ルドルフ・シュタイナー

「魂生活の変容−経験の道」(第二巻)(GA59)

佐々木義之 訳

第8講「人間の良心」

1910年5月5日)


今日の講義を個人的な思い出から始めることをお許し下さい。私が若かった頃の経験で、たいして重要ではないように見えながら、後になってしばしば楽しい思い出としてよみがえってくるような種類のちょっとした経験です。

 私は大学で文学史の講義に出席していました。その講義は、レッシングの時代における文化生活の特徴についての考察から始まり、18世紀の残りの部分と19世紀の一部を含む時代における様々の文学上の発展についてさらに議論する、という意図をもっていました。彼の最初の言葉は大変印象的でした。レッシングの時代における文化生活に現れた主要な革新を特徴づけるために、彼は「芸術的な意識が審美的な良心を獲得した。」と述べたのです。彼がこのように言うことによって意図していたのは(今はそれが正当なものであったかどうかを問う必要はないのですが)、おおよそ次のようなことでした。

 レッシングとその同時代人の努力に結びついていたところのすべての芸術的な考察や意図は、芸術を何か人生の単なる付加物あるいはその他大勢の単なる楽しみ以上のものにしたい、という深い熱望に浸透されていた。芸術はその名にふさわしく、人間のあらゆる存在形態における必須要素になるべきであった。偉大で実り多い人類の活動について語る声と協調し、聞くに値する人間の深刻な関心事のレベルにまで芸術を引き上げること、そのようなことがこの時代の先頭に立つ思索家たちの目的であった。審美的な良心がその時代の芸術と文学への道を見いだしていた、ということが強調されるとき、その講演者が言おうとしていたのはそのようなことでした。

 この指摘が色々な人の心の中に反映されるところの存在の謎を把握しようと努める魂にとって重要であったのは何故でしょうか?それは、芸術の概念とは高められるべきものであるとともに、人間生活のあり方とその運命全体にとってそれが重要であるということについては疑う余地がない、というような方法で表現されるべきものであったからです。芸術活動の重要性と意義については議論の余地がないところへと置

かれるように意図されていましたが、実際、「良心」という言葉によって示される経験とは、本当に、それが指し示すあらゆる状況が高貴なものになる、といったようなものなのです。言い換えれば、「良心」という言葉が話されるとき、人間の魂は、その言葉が魂自身の中で最も価値ある要素のひとつに言及しているのだということ、そして、その要素を欠くということは重大な欠乏を意味しているのだということに気づくのです。

それが文字どおり受け取られるか比喩として受け取られるかはともかく、「人間の魂の中で良心の声がするとき、それを語るのは神の声なのだ。」という言葉によって、いかにしばしば良心の重要性が問題にされてきたことでしょうか。そして、その人が高次の精神性に関与する準備がどんなにできていなかったとしても、良心とは何なのかについて何も考えてこなかった人を見つけることはほとんどできないでしょう。良心というものは、それが何であろうと、何が善で何が悪かを、すなわち、自分が納得するためには何をなすべきで、自分を見捨てないためには何をなすべきでないかを抗しがたい力を持って決定するするところの個々人の胸の内にある声として経験されるところのものである、ということは誰でもぼんやりと感じていることです。このことから言えるのは、良心とはすべての人の胸の内に何か聖なるものとして現れるものであり、それについてある種の意見を形成するのは比較的たやすい、ということです。

 しかし、人間の歴史とその精神生活にざっと目を通してみるならば、事態はそれとは異なってきます。この種の精神的な状況をより深く探求しようとする人ならば誰でも、当然、そのようなことがらに関する知識が前提になっていると考えられる人たち、つまり哲学者の意見を参考にしたいと思うでしょう。けれども、幅広い人間の関心事の全般にわたってそうであるように、この場合にも、彼は、様々の哲学者が良心について非常に異なった説明をしている、あるいは、そう見えるけれども、その多かれ少なかれ漠とした核心はどの場合にも同じようなものである、ということを見いだすでしょう。しかし、そのことが最悪であるわけではありません。もし、誰かが古代の、そして現代の哲学者にとって良心が何を意味しているのかをわざわざ調べてみるとるならば、彼はあらゆる種類の非常に洗練された、そしてまた理解するのが難しい多くの言葉に出会うかも知れません。しかし、彼は、自分の感情から、これが良心だ、と疑問の余地なく言えるであろうようなものは何も見いださないでしょう。

 もちろん、ここで人類の哲学上の指導的な人物たちによって何世紀にもわたって与えられてきた良心についての説明を総括するならば、それは行き過ぎになってしまうでしょう。ただ、中世の最初の3分の1以降の中世哲学を通して、良心が話題にされるときにはいつでも、それは人間の魂の中にある、人がなすべきこととしないでおくべきことを直ちに宣告することができる力である、と言われてきたことに注目することができます。けれども、これらの中世の哲学者たちはこの魂の力の根底には何か別のもの、良心そのものよりもよりも繊細な性質を持つ何かがある、とも語ります。ここでしばしば取り上げられる人物、マイスター・エックハルトが告げるのは、良心の下に横たわる小さな閃光、もしそれが留意されさえすれば、善悪の法則を間違いのない力をもって宣言するところの魂の中の永遠の要素についてです。

 近代においても、私たちは再び良心についての実に様々な説明に出会います。そして、その中のいくつかは奇妙な印象を与えるのですが、それはそれらが明らかに私たちが良心と呼ぶところの神的な内なる声の重大な本性について気づいていないからです。良心とは人間が人生における経験を絶えず拡張していくことによって、彼にとって何が役に立ち、何が害があり、何が満足を与えるか等々について学ぶとき獲得できるようなものである、とする哲学者たちがいます。これらの経験の総計が「これをせよ、それをするな。」という評価を生じさせるというのです。

