ルドルフ・シュタイナー

人智学的共同体形成 (GA257)

第5講

ドルナッハ、1923年2月22日

佐々木義之 訳


 今日、もう一度指摘しておきたいのは、私たちがそれを失うという大いなる不幸を経験したばかりのゲーテアヌムに関する理想についてです。再度それに言及することで、これからの数日間、シュテュットガルトで踏み出されようとしている一歩、人智学協会の中に新しい生命を吹き込む方向で取られようとしている一歩に寄せて、正しい思考が卓越するのを確実なものにしたいのです。人智学が提示するものが何であれ、それは熱意という確かな基盤の上に構築されなければなりません。そして、私たちが正しい熱意を創出することができるのは、あらゆる人智学的な心が育むべきあの理想、すべての協会メンバーをその暖かさでひとつに結びつけることができるほど十分に大きな、あの理想に向けて常に方向づけされているときだけなのです。
 人智学的な協調というこの理想への熱意が、理想そのものは残っているとはいえ、人智学的な発展において引き続く3つのフェーズの間にいくらか衰えてきたことは否定できません。人智学的な理想を外的な表現によって雄弁に物語った建物の廃墟に立ち、嘆き悲しむとき、私たちが、その理想に向けて、共通の正しい感情の中で力を合わせるということがなおさら重要になってきます。感情を共有することは、思考を共有することにつながり、私たちが直面する絶えず増大しつつある敵意から見て、大いに必要となる力を与えるものとなるでしょう。ですから、恐らく、皆さんには、私がここ数週間に渡る講義で焦点を当ててきたことがらについての議論を続けるかわりに、ゲーテアヌムに関連し、人智学協会の中で必要とされるような種類の会員間の関係を回復するのに適した、特別な記憶について回顧することを許していただけると思います。と申しますのも、共通の理想を抱くということは、各々の人智学徒が仲間の人智学徒に対して感じるべき愛情、つまり、協会員たちが、たとえ考えの上だけであったとしても、他の会員たちに対して抱くかも知れない厳しい感情を追い払うために頼ることができるような愛情を掻き立てることにつながるからです。
 皆さんは覚えておられると思いますが、私たちがゲーテアヌムにおける最初の高校過程を始めるにあたって、その短い導入の挨拶の中で私が強調したのは、人々がそこで成し遂げようとしているのは芸術、科学、そして宗教を真に普遍的な意味でひとつに結びつけようとする新たな試みである、という事実でした。
 ゲーテアヌムによって、その形や色によって、もたらすことが試みられていたのはひとつの理想、科学的、芸術的、そして宗教的なひとつの理想だったのです。それは外的な形や色を通して私たちに語りかけることはもはやできなくなりましたが、だからこそ、それはよけいに深く私たちの心に刻み込まれていなければなりません。もし、私たちが、人間進化における初期の時代には、科学的、芸術的、そして宗教的な理想はどのようにして追求されてきたのかということについて、ここ数週間続けてきた研究や調査を遂行する上で、その他の課題について行ってきたことを引き続き行うならば、恐らくそのようになるでしょう。
 古代東洋の途方もなく気高い精神生活を振り返って見るならば、その時代には、これら東洋の人々が崇拝したあらゆるものの精神的な内容は彼らにとって直接的な顕現であった、ということが分かります。当時、彼らのビジョン的な能力は夢のようなものでしたが、だからといって、あまり現実的なものではなかったとは決して言えないような、そのビジョン的な能力に示された神的な現実からみると、彼らの感覚が知覚したものは単なる複写のようなものであるということを彼らは全く疑ってはいませんでした。
 かつてのものの見方は確かに本能的なものではありましたが、ある特別な意識状態にある人々は、ちょうど身体的な感覚をもって三つの自然世界における事物や生き物たちを知覚するように、大宇宙の精神的な存在たちを全く現実的なものとして身近に知覚することができたのです。より古い時代の東洋人は、仲間の人間たちの存在を直接的な知覚によって確信していたのと全く同様にして、人類に結びついた神的−精神的な存在たちの存在を直接的な知覚によって確信していたのです。
