ルドルフ・シュタイナー

人智学的共同体形成 (GA257)

第7講

シュツットガルト、1923年2月28日

佐々木義之 訳


 私としては、人智学協会メンバーの皆さんに向けての講演に当たり、いつものように、純粋に人智学的なことがらに取り組みたいと思っていました。けれども、会合の全体的な成り行きや、ここ2、3日の間に生じてきたことがらによって、私のコメントはこの集会にとっての直接的な関心事についての問題に限定せざるを得なくなりました。より人智学的なテーマに特化したお話しについては、皆さんが一堂に会する機会に、というわけにはいかないかも知れませんが、少なくとも、より小さなグループに対して何度か行う機会があればよいと思っています。
 今回の2回の講義では、いかに人智学が生きる上での智恵となり得るか、いかにそれが私たちの日々の思いや行動に影響し得るかということを示すのが目的です。ですから、私はここで取り扱われるべき問題にアプローチするための人智学的な基盤を据えることに専念するつもりです。昨日は、人智学協会における共同体形成についてその角度からお話ししました。今日はその続きとして、人智学的な世界観による生きた生活に対する貢献、その世界観なしに行うことができたであろうよりも十分な貢献という課題に関して、何らかのことがらを付け加えたいと思います。
 昨日お話ししたことがらの逆の側面を皆さんに示すために、私たちの協会が依って立つ基盤と似た基盤の上に打ち立てられた協会の歴史に詳しい人であれば誰もがよく知っていることがらから出発したいと思います。その後で、人智学協会を他のあらゆる協会とは異なるものにしている違いについても何らかの特徴づけを行う予定です。けれども、とりあえずは、精神世界への洞察を達成しようとするあれこれの方法の上にその存立基盤を置いたにもかかわらず、それが達成した水準は様々な歴史的状況、それに参加した人々のグループの特質や能力によってかなりの影響を受けた非常に多くの協会が存在していた、ということを指摘しておきたいと思います。幅広く多様な協会の中には、本当に真剣で重要なものからいかさまに至るまであらゆる色合いと水準のものが見られるのです。
 けれども、そのような協会の歴史に通じている人であれば誰でも知っていることがひとつあります。それは、ある条件下ではいつもある種の道徳的な雰囲気が醸成された、ということです―そして、実際、それは必然的なことだったのです。その雰囲気は、そのような協会のメンバーたちの間の友愛を追求する本当に真摯な努力として記述することができるでしょう。その目標は、通常、これらの協会の規範や規則としてリストアップされますが、その目標としては―お話ししたように、これは必然的なことなのですが―ひとつには友愛が、もうひとつには精神的な世界への洞察が置かれます。
 さて、そのような協会の歴史に通じている人たちは、友愛と精神的な洞察の上に築かれるこれらの協会こそが、最もひどく、いさかいに悩まされる、ということを知っています。それらの協会は、闘争、人生の分かれ道、より大きなグループ内での各派閥への分裂、グループの解消、留まる者たちへの、あるいは離れていく者たちへの激しい攻撃等々に対する最も幅広い機会を提供します。要するに、人間的な争いは、友愛へと捧げられたグループの中で最たるものになるのです。
 これは奇妙な現象ではありますが、人智学的な洞察によってその理解が可能になります。今回の2回の講義で私が提示しようとしているのは、学者ぶった言い方をお許しいただければ、人智学体系の一部でもあるのです。ですから、この講義は一般的な議論ではないかも知れませんが、それでもやはり、人智学的な議論であり、とりわけ私たちの会合に沿った構成となるはずです。
 昨日の話に戻りますが、人間の意識という現象の間には3段階の経験が見出されます。眠っているか夢を見ている人々は、低下した意識状態の中で、ある種の像の世界を経験するのですが、彼らは、眠っている間、それを現実的なものとして捉えている、ということが分かります。これらの人々は、物理的な世界に一緒に居住している他の人々から隔離されています。彼らは経験を共有してはいません。経験を伝える手段が存在していないのです。昨日お話ししたように、私たちはさらに、人はこの意識状態から日常の意識へと進むことができるということ、つまり、他の人々の自然としての外面を含むところの外的な自然によって、そのような意識へと目覚めさせられることができるということを知っています。共同体への感情は、単に自然の働きや日常生活の必要性によってある程度目覚めさせられるのです。そして、それに対応して、言語が存在するようになります。
 今、これら二つの意識状態が入り交じったとしたらどうなるかを見てみることにしましょう。人が完全に正常な環境に留まり続けことができる限り、つまり、通常の魂的、体的状態の故に、彼の孤立した夢の経験を他者と共有する経験から分離したままに保つことができる限り、彼は彼の夢の世界と現実の世界の中で無難に生き続けることになるでしょう。しかし、ある人が、何らかの心理的な突発事項やそのようなものと考えざるを得ないようなことがらによって、他者と共有する生活の中での昼間の目覚めた意識状態にあるにも関わらず、彼の仲間と同じ感情や考えを持つことのない状況にあるのを見出す、と仮定してみましょう。彼が被っている病理的な状態によって、夢の生活におけるものと同様の感情や考えの世界が彼の目覚めた意識の中へと投影させられる、と仮定するのです。彼は論理的に秩序だった思考を発達させる代わりに、夢における絵画的な世界に似た世界を産み出すことになります。私たちはそのような人を精神的に病んだ人と呼びます。けれども、さし当たり、私たちにとっての主な興味は、この人物が他の人々を理解していない、そして、その他の人々もまた、医療的、病理的な観点から彼を見ない限り、彼を理解することができない、ということです。この低いレベルの意識において卓越する心の状態がより高いレベルの意識へと持ち込まれる瞬間、その人は、その仲間の人間との関係で、最悪の利己主義者になります。皆さんは、それについてよく考えてみさえすれば、この種の人間は完全に自分が想像した通りに進む、ということが分かるでしょう。他の人々は彼の論理立てについていけず、彼はそれらの人々と殴り合いになります。彼は、他の人間たちと魂の世界を共有していないので、あらゆる種類の極端へと走り得るのです。