 他の哲学者たちは最高の称賛の言葉をもって良心について語ります。そのような哲学者の中に、とりわけすべての人間の思考と存在の基本的な原則としての人間の自我(一時的な個人的自我ではなく、人間の中の永遠の本質)を指し示した偉大なドイツの哲学者、ヨハン・ゴットフリート・フィヒテがいます。とりわけ彼は、人間自我にとっての最高の経験とは、「お前はこれをすべきである。何故なら、それをしないということはお前の良心に反することなのだから。」という内的な判定に耳を傾けるときの良心の経験である、と考えていました。彼はこの判定の威厳と高貴さは超越しがたいものである、と信じていました。フィヒテは人間自我の力と意義を最高度に強調した哲学者であったとはいえ、良心を自我の最も重要な衝動として位置づけたところに彼の特徴があるのです。

 さらに現代に近づけば近づくほど、そして、思考が唯物的になればなるほど、人間の心の中でというより、多かれ少なかれ唯物主義に染められた哲学者の思考の中で、良心がますますその尊厳を剥奪されていくのが見いだされます。この傾向を説明するにはひとつの例をあげれば十分でしょう。

 十九世紀の後半に、魂の高貴さ、調和のとれた人間的な感情、寛大で広い心のゆえに、最も洗練された人物のひとりに数えられるべき哲学者が生きていました。私はバーソロミュー・カルニエリのことを言っているのですが、彼は今日ではほとんど言及されることはありません。皆さんが彼の著作に目を通されるならば、彼はその繊細な性質にもかかわらず、当時の唯物的な思考に深く染められていた、ということが分かります。良心に関してはさてどうしたものか、と彼は問います。彼は言いいます。それは、基本的には、我々がごく若い頃に吹き込まれ、人生の経験を積むにしたがって強化されるところの習慣と評価の総計以上のものではない。我々がもはや意識していないこれらの影響が、「これをせよ、これをするな。」という内なる声の源泉なのだと。

 こうして、良心はその源泉を外的な影響と習慣に求められ、しかも、それらは非常に狭い範囲に限定されてしまいます。もっと唯物的な志向をもつ19世紀の何人かの哲学者はさらに先に進みます。例えば、かつてニーチェに大きな影響を及ぼしたポール・レーですが、彼の書いた良心の起源についての本は私たちの時代の世界観を示す徴候として興味深いものです。彼の考えは(簡単な描写においては細かい点でのいくらかのゆがみはつきものですが)おおよそ次のようになります。ポール・レーが言うには、人間は彼のすべての能力において発達している、したがって良心に関しても発達している。もともと人間は私たちが良心と呼ぶところのものの痕跡も持っていなかった。良心が永遠のものであると考えるのは大変な偏見である。レーによると、私たちに何かをするように、そして何かをしないように告げる声はもともとは存在していなかったのです。けれども、人間本性の中には実際に発達してきたところの何か別のもの、復讐への本能とでも呼べるようなものがあった。これはあらゆる衝動の中でも最も原始的なものであった。もし誰かが別の者の手で苦しみを受けたならば、復讐の本能が彼に仕返しをするように駆り立てた。社会生活がより複雑になるにしたがって、徐々に復讐の遂行は支配権力の手にゆだねられた。それで人々は、他の人間を傷つけるようないかなる行いも、当然、以前に復讐心を呼び起こしていたような何かが引き起こしたのだと信じるようになった。結果を引き起こした行いは別の行いによって再び沈静化されなければならなかった。ときがたつにしたがって、この確信は特別な行為への感情、あるいはもっと言えば、そのようなことをしてしまいたいような誘惑の感情を伴うようになった。復讐への当初の衝動は忘れられたが、害を与えるような行いはその報いを受けなければならない、という感情が人間の魂に染み込んでいった。そうして今、内なる声を人間が聞いていると信じるとき、これは実際、内的な形態を持つように変化させられた復讐の呼び声以外のものではない、と。ここにあるのは、この種の説明の極端な−極端なというのは良心が完全な幻想として示されているという意味でですが−例です。

 他方、良心は人間が地上に生きてきたのと同じくらい長く存在している、言い換えれば、良心はある意味で永遠である、と断言するならば、それはあまりに行き過ぎである、ということを私たちは認めなければなりません。良心をより精神的に考える人も良心を純粋な幻想とみなす人も両方とも間違いを犯しているがゆえに、たとえそれが私たちの毎日の内的な生活に、そして実際、その聖なる部分に属しているとしても、そのことに関して何らかの合意に達するのはいずれにしても非常に困難なことなのです。

 哲学者たちを一瞥するだけで、以前の時代には、彼らの中の最高の人たちでさえ、今日私たちが良心についてそのように考えざるを得ないような仕方とは違った方法でそれについて考えていた、ということが示されます。と申しますのも、私たちは、良心とは最も素朴な人の胸の内からさえ、神的な衝動として、「お前はこれをすべきである−それはしてはならない。」と語りかける声であると言いますが、これはソクラテスやその後継者プラトンにおいて私たちが見いだすところの教えとはいくらか異なっています。彼らは両方とも、徳は学ぶことができると主張しています。実際、ソクラテスは、人間が自分は何をすべきか、そして何をすべきではないかについて、はっきりとした考えを形成するならば、徳とは何なのかについての知識を通して、徐々に正しい行為を学ぶことができると言います。

