ルドルフ・シュタイナー

「魂生活の変容−経験の道」(第二巻)(GA59)

佐々木義之 訳

第9講「芸術の使命」

1910年5月12日)


この冬のシリーズにおける最後の講義は、人間の内的な生活から湧き出す最も偉大な宝物に満ちた、あの魂の生活の領域に捧げることにしましょう。私たちは、人間進化における芸術の本性と意義について考察したいと思います。皆さんにご理解いただきたいのは、芸術の領域はあまりに広範にわたるために、ここでは詩の分野に限るとともに、この分野において人間の精神が達成した最高のものだけを考察する時間しかない、ということです。

 さて、誰かが次のように言うかも知れません。「この冬の連続講義は人間の魂の様々な側面に関するものであり、その中心課題は、精神世界との関連において、真実と知識を求める、というものであった。では、これらの探求は、人間の活動の中でも、とりわけ美の要素に表現を与えようとする努力とはどのような関係があるのか?」、と。そして、私たちの時代には、真実と認識に結びついたあらゆるものが、芸術的な活動が目指すものとは遥かに、遥かにかけ離れている、という観点をとるのは容易なことかも知れません。今日、広く信じられているのは、科学のすべての分野においては、論理と実験の厳密な規則に従わなければならないのに対して、芸術的な仕事では、心と想像力の自発的な思いつきにしたがう、ということです。ですから、私たちの同時代人の多くは、真実と美とは何も共通したものを持っていない、と言うかも知れません。にもかかわらず、芸術的な創造の領域における偉大な指導者たちは、真の芸術とは、知や認識がそうであるのと同様に、人間存在の深い源泉の中から流れ出してくるべきものである、と絶えず感じてきたのです。

 ひとつの例をあげてみましょう。もっとも、私たちは美と真実の両方を探求したゲーテに目を向けるだけなのですが、彼は若い頃、あらゆる可能な方法を用いて、世界についての知識を獲得し、存在の偉大な謎に対する答えを見出そうと苦闘しました。あこがれの理想を秘めた国に彼を導くことになるイタリア紀行の時代の前には、彼はワイマールの友人たちとともに、例えば、人生におけるすべての現象の中に統一的な実質を見出そうとした哲学者スピノザを研究することによって真実を追求する道を進んでいました。神の考えについてのスピノザの論文はゲーテに深い感銘を与えました。メルクやその他の友人たちとともに、彼はスピノザの中に、あらゆる周囲の現象を通して語る声のようなもの、存在の源泉をほのめかすような何か−彼のファウスト的なあこがれをどうにかして癒すことができそうな考えを聞くことができる、と信じていました。けれども、ゲーテは、あまりに豊かな魂に恵まれていたために、概念的、分析的なスピノザの仕事から、真実と知識に関する満足のいく像を得ることはできませんでした。このことに関して彼が感じていたこと、彼の心が希求していたものが最もはっきりと現れるのは、彼が偉大な芸術作品に接し、その中に古代の芸術の名残をとらえた彼のイタリア旅行に私たちがついて行った、と仮定したときでしょう。彼はそれらの作品の前で、スピノザの考えから引き出そうとしてかなわなかった感情を経験したのです。こうして、彼はワイマールの友人たちに次のような手紙を送りました。「ひとつだけ確かなことがある。古代の芸術家達は、ホメロスその人と同じように、自然についての知識と、何が表現され得るのか、それはどのように表現されるべきなのか、についての確かな考えを有していたということだ。残念なことに、最高の段階にある芸術作品はあまりにも少ない。けれども、それらについてよく考えてみるとき、人が望むことができるのは、それらを正しく知り、そして、その前から静かに去る、ということだけだ。これらの卓越した芸術作品は自然の最も気高い産物として人間の手により、真の自然法則にしたがって創造されたものだ。あらゆる思いつきや単なる想像の産物は消え失せる。そこには必然があり、神があるのだ。」

 ゲーテは、これらの最高の段階にある芸術作品が、それらを創造した偉大な作家たちによって、彼らの魂の中から、自然そのものが従うところの法則と同じ法則にしたがって取り出されたということを見極めることができた、と信じていました。このことが意味するのは、自然法則に関するゲーテの観点においては、鉱物、植物、そして動物界において作用しているものが、人間の魂の中で、新しい段階に引き上げられ、新しい力を付与される、そのため、それらがその魂の中で十全に表現されるようになる、ということに他なりません。ゲーテはこれらの芸術作品の中にも自然の法則が働いていると感じ、そのため、ワイマールの友人たちに、「あらゆる思いつきや単なる想像の産物は消え失せる。そこには必然があり、神があるのだ。」と書き送ったのです。ゲーテは、そのような瞬間に、最高度に表現された芸術は知や認識と同じ源泉からやって来る、という考えに心がかきたてられるのですが、私たちは、彼が、「美とは、そうでなければ永遠に隠されたままに留まるであろう自然の秘密の法則が表現されたものである。」と断言するとき、そのことが真実であることを、彼がいかに深く感じていたかを知るのです。こうして、ゲーテが芸術の中に見るのは、認識に関するその他の分野における探求の中で見出されたものを、それ自身の言葉によって確かなものにするところの自然法則の顕現です。さて、ゲーテから離れ、ある使命をもって芸術を探求したひとりの個性、芸術を通して何か存在の源泉に関係があるものを人類にもたらした現代の人物に目を向けるならば−もし、リヒアルト・ワーグナーに目を向けるとすれば、私たちは、彼が芸術的な創作の本性と意義を自分で明らかにしようとした彼の著作の中に、真実と美の間の内的な関係について、多くの同様の示唆を見出します。例えば、ベートーベンの第九交響曲についての著作の中で、彼は、これらの音が何か別の世界から現れたようなもの−何か単に理性的あるいは論理的な言葉で把握し得るものとは全く異なるものを含んでいる、と言います。芸術を通して顕現するこれらのものについて、確かに言えることが少なくともひとつあります。それは、それらが確信的な力を持って魂に働きかけるということ、それを前にしては、すべてのただ単に理性的あるいは論理的な思考は無力であるような確信、つまり、それらが真実であるという確信を私たちの感情に浸透させる、ということです。