 さて、これら2つの意識状態から、別の2つの意識状態へと進むことにしましょう。外的なできごとという自然の過程によって私たちがそこに導かれるところの日常の意識状態と、私が昨日示したような、人は単にその周囲の自然の側面との出会いの中で目覚めるだけではなく、他者の内的な存在との出会いの中でも目覚める、というような事実を通して目覚めさせられるところのより高次の意識状態とを対比させてみることにしましょう。人は通常、完全に、そして直接的にそれを意識しているわけではありませんが、そのようなより高いレベルの意識へと本当に目覚めるのです。もちろん、私の「より高次の世界の認識」という本から皆さんご存じのように、より高次の世界に参入する方法は他にもたくさんあります。けれども、そのような仕方で他の人々と共に過ごすことが許されている時代においては、人は、そうでなければ理解したり目撃したりすることができなかったはずのことがらを理解したり目撃したりする立場にある、ということを見出すことができるようになっているのです。精神世界に通じている人がその世界にも適用可能な言葉で記述する要素の中で生きる可能性や、肉体、エーテル体、アストラル体、そして自我について、あるいは、輪廻転生やそのカルマ的な側面について語る可能性が与えられているのです。
 さて、現時点においては、通常の意識という心のあり方全体がそのようにして人が参入する精神的な世界に持ち込まれ、それに適用される、という可能性が存在しています。これは、別のレベルにおいてですが、夢の像の中へと吸い込まれている人の魂の状態が通常の生活へと投影されるときに生じるできごとと同じです。つまり、人は全く自然な仕方で利己主義者に変えられるのです。このことが生じるのは、より高次の精神世界におけるあらゆることがらは感覚的な世界を見るのとは全く異なる仕方で眺められなければならない、ということに気づき損ねるときです。人は別様に考えたり感じたりすることを学ばなければなりません。ちょうど、夢を見ている人が、他の人たちと生活を共有したいのであれば、全く異なる意識状態であるところの通常の目覚めた状態に転換しなければならないように、通常の経験に関することがらに向かうときの魂の態度によっては人智学の内容にアプローチすることはできない、という事実への同様の気づきが必要なのです。
 これが、通常の科学的な意識でもある日常の意識と人智学が可能にする意識との間で何らかの理解や調和が達成されるにはどうすればよいか、という問題の根底に横たわっているものです。人々が集まって話し合いをするとき、一方が通常の科学的なアプローチで例示されるような日常の意識から、そして、片方が精神的な現実と調和する判断を形成するのに匹敵する意識から話すとすれば、それは正に自分の夢を物語る人が外的な事実について彼に告げる誰かと理解し合おうとして努力しているようなものです。大勢の人たちが通常の意識状態で出会い、彼ら自身と彼らの感情生活全体を超感覚的なレベルにまで引き上げ損ねるならば、つまり、超感覚的な世界が語ることを聞くために集まった人々が単に通常の心の状態のままでそれを聞くとしたら、殴り合いになる可能性が大きいのです。その可能性は測りがたいほど大きいのですが、それは、そのような人々は当然の結果として利己主義者になるからです。
 それに対する強力な治療法は確かに存在しています。しかし、それが可能になるのは、人間の魂がそれを発達させるときだけです。私が言っているのは、本当に偽りのない忍耐のことです。とはいえ、私たちはそれに向かって自己教育する必要があります。日常的な意識状態においては、多少の忍耐力で用が足り、多くの場合、社会的な環境が誤りを正してくれます。けれども、通常の日常的な心の状態が卓越するところでは、話し合いをしている人たちがお互いに聞く耳を持とうとしない、ということはよくあることです。今日では、他人の言葉に本当にわずかな注意しか払わない、というのが習慣になってしまいました。誰かが語っている途中に、別の誰かがしゃべり始めるのです。それは語られていることに少しも興味がなく、興味があるのは自分の意見だけだからです。物理的な世界ではそれでどうにかやっていけるかも知れません。しかし、精神的な領域においては全く不可能です。そこでは、魂は完璧な忍耐力に染め上げられていなければなりません。つまり、全く同意しかねることがらに対しても、深い内的平静をもって耳を傾けることができるように、つまり、横柄な気持ちで忍耐力のあるところを示すのではなく、相手の側から見て根拠があるように思われる語り口に対するのと同じように、全く肯定的な内的忍耐力をもって聞くことができるように、自己教育しなければならないのです。より高次の世界においては、何かに反論することに全く意味はありません。その領域での経験を有する人は、例えば自分や別の誰かが同じ事実に関してそこで表明する意見は全く正反対のものであり得る、ということを知っています。彼が自分の意見に対して感じるのと正確に同じ忍耐力をもって他者の正反対の観点に耳を傾けることができる能力を獲得したとき、そして、そのときだけ―どうかこの点に注意してください!―以前にはより高次の世界についての単なる理論的な知識であったものを経験する際に要求される社会的な態度を身につけることができるのです。