 これが彼の内的な宗教的確信の源泉でした。そして、それは彼を取り巻く自然の中の事物に関する彼の確信と全く異なるものではありませんでした。彼は彼の神を見ていたので、石や植物や雲や川の存在を信じていたのと全く同様にして、その存在を信じることができたのです。現代の科学がアニミズムと呼ぶところのもの、つまり、古代人は詩的なファンタジーに基づいて、生きた精神的要素を自然に付与したのだとする見方は子供じみた素人の思いつきに過ぎません。人々は自然や感覚の世界を見るのと同じように精神的な存在たちを見ていた、というのが本当のところなのです。
 そのことが彼らの宗教生活への確信の源泉だったのですが、それは芸術的な創造に際して彼らが頼ったところの源泉でもありました。精神的なものは具体的な形態を取って彼らに現れました。彼らは精神的な要素が取る形態や色に通じており、精神的なものの知覚を物質的な表現へともたらすことができました。彼らは手に入れることができた構成用の素材、彫刻やその他の芸術のための素材を取り上げ、精神的な仕方で彼らに顕現したものを表現するために有していた技術をそれらに適用したのです。
 神々に対する内的な魂的関係の中で彼らが感じていた崇拝の念が彼らの宗教生活の内容でした。彼らが精神の中で見上げていたものを物質に刻印したとき、それは彼らの芸術として感じられました。けれども、彼らがこうして見上げていたものを表現するために手に入れることができた彼らの技術や物質的な素材は、彼らの実際のビジョンに比べると、全くもの足らないものでした。
 私たちが古代オリエントの進化の中で遭遇するのは、人が見上げていた神的かつ精神的なもの−ゲーテが言うところの感覚的かつ超感覚的なもの−が途方もなく崇高で輝きに満ちて美しかった時代です。人々の感情やファンタジーは彼らがそれを知覚したことによって力強く掻き立てられました。しかし、素材的な媒体を取り扱うための技術はまだあまりにも初歩的なものであったために、その時代の芸術的な創造活動は原始的かつ象徴的なものであり、人類がその精神的な目で知覚したところの遙かに偉大な美の寓話的な表現に過ぎませんでした。そのような時代の芸術家が今日の感覚で自分の仕事を記述したとすれば、「精神が私に示すものは美しい。しかし、私が私の土や木やその他の媒体を使って表現できるのはそのかすかな反映に過ぎない。」と言ったことでしょう。
 当時の芸術家たちは精神的なものをその完全な美において見るとともに、そのビジョンを感覚による知覚が可能な形態にして、自分ではそれを見ることができない人々に伝えた人たちだったのです。精神的なものを見ることができない人たちは、芸術家が精神的に見たものを象徴的あるいは寓話的な形態の中に具現化するとき、彼らもまた、それらの形態によって、地球を越えた世界、人間が人間としての尊厳を十分に経験するために参入しなければならない世界へと続く道を見出すことができるのだ、ということを確信していました。
 この神的−精神的なものとの関係はきわめて親密かつ現実的、具体的なものであったために、人々は自分たちが有する思考を、彼らの仲間が存在するのと同じように存在する神々の贈り物であると感じていました。彼らはそのことを次のように表現しました。「私が人間と話すとき、私たちは空気中で響く言葉を話す。私が神々と話すとき、彼らは思考を私に伝え、私はそれを私の内部でのみ聞く。」と。
 人間が思考を有するとき、彼らはそれらの思考を彼ら自身の魂の活動による産物とは信じていませんでした。彼らは、神的なものによって彼らに吹き込まれる思考を聞いている、と信じていました。彼らが耳で聞くとき、彼らは人々が話すのを聞いているのだと言い、彼らが魂で聞くとき、つまり、彼らの知覚が思考によるものであるとき、彼らは精神的な存在たちが話すのを聞いているのだと言いました。このように、アイデアの形で生きていたところの知識とは、古代の人々の経験では神的な源泉からの伝言であり、神々を通して直接人間たちに語られるときのロゴスの知覚だったのです。
 ですから、人間たちが神々を見上げたことが宗教的な理想の内的な生命になったのだ、と言うことができます。彼らが神的な形態を様々な媒体を通して象徴的−寓話的に表現したことが芸術的な理想の下に横たわる生命となりました。神々が彼らに語ったことを、彼らが自分の言葉で再構成したものの中に生きていたのが科学的な理想です。古代東洋の時代には、これら三つの理想はひとつに融合していました。と申しますのも、それらは本質的に同一のものだからです。