 さて、現代的な観点からみて、もし、私たちが正しく行動することができるようになるためには、何が正しく、何が悪いかを学ぶまで待たなければならないとすれば、それは困ったことであろうという反論が容易になされるかも知れません。つまり、良心が人間の魂の中にある基本的な力によって、「お前はこれをしなければならない、それをしてはならない。」と語り、ひとりひとりがそれを聞くのは、私たちが善悪についての考えを形成することを学び、そしてそれによって道徳的な教訓を定式化し始めるずっと前なのだ。そしてさらに言えば、良心とは、人が自分に「お前は何かお前が同意することができるようなことをした。」と言うことができるような場合、その魂に一定の平静さをもたらすものなのだ。我々の振る舞いに関して同意できるような評価に到達するために、徳の本性と性質について多くのことを学ばなければならないとすれば、それは都合の悪いことだ、と多くの人々が言うかも知れません。ですから、その死により彼の哲学が最高のもの、高貴なものになった哲学者、私たちが哲学の殉教者として尊敬する哲学者は−私はソクラテスのことを言っているのですが−、良心について、今日見られるような観点とはほとんど符合しない概念を私たちの前に示している、と言うことができます。そして、その後に現れるギリシャの思索者においてさえ、完全な徳とは学ぶことができるような何かであるという主張、つまり原初的で基本的な良心の力というものと合致しない教義がいつも見いだされるのです。

 では、ソクラテスのようにあれほど傑出し、力強い人物が、今日、私たちが有しているような良心についての考えに気がつかないというようなことが何故あり得るのか、つまり、私たちが彼について研究するときにはいつでも、プラトンも言っているように、最も純粋な道徳性と最高の徳が彼の言葉を通して語っていると感じるにもかかわらず、何故そういうことがあり得るのでしょうか。それは、今日では生来のものであるかのように感じられる考え、概念、そして内的な経験が、実際には、人間の魂によって、ときの流れの中で苦労して獲得されたものだからです。私たちが人類の精神生活を過去へと遡るとき見出すのは、太古の時代には、良心についての私たちの考えやそれに対応する感情は今のようなあり方では存在していなかった、したがって、ギリシャ人の間にも存在していなかった、ということです。良心は実際、「生まれた」のです。しかし、例えば、ポール・レーがそうであったように、外的な経験や学識のような安易な方法では、良心の誕生について何ひとつ学ぶことはできません。人間の魂についての啓発を得ようとするならば、その問題にもっと深く分け入って行かなければなりません。

 さて、この連続講義における私たちの仕事は、魂をより高い認識のレベルにまで引き上げることから来る光の助けを借りて、正に魂の構成を照らし出す、ということでした。つまり、先見者の内的な目、感覚世界だけの知識を得るのではなく、その感覚世界のヴェールの後ろにその第一義的な源泉、精神的な基礎が見出される領域を見るところの目に対して自らを現すような魂の生活全体が記述されました。そして、先見者の意識は私たちが日常生活で経験する魂的生活の上方に位置する魂のより深い領域への道を開く、ということが繰り返し−例えば、「神秘主義とは何か?」の講義の中で−示されました。私たちは、日常生活においても、私たち自身をのぞき込み、思考、感情、そして意志に関する経験に出会うとき、このより深いレベルについて何らかのことを知ることになると信じているけれども、通常の目覚めた状態では、魂は精神的なものの外的な側面を明らかにするに過ぎないということもまた指摘されました。もし、私たちが、見たり、聞いたり、脳で理解したりするあらゆるものの背後に現れるような、これらの外面的なものの基礎となる原因を見出そうとするならば、感覚世界の上にかけられたヴェールの後ろへと貫き至らなければならないように、もし、私たちが私たち自身の生活の精神的な基盤を知ろうとするならば、私たちは私たちの思考、感情そして意志の背後にあるもの、つまり、通常の内的な生活の背後にあるものを見なければなりません。

 以上のような点から出発して、私たちは、多くの分岐によって織りなされる人間の魂の生活に光を投げかけるという仕事に取りかかりました。私たちが見てきたのは、魂は三つの構成体から成り立っていると考えられるべきであるということ、それらは区別されなければならないとはいえ(この点に注意していただきたいのですが)お互いに全く別々に取り扱われるべきではないということです。私たちは、これらの構成体を感覚魂、悟性魂、そして意識魂と名づけました。そして、それらを結びつける統合点としての自我がまるで道具を糸で操るかのようにそれらに働きかけ、無限に多様な方法で共鳴させることによって、いかに協和音や不協和音を奏でるかを見てきたのでした。この自我の活動は段階を追って発達してきました。そして、もし、人間が未来においてどのようなものになり得るのかを垣間見るとすれば、あるいは、今日においてさえ、もし、意識魂の中からより高次の超感覚的な意識形態を発達させているとするならば、私たちは今日の意識や魂的生活が、いかに太古の昔から進化してきたものであるかを理解することになります。

 意識魂はその通常の状態において、私たちが感覚を通して知覚した外的世界を把握することができるようにします。もし、誰かが感覚世界のヴェールの後ろに貫き至ることを欲するならば、彼は彼の魂の生活をより高次のレベルに引き上げなければなりません。そのとき彼は何か魂の覚醒といったようなこと、つまり、生まれながらに盲目の人に施された手術が成功し、それまで知らなかった光と色の世界が彼に侵入してくるという成果に比べられるようなことが起こり得るのだという大いなる発見をするのです。正しい方法によって自分の魂をより高次の発達段階に引き上げる人についても同様です。私たちが普通の状態では無視してきたにもかかわらず、いつも私たちの周囲を群をなして飛び回っているあれらの要素が、それを知覚するための新しい器官を私たちが獲得したことにより、その豊かな存在性と活動をもって私たちの魂的生活の中に入り込んでくる瞬間がやって来るのです。

