼の場合、十全に発達した人間は問題になり得ないので、彼のどの部分が関与しているのかを明確にしておく必要があるからですが)、そのようなことを行わせるために彼らを選定し、権限を付与したのは誰かを問う必要性がある、ということを探り当てたのです。そうですね、物事を始めるのに当たって、三人の人が現れ、我々はあれこれの目的を持っており、もし、一緒に探求しようとする人がいれば誰でも歓迎する、もし、それがいやなら、それもまた大変結構である、とアナウンスする以上に自由なやり方が一体あり得るでしょうか?確かに、誰もが全く自由にできたことでしょう。人智学協会が存在するようになるその仕方以上に、自由に対する敬意を表し得たものは何もなかったことでしょう。それは意識魂の時代の発達段階に正確に対応しています。けれども、人は意識魂の時代に参入していなくても十分に大学のドンになることはできますが、その場合には、自由ということに密接に関連したことがらに対する理解を有していないでしょう。

 私は、私たちが直面するこのようなことがらを、それらが単にそこにあるという理由だけで議論しなければならないとしたら、いかにそれがある種の人たちを不快にさせるか、ということを承知しています。けれども、それは、協会が生きて存在し続けるためには何が必要か、という問いに光を投げかけるものです。人智学徒たちは自分たちを取り巻く世界の一部であり続けなければならず、そこから逃れることができるのは魂のレベルにおいてだけですから、彼らは私がここでお話ししてきたような魂の経験、そして、それは内的な苦しみから本当の悲劇に至るすべての領域を含んでいるのですが、そのような魂の経験の特別なニュアンスへの傾向を持つようになります。この種の魂の経験は、人智学協会が存在するようになるに当たって特に重要な役割を果たしました。そればかりではなく、それ以来、協会を求めてやって来たすべての人々によって、それは絶えず生き生きと経験され続けているのです。当然のことながら、協会はその永続する存在条件という要素とともに、その社会生活の中に深く根ざしたこの共通の要素を考慮しなければなりません。

 協会が3つのフェーズを通して発展してきた中で新しく参加してくる人たちが、その感情生活においては、第1フェーズにある自分たちを見出す、というのもまた当然のことです。共存する3つのフェーズを和解させるという責任を負っているのは協会の指導者たちである、という事実から多くの困難が生じます。と申しますのも、それらは順を追って発展してきたとはいえ、併存しているものだからです。さらに言えば、継続した過去の段階としての側面に関しては、それらは過去に属し、したがって記憶なのですが、一方で、同時進行する側面に関しては、それらは現在体験されつつあるものだからです。ですから、このような状況においては、理論的、教条的なアプローチは問題になりません。そうではなく、人智学的な生活を育成するために役立ちたいと思っている人に必要なのは愛する心であり、そのような生活の全体性へと開かれた目なのです。ちょうど、年を取るということが、背中が曲がったり、内的にも外的にも皺ができたり、禿げたり、若い日のことを昨日のことのように生き生きと思い出すためのあらゆる感覚を失ったりすることを意味するように、遅い時期に、例えば、1919年に協会に加入することで、運動の第1フェーズにおける新鮮で新しく、芽生えるような生命を感知し損ねる、ということもあり得るのです。そのような能力は努力して発達させるべきものです。そうでなければ、人智学との関係で、正しい心と感情は失われ、その結果、人生の他の領域における教条主義や理論を嘲笑し、軽蔑する一方で、人智学的な生活を育成するという努力自体が教条主義にならざるを得ないでしょう。これは、人智学協会がそうでなければならないような生きたことがらにとっては、深刻な打撃となります。

 さて、運動の第3フェーズにおいて、奇妙な種類の衝突が持ち上がりました。それは1919年に始まりました。私はさし当たりそれを倫理的な観点から評価するつもりはありませんが、実際には思慮のなさがその種の意志衝動ですから、倫理の問題なのです。思慮のなさによって何かがなされないままになり、確固とした意志が本当に必要なところで同じ思慮のなさが多くの勝手気ままな行動へと導くとき、倫理的−道徳的な要素が関係しているのを確かに見て取ることができます。今は、協会がそこに投げ込まれたいさかい、長く隠されたいさかいについてお話ししているところですから、今日このテーマに関する側面に立ち入るつもりはありませんが、それは開かれた率直な議論に供されるべきことがらです。

 人智学的な発展における第1のフェーズにおいては、それぞれの人智学徒たちは二人の人間に分かれる傾向がありました。一方は、例えば、自分の力が及ぶ範囲でなすべきことをなす事務マネージャです。彼は彼の意志を、近代的な外的生活や実践の中でものごとが発達してきたその仕方によって過去数世紀に渡って形成されてきた溝、彼の最奥の魂がそこから逃れたいと望んできた溝の中に注ぎ込みました。けれども、彼はそれらに捕らえられていました。彼の意志に捕らえられていたのです。