 第一の理想の中で、人間は神的な顕現を見上げました。彼らの魂生活の全体が完全に宗教的な感情に浸透されていたのです。科学と芸術のふたつは神々が地上での生活を人間とともにした領域でした。創造的な活動に携わる芸術家は彼の神が彼の手を導いていると感じ、詩人たちは彼らの言葉を神によって形成されているものと感じていました。「私に歌え、ミューズよ、偉大なるアキレスの怒りを」と語っていたのは詩人ではありません。ミューズが自分の中で語っているのだ、と彼は感じていたのですが、それは事実だったのです。そのような発言を詩人の放埒に帰する現代の抽象的なものの見方は、今日あまりにもはびこっている子供じみたナンセンスのひとつです。そのような見方をする人たちは、ゲーテが「あなた方が時代精神と呼ぶものは、正にその中に時代が写し出されているところのあなた方自身の精神なのです」と言うとき、いかに彼が真実を語っているかを理解していません。
 ここで、宗教、芸術、科学という三重の理想が古代東洋人の中に生きていたそのあり方から、その露骨で散文的な模写であるギリシャ人やローマ人がそれをどのように表現していたかを考察することへと私たちの注意を向けるならば、これら三つの理想がさらに発展した形で見出されるのが分かります。かつて神的−精神的なものは人間の頭上の輝く高みから自らを明らかにしていました。ギリシャ人たちにとって、それは人間を通して直接語りかけてくるものと感じられました。ギリシャ人は彼の内的な生活だけではなく、彼の形態そのものもまた神に浸透されたもの、神に満たされたものとして経験していた、という意味で、宗教生活は人間にとってはるかに身近なものだったのです。彼はもはや頭上の輝く高みを見上げるのではなく、人間の驚異的な形態を見ました。彼が有していたのは、もはや古代東洋人が有していたような神性についての直接的な思索ではなく、その弱い影に過ぎないようなものでした。けれども、ギリシャの詩、芸術そして哲学の中に本当に入っていける人であれば誰であれ、ギリシャ人の基本的な感情を、すなわち、地上の人間は彼の感覚が外的な世界の中に知覚する物質的な要素の単なる組み合わせ以上のものである、と彼に言わせるようにした感情を感じることができます。彼は神性が存在することの証明を彼の中に見ていたのです。彼にとって、この地上の人間−ギリシャ人はそれを地上に起源を有するものとして考えることができませんでした−は、ゼウスが、そしてアテナが精神的な世界を支配していることの生きた証拠だったのです。
 こうして、私たちはギリシャ人たちが人間の形態やその発展する内的な生活を神が支配していることの崇高な証明であると見なしていたことを理解します。彼らは彼らの神を人間的なものとして思い描いてたのですが、それは彼らが人間の中の神についてそれほど深い経験をまだ持つことができていたからです。
 ギリシャ人が彼の神を人間として思い描いていたことと、現代人が、神人同型説に基づいて、神を擬人化することとは全くの別物です。と申しますのも、ギリシャ人にとっては人間とはその神的な起源の生きた証明だったからです。ギリシャ人たちは、もし、世界がどこまでも神に浸透されているのでなかったとしたら、人間というものが存在することはできなかっただろう、と感じていました。
 人間を理解する上で宗教は決定的な役割を果たしていました。ある人が尊敬されたのは、彼が自分で成ったところのものによってではなく、彼が正に人間であったからです。その霊感による尊敬を受けるものとしてより優っていたのは、彼の日々の成果や野心的な地上的努力ではなく、彼の人間性とともに地上における生へともたらされたところのものでした。そのような尊敬によって、彼は神的−精神的な世界に対する尊敬に適うところまで拡大することが許されたのです。
 ギリシャ人たちが心に抱いていた芸術的な理想とは、一方では、彼らが体現していた神的−精神的な要素、彼らの地上的なあり方がそれに向けて試されていたところの要素に対する彼らの感じ方の産物でした。他方、彼らは、古代の東洋人には知られていなかったところの自然という物理世界を支配する法則、すなわち、調和と不調和の法則、質量の法則、慣性の法則、あるいは様々な地上の物質の支える力についての強烈な感覚を有していました。東洋人がその媒体を不器用に扱った分野において、つまり、彼を圧倒し、溢れさせた精神的な現実を象徴的−寓話的な仕方で粗野に扱う以上のことが不可能であったために、彼が何らかの芸術作品の中に表現しようとしていた精神的な事実が、その不器用な表現に比べて、いつもはるかに栄光に満ちて偉大であったような分野において、ギリシャ人はそれまでにその取り扱い方を学んでいたところの物理的な媒体の中に彼の精神的な経験を余すところなく体現させようと努めていたのです。