 ある人がこの種の意識的な見霊能力を訓練によって獲得するときには、彼の自我は最初から終わりまで完全に存在しています。このことが意味しているのは、彼が私たちの感覚世界の基礎をなす精神的な事実や存在の間を、ちょうど物理的な世界の中にある机や椅子の間を縫っていくように動き回るということ、そして今や、彼は、彼の感覚魂、悟性魂、そして意識魂の経験を通して彼を導いてきたところの自我を魂的生活のより高次の領域へともたらす、ということです。

 さて、自我によって照らされ、点火されるこの意識的な超感覚的能力から魂の通常の生活にもう一度目を向けてみましょう。自我はこれら三つの魂の構成体の中で、実に様々の方法で生きています。もし、ここに感覚魂の中から生じる欲望や熱情、本能的な衝動に自分の生活を譲り渡す男がいたとしますと、彼の自我はほとんど活動的ではない、それは感覚魂の打ち寄せる波のただ中にあるかすかな炎のようであり、それらにうち勝つ力をほとんど有していない、と言うことができます。自我は悟性魂の中である程度の自由と独立を獲得します。ここにおいて彼は彼自身に至るのであり、そのことによって彼は彼の自我をある程度認識するのです。何故なら、悟性魂は人間が感覚魂を通して彼のところにやって来る経験を内的な落ち着きの中で熟考し、洗練させる限りにおいてのみ発達することができるからです。自我はますます光を放つようになり、ついには意識魂の中で十全なる明晰さを獲得します。そのとき、人は「私は自分を把握した−私は真の自意識を達成したのだ。」と自らに言うことができます。人が感覚魂から悟性魂へと発展し、意識魂の中で働くようになって初めてこの段階の明晰さが自我において達成されるのです。

 けれども、もし、人が自我の中で意識魂を越え、より高次の魂の原則と比べられるような超感覚的な意識へと上昇することができるとすれば、私たちは、先見者が人類進化の過程を振り返り、「自我は、こうして正により高次の魂の段階へと上昇していくのと同じく、ある低次の状態から感覚魂の中へと入ってきたのだ。」と私たちに告げるのをよく理解することができます。私たちは魂の構成体−感覚魂、悟性魂、そして意識魂−が、いかに体的な組織の構成体−肉体、エーテル体、そしてアストラル体もしくは感覚体−と関連づけられているかを見てきました。皆さんはこのことから−精神科学が示すように−、自我が感覚魂へと上昇する以前には、感覚体の中で活動しており、さらにそれ以前にはエーテル体と肉体の中で活動していた、ということを理解できるのがお分かりでしょう。当時、自我はまだ外側から人間を導いていました。それは体的な生活の闇の中で支配しており、人間はまだ自分自身に関して「私」ということができず、自分自身の内にその存在の中心点を見出していませんでした。太古の時代に支配し、人間の外的な体的組織を作り上げたこの自我について、私たちはどのように考えればよいのでしょうか?今日、私たちが私たちの魂の中に担う自我に比べて、それはより不完全なものであったと見なすべきなのでしょうか?

 私たちは自我を、私たちの存在の現実的な内的焦点として、つまり、私たちに内的な生活を付与し、未来においては、訓練により、無限に進歩することができるものとして眺めます。私たちはその中に私たちの人間本性の縮図と、人間としての尊厳を保証するものを見ます。さて、私たちがこの自我についての意識を有していなかったとき、自我が世界の暗い精神的な力から私たちに働きかけていたとき、それはそれが今日そうであるようなものと比べてより不完全だったのでしょうか?全く抽象的な思考方法だけが、そうであったと言うことができるでしょう。

 私たちの肉体について考えてみて下さい。私たちはそれを、人間の魂の住居として太古の昔に精神的な世界から形成されたものとして眺めます。唯物的な精神だけが、この人間の体は元々精神から生まれたのではない、と信じることができでしょう。単に外的な観点から見るときには、肉体は奇跡的に完全なものとして現れるに違いありません。人間の心臓の構造に現れた叡知に比べて、私たちの知的な能力や技術的な熟練のすべてとは結局どれほどのものなのでしょうか?あるいは、橋の建設で用いられるエンジニアリング技術やその他のものを取り上げれば−人間の大腿骨の構造、その支持機構を顕微鏡で観察したときの驚くべき十字構造に比べて、それは何ほどのものなのでしょうか。外的な肉体の構成に固有の叡知を人間がわずかでも達成したと想像するならば、それは全く際限のない傲慢でしょう。そして、私たちの魂的生活について、ただ単に私たちの本能、欲望そして熱情だけでも考えてみてください−それらはどのように機能しているでしょうか?私たちは、私たちの体の叡知に満ちた組織を内的に浸食するために、私たちにできるあらゆることをしているのではないですか?実際、もし、私たちが偏見なしに私たちの肉体組織の驚異を考えるならば、私たちの体的な構造とは、私たちがその内的な生活において示すことができるあらゆることに比べて、もっとも私たちは、それらが現在の不完全さから完成にむけてさらに前進することを望んでいるかも知れませんが、はるかに賢いものである、ということを認めないわけにはいきません。観察可能な事実を単に偏見なく見るとすれば、たとえ超感覚的な能力がなくても、これ以外の結論に至ることはほとんど不可能でしょう。