 さて、あらゆるそのような追求の中には意志が強烈に関わっている、ということを完全に明確にしておきましょう。一日の始まりから終わりまで、事務マネージャであれ何であれ、人が行うひとつひとつのことがらの中には意志が含まれているのです。その人が事務マネージャではなく、校長や教授であったとしても、つまり、より思考に関わる職業であったとしても、その思考もまた、それが外的な生活に関係する限り、その人の意志衝動の中に流れ込みます。言い換えれば、人の意志というものはその人の外にあるものに本当に結びついたままなのです。魂がその思考と感情をもって人智学協会に入ってくるのは、正に意志が取る方向性から逃れたいと思っているからなのです。ですから、意志人間はある場所に行き着き、思考人間と感情人間は別の場所に行き着きます。もちろん、このことはある人々を本当に幸福にしました。と申しますのも、少なからぬ党派的なグループが、最も通常の活動分野において、その構成員たちの意志を行使することで過ごした一日の終わりに会合を持ち、「善き思考を送り出す」ことは最も賞賛すべき行いであると考えていたからです。人々はこの種のグループを形成し、彼らの外的な生活から思考と感情だけから成る生活(私はこのような生活を非現実的と言うつもりはありませんが)へと逃避しながら、善き思考を送り出しました。個々人は自分をふたつに分け、ひとつはオフィスや教室へと向かい、もうひとつは完全に異なる種類の生活を送るために人智学的な集会に参加しました。けれども、多くの人智学的に思考し、感じる人々が、十全で生き生きとした生活が可能な人智学的な取り組みを立ち上げるために、彼らの意志を用いるように促されたとき、それらの意志をその仕事に必要な全人としての装備の中に含めなければなりませんでした。このことがいさかいの起源だったのです。友人が山登りのときに足を折らないようにするためのよい考えを伝えるように訓練することは比較的容易です。はるかに難しいのは、何らかの外的、物質的な活動に携わる意志の中に十分強く善き思考を注ぎ込むことによって、つまり、そのようにして自分の人間性を行使した結果として、もの自体が精神に浸透されるようになる、ということです。多くの取り組みが難破の憂き目にあったのは、協会の発達における第3フェーズの間に、そのことを行うことができなかったからです。すばらしい知性や天才が不足していたのではなく―私はこのことを全く真摯に申し上げたいのですが―関係する意志を堅固にし、強化するために、手に入る知性や天才が十分に適用されなかったのです。

 もし、皆さんが心の観点からものごとを眺めるならば、どんなにか異なって見えることでしょう!外的な生活に関して、人の心がどんなに満足していないか考えてみてください!人が満足できないのは、他の人々があまりにも意地悪で、すべてが完全からはほど遠いからだけではなく、人生そのものがいつも私たちのためにものごとを容易にしてくれるとは限らないからです。皆さんは、人生はいつも羽布団とは限らない、ということに同意されるでしょう。生きるということは働くということです。一方に、この厳しい人生があり、他方に、人智学協会があります。人はあらゆる不満を抱えて協会に入ってきます。思考し、感じる人間としては、人はそこに満足を見出しますが、それは、外的な生活という、人がそこに不満を感じて全く当たり前の場所では得られないような何かを受け取るからです。人は人智学協会の中に満足を見出します。山登りをする友人の足が折れないようにするためのよい考えを送り出す輪の中にいれば、他の状況においては意志の無能力のために制限される思考に全く容易に羽を生やさせることができる、というメリットさえあるのです。思考は世界のどこにでも飛んでいくことができ、したがって満足のいくものとなります。それらはあの正当な不満を起こさせる原因となる外的な生活をいつも埋め合わせるものとなるのです。

 そこに人智学協会が現れ、それ自体が意志の関与を求めるプロジェクトを開始します。そうなると、単に外的な世界で事務マネージャとしてやっていかなければならないだけでなく、逃げ込む先としての人智学協会、つまり、外での不満足な生活をそこから振り返り、たまにはそれについての愚痴をこぼす場所としての人智学協会があるわけですが、今や、協会の内部で、両方の種類の生活に直面しなければならず、心に不満を持ちながら、というよりはむしろ満足しながら、そこでの生活を送ることをも期待されるのです!