 ギリシャ人たちは柱の太さをそれが支えるように意図されていた重量に耐える以上の太さにすることを決して許しませんでした。彼らは精神的な性質を持ついかなるものも古代東洋の芸術に特徴的な不器用な仕方で表現することを自分たちに許さなかったはずです。関係する物理法則は完全にマスターされていなければならず、精神と物質はバランスよく統合されていなければなりませんでした。ギリシャ寺院には精神と同じだけの物質的な法則性があり、彫像は物質の表現力が許すのと同じだけの精神的要素を体現しているのです。ホメロスの詩は人間の中にある神的な言葉の流れを直接表現するような仕方で流れます。詩人が言葉を形成するに当たっては、彼が発する言葉のひとつひとつの側面を完全に制御するために、言葉の法則性そのものが彼を導くようにしなければならない、と感じられていたのです。古代東洋の韻に特徴的な、ぎこちなく、口籠もるような形態に留まるものは何もあり得ませんでした。それは精神に十分適うような仕方で表現されなければならなかったのです。言い換えれば、その目標は、顕現した精神が余すところなく感覚知覚可能な形態の中に表現されるように、利用する芸術媒体に特有の法則を十分にマスターする、ということだったのです。
人間は神的な創造の証明であるというギリシャ人の感情は、寺院や彫刻のような芸術作品もまた、現在は人間の想像力を通して働いていると考えられている神の支配を、証言するものでなければならないという彼らの感情にマッチしたものでした。寺院を見ると、それを建設した人は、神との交流の中で経験していたことを細部に至るまで反映させることができるように、彼が用いる媒体に適用される法則のすべてをマスターしていたのだ、ということが分かるでしょう。
最初期のギリシャ悲劇は、その登場人物たちがアポロやディオニソスといった精神的な存在たちを表現するとともに、自然の中で支配する神性の残響という趣のコーラスを伴った劇でした。悲劇が意図していたのは、精神的な世界で生じていることを十分満足のいく媒体としての人間を通して表現する、ということだったのです。しかし、そのようなことは、人間がいわば芸術作品の世界よりもより高次の世界を見上げなければならなかった古い東洋の時代には思いもよらないことでした。一方、悲劇の場合、そこで生じているのは、上演されているレベルで生じていることであって、いかに精神的な要素が、あらゆる身振り、言葉、合唱の中で、それにみごとに適合した感覚知覚可能な形態へと自らを注ぎ込んでいるか、ということを経験するのを可能にするものであると考えられていました。ギリシャにおける芸術の理想はそのようなことから構成されていたのです。
 科学的な理想についてはどうでしょうか?ギリシャ人は、もはや東洋人のようには、神々が考えや思考の中で彼に話しかけているのだとは感じていませんでした。彼は既に、思考には努力がつきものであるという事実にいくらか感づいていました。それでも、彼はまだ、ちょうど人間の形をし、内的な生活を有する地上の人間が神性の生きた証であると感じていたように、思考が感覚的な知覚と同じくらい現実的なものであると感じていたのです。彼は彼の思考を、赤や青、あるいはハ長調やト調を感じるのと同じ仕方で感知し、目や耳が感覚的な印象を知覚するのと同じように、外的な世界の中に、思考を感知していました。このことは、彼は、東洋人たちのように全く具体的にロゴスが語るのを経験していたわけではない、ということを意味しています。ギリシャ人たちは、東洋人たちがそれによって神の表現である考えを与えられたと感じていたところのベーダのような聖典を作ることはありませんでした。彼らは、ちょうど誰かが周囲の世界を見たいのであれば、自分の目を使って周りを見なければならないのを知っているように、自分の思考に働きかけなければならないということを知っていました。とはいえ、彼は自分で展開する思考が自然に刻印された神的な思考であることをまだ知っていたのです。ですから、思考とは神が語っていることの地上的な証明でした。東洋人がまだその語りを聞いていたのに対して、ギリシャ人は、言語の人間的な特徴を認識していたとはいえ、その中に神の言葉が存在することの地上的な証明を見ていたのです。
 ですから、ギリシャ人たちにとっては、科学もまた神的な贈り物のようなものであり、正に神的な外的形態と内的な経験を有する人間が地上へと送り出されたように、何か精神によって地上へと派遣されたものである、ということは明らかでした。こうして、私たちは宗教的、芸術的、そして科学的な理想が東洋からギリシャ文化までの人類進化の過程の中でいかに変化してきたかを見ます。