 より高次の領域に対する関係にとって決定的に重要なのはこの道徳的な基本原則なのです。物理的な世界にある机やイスが夢の世界とは異なる仕方で経験されるように、精神的な現実がその机やイスとは異なる仕方で経験されるべきであるならば、魂の変容が必要なのです。人々が、人間は肉体の他にエーテル体、アストラル体、そして自我を有している云々、というようなセンセーショナルなことがらに耳を傾けるとき、それがセンセーショナルだから聞くのであって、そのような精神的な現実を経験するために必要な魂の変容に取り組もうとはしません。そのような事実が、私たちが議論している協会に特徴的なものとして私がお話ししてきたいさかいの根本的な原因なのです。人々が、より高次の世界についての教えから自分たちが理解していると考えていることがらに、その通常の魂的な習慣を適用するとき、必然的にいさかいや利己主義が発現するのです。
 ですから、正に、より高次の世界の真の本質を把握することによって、精神的な内容を含む協会がいかに容易にいさかいやけんかに巻き込まれるかということを理解するようになり、物理的な世界の状況下で慣れ親しんでいるよりもはるかに大きな程度で他の人々に対して忍耐することを学ぶことによって、そのようなグループに参加できるように自己教育することがいかに必要かということが分かるようになるのです。人智学徒になろうとするのであれば、理論的な側面から人智学を知るだけでは不十分です。アプローチの仕方全体が特定の変化を遂げなければなりません。それを好まない人々もいます。その結果、私が、例えば、私の本「神智学」に取り組む方法には二通りあると言っても、決して理解されないことになるのです。ひとつの方法とは、それを読んだり、研究したりさえするのですが、通常のアプローチによってであり、そのアプローチが生じさせるような判断を下しながら取り組む、というものです。「神智学」を読むのも、料理の本を読むのも、それらの間に質的な違いはなく、経験という意味では、いずれの場合も同等の価値を有しているのです。そのようにして「神智学」を読むということが、より高次の段階に生きることをではなく、夢を見ることを意味している、ということを除けばですが。こうして、人がより高次の世界について夢見るとき、そこから受け取る衝動が最高度の統合や最高の忍耐力を生じさせることはありません。より高次の世界についての研究の報償であり得る統合の代わりに、いさかいやけんかが生じ、拡大し続けます。精神的な世界への洞察を得ようとするあれこれの方法に基づく協会の中で行われる声高な論争の原因とは、そのようなものなのです。
 私は、「より高次の世界の認識」の中でその一部が記述された様々な道によって精神的な世界へと導かれる、と言いました。今、人がそれらのより高次の世界の認識を求めて精力的に取り組むとき、この2回の講義の中で説明してきたこと、とはいえ、それは全く別の関連でお話ししたわけですが、そのことからお分かりのように、ある一定の魂の態度を発達させることが要求されるのです。真の精神的な探求者は、ある一定の魂の態度を発達させなければなりません。もし、人が物理的な世界で生ずることがらに対して、そこに全く適合したやり方で注意を向け続けなければならないとしたら、つまり、物理的な世界に適した種類の思考が要求されることがらに没頭しなければならないとしたら、精神的な領域における真実へと続く道を見出すことはできないでしょう。
 さて、精神的な世界のことがらについての信頼に足る説明を仲間の人間に対して行うことができるような人物、他の科学がその言葉を使う意味で自らを精神的な探求者と呼ぶことが正当化されるような人物は、その探求のために多くの時間を必要としている、ということに皆さんは同意されるでしょう。ですから、皆さんは、私もまた、私の講義の中でますます幅広い観点から人智学あるいは精神科学を提示することを少しずつ可能にしていくような探求を行う時間を必要としている、ということを当然のことと思われるでしょう。
 さて、人がひとりで自分の道を行くのであれば、その人の運命の枠組みの中で、もちろんその時間を作ることができるでしょう。本物の精神的な探求者であって、精神的な世界の中で彼が見出すことがらについての信頼できる説明を仲間の人間たちにしたいと考えている人物であれば、当然のことながら、彼の敵対者たちを無視するという習慣を身に付けることになります。彼は敵対者たちが存在せざるを得ないことを知っていますが、彼の表明に対する反対意見に悩まされることはありません。反対意見は自分で考えつくことができるからです。ですから、特別な理由がない限り、誰かれの反論にさしたる注意を払わず、ひたすら前向きに自分自身の道を進むという態度を取るのは、彼にとって自然なことなのです。
 けれども、人智学協会と力を合わせるようになったときから、そのような態度を維持することはもはや不可能になるのです。と申しますのも、真実に対して感じる責任に加えて、自らをその真実の道具にしているとしばしば言われるところの協会が行うことがらに関連して、さらなる責任が生じるからです。こうして、協会の責任を遂行する手助けをしなければならなくなるのです。そのことは反対者たちに対する正しい態度にある程度結びつけられることができます。1918年までは、その状況は協会と私に通用していました。私は反対意見にできるだけ注意を払わないようにしてきたのですが、それは、矛盾しているように見えるかも知れませんが、私がお話ししてきたような忍耐の維持の結果だったのです。本当に、何故、私は絶えず敵対者たちに反論し続けなければならないほど不寛容でなければならないのでしょうか?人間進化の自然な成り行きとして、あらゆることがらは、最終的には、どうにかして正しい道筋へと戻るものです。ですから、私が言えることは、1918年まではその質問には正当性があった、少なくともある程度はあった、ということです。