 けれども、もし、協会が先に進み、実際の活動に携わろうとするのであれば、それは避けられないことなのです。1919年以来、正にそのようなことが望まれてきました。

 そして奇妙なことが起こりました。それは多分、人智学協会の内部でのみ起こり得たことですが、つまり、当然ながら誰でも持ち続けたいと思う不満の分け前をもはやどうしていいか分からなくなる、ということが起こったのです。と申しますのも、誰も自分を不満にしたとして協会を責めるわけにはいきませんから。とはいえ、そのような態度は長くは続きません。長い間には、人々は自分たちの不満を正に協会のせいにするようになります。けれども、彼らがなすべきこととは、思考と感情から意志へと発展する内的な発達段階を達成するということ、そして、それを正に人智学的な道に沿って達成するということなのです。もし、皆さんが「いかにして超感覚的な認識を達成するか」をご覧になるならば、意志の発達に関する側面を含まない思考の発達についての勧めはどこにも書いてない、ということが分かるでしょう。

 現代人にはふたつの悪徳がありますが、それらは協会の中で克服されなければならないものです。ひとつは超感覚的なものに対する恐れです。この気づかれていない恐れは何故人智学運動が敵を有しているのかを説明します。私たちの敵には、本当に何か水に対する恐れに似たようなものがあるのです。もちろん、皆さんは、水に対する恐れが、別の暴力的なまでに強制的な形で現れることがある、ということを知っています。ですから、私が言及している種類のものが、ときとして一種の恐怖症として自らを解き放つとしても驚くにはあたりません。もちろん、比較的害がない場合もあります。人智学を著作のテーマとすることに価値を見出す人たちがいます。それらの著作は収入をもたらし、書籍リストにも載ります。著作するにはテーマが必要ですが、誰もが自分の中に何かテーマを持っているというわけではありませんから、外の世界から借りてくることになります。そのような場合の動機には、思ったほどの害がないこともありますが、それらの影響は同じように害がないというわけではありません。

 ですから、超感覚的な認識に対する恐れは人類の特徴のひとつになっているのですが、その恐れは科学的なアプローチという仮面をかぶせられています。そして、科学的なアプローチは、それが認める認識の限界とともに、古代における人間の錯誤への堕落から直接継承されてきたものと同一線上にあります。唯一の違いは、古代の人々がその堕落を何か克服しなければならないものと考えていた、ということです。スコラ哲学後の時代はまだ堕落があったという考えになおとりつかれていました。けれども、それに関する以前の道徳的な観点が、人間は悪として生まれるが、それは克服されるべきものである、としていたのに対して、知性的な観点からは、人間はその心をもってしては超感覚的なものにアクセスできない、自分の本性を変えることはできない、と考えられているのです。人間が認識に対する限界を喜んで受け入れるというのは、実際、彼が被った堕落から引き継がれてきた特質なのです。良き時代には、少なくとも人は間違いを克服しようとしていました。けれども、自尊心の強い現代人はその堕落状態を保持しようとしているだけではありません。彼は実際、意図的に堕落状態に留まり、悪魔を愛するか、少なくともそれを愛そうとしているのです。

 これがふたつの悪徳の内のひとつです。第二の悪徳は弱さ、つまり、一見活動的ではあっても、しばしば見せかけ以上のものではない現代人の意志に悪影響を及ぼしている内的な麻痺です。現代文明と文化が有するこれらふたつの不吉な特徴は人智学的な生活が克服すべき特質である、ということを付け加えておかなければなりません。この人智学的な生活が実際的な方向で発展していくためには、それが取り組むあらゆることがらが、恐れのない認識と本当に強い意志を担っていなければなりません。それには真に人智学的な仕方で世界とともに生きていくことを学ぶ、ということが前提となります。かつて、人々は世界から逃れることによって人智学的に生きることを学んでいました。けれども、彼らは人智学的に世界と共に生き、人智学的な衝動を毎日の生活と実践に持ち込むことを学ばなければならないでしょう。そのことは、これまで人智学徒と実践的な人間とに分裂してきた人を再びひとつの全体にするということを意味します。けれども、そのことは、まるでそこから向こうを臨み見ることができないような聳える砦の壁によって世界から閉ざされて生きるかのような生活を人智学的な生活と取り違えている限り、不可能です。協会の中ではそのようなことは長続きしません。私たちは、私たちを取り巻く世界の中で起こっているあらゆることがらに対して大きく目を見開かなければなりません。それによって私たちは正しい意志衝動に浸透されるでしょう。けれども、前回私がお話ししたように、協会は、人智学が第三フェーズにある間、人智学的な生活のペースに追いつきませんでしたが、それをし損ねたのは意志の要素でした。私たちは様々な分野における活動を公式に指導する何人かの個人を呼び出し、あれこれの新しい企てに関する仕事を割り振らなければならなかったのですが、ウォルドルフ学校教師としては有能な人が人智学徒としてはそれほどでもない、という結果に終わることがしばしばだったのです。(このことで私たちの協会の誰かを批判するつもりはありません。ウォルドルフ学校は単にそれに近い集団の間だけではなく、一般の世界でも高く評価されています。どれほど控え目に見ても、様々な組織のいずれについても文句を言う理由はなく、たとえあったとしても、それは能力の問題とは全く異なる理由によるものである、ということが言えます。)第一級のウォルドルフ学校教師が人智学徒としてはそれほどでもないということはあり得ることであり、その他の企てにおける有能な働き手についても同じことが言えます。けれども、問題は、様々な企てのすべては人智学から芽生えたものである、ということです。このことをしっかりと心に刻んでおかなければなりません。真に人智学徒であるということが最も重要なことなのです。ウォルドルフ学校教師、Der Kommende Tagの社員、科学者、医療スタッフ、その他の専門家は人智学的な源泉に背を向けたり、仕事が忙しいからといって、一般的な特質についての人智学的な関心に割く時間がないといった態度を取ったりするべきではありません。もし、そうなれば、それらの企ては、人智学が生に満ちたものであるという事実、そして、そこから派生したものにもそれを伝えるという事実によって、しばらくは繁栄し続けるかも知れませんが、その生を無限に維持することはできず、そこから派生した運動も、その欠如のために、いずれは死に絶えるでしょう