 しばしば説明してきましたように、15世紀の最初の三分の一に始まった私たちの時代における西洋人の発達は、宗教、芸術、そして科学に関する気高く崇高な理想の形態を産み出す必要に直面する地点へと再び到達しています。この発達は、私たちがゲーテアヌムで最初の高校過程を立ち上げていたとき、私が心に抱いていたものです。私が明確にしたかったのは、ゲーテアヌムがそこに立っているのは、人間進化の内的な諸法則によって、宗教的、芸術的、科学的な理想がギリシャのそれさえも超越するような壮大で新しい形態を纏うことを要求しているからだ、ということです。
 進化する人間の最奥の魂から現れてくる三つの偉大な理想が取るべき新しい形態を、そのひとつひとつの形や線や色の中に指し示していた建物がそこに立っていたはずの廃墟に目を落とすとき、悲しみに圧倒されるのを感じるのはそのためです。人間の三つの偉大な理想の再生をあれほど雄弁に物語るように意図されていたその場所を思いやるとき、私たちに残されている感情は嘆きと悲しみだけです。私たちがそこで実現しようとしていたあらゆることがらを私たちの心の中で育てる、という可能性だけを私たちに残して、そこは廃墟となりました。と申しますのも、そこに別の建物を建てることも考えられるのですが、それは私たちが失った建物とは異なるものであることは確かだからです。言い換えれば、古いゲーテアヌムが表現していたものを表現する建物は二度と建てることができないのです。
 だからこそ、ゲーテアヌムが人類の三つの偉大な理想に向けて貢献するように意図されていたあらゆることがらは、より深く私たちの心の中に刻み込まれなければならないのです。今日では、超感覚的な能力を有する古い時代の東洋人のように、神的−精神的なものが感覚的世界の被造物のように輝くような直接性をもって我々の前に現れるとも、神々による行為が、日常生活において、外的な世界の中で遂行される感覚的に知覚可能な行為のように我々の魂による知覚の前に現れるとも言うことができません。けれども、私たちが人間や自然への探求を、人智学的な思考や感情がそのような探求に付与する生き生きとした特質をもって活気づけるとき、私たちは秩序ある宇宙としての世界、あるいは、ギリシャ人たちがそれを見たときとは異なる形態を纏った宇宙を見ることになります。
 ギリシャ人が自然を探求の対象としたり、感覚世界の中で活動する人間について思索したりしたときに有した感情は、泉が湧き出すところ、あるいは、雲をいただく峰が空に突き出すところでは、そして、太陽が暁の輝きの中で昇るとき、あるいは、虹が空に架かるときには、精神がそれらの現象の中で語っているのだ、というものでした。ギリシャ人たちが自然を眺めるときのその仕方は、その中に精神の存在を感じさせることができるようなものだったのです。彼らの自然についての思索は本当に彼らを満足させましたが、彼らがそこに見たのは彼らのあらゆる側面を満足させるようなものだったのです。
 私は、人々が自然科学の進歩について語るのはいかに正当なことであるか、ということをしばしば強調してきましたが、人智学は、ここ数世紀における科学的な進歩の真の重要性を認識する上で、特別な位置を占めています。私はそのことを何度も強調してきました。人智学は科学や科学的な探求を中傷したり批判したりすることとは全く無縁なのです。それはすべての本当に真摯な探求を称えます。親愛なる友人の皆さん、ここ数世紀に渡って、人々は自然について本当に途方もなく多くのことを学んで来ました。もし、既に学んだことがらにさらに深く入っていくならば、自然についての探求は、私がこの演壇から何度も述べてきましたように、人間の繰り返される地上生についての洞察、自然の変容についての洞察へと導くことになるでしょう。人は、その感覚、その魂、その精神が現時点で経験しつつあることがらに新しい生命の形をもたらすことになる未来を予見することになるのです。
 もし、人が自然のより深い探求に適切に取り組むならば、その自然に対する全体としての態度は、ギリシャ人たちが有していた態度とは異なるものとなります。彼らは自然を完全に成熟した存在、そこから精神世界の栄光が輝き出すところのものとして見ていました。現代人はもはや自然をこの光の下に眺めることはできません。もし、私たちが、自然を創造するということに関して、私たちの多くのすばらしい発明品や装置を用いた結果であると認識したり感じたりするようになったあらゆるものを詳しく調べるならば、私たちはむしろ自然を芽生える力が宿るものとして、ただ遙かに遠い未来においてのみ成熟へと至ることができるような何かをその子宮に宿すものとして見ることになるのです。