 自我の住居として人間の体を作り上げたのは自我自身の本性と何か共通したものを有しているはずのこの賢明な活動ではないでしょうか?私たちはこの形成的な力を、測り難く進歩した自我の性質を有するものとして考えなければならないのではないでしょうか?私たちの自我に関係した何かが、太古の時代を通して、その自我が居住可能になるような構造を建設するために働いていた、と言わなければなりません。これを信じることを拒否する人は誰でも何か違うことを想像するかも知れませんが、そのとき彼は人間が住むために建てられる普通の家も人間の精神によってデザインされたのではなく、単に自然の力の働きによって組み立てられた、と想像しなければならないでしょう。ひとつの仮定は他の仮定と同様に真実です。こうして私たちは、どこまでも完全な自我性を付与された精神的な力が私たちの体的な鞘に働きかけていたところのはるかな過去を振り返ります。私たちの自我は、当時、無意識の深みに隠されており、そこから現在の意識状態へとその歩みを進めて来たのです。

もし、私たちがこの進化をはるかな過去から眺めるとすれば、自我がまるで子宮の暗闇の中にあるようにその鞘の中に隠されていたときには、それはそれ自身についての知識を有していなかったとはいえ、それだけよけいに、私たちの体的な乗り物に働きかけていたところの、人間の自我に関連しているとはいえ、それとは比較できないほど大きな完成度を有するあの精神的な存在達の近くにいた、ということが分かります。こうして超感覚的な洞察は、人間が精神的な生命そのものの中に横たえられていたためにまだ自我意識を獲得しておらず、彼の魂的生活もまた、自我がそこから現れた魂的力のずっと近くにいたために、今とは異なっていたはるかな過去を振り返ります。私たちはまたその時代の人間の中に、自我の光に照らされていなかったためにぼんやりと夢のように機能していた原初の超感覚的な意識を見出します。そして、自我が最初に現れたのはこの意識形態からだったのです。人間が、未来において、彼の自我とともに獲得するであろう能力は、太古の時代には、自我なしに存在していたのです。超感覚的な意識は、精神的な存在や精神的な事実を周囲に観察する、ということを必然的に伴っているのですが、このことは、その超感覚的な能力が夢のようであり、まるで夢の中でのように精神世界を眺めていたとはいえ、以前の人間にも当てはまります。彼はまだ自我の光に貫かれていなかったために、精神的なものを見ようとしたときにも、彼の内に留まるように強制されることはありませんでした。彼は彼の周囲に精神的なものを見ると同時に、彼自身を精神世界の一部として眺めたのです。そして、彼が何をしようとも、それは彼にとって精神的な性格を帯びたものになりました。彼が何かを考えるとき、彼は自分に向かって、今日の人間がそうするように、「私は考える。」とは言わなかったでしょう。つまり、彼の思考は彼の超感覚的な視界の前で立ち止まったのです。そして、彼が何らかの感情を経験するため、彼自身の中を覗き込む必要はありませんでした。つまり、彼の感情は彼から輝き出し、彼を彼の精神的な環境全体に結びつけたのです。

 太古の時代における人間の魂的生活とはそのようなものでした。彼は、彼自身に至るために、つまり、彼の中で、今日まだ不完全な状態にあるとはいえ、人間が彼の自我とともに精神世界への歩みを進めるとき、未来においてますます完成に近づくであろう彼の存在におけるあの中心点に至るために、彼の夢のような超感覚的な意識から内的に発達して来なければなりませんでした。

さて、もし、既に述べられたような方法で、超感覚的な手段により、あの太古の時代に光が投げかけられるならば、当時の人間の意識に関して、例えば、人間が悪い行いを犯した場合には、先見者は私たちに何を告げるでしょうか?彼の行いは、彼が内的に評価できるような何かとして彼に提示されたのではありません。彼はそれが彼の魂の前に、その悪徳と恥辱のすべてを伴って幽霊のように立ち現れるのを見たのです。そして、彼の悪しき行いに関する感情が彼の魂の中に生じたときには、その恥辱が彼の前に精神的な現実として現れることによって、彼はまるで彼が働いた悪い行いの光景に取り巻かれているかのようでした。

そして、時の経過とともに、この夢のような超感覚的な能力が消え、人間の自我がますます前面に出てきました。人間が自分の内にその存在の中心点を見出すにつれて、古い超感覚的な能力は消し去られ、自我意識がますますはっきりと自らを確立するようになったのです。彼が以前に有していた彼の善行や悪行についての視界は彼の内的な生活の中に移し替えられ、そして、かつて超感覚的に眺められた行為は彼の魂の中で反射されるようになったのです。