 私たちの敵は具体的な地盤の上で私たちと手合わせをしようとはしません。私たちが相対している敵の特徴は、人智学そのものの本質に取り組むようになることを避けながら、例えば、「人智学的な事実はどのようにして見出されたのか?」とか「超感覚的な能力とは何か?」とか「誰それはコーヒーかミルクを飲むのか?」というような質問をすることです。そのようなことが、本題とは関係なく、最も話題にされているのです。とはいえ、人智学を破壊する意図を持った敵たちは中傷という手段に訴えてきます。最近になって、少し前までは全く考えられなかったような現象の中に、そのような例が現れ続けています。文明が最低の引き潮時に達する以前には考えられなかったような現象が今や可能となっているのです。私はその詳細に立ち入るつもりはなく、人智学の運命について本当に心からの関心を寄せていると想像される他の人たちにそれをまかせておくこともできるのですが、今日は、こうして皆さんと共にいることができているので、これらの問題を取り上げてみたいと思ったのです。ドルナッハでの仕事のことを考えると、ここにいることがどんなに幸せな機会であったとしても、私にとってはあまり好都合なことではありませんでした。あらゆることがらにはいつも二面性があります。私はドルナッハで必要とされていましたが、皆さんとお話しすることで深い満足を得ることができましたから、次の点だけは付け加えさせてください。今最も必要とされているのは人智学的に感じることを学ぶということ、本当に心から人智学的に生きていることを感じるということです。それが生じることができるのは完全に明晰な状態においてであり、神秘的で漠とした状態でではありません。人智学は光に曝されながら立つことができます。同じようなものだと主張するその他の運動は光に耐えることができません。それらは党派主義的な暗闇の中に安らぎを感じます。けれども、人智学はどこからどこまで光に耐えることができます。それは光に曝されるのを恐れるどころか、その心のすべてをもって、その心底からの暖かさをもって、光の中に入っていくのです。根拠のない中傷は、ときとして誰が攻撃されているのか分からないというところまで行くことがありますが、それに見合った烙印が押されることでしょう。敵対的な感情が率直なものである場合には、人智学はいつでも具体的な根拠に基づいて対応することができます。けれども、具体的な議論をするには、人智学的な知識に導く方法論の問題に入っていく必要があります。その要求が満たされない限り、いかなる客観的な議論も不可能です。健全な考え方と心があれば、誰でも人智学を取り入れることができますが、それについての議論はその方法論を研究すること、そして、その知識がいかにして導き出されたかを理解することに基づいていなければなりません。実験や演繹は内的な発展を呼び起こしません。それらに必要なのは誰でも受けられる訓練だけです。それ以上の背景を持たない人は、人智学の方法論による訓練に取り組まない限り、人智学についての議論を遂行する立場にありません。

 けれども、私たちの時代の安易な人々はわざわざそのような訓練をしようとはしません。彼らは、人間とは完成されたものである、というドグマにしがみつき、発達については一言も聞こうとしないのです。ですが、人間は、善や真へと続く道を開くために、自分の自由な存在という核心において行動しないのであれば、善にも真にも行き着くことはありません。人智学協会の活動や指導を心から分担するにはいかなる衝動が必須であるかに気づいている人たち、そして、いかにしてその敵対者たちの意図を推し量るかを知っている人たちは、もし、彼らに十分な善意がありさえすれば、このお話しを始める前にお話ししたような、協会自身もまたそれに対処することを熱望しているところのこれらの問題を健全な結論へともたらすために必要な力をも見出すことでしょう。