 けれども、協会が1919年以来その中に担うようになった活動を引き受けるとき、それらに対する責任をも引き受けることになります。それらの運命は協会の運命に包含されることになるのです。精神的な探求者は、彼の敵対者たちに対して自らを擁護する―言い換えれば、彼の精神的な探求から彼を遠ざけたままにすることがら、と申しますのも、それらをその探求に結びつけることができないからですが、そのようなことがらに概して専念する―という重荷を背負うか、そうでなければ、彼の探求のための時間を作るために、敵対者たちへの対応を、周辺組織のために一定の責任を引き受けた人たちにまかせる他ありません。こうして、私たちの協会における状況は、1919年以来、根本的な変化を、それも深く人智学的な理由による変化を被ってきたのです。ある一定の協会メンバーたちに代表される協会がこれらの組織を立ち上げることを決め、それらの組織すべてが依って立つところの基盤が人智学ですから、その基盤となるところのものは、今や、真正なる探求が、以前の精神的な探求によって見出されたものに、日々付け加えていくべき内容の内的な正確さに十分な責任を負う必要のない人たちによって、擁護されるべきなのです。
 私たちの敵対者たちの多くは明確に規定される職業の人たちから構成されています。彼らは、例えば、ある特別な仕方でものごとについて考えるのが普通の何らかのプロフェッショナルな分野で学んだかも知れません。そのような人は、その人が考えるような仕方で考えることによって、ひたすら人智学に反対せざるを得なくなるのです。彼は彼が訓練や経験を積んだ専門領域に無意識につながれているために、何故そうなるのかを知らないままに、反対者にならざるを得ないのです。
 これがその内的な側面から見た状況です。外的な観点からは、人智学協会として設立されたものが繁栄するか衰退するかという問題が提起しているのは、これらの反対者たちに対処しなければならない、ということです。
 けれども、反対陣営の真の指導者たちは、彼らが何をしているのかを十分に承知しています。と申しますのも、彼らの中には、精神的な探求を支配する法則、たとえそれらの法則に関する彼らの観点と人智学の観点とが異なっているにしても、そのような法則に完全に通じている者たちがいるからです。彼らは、精神的な探求を行うために平穏を必要としている人間に仕事をさせないようにするためには敵対的な著作や反論で絶え間なく彼を攻め立てるのが最善の方法である、ということをよく知っています。彼らは、彼が彼らへの反駁と彼の探求の両方に注意を払うことができないことを知っているのです。彼らは、反対の立場を取ることで、彼の途上に障害を置こうとしているのです。彼らがそれらの攻撃を著作にしているという事実そのものが敵対的な行為なのです。自分たちが何をしているのかを知っている人たちにとって、その関心はそのような本の内容にあるのではなく、それらの本を精神的な探求者に投げつけるための武器として用いることにあり、とりわけ熱心なのは、彼が自らを擁護せざるを得ないように謀ったり、そうでなければそのように強制したりすることなのです。
 これらの事実は完全に客観的に眺められなければなりません。そして、人智学協会の会員として全うしたいと思っている人は誰でもそれらについて知っているべきです。もちろん、相当数の人たちが、今私たちがお話ししてきたことを既にご存じです。問題は、事情に通じている何人かのメンバーが自分たちのサークルの外でそのようなことがらに触れるのを習慣的に避けていることです。そのような方向性を協会の中で維持することはできない、ということは長い経験が示しています。かつて協会からは、「協会員限り」という但し書きのついた講義録が出版されていました。ここドイツにおいては、そして、恐らく他のところでも、公立図書館に行けば、同じこれらの講義録を借りることができます。すべての講義録は非会員でも入手可能なのです。私たちの敵対者の著作からも、ときとしてそれらを手に入れるのが確かに難しいことがあるとはいえ、彼らもまたそれらを手にしている、ということが分かります。しかし、この種のひとたちは、その困難さを前にしても、ときとして人智学徒たちよりもはるかに引き下がることが少ないのです。
 多くの協会がまだ維持することが可能と考えている秘密主義は、人智学協会においては、考え得る最も現代的な概念に基づく組織としてのその特性からして、全く問題外なのです。何故なら、そのメンバーたちは自由な個人としての立場を維持するように企図されているからです。彼らが何らかの約束によって縛られるということはありません。ただ知識の真摯な探求者として協会に加わることができるだけです。私たちは秘密主義を目指そうとは全く思っていません。もし、それに興味があったとしたら、グループの緩やかな連合体を、古い人智学協会とは別に、設立するように示唆したりはしなかったでしょう。何故なら、これは非難するために言うのではありませんが、そのような連合体からは非常に多くのはけ口が世間一般へと開かれ、古いメンバーたちが自分たちの書棚にしまっておくべきであると信じている著作物の流出につながることが予想されるからです。けれども、人智学の最奥の衝動は、それが最も現代的な人間の思考や感情と完全に調和してその働きへともたらされるのを見ようとしない人たちによって把握されることはないでしょう。ですから、そのような協会の前提条件とは何かを理解することが最も本質的なことなのです。