 ギリシャ人はあらゆる植物を、種の神が個々の植物体の中に生きているという理由で、既に完全な段階に至っている有機体として見ていました。今日、私たちは植物を、自然がさらに高い段階へともたらすべき何か、と見なします。私たちの目に映るのは、どこを見ても、種子の要素なのです。私たちが未来への可能性を孕むこの未完の自然の中で出会うところのあらゆる現象は、神的な要素が自然を支配しているということ、そして、自然がその胎児の状態から最終的に完成された段階へと発展していくことを確実なものとするために、それは支配し続けなければならない、ということを私たちに感じさせます。
 私たちはずっと正確に自然を眺めることを学んでいます。私たちが卵を見るところでギリシャ人は鳥を見ました。彼は事物の完成された段階を見ましたが、私たちはその始まりを見ます。その心と魂の全体で種子の側面を感じ取れる人、自然における種子の可能性を感じ取る人は、それについての正しい観点を有しているのです。
 これが現代の自然科学における異なる側面です。宗教的な態度をもって顕微鏡や望遠鏡をのぞき込むことを始める人は誰であれ、あらゆるところに種子の段階を見出すでしょう。現代の自然探求法に特徴的な正確さによって、私たちはそれが至るところで創造的であり、至るところで未来に向かって急いでいるのだ、ということを理解することができるようになります。そのことが新しい宗教的な考えを創造するのです。
 もちろん、個々の人が来るべき別の、全く異なる地上的、宇宙的な生活を生き抜くことになる、という種子の可能性に対する感情を有している人だけが、私が述べる宗教的な理想を発達させることができます。
 ギリシャ人たちが人間の中に見たのは彼自身の時代の宇宙に存在したあらゆるものの複合体でした。古代東洋人たちが人間の中に見たのは過去の宇宙全体の複合体でした。今日、私たちは人類の中に未来の種子を感知します。このことは新しい宗教的な理想にその現代的な色合いを与えることになります。
 次に、芸術における新しい理想に関する考察へと進みましょう。私たちが外面性や抽象的な考えの前で立ち止まることを拒否し、自然やその形態をより深く、生命と調和した探求の対象にするとき、私たちは何を見いだすでしょうか?親愛なる友人の皆さん、皆さんは、私たちが皆さんの正に目の前に見出すところのものを、ゲーテアヌムの柱の柱頭やそれにかぶせられた縁取り模様の中に見ていたのです。そのどれもが自然観察の結果ではありませんでした。それはそれとともに経験することによって産み出されたものだったのです。自然は形態を産み出しますが、これらの形態は正に別の形態でもあり得るのです。自然は私たちに絶えずそれを変化させるように、その形態を変容させるように促しています。自然を単に外側から観察する人はそれを模倣し、自然主義に陥ります。自然を経験する人、単に植物の形や色を見るのではなく、それらについての真に内的な経験を有する人は、各々の植物、石、動物から打ち明けられた別の形態を見出し、それを彼の媒体の中に体現させます。私たちは、媒体の洗練された取り扱いを通して、精神を完全に表現することを目指したギリシャ的な方法は取りません。私たちの方法では、自然の形態にできるだけ深く入り込むことによって、それらをさらなる独立した変容へともたらします。私たちは東洋の象徴的−寓話的な取り扱いに頼ったり、ギリシャ的な媒体の技術的習熟を目指したりはしません。私たちの方法では、芸術作品の中のあらゆる線や色を、それらが神的なものに向かうように取り扱います。東洋人は神的なものを表現するために象徴主義や寓話的なものを用いました。それは彼の作品からオーラのように輝きだしました。それは輝きだし、湧き出し、作品を覆い隠すことによって、形態よりも遙かに雄弁に物語ったのです。私たち現代人は、自然界の基本要素が自然そのものよりも雄弁にその形態の中で語るような作品、とはいえ、それは自然に密接に関連しているために、あらゆる線や色が自然による神への祈りとなるような仕方で語るような作品を創造しなければなりません。私たちが自然と取り組むとき、自然そのものがその中で神性を崇拝するような形態を発達させることになるのです。私たちは芸術の言葉で自然に語りかけます。