 ワーグナーは、交響曲という音楽に関する著作の中でも、混沌が秩序づけられ、調和がもたらされた太古の時代、つまり、そのような感情を反射するためのいかなる人間の心もまだ存在しなかった時代の創造行為へと赴く感情、それを現出させるための器官として、それらの楽器があるかのように、何かがそこから鳴り響いてくる、と言います。こうして、ワーグナーは、芸術の顕現の中に、知性によって獲得される知識と同等の立場に立つことができるような神秘的な真実を見たのです。

 ここで何か別のことを付け加えることができるかも知れません。私たちが偉大な芸術作品を精神科学の意味で知るようになるとき、私たちは、それらが、それら自身、人間による真実の探求の顕現を私たちに伝えていると感じます。そして、精神科学者は、彼自身、このメッセージに内的に関連していると感じるのです。実際、彼が、自分は今日の人々があまりにも軽々しく受け入れるいわゆる精神の顕現ではなく、そのメッセージにより親密に関連していると感じる、と言ったとしても、それは誇張ではありません。

 では、真に芸術的な個性がこの種の使命を芸術に帰属させ、一方、精神科学者がこれらの偉大な芸術の神秘的な顕現にあれほど強く心引かれるように感じる、というのは何故でしょうか?私たちは、この冬の連続講義を通して私たちの魂の前にやって来た多くのことがらを統合することによって、この疑問に対する答えに近づくことになります。

 もし、私たちが、この観点から、芸術の意義と働きを探求すべきであるならば、人間的な意見や知性の屁理屈をもってそうするべきではありません。私たちは、人間や世界の進化との関連で、芸術の発達を考察しなければなりません。芸術自体に、その人類にとっての意義を語らせるようにするのです。

 もし、私たちが、芸術のはじまり、芸術が詩という外観をとって人間の間に初めて現れたときにまで遡ろうとするのであれば、私たちは、通常の考え方にしたがって、本当にはるかに遡らなければなりません。ここでは、ただ現存する文書が私たちを連れていくことができる程度の過去にまで遡ることにしましょう。私たちはしばしば伝説的な人物と見なされるホメロス、その仕事がふたつの偉大な叙事詩、イリアスとオデッセイによって私たちのもとに伝わっているギリシャ詩の創始者にまで遡ることにします。

 これらふたつの詩の作者、あるいは作者たち−何故なら、今日はこの問題に立ち入らないので−が誰であったにしても、特筆すべき点は、両方の詩が全く非個人的な調子で始まる、ということです。

おおミューズ、アキレスの怒りを歌え・・・

という言葉で、最初のホメロスの詩、イリアスは始まり、そして

    おおミューズ、大いに旅する男の詩を歌え・・・

というのが、第二のホメロスの詩、オデッセイの始まりの言葉です。ですから、その作者は、彼の詩をより高次の力に負っている、ということを示そうとしているのです。そして、私たちが、彼にとって、この高次の力とは象徴的なものではなく、現実的で客観的な存在であった、ということに気づくためには、ほんの少しホメロスを理解しさえすればよいのです。もしこのミューズへの祈りが現代の読み手にとって何の意味もないとすれば、それは彼らが、ホメロスの詩のように非個人的な詩がそこに由来するところの経験を、もはや有していないからなのです。そして、もし、私たちが初期の西洋詩におけるこの非個人的な要素を理解しようとするならば、私たちは次のように問わなければなりません。それ以前には何があったのか?それはどこから生じたのか?と。