 ところで、これは馬鹿げたうぬぼれの精神から持ち出すわけではありませんが、私自身の経験から取り上げて例示したいことがあります。昨夏、オックスフォードにおいて、ウォルドルフ学校の教育方法についての連続講義(「教育の精神的な基礎」のこと)を行いました。一語一句引用するわけにはいきませんが、それについて英語の雑誌に載った記事の中に次のような指摘がありました。それは、オックスフォードで開催された教育会議における講義に出席した人で、あらかじめシュタイナー博士とは誰かを知らず、何か人智学に関係がある人だとも知らずに出席した人は、そこでしゃべっているのが人智学を代表する人物であるとは気づかなかっただろう、という記述から始まっていました。そのような人は、彼が自分たち聴衆とは単に異なる角度から教育学について語っている、と考えたことだろうというのです。
 私はこの指摘を非常に嬉しく思ったのですが、それは、その指摘が、いつも私の目標であり続けているもの、すなわち、直ちに人智学的なものとは知られないような仕方で語る、ということに気づいている人たちがいる、ということを示していたからです。もちろん、内容としては人智学的なものですが、それが客観的でない限り、正しく吸収されることはありません。人智学的な立場は一面性へと導くものであってはならず、逆に、ものごとは、どんなに詳細なことがらであってもそれ自体の価値から評価され得るとともに、その正しさは自由な立場で認識される、というような仕方で提示されるよう、導かれなければなりません。
かつて、オックスフォードでの連続講義が開催され、それについての記事が書かれる以前に、私は皆さんには全く重要とは思えないかも知れないような実験をしたことがあります。今年の6月、私はウィーン会議に出席し、12の講義からなる2回の連続講演(「東西の緊張」のこと)を行いました。私はそれらの講義の中で人智学という言葉を使うのを避け、どの講義の中にもそれが見出されないようにしたのです。皆さんには、「人智学的な世界観は私たちにあれこれのことを示している。」というような言い方が全く見出されないのがお分かりになるでしょう。もちろん、それにも関わらず―そして、実際、そうであればこそ―そこで提示されるものは純粋に人智学的なものだったのです。
 さて、私は、人智学徒は「人智学」という言葉を使うのを必ず避けるべきである、というような月並みで学者ぶった話をしているのではありません。そのようなことは全く私の意図するところではありません。けれども、外の世界との正しい関係を打ち立てる上で、私たちにインスピレーションを吹き込むべき精神が見出され得るのは、一般的な方向性でものごとを見ることによってです。その精神は、協会において指導的な立場で活動する人たちの中に自由に働いていなければなりません。そうでなければ、私は再び人智学の名の下に行われる非人智学的なことがらの責任を取らなければならなくなるでしょう。そうなれば、世間がある行為と別の行為とを混同したとしてもある程度正当化される、ということになるでしょう。
 ここでもまた、人智学の客観的な精神が正しく把握され、とりわけ、行為の中で示される、ということが必要になります。そのために、私たちはまずある程度の自己教育に取りかからなければなりません。とはいえ、自己教育は人智学的なサークルの中でも必要なことです。その欠如のために、ここ数年に渡って、その問題化に貢献する周辺組織の立ち上げを通して、無数の間違いがなされてきました。私は誰かを個人的に攻撃しようとしているのではなく、単に客観的な事実としてこのことを申し上げているのです。
 もし、人智学協会が繁栄すべきであるならば、メンバーの一人一人が、それらの事実を十分に知っていなければなりません。けれども、そのようなことは、現代の社会状況下では、協会の様々な活動拠点の間を結ぶものとして考えられる何らかの情報誌のような媒体という形でのみ行われるにしても、生き生きとした情報交換の場を打ち立てようとする努力がなされない限り、起こり得ないでしょう。さらに、メンバーの一人一人とは言わないまでも、サークルの一つ一つが協会全体の関心事、特にそこで進行している展開に生き生きとした興味を示すようになることが求められるでしょう。そのようなことがあまりにも少なかったのです。たとえ人智学協会が存在していなかったとしても、恐らく一定の数の人智学に関する書籍は存在していたことでしょう。けれども、協会がそれを読む人たちに関わるようには、彼らに関わる必要はなかったでしょう。そのような人たちは、そのカルマにしたがって、あるいは個人として、あるいはグループとして世界中に散らばっていたことでしょう。けれども、彼らと外的な接触を持つことはなかったでしょう。私たちの協会が1918年までそうであったような協会の中でも、精神的な探求者が置かれている状況は基本的には異なるものではありません。けれども、人智学協会が物理平面上に存在することになったことがらに責任を持つようになった時点で、状況は変わりました。
 私はこのすべてを、別の機会にそうしたよりもはるかに明確な言い方で、表現しています。けれども、周辺組織が立ち上げられようとしていたときにも、私は何らかの形でそれらのことを確かに申し上げました。もちろん、私はメンバー一人一人の耳に吹き込むことはできませんでしたし、それをしていたとしても、それが役に立ったかどうかは分かりませんが、協会は存在しており、指導者たちもいました。彼らは、協会の中の状態を、精神的な探求を危機に陥らせることなく協会は様々な組織を包含することができる、というようなものにするように配慮すべきだったのです。