 さて、夢のような超感覚的な視界には、人間の悪い行いに対応するものはどのような形を取って現れたのでしょうか?それは、いかに彼が宇宙的な秩序を妨害し混乱させたかを示すような光景であり、彼を取り巻く精神的な力が彼に有益な影響を及ぼすことを意図して彼に示した光景でした。それは、彼を上昇させようとする神が、彼の行いによる影響を彼に示し、彼がその有害な結果を取り除くことができるようになることを望んで取られた措置でした。これは、実際、彼にとっては恐ろしい経験でしたが、人間自身がそこから現れたところの宇宙的な基盤からやって来る基本的に有益な経験でした。人間が自分自身の内にその自我中心を見出す時代が来たとき、外的な光景は反射された像の形で彼の魂の中に移されました。自我が最初に感覚魂の中に出現するとき、それは弱く、脆いものです。人間はその自我の完成に向けて徐々に前進するために、まず自分自身にゆっくりと働きかけなければなりません。さて、彼の悪事の結果についての外的、超感覚的な視界が消えたとき、もし、それが有益な影響を持つその内的な対応物によって置き換えられなかったとすれば、何が起こっていたでしょうか?彼は彼の熱情によって、まだ脆い彼の自我とともに、まるで際限のない波打つ海の中にあるかのように、感覚魂の中をあちこち引きずり回されていたことでしょう。では、この歴史的な瞬間に、外的世界から内的な魂の生活へと移されたものとは何なのでしょうか?人間が何を善なるものにすべきであるかをその超感覚的な意識の前に示しながら、その行為の有害な効果を治癒的な影響としてもたらしたのが偉大なる宇宙の精神であったとすれば、後に、人間の自我がまだ弱かった頃、その内的な生活の中に力強く自らを現したのもその同じ宇宙の精神でした。その精神は、超感覚的な視界を通して人間に語りかけた後、彼の内的な生活の中へと引き下がり、宇宙秩序の中に引き起こされたゆがみの是正について語るべきことを彼に伝えました。人間の自我はまだ弱いので、その宇宙精神は絶えることなく、眠ることなくそれを監視し、自我がまだ判断できない場所で判断を下します。その弱い自我の後ろには、何か力強い宇宙精神の反映のようなもの、以前は、人間の行為の結果を超感覚的な視界を通して彼に示していたものが立っているのです。そして今や、その反映は、彼を監視する良心として経験されるのです。

こうして私たちは、良心が人間の内なる神の声として素朴に記述されるとき、いかにそれが真実であるかを理解すると同時に、いかに外的な光景が内的な経験になった瞬間、つまり、良心が生まれた瞬間が精神科学によって指し示されるかを見るのです。

 今まで私がお話ししてきたことは純粋に精神世界から引き出されることができます。外的な歴史は必要でなく、私が記述した事実は内的な目によって観察されるのです。それを見ることができる人は誰でもそれを疑う余地のない真実として経験するのですが、時代の必要性から私たちは次のような問いに導かれます。一体、外的な歴史は、この場合、内的な能力によって見られる事実を確認するような何かを、もしかすると提示することができるのだろうか?

 超感覚的な意識によって見出されるものは、いつでも外的な証拠によって検証され得るのであって、その証拠がそれらと矛盾するのではないかと恐れる必要はありません。そのようなことは検証が不正確であった場合にのみ起こり得るように見えるのです。超感覚的な洞察からここで導き出された記述を外的な事実がいかに確認するかを示す一例を示してみましょう。

良心の誕生というできごとが起こってからそれほど長い時間は経っていないのです。紀元前5世紀から6世紀を振り返るならば、私たちは古代ギリシャの偉大な悲劇詩人、アイスキュロスに出会い、そして、彼の作品の中に、ある特筆すべきテーマを見出します。そのテーマが注目されるのは、それが後の時代のギリシャ詩人によって全く異なった仕方で取り扱われているからです。

アイスキュロスが私たちに示すのは、アガメムノンがトロイから帰還し、家に帰り着いたとき、彼の妻、クリテムネストラに殺されるところです。彼の息子、オレステスは神の忠告にしたがって母を殺し、アガメムノンの仇討ちをします。では、オレステスにとって、この行為の結果とはどのようなものなのでしょうか?アイスキュロスが示すのは、いかに母殺しの重荷が当時もはや普通ではなくなっていたものの見方をオレステスの中に呼びさますかです。彼の罪の非道さが古い超感覚的な能力を過去からの遺産のように彼の中に目覚めさせたのです。オレステスは次のように言うことができました。「アポロが、神自身が私に告げたのは、私が母に父の仇討ちをしたのはひとつの行為にすぎないということだ。私が行うあらゆることがそれを是とする。しかし、私の母の血は働き続けるのだ!」と。そして、オレステス三部作の第二部で、古い超感覚的な能力がオレステスの中で目覚め、仕返しの女神、エリニエス−あるいは、後にローマ人がそう呼んだところの復讐の女神−が近づいてくる様子が力強く示されます。

オレステスは夢見るような超感覚的な意識の中で、外的な形態を取って現れる母殺しの行為の結果を目の当たりにします。アポロはその行為を容認していたのですが、そこには何かより高次のものが存在しているのです。アイスキュロスはもっとさらに高次の宇宙的な儀式が通用することを示したかったのですが、それができたのはただその瞬間にオレステスを超感覚的な意識にすることによってのみでした。何故なら、彼はまだ私たちが内なる声と呼ぶところのものをドラマ化するのに十分なところまで来ていなかったからです。もし、私たちが彼の作品を研究するならば、何か良心のようなものが人間の魂の内容全体から現れようとしている段階にありながら、彼はその地点には全然到達していない、という感じを受けます。彼はまだ良心へと変容していない夢のような超感覚的な眼差しをもってオレステスに向かいます。けれども私たちには、彼がもう少しで良心を認識するところにいるのが分かります。例えば、彼がクリテムネストラに語らせる言葉のひとつひとつが、まぎれもなく、彼は今日の意味での良心という考え方を示すべきである、という感情を呼び覚ますのですが、彼は決してそこに行き着きません。当時、偉大な詩人が示すことができたのは、それ以前の時代においては、いかに悪い行いが人間の魂の前に立ちはだかったか、ということだけでした。