 私たちが人類の進化について語るとき、人間の魂の力は千年紀の間に変化した、ということを何度も強調してきました。遥かな過去の時代、外的な歴史は到達することができないけれども、精神科学的な探求には開かれている時代においては、人間の魂は夢のような原初の超感覚的能力を付与されていました。人間が後の時代にそうなったように、あまりに深く物質的な存在性の中に横たえられるようになる以前の時代には、彼らは彼らの周囲のいたるところで、精神の世界を現実のものとして感知していたのです。私たちはまた、太古の超感覚的能力は、今日、達成されることができるような意識的で鍛錬された超感覚的能力とは異なっていた、ということを指摘しました。と申しますのも、後者は魂の生活における確固とした中心点、それによって人間が自分自身を自我として把握する中心点の存在と結びついているからです。私たちが現在有しているようなこの自我感情は、長い時間をかけて徐々に発達してきたもので、遥かな過去には存在していなかったのです。けれども、正にこのことのゆえに、つまり、人間がこの内的な中心点を有していなかったがゆえに、彼の精神的な感覚が開かれていたのであって、彼は、その夢のような、自我とは無縁の超感覚的な能力を持って、遥かな過去に彼の真の内的存在がそこから現れたところの精神的な世界を覗き見ていたのです。私たちの物理的な存在性の背後にある諸力の力強い像、夢のような像が彼の魂の前に現れました。この精神的な世界の中で、彼は、彼の神々とその間で演じられる行為やできごとを見ました。そして、今日的な研究は、国によって様々に異なる神々の物語が単によく知られた想像の産物であると推定する点において、全く間違っています。遥かな過去にも、人間の魂はちょうど今日と同じように機能していた、ただし、物語に登場する神々を含めて、今日よりも物事を想像する傾向が強かった、と考えるならば、それは全くの想像の産物であり、想像力が豊かなのはそのように信じる人たちの方です。太古の昔の人々にとっては、彼らの神話の中で記述されたできごとは現実だったのです。神話、英雄伝、そして童話や伝説でさえも人間の魂の中にあった太古の能力から生まれました。このことは、人間が、今では自分自身の中で、自分自身を所有しながら生きることを可能にしているところのしっかりとした中心点をまだ獲得していなかった、という事実と関連しています。遥かな昔には、彼は、後にそうすることができるようになるようには、彼自身を彼の自我の中に、つまり彼の環境から切り離された彼の魂の狭い境界内に閉じこめることができませんでした。彼は、彼の環境の中に、自分がそれに属していると感じながら生きていたのですが、現代人は、それから独立している、と感じているのです。そして、ちょうど今日の人間が、彼の生命を支えるのに必要な物理的な力が彼の肉体的な組織に流れ込み、また流れ出す、ということを感じることができるように、太古の人間は、彼の超感覚的な意識をもって、彼が偉大な世界の諸力との内的な交換の中で生きることができるように、精神的な諸力が彼の中に流れ込み、そして流出している、ということに気づいていました。そして、彼は次のように言うことができました。「何かが私の魂の中で起こるとき、私が考え、感じ、あるいは意志するとき、私は孤独な存在ではない。私は私の内的な視界に現れる存在たちからやって来る諸力に向かって開かれているのだ。彼らは彼らの力を私に送り込むことによって、私に考え、感じ、意志するように促す。」、と。まだ精神世界の中に横たえられていたときの人間はこのような経験を有していました。彼は精神的な力が彼の思考の中で活動している、彼が何かを成し遂げるときには、神的−精神的な力が彼らの意志や目的を彼の中に注ぎ込んでいる、と感じていました。そのような太古の時代には、人間は、自分のことを、精神的な力がそれら自身を表現するための器であると感じていたのです。

 ここで私たちは過去へと遥かに遡った時代を振り返っているのですが、この時代というのは、あらゆる種類の中間的な段階を経て、正にホメロスの時代まで続いていました。ホメロスがいかに人類の太古の意識に引き続き表現を与えていたかを見極めるのは難しいことではありません。イリアスの登場人物の何人かを眺めさえすればよいのです。ホメロスは、ギリシャとトロイの大いなる戦いを描くのですが、どのようにしてそれを描くのでしょうか?当時のギリシャ人にとって戦いとは何を意味していたのでしょうか?

 ホメロスはその観点から話を始めるわけではありませんが、この戦いには、人間の自我に発する熱情や欲望、考えによって引き起こされるところの敵意以上のものがあったのです。この戦闘の中でぶつかっていたのはトロイとギリシャの単に個人的あるいは部族的な感情なのでしょうか?そうではありません!太古の意識とホメロスの意識とのつながりをしめす伝説が告げるのは、ヘラ、アテナ、アフロディテの三女神がいかに美の競演において競り合っていたか、そして、いかに人間であるトロイの王子パリスが美の鑑定家として、そのコンテストの判定をするように指名されていたか、ということです。パリスは世界中で一番美しい女を彼の妻にすると約束していたアフロディテに賞を与えました。その女とはスパルタ王メネラオスの妻、ヘレネでした。パリスはヘレネを獲得するため、力ずくで奪い取らなければなりませんでした。この蹂躙への仕返しとして、ギリシャ人たちはその国がエーゲ海の遥か対岸にあるトロイ人たちに対して武装し、そこで戦闘が起こったのです。

 何故、人間の熱情がこのようにして燃え上がったのでしょうか、そして、何故、ホメロスのミューズが語ったようなできごとすべてが起こったのでしょうか?それらは人間世界における単に物理的なできごとだったのでしょうか?違います。ギリシャ人たちの意識を通して、私たちは、人間たちの戦いの背後に、女神たちの敵意が描写されているのを見るのです。当時のギリシャ人は次のように言ったことでしょう。「私は、人々を激しく対立させるようにした原因を物理世界の中に見出すことはできない。神々とその力がお互いに対峙するより高次の領域を見上げなければならないのだ。」、と。当時、このようなイメージの中で見られた神的な力が人間どうしの衝突の中に働いていました。こうして、私たちは、詩という芸術における最初の偉大な作品、ホメロスのイリアスが人類の太古の意識から生まれてくるのを見るのです。ホメロスにおいては、太古の人類に自然な形でやって来た超感覚的な光景の残響が、後に現れた意識の立場から、韻文の形で提示されているのが分かります。そして、超感覚的な意識がギリシャ人にとって終焉を迎え、ただその残響だけが残った最初の時代を探すとすれば、それは正にこのホメロスの時代だったのです。

 太古の人間は次のように言ったことでしょう。「私の神々が戦っている、私の超感覚的な意識の前に横たわる精神世界で。」、と。ホメロスの時代には、このように言うことは既に不可能でしたが、それについての生き生きとした記憶が保持されていたのです。そして、ちょうど太古の人間が、そこに自分の存在を有していた神的な世界から霊感を受けていると感じていたように、ホメロスの叙事詩の作者は、その同じ神的な力が彼の魂の中で支配していると感じていました。ですから、彼は次のように言うことができたのです。「私に霊感を授けるミューズが内的に語っている。」、と。こうして、ホメロスの詩は、もし、それらが正しく理解されるならば、太古の神話と直接的な関係にあることが分かります。この観点から、私たちは、ホメロスの詩的な想像力の中に、古い超感覚的な能力に代わるような何かが生じているのを見出すことができます。支配する宇宙の力が、直接的な超感覚的視界を人間から引き上げ、その代わりに、魂の中に同様に生きることができ、それに形成的な力を授けることができるような何かを彼に与えたのです。詩的な想像力は失われた太古の超感覚的能力の代償なのです。