 これは、昨日お示ししたような共同体形成のポジティブな側面に対して、ネガティブな側面と呼ぶことができるでしょう。ポジティブな種類の共同体が存在するための前提条件という立場から私がお話しした種類の共同体を作ることに興味を持つあらゆる人は、人智学協会の生命と発展に関連して、今日、議論されたことがらに気づいていなければならない、ということを付け加えたいと思います。それらのすべては、人智学的な生命の様々な領域に影響を及ぼすものとして考慮されなければなりません。
 この関連で、次のような教訓的な例を引用したいと思います。廃墟となったゲーテアヌムという悲劇的なテーマに立ち返りたいと思います。1920年の9月と10月に、私たちはそこで3週間に渡る講義を行いました。いわゆる高等学校コースと呼ばれるものの最初の講義です。昨日、私は、ゲーテアヌムがいかに明確に人智学的なアプローチの産物である芸術的なスタイルで建設されたかについてお話ししました。このスタイルの起源とは如何なるものでしょうか?1913年に、私たちが感謝してもしきれない人たちが、当時、より狭い意味での人智学的な働きとして存在していたものと、やはり狭い意味で人智学から流れ出そうとしていたもののために、その本拠地の建設に取りかかったことによって、それは存在するようになりました。彼らが望んだのは、神秘劇の上演、まだ萌芽状態ではあったけれども有望な芸術としてのオイリュトミー、そして、何よりも人智学についての講演そのもののために、それらが精神的な探求から導き出された宇宙的な像を投影することができるような本拠地を建設する、ということでした。この関連で、これらの人々が私に指導的な役割を求めたとき、私の意図もそこにありました。そこで行われるべき働きと芸術的に調和したスタイルでデザインされた建物を打ち立てるのが私の使命であると考えたのです。ゲーテアヌムはその結果だったのです。
 当時、私たちの中には学者も科学者もいませんでした。実際には、人智学は科学的な方向に踏み出していたのですが、協会の機能としては、様々な専門分野における活動を含む方向での展開はまだ始まっていなかったのです。そのようなプロセスの重要な例としてのウォルドルフ学校教育が正にそうであったように、後に発展してきたものは人智学から直接発展してきたものとして存在するようになったのです。
 今や、そのような個別の展開に適した芸術的なスタイルが見出されるべきでした。それはゲーテアヌムの中に見出された、と私は信じています。
 戦争によってその建設には若干の遅れが生じました。そして、1920年に、先ほどお話しした連続講義を行ったのです。それはその間に協会に加わっていた非常に歓迎すべき専門家たちの要請によるものでした。彼らがプログラムを構成し、私のところに持ってきたのです。
 私の信じるところでは、完全な自由が協会を支配していました。多くの部外者たちは、そこで何が行われるべきかを決めるのはシュタイナーである、と考えています。ところが、大抵の場合、シュタイナーが思いもつかないようなことが行われているのです。とはいえ、協会は私のために存在しているのではありません。会員のために存在しているのです。
 そうですね、1920年の9月と10月に行われたその連続講義のとき、私は大いなる注意深さをもってそこに座り―これは単に気がついたことであって、批判ではありません―ゲーテアヌムの内部を端から端まで眺めていました。私が「週刊ゲーテアヌム」に書いたのは、例えば、オイリュトミーにおいては、いかにゲーテアヌムの線がオイリュトミストの動きへと継続していたか、ということでした。けれども、当初の意図からすれば、それはそこで行われるあらゆることがらに当てはまるはずだったのです。ですから、私は、私の内的な目をもって、内装、建築様式、彫刻の形、絵画が壇上で語る講演者の言葉と調和しているかどうかを検証しました。私が見出したのは、当時、人々が本当は直面すべきではなかったような何かなのですが、それは、最良の意味で人智学的な観点の投影とでも呼べるようなあらゆるもの、純粋な人智学にその起源を有していたところのあらゆるものがゲーテアヌムとすばらしく調和していた、ということです。とはいえ、連続講義全体から見た場合に感じられたのは、そこで行われているそれぞれの専門的な研究や活動と調和するスタイルでデザインされたある程度の数の建物がゲーテアヌムに付け加えられたとき初めてそれらの講義は行われるべきであった、ということです。ほとんど10年に渡って、ゲーテアヌムは本当に人智学協会とその運命を共にしてきました。そして、人は、その建築スタイルがその建物の中で行われることにいかに調和し、あるいは調和し損ねているかを徹底的に感じ取ることによって、無機的な要素が人智学的、精神的な動きの純粋に継続する流れの中に本当に浸透していたのだ、ということに容易に気づくことができたでしょう。
さて、これは誰かを批判するためでも、ものごとが別様に行われるべきであったと言うためでもなく、当然のことながら、あらゆることがらは起こるべくして起こったのですが、それでも、そのことによって別の必要性が生じてきます。それは、私が意識にとって必要であるとしてお話ししたところの速やかに前進させる力をそれに与えるために、人智学を通して、化学、物理、数学等々に完全なる再生をもたらす、という必要性です。何故なら、通常のものの見方が人智学的にものごとを提示するための基盤を提供することは全くないからです。けれども、その前進させる力はいつでも明白であったというわけではありません。それが欠けているということは、ゲーテアヌムの芸術的なスタイルによってそれが検証されたときに感じることができました。つまり、人智学協会においては、ここ何日かに渡って私たちの上に立ちこめて来ている雲という現象の中にそれは現れています。今や、大変歓迎すべき運命によって、人智学の流れの中に科学がもたらされたことによって、私たちは、人智学を通して、それを再生へともたらすという現在と未来の使命に直面しているのです。あらゆる種類の意味のない論議の中で私たち自身を見失っても何の役にも立ちません。緊急の仕事は、むしろ様々な専門領域が人智学から再生してくるように配慮する、ということです。