 実際、あらゆる植物、あらゆる木は祈りの中で神性を見上げたいと願っているのです。このことは植物や木の表情の中に見て取れます。けれども、植物も木も十分な能力をもってそのことを表現するようにはできていません。とはいえ、それは可能性としてそこにありますから、もし、私たちがそれを取り出すならば、つまり、私たちが私たちの建築や彫刻の中に、木や植物や雲や石の内的な生活を、それがその媒体の線や色の中で生きるように体現するならば、自然は私たちの芸術作品を通して神々に語りかけることになります。私たちは自然世界の中にロゴスを見出します。私たちを取り巻く自然よりもさらに高次の自然が芸術の中に自らを現すのですが、そのとき、それは、それ自身完全に自然な仕方で、上方の神的−精神的な世界に向けて流れ出すロゴスを解き放つのです。
 東洋の芸術作品においては、ロゴスは下方へと流れました。それが人間的な媒体の中に見いだしたのはたどたどしい表現だけでした。私たちの芸術形態は真に言語的な造形でなければならず、もし、自然そのものがその可能性を最大限に発揮できたとしたら語るであろうことを声にするものでなければなりません。自然をその種子的な特質という観点から眺める宗教的な理想の傍らに立つべき新しい芸術的な理想とはそのようなものです。
 三番目は私たちの科学的な理想です。それはもはや東洋人たちが有していた感情、すなわち、思考とは何か神によって人の魂へと直接吹き込まれるようなものである、という感情に基づくものではありません。それはまた、思考を神性に対する内的な証明と感じたギリシャ的な理想に近いものでもあり得ません。今日では、私たちが思考を発達させるためには、純粋に人間的な力を行使し、純粋に人間的な仕方で働かなければなりません。けれども、私たちが努力することによって、利己主義、身勝手、主観的な感情、あるいは、思考に偏見の色づけをするような党派的な精神によって少しも堕落していない思考を達成するやいなや、つまり、思考そのものが取ろうとする形態において思考を経験するように私たちが人間として努力するやいなや、私たちはもはや私たちを私たちの思考の創造者あるいは形成者と見なすのではなく、私たちの思考がそれ自身の本性を生き抜くための単なる内的な活動の舞台と見なすようになります。そして、私たちは、これらの無私で偏見のない思考、私たち自身が創造したように見えるこれらの思考の広大さを感じ取り、それらが神を記述するのにふさわしいものであることに驚かされるのです。私たちは後になって、私たち自身の心の中で形成される思考が神を描き出すにふさわしいものであることを見出すのです。私たちは最初に思考を発見し、その後、思考が「ロゴス」に他ならないことを発見します!皆さんの中で思考が自らを形成するのを無欲で許容している間、その無欲な態度は神がその思考の創造者になることを可能にしているのです。東洋人が思考を神の顕現であると感じ、ギリシャ人がそれを神的な現実の証明であると理解する一方、私たちはそれを生き生きとした発見であると感じます。つまり、私たちが思考を有した後、それはそれが神性を表現することを許されていたのだと私たちに告げるのです。これが私たちの科学的な理想です。
 ですから、私たちは現在進行中の人類進化のこの場所に立ち、その中で私たちがどの地点に至っているのかに気づきます。両側に耳のある人間の頭部や喉頭、ねじれたふたつの肩甲骨を見れば、それらについて単によく考えてみる以上のことができなければならない、ということが分かります。もし、私たちがそれらの自然な形態を変容させることに成功するならば、ふたつの肩甲骨がさらに発達し、耳と喉頭が共に成長することで、あるひとつの形態が現れてきます。つまり、胸と頭、二つの翼、喉頭と耳から構成されるルシファー的な形態が現れてくるのです。
 私たちは自然の中の芸術的な要素、自然自体の中に見出されるものよりもさらに高次の形態の生命が現れるように、自然の形態に生命を付与する要素を知覚する地点へとやってきました。
 けれども、そのことはまた私たちを、変容する自然そのものの活動、そして、それによって人間を変容させる活動を辿ることができるような位置へともたらすのですが、私たちはその同じ芸術的な技を教育学的−教訓的な分野に適用することができます。その同じ創造的な芸術的手腕は絶えず変化する子供たちを扱う教育的な仕事に適用されるのです。と申しますのも、私たちは、ロゴスを創り出し、自然を超えた自然であることを私たちが知っているところの芸術によってそれを学んだからです。私たちはそれを泉以上の泉から学びますが、それはそれらの泉が神と交信しているからです。私たちはそれを木以上の木から学ぶのですが、それは前者がたどたどしい枝の動きを何とか達成している一方、後者は枝や花冠の身振りによって神を指し示す形態の中で、現代の芸術的な想像力に対して自らを現しているからです。私たちが私たちのゲーテアヌムにおいて試みたように、私たちが宇宙の形態を変容させ、それらを再構成するとき、私たちはそれを宇宙から学びます。これらの学びのすべては、日々、子供たちを再構成し、再創造しているプロセスをサポートするために、毎日どのように子供たちに働きかけていけばよいかを私たちに教えてくれます。それは私たちが芸術的な技を人類の学校教育にもたらすことを可能にしてくれるのですが、同じことは他の分野にも言えます。