 さて、何か別のことを思い出してみましょう。良心についての講義の中で、私たちは古い超感覚的な能力の衰退が色々な国々で、様々な時代に、全く異なった仕方で起こったのを見ました。東方においては、古い超感覚的な能力は比較的後の時代まで持続しました。西方のヨーロッパの人々の間では、超感覚的な能力はそれほど広くは存在していませんでした。それらの人々の中では、強力な自我感情が前面に出てきていた一方、他の魂の力や能力はまだ比較的未発達だったのです。この自我感情は、ヨーロッパの異なる地域で非常に様々な仕方で現れました−北と西では異なっていましたが、特に、南においては異なっていました。キリスト教以前の時代、それはシシリアとイタリアにおいてもっとも強力に発達しました。東方の人々が長い間自我感情を持たないままに留まっていたのに対し、ヨーロッパのこれらの地域には、古い超感覚的能力が失われていたため、特別に強い自我感情を持った人々がいたのです。精神的な世界が人間から外的に失われるのに比例して、彼の内的な自我感情が点火するのです。

 こうして、ある時期、アジアの人々の魂と、ここで考察しているヨーロッパの各地に住む魂との間には大いなる違いがある、ということにならざるを得ませんでした。彼方のアジアにおいては、いかに宇宙の秘儀が依然として偉大な夢の像として魂の前に生じるかが、そして、いかに神の行為が人間の精神的な目の前で展開するのを目撃することができるかが分かります。そして、私たちは、そのような人間が語ることができるものの中に、何か世界の根底に横たわる精神的な事実に関する古い説明のようなものを認めることができます。アジアにおいては、古い超感覚的な能力が、それに代わるもの、すなわち想像力に取って代わられたとき、これは特に視覚的な象徴を像の形で生じさせました。西方の人々の間では、特にイタリアやシシリアにおいては、それとは異なった能力、しっかり根付いた自我から生じてくる能力が、一種の力の過剰、すなわち、いかなる直接的、精神的な視界も伴わないけれども、見えないものに到達したいというあこがれによって浸透され、魂から発生する熱情を生じさせたのです。ですから、ここには、いかなる神の行為の説明も見出されません。何故なら、そのようなことはもはや明らかではなかったからです。けれども、魂が、語りと歌の中に表現される熱烈な献身をもって、ただあこがれることができるだけの高みを希求するとき、古い超感覚的な意識が翳った後、今や見ることができなくなった力に向かう原始的な祈りと賛美歌が生まれました。

 それらの中間に位置する国、ギリシャにおいて、これらふたつの世界が出会います。そこには両方の側から刺激を受けた人々が見出されます。東方からは像のような視界が、西方からは見ることができない神的−精神的な力に捧げる献身的な賛美歌に霊感を与えるところの熱情がやって来ます。そのふたつの流れがギリシャ文化の中で混ざり合ったことによって、紀元前八世紀から九世紀と考えられるホメロスの詩から、三、四百年後のアイスキュロスの仕事へと継続する流れが可能になったのです。

 確かにアイスキュロスは十全なる東方の洞察力に向かって、つまり、神の行為とその人間への影響に関する古い超感覚的な視界の残響としてホメロスの中に見出されるような確信させる力に向かって開かれた人物として私たちの前に現れるわけではありません。この残響はいつでも非常に弱いものでしたが、アイスキュロスの中では、それはあまりにも弱かったので、彼は太古の超感覚的な視覚が人間にもたらしていた神々の世界に関する像のような視界に対する一種の不信を感じるようになっていたのです。ホメロスに関しては、かつて人間の意識が、物理世界における人間の熱情や感情の相互作用の背後に立つ神的−精神的な力についての視界を有していた、ということを彼がよく知っていたのが分かります。したがって、ホメロスは単に人間の間の衝突を記述するのではありません。ゼウスとアポロの干渉に人間の熱情が巻き込まれ、そして、その影響はできごとの推移の中で明らかになります。それらの神々とは詩人が彼の詩の中に持ち込むところの現実なのです。

 アイスキュロスに関しては、何と異なっていることでしょうか。人間の自我を特に強調し、人間の魂を内的に分離するような西方からの影響の流れが、彼に絶大な影響力を及ぼしていたのです。彼が自我から行動を起こし、神的な力の流入からその意識を開放し始めた人間を描写した初めての劇作家になったのはこの理由によります。アイスキュロスにおいては、ホメロスの中に見られる神々の代わりに、たとえ初期の段階に立っていたとはいえ、行動において独立した人間が登場します。劇作家として、アイスキュロスはこの種の人間を物事の中心に据えます。叙事詩は東方からやって来る像的な想像力の影響下に現れなければなりませんでしたが、個人的な自我を強調する西方の影響は行動する人間が中心となる劇を生じさせたのです。