 代用品が時代の傾向であったときには、何とか間に合わせる、ということが必要でした。私はしばしば、どこそこの必要に応じて、もし、人智学的な生活が通常のテンポで進展していたとしたら、将来の展開を待つ方が良かったようなテーマについて、あれこれのグループのために連続講義を行うよう要請されたのです。そして、これらの連続講義録は入手可能になりました。それらは、本当は、様々な科学が人智学を通して再生するのを助ける手段として用いられるべきだったのです。人智学の真の興味はそこにあり、その興味は、本当に実り多い仕方で、人智学協会の興味とも一致していたことでしょう。
 これらすべての事実を誰もが知っているべきです。親愛なる友人の皆さん、皆さんは、私が、高等学校の後援の下で、あちこちで催された様々な連続セミナーにおいて、解決する必要のある課題を繰り返し割り当ててきた、ということご存じです。科学講座は1922年の年末にゲーテアヌムの小講堂で催され、1923年にかけてそこで行われる予定だったのですが、その小講堂における私の最後の話の中で、私は数理学者たちにひとつの課題を与えました。私が議論したのは、触覚空間と視覚空間の間の違いを表現する数学的な定式を見出すという課題を解決することがいかに必要であるか、ということでした。他にも同様のことがらが提起される機会が数多くありました。私たちは緊急を要する多くの課題に直面していたのですが、それらはすべて、触覚空間や視覚空間、あるいは、そういったようなものが人智学徒たちにとって何らかの意味があるかどうかに関わらず、彼らのグループ一つ一つにとって価値がある完全に人智学的な仕方でやり遂げる必要があったのです。と申しますのも、実際には、恐らくたった一人の人物だけが行うことができるようなことがらでも、それに何か全く異なる形態を取らせるとき、それを他の非常に多くの人々にとって実り多いものとすることができるような方法があるからです。
 ですから、増大する困難の原因は、1919年以降に踏み出されたきわめて未熟な一歩一歩であり、特に、人々が設立した後、その責任を分担し続けることがなかった−この事実は何度でも強調されなければなりません−あらゆる種類の組織なのです。これらの困難が、現在、私たちが直面している、問題の多い状況を生じさせたのです。
 けれども、それらの内のどれ一つとして人智学そのものの門前に置くことはできません。親愛なる聴衆の皆さん、お分かりいただきたいのは、そのような困難の一つ一つがどこから生じたかは完全に特定可能である、ということです。そして、生じたトラブルの故に人智学を退けるのは最も不当なことである、ということが強調されなければなりません。
 ですから、これらの正により深いことがらについての議論に私が付け加えたいのは、昨日、この壇上から語られたあることがらに対する訂正です。それは、私がここで語られてきたことがらについてよく認識しているが故に、私を困惑させたことがらです。そこで語られたのは、人々は人智学運動が私たちの敵によって破壊されるかも知れないということに気づいていない、ということです。それが破壊されることはあり得ません。私たちの敵が人智学協会に対して、あるいは私個人やその他のものに対して、大いなる危険を引き起こすことはあり得ます。けれども、人智学運動が損害を受けることはありません。ただ、最悪、反対者たちがその進展を遅らせる可能性はあります。私がこの関連で、あるいはこれに似たような関連で、しばしば指摘してきたのは、人智学運動と人智学協会とは区別されなければならない、ということです。私がそのように言うのは、協会はもはや考慮する必要がないという理由からではなく、協会は入れ物であり、運動はその内容であるという理由によります。このことは協会と同様、個々のメンバーにも当てはまります。ここでも十全たる明晰さと気づきが支配していなければなりません。人智学は人智学協会と混同されてはなりません。過去3、4年に渡る展開は、協会員たちにとって、進展する人智学の運命と協会の運命とが密接に織りなされていたということを意味している、という事実もまた見逃されてはなりません。これら二つはほとんど同一のものと見られるようになったのですが、にもかかわらず、明確に区別されるべきものなのです。
 理論的には、たとえ協会が存在していなかったとしても、ウォルドルフ学校が存在していた可能性はあります。けれども、実際には、そのようなことは起こらなかったでしょう。何故なら、それを設立し、舵を取り、面倒を見る人が誰もいなかったはずだからです。真の論理、つまり、現実についての論理は、抽象的で論理的な理論立てとは異なります。協会のメンバーがこれについて理解することが重要なのです。協会員は、たとえ単に感情のレベルであっても、より高次の世界への洞察は、超感覚的な経験と通常の物理世界における経験とは大きく異なっているという認識の上に築かれなければならない、という何らかの基本的な認識を有しているべきなのです。物理世界にある何かがちょうど夢を見ている人にとっての夢の内容と同じように正しいように見える、ということはあるかも知れません。けれども、夢の生活の中でのことがらを日常の目覚めた意識状態の中に持ち込むというのは、異常で有害な現象です。同様に、精神的な世界を理解するために必要な意識の中に、日常の目覚めた意識状態においては全く適切に応用される確信や態度を持ち込む、ということもまた有害なのです。