 人類の三つの偉大な理想が人智学徒の思索する魂の前に再活性化されて現れてくるのは、そのような光の中においてです。ゲーテアヌムの形態が意図していたのは、これらの崇高な理想をその新しい側面において経験しようとする熱意で満たす、ということでした。今は、それらの形態を静かに私たちの心の中に埋葬しなければなりません。けれども、それらは私たちの中で熱意への源泉とされるべきです。私たちがその熱意を獲得し、それら三つの理想を経験する中で神性へと引き上げられるならば、地球の最も気高い理想が私たちの中で発展します。福音書は、「汝自身を愛するように汝の隣人を、そして、とりわけ神を愛しなさい。」と述べています。別の言い方をすれば、「もし、現在の人類がそうしなければならないように、三つの理想の今日的な側面という光の中で神を見上げるならば、人は神を愛するようになる。」ということです。と申しますのも、人は、自分が動員できる愛のすべてをもって、その三つの理想に自らを捧げることに自分の人間性がかかっている、と感じているからです。けれども、そのとき、人は、同様の行いをしながら、同じ愛を捧げることができる他のすべての人々とひとつに結びついていると感じます。人はとりわけ神を愛することを学び、神を愛する中で、自分自身と同じように、隣人を愛するようになります。このことによって厳しい感情が生じるのが抑制されるのです。
 それが協会における個々のメンバーを結びつけ、ひとつの統合体にするものであり、現在必要とされているものです。私たちは協会におけるひとつのフェーズ、そして、そこでは人智学が教育のチャンネルやその他の実際的な分野、あるいは芸術活動等へと注ぎ込まれましたが、そのようなフェーズを通過するという経験をしてきました。今や、私たちは力を合わせる必要があります。私たちには第一級のウォルドルフ学校教師やその他の専門家を擁しています。それぞれの専門的な立場からベストを尽くしている人たちが、人智学的な生命の源泉を今までにない新しい流れへともたらす道を見出す必要があります。今必要とされているのはそのことです。
 これらのことがらについての会合を計画したのは、私たちがそれを必要としており、指導的な人智学徒たちが人智学協会を再活性化するという現在の必要性を意識しているということを証明する必要があるからです。その会合は2、3日のうちにシュテュットガルトで持たれることになっています。協会に好意を持つ人たちは、その会合の成果に暖かい期待を抱いてほしいと思います。と申しますのも、そこに参加する人たちが正しい音調を発現させるときにだけ、つまり、それらの人々が三つの偉大な、愛を生じさせる理想に向かう真に精力的な熱意をもって響き渡る音調を発現させ、彼らの発する言葉の内容とエネルギーがそのことを保証するときにだけ、人智学協会がその目的を達成するということが期待できるからです。そして、そこで生じることがらが、協会の中のより幅広い枠組みの中で、ものごとがどのように進行するかを決定づけることになるはずだからです。
 私もまた、シュテュットガルト会議の結果を見て、私自身の今後の行動がどうあるべきかを知ることになるでしょう。大いなる期待がそれにかかっています。私は、皆さんの中でシュテュットガルトに行くことができない人もすべて、私たちとともに思考を支えてほしいと思います。これは、現在の人類にとって不可欠の偉大な理想のために、健全で精力的な努力をもって関わることが求められる重要な機会なのです。私たちは、誰かの手になる思いつきの説明でそれらの理想を知るのではなく、進化の過程全体によって、つまり、人間の地上における発達の全体としての意義、そして、それは目覚める人間に太陽が現れるのと全く同様に、私たちに現れるのですが、そのような意義によって刻み込まれたあの記述から、知ることになります。
 私たちの魂の中にその熱意を点火することから始めましょう。そうすれば、それは行動となるでしょう。そして、行動することが本質的なことなのです。