 例えば、オレステスを取り上げてみましょう。彼は母殺しの罪を犯し、その結果として復讐の女神を見ます。そうです、これはまだホメロスです。ものごとはそれほど簡単には過ぎ去りません。アイスキュロスは、かつて神々が像の姿で見えた、ということをまだ知っているのですが、まさにその信念を捨て去ろうとするところに来ているのです。特徴的なのは、ホメロスにおいては充分にその力を発揮したアポロが、オレステスを扇動して彼の母を殺させるにもかかわらず、その後ではもはや彼の側に立つ権利を有していない、ということです。人間の自我がオレステスの中で身じろぎを始め、それが支配的になる様子が私たちに示されます。アポロに不利な裁決が下され、彼は拒絶されます。そして、私たちは、オレステスに対する彼の力の行使がもはや完全ではないのを見るのです。ですから、アイスキュロスはプロメテウスを、つまり、神々の圧倒的な力にタイタンのように立ち向かい、神々からの人間の解放を象徴する神的な英雄を劇化するための正当で適切な詩人であったのです。

 こうして、私たちは、東方の像的な想像力を有するアイスキュロスの魂に、いかに西方からやって来る自我感情の目覚めが混ざり合っているかを、そして、いかに劇がこの統合から生まれたかを見るのです。そして、完全に精神科学的な探求によって見出されたものを、伝統が素晴らしい仕方で確認するのを見るのは本当に興味深いことです。

 ひとつの注目すべき伝統が、部分的とはいえ、アイスキュロスからある秘儀の秘密を暴露した罪を免じます。ただし、彼は、そのようなことはできるはずがなかった、と応えるでしょう。何故なら、彼はエレウシスの秘儀に通じてはいなかったのですから。確かに、彼には、ホメロスの詩がそこに起源を有するところのテンプルの秘密から発するいかなるものをも示すつもりは全くなかったのです。事実、彼はその秘儀から少し離れた位置に立っていました。他方、彼がシシリアのシラクサで人間の自我の出現に関する秘密の知識を得ていた、という物語が伝えられています。オルフェウスの信者たちが、もはや見ることができず、ただあこがれることができるだけの神的−精神的な世界に向けた古い形態の叙情詩、賛美歌を培っていた地域においては、この自我の出現は特別な形態を取っていました。芸術が一歩前進したのは、このようにしてでした。私たちは、それが太古の真実から自然に現れ、人間の自我へと続く道を見出すのを見ます。人間が、主として外的世界に生きた後、彼自身の内的な生活を自分のものとしていたことから、ホメロスの詩で姿を取ったものたちがアイスキュロスの劇中の人格となり、叙事詩と並んで劇が現れたのです。

 こうして、私たちは、古代の真実が芸術という別の形態を取って生き続けるのを、そして、太古の超感覚的な能力により達成されたものが詩的な想像力によって再構成されるのを見ます。そして、芸術によって太古の時代から保存されたものであれば何であれ、人間の個性に、つまり、自分自身に気づくようになった自我に適用されたのです。

 さて、私たちは、13、14世紀のキリスト教の時代まで、年代をずっと下ることにしましょう。ここで私たちは、自我がそれ自身の努力で神的−精神的な世界へと上昇するとき、それが到達することができる領域へと非常に印象的な仕方で私たちを導く中世の偉大な人物に出会います。私たちはダンテに至ります。その「神曲」(1472年)はゲーテによって読まれ、再度読まれました。彼に対するその影響は非常に大きく、知り合いがその新しい翻訳を彼に送ったとき、彼は詩の形でその送り主に感謝の気持ちを表しました。

   大いなる感謝は

    もう一度この本を新たにして私たちにもたらす彼に

    栄光に満ちた仕方でその本が沈黙させるのは

    私たちのすべての探索や不満だ

 芸術はどのようにアイスキュロスからダンテへと発展したのでしょうか?ダンテはどのようにして私たちをその三つの世界、地獄、煉獄、天国−私たちの物理的な存在性の背後に横たわる世界−へと導くのでしょうか?

 ここで私たちが見ることができるのは、いかに人間の進化を指導する基本的、精神的な衝動がそれと同じ方向で働き続けてきたかです。全く明らかなことは、アイスキュロスがまだ精神的な力との関係を保っていた、ということです。プロメテウスはゼウス、ヘルメス、等々の神々と直面しますが、このことはまたアガメムノンにも当てはまります。私たちは、これらすべての中に、太古の超感覚的な能力の残響を認めることができます。ダンテに関してはかなり異なっています。彼が私たちに示すのは、ただ彼自身を彼自身の魂の中に沈め、そこに眠る力を発達させるとともに、この発達のためにあらゆる障害を克服することを通して、彼が言うように、人生半ばで−この意味は35才のとき、ということなのですが−、いかに精神的な世界をのぞき見ることができたか、ということです。古い超感覚的な能力を付与されていた人間たちは彼らの眼差しを彼らの精神的な環境に向け、アイスキュロスはまだ古い神性を考慮していたのに対し、ダンテの中には、自分自身の魂の中に降り立ち、その個性とその内的な秘密の内に完全に留まる詩人が見られます。彼は、この個人的な発達の道を追求することによって精神的な世界に入り、そして、そのことによって、「神曲」の中に見出される力強い像の中でそれを示すことができるようになります。ここで、ダンテの魂は、彼の個性とともにあって全く孤独であり、外的な顕現には無関心です。ダンテが伝統の中から、古い超感覚的能力の成果を引き継ぐことができた、などとは誰も想像できないでしょう。ダンテが頼りにするのは、その唯一の手助けとしての人間個性の力強さによって、中世において可能となった内的な発達です。そして、彼は、私たちの前に、目に見える像として、ここでしばしば強調されること−人間は彼の超感覚的な視界を曇らせ、あるいは暗くするところのあらゆるものにうち勝たなければならない、ということを示すのです。ギリシャ人たちが、まだ精神世界の中に現実を見ていたのに対し、ダンテはそこに、像を−克服されるべき魂的な力の像のみを見ます。高次の発達段階から自我を引き下ろそうとする感覚魂、悟性魂、そして意識魂のあの低次の力とはそのようなものです。その反対の善なる力とは、既にプラトンによって示された、意識魂にとっての叡知、悟性魂にとっての自立的な勇気、感覚魂にとっての中庸です。自我が、これらの善なる力を獲得する発達を通して前進するとき、それは精神世界へと通じるより高次の魂の経験へと近づきます。しかし、まず、障害が克服されなければなりません。

