ルドルフ・シュタイナー

エソテリック講義の内容から
参加者の覚え書き
GA266

佐々木義之 訳

 


秘教講義 ベルリン12-18-1906


 今日は、三つのロゴイの本性について少し詳しく検討してみたい。多くの神智学者は神智学について多くを知る前にこれらのことがらについて語るが、これは混乱と損害をもたらすだけである。より高次の意識が人間の中に目覚めていない限り、三つのロゴイについての考えを本当に形成することはできない。とはいえ、将来に向けて、正しいイメージを形成することで、正しいヴィジョンを準備することはできる。すべて精神的なことがらは物理世界の上にも刻印づけられているので、これらのより高次の力に対応した物理世界におけることがらについて考えてみることにしよう。
 通常、人は五感を持っていると言われる。神秘学は嗅覚、視覚、聴覚の三つだけを数え上げる。味覚と熱感覚はこれらの間に横たわっている。私が何かの匂いを嗅ぐとき、特定の物質の非常に細かい粒子が私の鼻に取り込まれる。したがって、私は嗅覚において物質そのものを知覚する。一方、私が両眼で見るとき、私は眼の中の化学的な過程によって産み出される対象のイメージだけを知覚する。味覚は嗅覚と視覚の間にある感覚である。私が味わうとき、その対象の一部を私の中に取り込むが、嗅覚の場合のようにその部分を直接知覚するのではない。なぜなら、私は、それらを味わうために、まずそれらを化学的な過程にかけなければならないからである。聴覚においては、私が知覚するのは空気の振動であって対象物ではない。熱を感じるときにも特定の振動を知覚するのであるが、そのときは私の体全体が知覚するのに対して、聴覚における振動の知覚はそのための特別に発達した器官の中で生じる。
 三つのロゴイはこれら三つの感覚に関連している。第三のロゴスは非常に無私であって、その存在を世界に響き渡らせる。第二は自分自身を像の中へと流し込む。第一のロゴスはそれ自身の体を流出させる。人が自分自身の本質を流出させることができるとき、それは最高の段階における無私である。
 世界の始まりにおいて、第一のロゴスがその存在を流出させ始め、芳香が世界の空間を満たした。世界の芳香を第一のロゴスとしよう。あらゆる物質的なものはその体から始まった。それは世界の芳香である。そして、第二のロゴスが流出を開始し、世界の芳香に像と形態を織り込む。世界は形態を取り始め、光と色が点灯する。そして、発達する世界に第三のロゴスが鳴り響いた。世界の芳香が空間の中を流れ、すばらしい形態が点灯し、そして、このきらめき、芳香を放つ世界に第三ロゴスの音が打ち寄せたのである。
 このように、私たちは私たちの周囲の世界を三つのロゴイの流出として見ることができるようになり、そして、それによって少しずつそれらの真の本性に近づくことが可能となる。さて、ロゴスはそれぞれが自分だけで働くのではなく、それらはお互いが完全に生きて織りなし、それによって三つのそれぞれが他の二つの中で自らを表現するのである。とはいえ、私たちはそれら三つの影響を等しく知覚することはできない。それはそれらが異なる時期に流れ出すからである。
私たちの一連の惑星が最初に光を見たとき、第三のロゴスの流出が始まった。そして、その音は私たちの一連の惑星がその発達の終点に到達するとき、はじめて鳴りやむだろう。しかし、他の二つのロゴイの波が最初に流れ出したのは私たちの一連の世界の始まりにおいてではなく、それらは以前の世界進化から私たちのところへとやって来たのである。これら二つの流れる波は第三のロゴスよりも長い持続期間を有している。第二の流れは私たちの一連の惑星が「太陽」上でその目的に達する前に終わり、新しい流出が始まった。この新しい流出は実際に私たちもまたそれに向けて働いている私たちの惑星系に属している。第二のロゴスの新しい放射が十分に流出するずっと以前からそれは自らを準備していたのである。それはブッダ、ゾロアスター、ヘルメス、そして、その他の宗教創始者を世界にもたらしたような予備的な流れであった。第二のロゴスの光が最後に予備的な仕方で輝いたとき、それはキリスト・イエスの中で最も明るく輝いた。今、それが再び輝くとき、その存在を新たに放射するのは第二のロゴスそのものである。
 第一のロゴスの流れる波は第二のそれよりもさらに長い。既に第二のロゴスがしばらくの間並流していたとき、最初のロゴスの放射はちょうど止みつつあり、その新しい外への輝きを開始していた。それは実際にはそのときから私たちの惑星系列に属している。したがって、私たちにとって最も明確に知覚可能なのは第三のロゴスである。それは大きく、はっきりと鳴り響くので、もし、その本性を性格づけるとしたら、それは明確で母音的な音:Aであると言える。
第一と第二のロゴイはまた第三の中で共鳴し、第一と第三は第二の中で像として放射し、第二と第三のロゴイは第一のロゴスの中でそれらの芳香を流出させる。しかし、さしあたり私たちにとって知覚可能なのは第三のロゴスの中での第一と第二の相互作用だけである。したがって、もし、私たちが第三のロゴスの明確でかつ大きなAを聞くことができるならば、第二のロゴスの音をもその中に聞くことができる。
 私たちの第二のロゴスはまだ発達しているところであり、その調べは鈍いが、それでもUのように十分に母音的な響きである。未来に生じるだけの私たちの第一のロゴスは鈍く、子音的なMのように、静かでハミングするような低い音で共鳴する。AUMの中で表現される最も崇高な力の音とはこのようなものである。これらの非常に崇高な世界の力の本質に与る、というのが私たちすべての努力目標である。人間の魂が世界の進歩にとってどれほど価値があるかは、これらの力、つまりAUMにどの程度与っているかによる。

第一のロゴス

第二のロゴス

第三のロゴス

芳香

視覚

聴覚

物質

動き

古い月

古い太陽

古い土星

第三のロゴス、すなわち音は完全に物理平面上にある。私たちは音を発し、そして、それらを取り込むことができる。人は将来、彼がコントロールすることになる松果腺と血液によって、両眼で受け取る外的世界の像を再び形態として外に置くことができるようになるだろう。彼は像と形態を創り出すために自分で酸素を発生させ、心臓に行く青い血液を外の空気を使うことなく赤い血液に変換するだろう。彼がさらに無私になったとき、脳下垂体を用いて彼自身の物質を分泌し、その物質から存在を創造するとともに、それらを外に置くことができるようになるだろう。