 さて、私たちはソフォクレスをとばして、ほんの一世代だけ後に同じ状況を取り扱ったエウリピデスに目を向けてみましょう。学者達が正しく指摘したように−とはいえ、精神科学だけがそのことをその真の光の中で示すことができるのですが−、エウリピデスにおいては、オレステスが経験した夢の像は良心の呵責の影のようなイメージ以上のものではありません−シェークスピアにおいてもいくらか同様です。このように、詩という芸術は良心という考えが確立した段階があったことをはっきりと証明しています。私たちは、いかにアイスキュロスのような偉大な詩人でさえ良心そのものについて語ることができなかったかを、そしてその一方、いかに彼の後につづくエウリピデスが正にそれについて語るかを見ます。この発展を心に留めれば、何故、人間の思考一般が良心についての真の概念に向かってただゆっくりとその歩みを進めることができるだけなのかが分かります。現在、良心の中で働いている力は太古の時代にも働いていました。それは人間の超感覚的な視界の前に彼の行いの影響を示す像として現れました。唯一の違いは、この力が内在化されたということなのですが、それを内的に経験するためには、徐々に良心の概念へと導いていった人間の発達全体が必要でした。

 こうして私たちは、段階を追って前面に出てくる能力、人間自身の努力によって獲得されなければならない能力を良心の中に見るのです。では、私たちは良心の最も力強い活動をどこに探すべきなのでしょうか?それは人間の発達過程の中でも、自我が初めて認知されるようになった時点、それがまだ弱いものであった時点においてです。古代ギリシャでは、自我は悟性魂の段階にまで進んでいました。しかし、古代エジプト、カルディアにまで遡ると−外的な歴史はこのことについて何ひとつ知りませんが、プラトンとアリストテレスはそれについての超感覚的な認識をもっていました−、当時の最も高度に発達した文化でさえ、内的に独立した自我の存在なしに達成されたものであるのが分かります。エジプトやカルディアの聖地によって育まれ、使用に供された知識と私たちの近代的な科学との違いは、私たちの科学が意識魂によって把握されるのに対して、ヘレニズム以前の時代においては、すべてが感覚魂からのインスピレーションに依存していた、ということです。古代ギリシャにおいて、自我は感覚魂から悟性魂へと発達しました。今日、私たちは意識魂の時代に生きているのですが、これは真の自我意識が今初めて生じている、ということを意味しています。人類の進化を研究する人、特に、東洋的な文化から西洋的な文化への移行を研究する人は誰でも、いかに人間の発達がどこまでも増大する自由と独立の感情によって特徴づけられてきたかを見ることができます。以前の人間においては、自分は神々とそこからやって来るインスピレーションに完全に依存していると感じられていたのに対して、西洋において初めて、文化が内的な生活から湧き出してきたのです。

 このことは、例えば、アイスキュロスが人間の魂の中に自我意識を生じさせようとしていかに苦闘したかを見れば特に明らかです。私たちは彼が片方の目を東洋に、もう片方を西洋に向けて、人間の魂の中から良心の概念へと統合されるべき要素を集めながら、いかに東洋と西洋の境界線上に立っているかを見ます。彼はこの良心の新しい形態を劇の形に体現させようと努力しますが、まだ充分にそうすることができません。比較は混乱を招きやすく、私たちは単に比較するのではなく、区別しなければなりません。大事なのは、西洋においては、あらゆるものが自我を感覚魂から意識魂へと上昇させるようにデザインされていた、という点です。東洋においては、ヴェールをかけられたあいまいさの中で自由ではなかった自我は、西洋において、それとは対照的に、意識魂への上昇の道を辿るのです。古い、夢のような超感覚的能力が消し去られるとき、他のあらゆるものが自我を目覚めさせ、その自我を守る内なる神の声としての良心を呼び起こそうとします。アイスキュロスは東と西の世界を分ける礎石だったのです。

 東の世界では、人間は神的な宇宙精神の中にその起源を有しているという意識がいきいきと保持されていました。そして、このことが彼らに、多くの人が−あるいは、例えばアイスキュロスが−神の声として語られる何かを彼ら自身の内に見出そうと努力した時代から二、三百年後に起こったできごとについての理解を可能にしたのです。すなわち、このできごとによって、地球と人間の進化の中に入ってきた衝動の内、すべての精神的な立場からみて最も偉大な衝動−私たちがキリスト衝動と呼ぶところのものが人類にもたらされたのです。

 神すなわち事物や人間の外的な鞘の創造主は私たちの内的な生活の中に認められる、ということを初めて人間に気づかせることができたのがこのキリスト衝動でした。人間はキリスト・イエスの神的な人間性を理解することによってのみ、神の声とは魂の中で聞くことができるものである、ということを理解するようになったのです。キリストは、人間が自分自身の内的な生活の中に何か神的な本性を見出すことができるようになるために、外的、歴史的なできごととして人類進化の中に入ってくる必要があったのです。もし、神なる存在であるキリストがナザレのイエスの体の中に存在しなかったとすれば、もし、彼が人間の体の中に存在することによって、神は我々の内的生活の中に認められ得るものである、ということをたった一度だけ示さなかったとすれば、もし、彼がゴルゴダの秘蹟を通して死の征服者として出現しなかったとすれば、人間は、彼の魂の中には神が住んでいる、ということを決して理解しなかったでしょう。