 私は皆さんに教訓的な例を示すことができます。これは現代人があまりにもひどく理知主義や全く外的な経験主義に冒されている結果なのですが、特に科学になじみがない人たちでさえ、「あなたの言うことを証明しなさい!」というスローガンを取り上げるようになりました。彼らが強調しているのは、思考を媒体として用いるという一種の特別な思考の使用方法なのです。彼らは人間の魂が有することができる真理との直接的な関係について何も知りません。その関係はちょうど目が赤色を知覚するようなものです。その場合、目はそれを見ているのであって、証明しているのではありません。ところが、理性や知性の領域では、概念的に一歩でも先に進むということは、それに先立つ一歩からの展開ということになります。物理平面における限りは、何でも証明できる聡明な人になり、よく光る稲妻のようなテクニックを開発することが奨励されるでしょう。物理平面上における限りは、そして、それを扱う科学にとっては、それはよいことなのです。精神的な探求者にとっても、物理世界のできごとを証明する際に一定の容易さを発達させていることはよいことです。私たちの研究所の仕事を基礎づけている意図によく通じている人たちは、このテクニックが適用可能なところでは、私たちもまたそれを適用する、ということが分かるでしょう。けれども、こういう言い方をお許しいただけるならば、ちょうど夢見る人の見識を通常の目覚めた意識に投影するのが馬鹿げたことであるように、もし、人が証明本位の心の状態で精神的な世界にアプローチするならば、その人はその世界との関係で馬鹿になるのです。と申しますのも、夢の状態が目覚めた意識の現実に割り込むのと同様、証明するというのは精神的な世界では場違いな方法だからです。しかし、現代においては、何でも証明するのが当たり前という状況に至っています。いくつかの領域においては、この傾向が有する麻痺させる効果は本当に恐ろしいものとなっているのです。
 宗教は、その現代的な形態においても、その古い形態においても、知的−理性的な証明にかかるようなものに基礎づけられているのではなく、直接的なビジョンから成長してきたのですが、今では証明中毒にかかった合理主義的な理論になってしまいました。そして、それを極端な形で代表する人物たちを通して、それに関するあらゆることが偽りであることを証明しているのです。と申しますのも、ちょうど、人が夢の内容を目覚めた意識に導入するとき、異常にならざるを得ないように、もし、人が物理平面に適した方法で精神的な世界にアプローチするならば、人は必然的に異常になるからです。神学は、何が来ても実践的に取り扱うだけの応用科学か、そうでなければ証明的な捉え方をする学問になり、宗教を深めるというよりは破壊する方向で役に立ちそうです。
 親愛なる友人の皆さん、これらのことがらは人智学協会における明確で意識的な経験とならなければなりません。もし、そうでなければ、人は人生において、そして、人間社会の中で、単に多面的な興味を持ち、多種多様なレベルで、ものごとの道理をわきまえて振る舞う人間としての立場を取る一方、無数の講義の内容に関心を持った瞬間から、精神的な発達なしに人間として存在することができなくなるからです。
 精神的な探求者は、その敵対者たちに会う際に、証明に頼る必要がありません。何らかの私が話したことがらに関して彼らが唱える反対意見は私自身の著作の中から取り出すことができます。と申しますのも、私は、それがどこで示されるにしても、超感覚的な事実に適用されるときの物理的な証明との関係でものごとがどうなっているかに対して注意を払うように促しているからです。人は、私の著作のどこかに、私自身の言葉で語った反対者たちのコメントの概略をいつでも見出すことができるでしょう。ですから、大方の反対者たちにとって、私を反駁するために必要なのは、私の著作から一節を抜き出してくるということだけなのです。とはいえ、これらの詳細のすべてが協会員の意識の一部になるということが重要です。そのとき、彼らは協会の中に確かな足場を見出すでしょう。人智学的な観点に没頭するということは、物理的な世界の中だけではなく、あらゆる存在する世界の中に確かな足場を見出す、ということを意味しています。
 そのとき、人智学的な衝動はまた、仲間の人間を愛する能力、そして、その他のあらゆる社会的な調和や真に社会的な生活方法へと導く源泉となるでしょう。人智学徒たちの間には、もはやいさかいやけんか、分派や脱退はなくなるでしょう。真に人間的な統合が支配し、すべての外的な孤立は克服されるでしょう。人はより高次の世界でなされた観察を真実として受け取ることになるとしても、物理世界の中で夢見る人のようにさまよい歩くことはないでしょう。二本の足をしっかりと地に着けた人としてそれに関わることでしょう。と申しますのも、人は、ちょうど通常の生活において夢の経験と物理的な現実とは別のものとしておかなければならないように、二つのことがらを分離したままにしておくように自らを訓練していることになるからです。
 それに必要な鍵は、他の人たちとともに、協会における人智学運動に全面的に、そして真の意味で参加しようとするすべての人が、ある一定の魂の態度、意識状態を発達させる、ということです。もし、私たちがその態度、その意識を本当に自分に浸透させるならば、私たちは真の人智学的共同体を確立することになるでしょう。そのとき、人智学協会もまた繁栄し、実を結び、その約束に違わぬものとなるでしょう。