 中庸は放縦と貪欲に対抗して働きます。そして、ダンテは、いかにこの感覚魂の影の面に立ち向かうかを、そして、それにいかにうち勝つかを示します。彼はそれを雌狼として記述します。次に、いかに悟性魂の影の面、ライオンとして記述されるところの非常識な攻撃性が、それに対応する徳、自立的な勇気によって克服されるかが示されます。最後に、私たちは、叡知、すなわち意識魂の徳へとやって来ます。高みへと努力することなく、単なる抜け目なさやずるがしこさとして世界に適用される叡知はおおやまねことして描写されます。「おおやまねこの目」とは精神世界をのぞき見ることができるような叡知の目ではなく、単に感覚の世界だけに焦点を合わせる目です。ダンテは、いかに彼が内的な発展を妨害する力から身を守るかを示し、そしてその後で、いかに物理的な存在性の背後に横たわる世界に上昇するかを記述します。

 私たちは、ダンテの中に、自分自身を頼りとして、自分自身の中を探求し、自分自身の中から精神世界へと導く力を引き出す人間を見ます。彼において、詩は、人間の魂をしっかりと把握し、人間の自我とより密接な関係を持つようになります。ホメロスは、その本性が、実際、彼自身が感じていたように、神的−精神的な力の行為へと織り込まれていたために、「ミューズよ、私が語るべき物語を歌え。」と言います。彼の魂とともにある孤独なダンテは、彼自身の内から、彼を精神世界へと導くであろう力を引き出して来なければならない、ということを知っています。私たちは、いかに想像力を外的な影響に依存させることがますます不可能になるか、を見ることができます。この点で、私たちは単なる意見に関わっているのではなく、人間の魂に深く根ざした力に関わっているのだ、ということがちょっとした事実によって示されるでしょう。ゴットリープ・フリードリヒ・クロプストクは信心深い人間であり、そして、ホメロスさえも凌ぐ奥深い精神でした。彼が望んだのは、ホメロスが古代のために為したことを現代のために行うという意識的な意図を持って、聖なる叙事詩を書く、ということでした。彼はホメロスのやり方を生き返らせようとしたのですが、彼自身を欺くことなくそうしようとしました。そのため、彼は「私のために歌え、おおミューズ、」と言うことができず、その代わり、彼の「メシア」を、「歌え、不死の魂よ、罪深き人間の救済を。」という言葉で始めなければなりませんでした。こうして、私たちは、いかに人間たちの間で芸術的な創造における発達が実際に起こったかを見るのです。

 さて、ダンテから別の偉大な詩人、シェークスピアにまでさらに数世紀、大きく時代を下りましょう。ここでもまた、私たちは、進歩という意味で、顕著な一歩が踏み出されるのを見ます。私たちはシェークスピアを批評しようというのでも、ある詩人を別の詩人の上に置こうというのでもなく、ただ、必要で合法的な前進を指し示す事実に関わろうとしているのです。

 ダンテに関しては、何が私たちに特別な印象を与えたのでしょうか?彼はそこに、精神世界についての彼自身の顕現とともに一人で立ち、そして、彼自身の魂の中から彼のところにやって来た偉大な経験について記述します。皆さんは、もし、彼が彼の見たものを、五、六種類以上の異なる方法で記述していたとしても、彼がそのように見たところの真実にあれほど影響力のある印象を与えていただろう、と想像できますか?ダンテが彼自身をそこに置いた世界とは、一度だけしか記述できないようなものである、とは感じませんか?実際、ダンテはそのようにしました。彼が記述する世界は、ある男が自分にとっての精神世界であるところのものと一体であると自分自身で感じた瞬間におけるその男の世界なのです。私たちはここで次のように言わなければなりません。ダンテは彼自身を、人間的な個性の要素の中に、それが彼自身のものであるに留まるような仕方で沈めた、と。そして、彼はこの人間的−個性的な側面をあらゆる方向から考察することに取りかかるのです。

 一方、シェークスピアはあらゆる可能な個性、リア、ハムレット、デズデモーナを豊富に創造するのですが、精神的な目が純粋に人間的な性質や衝動とともに物理的な世界にある彼らを見るとき、それはこれらの個性の背後に、いかなる神的なものも直接的に感知することはありません。彼らの魂から思考、感情そして意志の形で直接やって来るものだけを私たちは期待します。彼らはすべて際だった個性たちですが、彼らの中に、ダンテは、自分自身を自分自身の個性の中に沈めるとき、いつでもダンテである、というのと同じ仕方で、シェークスピア自身を認めることができるでしょうか?いいえ−シェークスピアはさらに一歩先に進んだのです。彼は個人的な要素の中へとさらに突き進むのですが、ある個性の中ばかりではなく、もっと様々な個性の中へと突き進むのです。シェークスピアは、リア、ハムレットやその他の人物を記述するときにはいつでも、彼自身を否定します。彼は彼自身の考えを提示しようなどという気には決してなりません。何故なら、シェークスピアとしての彼は完全に消し去られているからです。彼は、完全に、彼が創造する様々な個性の中に生きているのです。ダンテによって記述される経験は一人の人間の経験です。シェークスピアが私たちに示すのは、きわめて多様な個性の中の内的な自我から生じてくる衝動です。ダンテの出発点は人間的な個性でした。彼はその中に留まり、そこから精神世界を探求します。シェークスピアは一歩先に進みます。彼もまた彼自身の個性から出発し、彼が描く個性たちの中に入り込むのですが、彼は彼らの中に完全に沈潜するのです。彼が劇化するのは彼自身の魂的な生活ではなく、彼が舞台の上で提示するところの外的な世界における登場人物たちの生活であり、彼らはすべて、彼ら自身の動機と目的を持ち、独立した人物として描かれます。