 もし、誰かが、たとえキリスト・イエスが歴史的に存在しなかったとしても、そのようなことは認識できたはずだと言うならば、それは太陽がなかったとしても我々は目を持っていたはずだと言うのと同じです。もし、光の起源は目に求められなければならない、何故なら目がなければ我々は光を見ることができないのだから、という哲学者達の一方的な見方に反対してそうするのと同様に、私たちはここでも、「目は光のために光によって創造された。」というゲーテの金言を持ち出さなければなりません。もし、空間を光で満たす太陽がなかったとすれば、人間有機体の中に目が発達することは決してありませんでした。目は光によって創造されたのであり、もし、太陽がなければ、目は存在しなかったのです。どんな目も、まず最初に太陽からその力を受け取っていないのであれば、太陽を知覚することはできません。同様に、もし、キリスト衝動が外的な歴史の中に入ってこなかったとすれば、キリスト衝動を把握し、認識する力は存在しなかったのです。宇宙にある太陽が人間の視覚に対して行ったのと同様に、歴史上のキリスト・イエスは、私たちが私たちの内的生活への神的本性の導入と呼ぶところのものを可能にします。

 このことを理解するために必要な要素は東からやって来た思考の流れの中に存在していました。それらはただより高次のレベルに引き上げられればよかったのです。魂がこの衝動を把握し、受け入れることができるまでに成熟したのは西洋においてでした。西洋においては、かつて外的な世界に属していた経験が最も強力に内的な世界に移し替えられ、概して弱かった自我を良心の形で見張っていました。このようにして魂は強化され、今やその中で語る良心の声を聞くための準備ができました。つまり、東洋において、世界を超感覚的に見ることができた人々の前に現れた神性、この神性は今や私たちの中に住んでいるのです!

 けれども、もし、内的な神性が意識の夜明けに際し、前もって語りかけていなかったとすれば、このようにして準備されていたものが意識的な経験になることはなかったでしょう。こうして私たちは、キリスト・イエスに対する外的な理解が東洋で生まれ、そして、西洋から現れ出た良心がやって来てそれに出会うのを見るのです。例えば、私たちは、キリスト教の時代の初期に、ローマ世界においてますます頻繁に良心が語られるようになり、西に行けば行くほど、ますますその存在に対する認識が明白になるとともに、それが胎児のような形で存在しているのを明らかにすることができるようになるのを見ます。

 こうして、東と西はお互いにそれぞれの手の中へと働きかけました。私たちはキリスト本性を有する太陽が東方に昇り、一方、西方では、発展する良心がキリスト理解への道を準備するのを見ます。ですから、キリスト教は栄光に満ちて西方へと前進するのであって、東方へではありません。東方では、東洋的な世界観の−その最も高いレベルにあるとはいえ−最後の結果を代表する宗教が広まるのが見られます。つまり、仏教が東方世界を捉えます。キリスト教が西方世界を捉えたのは、それがキリスト教を受け取るための器官をまず準備していたからです。ここにおいて私たちはキリスト教が西洋文化における深化された要素すなわちキリスト教に体現された良心という概念に関係してくるのを見ることになります。

 私たちがこれらの発展について知るようになるのは、外的な歴史を研究することによってではなく、事実を内的に熟考することによってのみです。私が今日申し上げましたことは多くの人にとっては信じられないことかも知れません。しかし、外的な現象の中に精神を認める、というのは時代の要請です。ただし、このことが可能なのは、少なくとも、精神がはっきりとしたメッセージの形で私たちに語りかけてくるところで、さしあたりそれを識別することができるときだけです。通常の意識は、「良心が語るとき、それは魂の中で神が語っているのだ。」と言います。最も高次の精神的意識は、良心が語るとき、それは本当に宇宙的な精神が語っているのだ、と言います。そして、精神科学は良心と人間進化における最も偉大なできごと、すなわちキリスト事件との関係を明らかにします。ですから、そのことによって良心が高貴なものにされ、より高次の領域へと上昇させられた、というのは驚くべきことではありません。良心のために何かがなされたということを聞くとき、私たちは良心が人類の最も重要な所有物のひとつと見なされていると感じます。

 こうして、私たちには、良心とは人間の中の神である、と人間の心が語るとき、それがいかに当然で正しいことであるかが分かるのです。そして、神なる自然が人間に自らを現すとき、それは人間にとって最も高貴な経験である、とゲーテが言うとき、私たちは、神が精神において人間に自らを現すことができるとすれば、それは私たちが自然をその背景にある精神の光の中で見るときだけである、ということに気づかなければなりません。人間進化の中でこのことが充足されるのは、一方では、外から輝き入るキリストの光によってであり、他方では、私たちの内にある神の光、すなわち良心の光によってなのです。フィヒテのような人間の本質を研究する哲学者が、良心とは私たちの内的な生活における最も気高い声である、と言うとき、それが正当であるのはこのことによってなのです。このこととの関連で、私たちはまた、私たちの人間としての尊厳が良心とは不可分である、ということに気づいています。私たちは自我意識を有しているがゆえに人間なのであり、私たちが私たちの側で有している良心は自我の側にあるのだ、と言えます。こうして私たちは良心を個人が所有する最も神聖なもの、外的な世界によって侵害され得ないものと見なします。その声によって、私たちは私たちの方向性や目的を決定することができます。良心が語るとき、他のいかなる声も口をはさみません。

 ですから、良心は、一方では、世界の原初的な力と私たちとの関係を確認し、他方では、私たちは神から流れ来るひとつの滴のようなものを私たちの中の最も深いところに有している、という事実を保証するものです。そして、良心が人間の中で語るとき、それは神が語っているのだ、ということを彼は知るのです。

 


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