 こうして、私たちは、ここで再び、芸術がどのように進化するかを見ることになります。芸術は人間の意識が自我感情に欠けていた遥かな過去に始まり、ダンテによって、自我そのものがひとつの世界になるように、個人的な人間を包含する段階に到達しました。その世界は、シェークスピアによって、別の自我たちが詩人の世界になるまでに広がりました。この段階が可能になるために、芸術は、そこからそれが湧き出してきたところの精神の高みを後にして、物理的な存在が活動する場所にまで下降しなければなりませんでした。そして、このことは正に、ダンテからシェークスピアへと移行するときに生じるのが見られるところのものです。この観点から、ダンテとシェークスピアを比べてみましょう。

 皮相的な批評家はダンテを説教ぶった詩人であると非難するかも知れません。ダンテを理解することができ、彼の作品全体とその豊かさに応えることができる人は誰でも、彼の偉大さは正に中世の叡知と哲学のすべてが彼の魂から語っているという事実に起因している、と感じるでしょう。中世の叡知の全体が、ダンテの詩の力を付与されたそのような魂の発達にとって、必要な基礎だったのです。その影響は、最初、ダンテの魂に作用していたのですが、その後、彼の個性が世界へと拡張する中で再び明らかとなりました。中世における精神生活の高みを知ることなく、ダンテの詩作を正しく理解し、評価することはできません。私たちは、それを知るときにだけ、彼が達成したことの深みと巧みを評価できるようになるのです。

確かに、ダンテは一段下降しました。彼は精神的なものをより低いレベルに落とそうとしたのですが、彼は、彼の先駆者の何人かが用いたラテン語ではなく、自国語で書くことによってそうしたのです。彼は精神生活の最も遥かな高みへと上昇するとともに、彼が生きた場所や時代の言葉と同じだけ深く物理世界の中へと下降します。

 シェークスピアはさらに下降します。彼の詩における偉大な登場人物たちの起源は、今日では、あらゆる種類の想像力溢れる思いつきによって取りざたされていますが、もし、詩が日常生活の世界へと−今でも、高みに位置するものによって、しばしば見下されるような世界ですが−このように下降したことを理解するとすれば、私たちは次のような事実を心に留めておかなければなりません。

 私たちは、シェークスピアを除いては、今日ではあまり高く評価されることのなさそうな俳優たちによって劇が制作されていたところの、当時のロンドン郊外にあった小さな劇場を思い浮かべなければなりません。どのような人たちがこの劇場に行ったのでしょうか?下層階級の人たちです。当時は、飲んだり食べたり、気に入らなければ卵の殻を投げつけたり、舞台にまでなだれ込んで、俳優たちが観衆のただ中で演技しなければならなかったような劇場に行くより、闘鶏やそれに似た見せ物にお金を出す方がファッショナブルだったのです。ですから、これらの劇は、多くの人が好んで想像するように、文化生活における上流階級の間で最初から喝采を浴びていたのではなく、最初は、ロンドンのきわめて下層の大衆の面前で上演されていたのです。せいぜい、変装してどこか人目に付かないたまり場に出かけるような独身息子たちが、たまにこの劇場に行ったかも知れませんが、それは尊敬すべき人々にとっては大いに不適当なことだったのです。このことから、私たちは、詩がもっとも品性のない領域にまで下ったのを見ることができます。

シェークスピアの劇とその登場人物の背後に立っていた才能にとって、人間的なもので疎遠なものなど何もありませんでした。ですから、そこで起こったできごととは−外的側面から詳細に見ても、高地において、細い川として流れていた芸術が、通常の人間性の世界にまで下り、日常生活のただ中を流れる大きな川にまで広がった、ということです。そして、このことをより深く洞察する人であれば誰でも、シェークスピア劇に登場するような大いに個性的な性格の生き生きとした人物たちが現れるためには、気高く精神的な流れが、いかにより低いレベルにまで引き下げられる必要があったか、ということを理解するでしょう。

 さて、私たちは私たち自身の時代にもっと近づくことにしましょう−ゲーテにです。彼を彼が創作したものに−彼が彼の主著に取り組んでいた六〇年間にわたって、彼の理想や努力、そしてあきらめのすべてをその中に体現させたファウストという人物に関連づけてみましょう。世界の謎に対するより深い答えを求めて、認識の階梯を登りながら、彼の豊かな人生を通して、その最奥の魂において彼が経験したことのすべて−このすべてが、私たちが今日出会うようなファウストという人物の中に凝縮されているのです。ゲーテの詩劇という文脈の中で、ファウストとはいかなる人物なのでしょうか?

 ダンテについては、私たちは彼が記述するものを彼自身が見たものの成果として思い描くことができる、と言うことができます。ゲーテはそのようなものは何も見ませんでした。彼は、ダンテがその「神曲」についてそうするように、とりわけ厳粛な瞬間に特別な顕現があった、と主張したりはしません。ゲーテは彼が提示するところのものに内的に働きかけていた、ということが「ファウスト」のいたるところで示されます。そして、ダンテの元にやって来た経験が彼自身の一方的なやり方でのみ記述され得たのに対して、ゲーテの経験は、それらがより個人的なものではないと言えないにしても、ファウストの客観的な性格へと移し替えられたのです。ダンテは私たちに、彼のもっとも親密で個人的な経験を提示します。ゲーテもまた個人的な経験を有していたのですが、ファウストの行為や苦しみはゲーテがその人生において経験したものとは異なります。それらは、ゲーテが彼自身の魂の中で経験したことを自由に、そして詩的に変容させたものなのです。ダンテが彼の「神曲」と同一視され得るのに対して、ゲーテをファウストと同一視するためには、ほとんど文学史家を連れてこなければならないでしょう。ファウストは一人の個性ですが、シェークスピアが創作した個性たちと同じくらい多くのファウストに似た人物たちを創作し得たであろうと想像することは不可能です。ゲーテが彼の「ファウスト」の中で描き出した個性は、たった一度だけ創造され得るものなのです。シェークスピアはハムレットの他にもリアやオセロ等々を創造しています。確かに、ゲーテは「タッソー」や「イフゲーニア」も書きましたが、彼らとファウストとの差は明白です。ファウストはゲーテではなく、基本的に誰ででもあるのです。彼はゲーテのもっとも深いあこがれを体現しているのですが、詩に登場する人物としては完全にゲーテ個人からは引き離されています。ダンテは一人の男、つまり、彼自身が見たところのものを私たちの前に提示します。ファウストという個性は、ある意味で、私たちひとりひとりの中に住んでいるのです。このことは、詩がゲーテに至るまでに、はるかに進歩したことを示しています。

 シェークスピアが創造し得た人物たちは非常に個性的だったために、彼は彼自身を彼らの中に沈め、彼らの一人一人に際だった声で喋らせることができました。ゲーテはファウストという個性的な人物を創り出すのですが、ファウストは一人の個人ではなく、誰ででもあるのです。シェークスピアは、リア、オセロ、ハムレット、コルデリア等々の魂的本性の中に入っていきました。ゲーテはすべての人間の中にあるもっとも気高い人間的要素の中に入っていきました。このことによって、彼はすべての人間に適った代表的な個性を創造したのです。そして、この個性は、彼自身を詩人としてのゲーテ個人から引き離し、外的世界の中で、現実的、客観的な人物として私たちの前に立つのです。

 私たちが概観してきた道に沿った芸術のさらなる進歩とはそのようなものです。より高次の世界の直接的、精神的な知覚から出発して、芸術はますます大きく人間の内的生活を捉えます。それがもっとも親密に生じるのは、ダンテの場合のように、人間が自分自身だけに関わるときです。シェークスピアの劇においては、自我はこの内密性から歩み出て、他の魂の中に入っていきます。ゲーテの場合には、歩み出た自我はそれ自身をファウストに代表されるすべての人間の魂的生活に沈めます。そして、自我は、それ自身の魂的な力を発達させ、自らを別の精神性へと沈潜させることができさえすれば、それ自身から出て、別の魂を理解することができるのですが、そのようにして、ゲーテが、単に外的世界における物理的な行為や経験だけでなく、精神世界へとその自我を開きさえすれば、誰でも経験することができる精神的なできごとをも記述するように導かれたのは、芸術的な創造活動の絶えざる進歩と符合しています。

 詩は精神世界からやって来て、人間の自我の中に入りました。それは、ダンテにおいて、自我をその内的生活のもっとも深いレベルで捉えました。ゲーテにおいては、私たちは自我が再びそれ自身から歩み出て、精神世界への道を見出すのを見ます。太古の人類が有していた精神的な経験は「イリアス」と「オデッセイ」の中に反映されます。そして、ゲーテの「ファウスト」において再び現れた精神世界が人間の前に立ちます。私たちは、このようにして、「ファウスト」の偉大な終幕に、つまり、人間が深みへと下った後、彼の内的な力を発達させることによって、精神世界が再び彼の前に広がるように、その上昇への道を苦労して進むという終幕に相対するべきなのです。それは主旋律の合唱のようですが、どこまでも前進する形態を持ち、どこまでも新しいものなのです。精神的な視界に代わって人間に付与され、人間の天才達による滅ぶべき創造行為の中に形態を与えられた想像力が不朽の精神世界から響きわたります。不朽であるものから、ホメロスやアイスキュロスによって詩の中で創造された滅ぶべき登場人物たちが生まれました。詩は滅ぶべきものから不朽のものへと再び上昇し、私たちは「ファウスト」の最後の部分で歌われる神秘的な合唱を聞きます。

     移ろいゆくものはすべて比喩にすぎない・・・

そして、ゲーテが私たちに示すように、人間の精神の力もまた物理的な世界から精神的な世界へと再び上昇するのです。

 私たちは芸術的な意識が、代表的な詩人たちの中で、世界を大股で進んで行くのを見てきました。芸術はその根元的な認識の源泉である精神世界から現れます。精神的な視界は、感覚世界がますます広く注目を集め、それによって自我の発達を促すにつれてますます退きます。人間の意識は、世界進化の経過を追って、精神世界から自我と感覚の世界へと旅しなければなりません。もし、人間が外的な科学の目を通してのみ感覚の世界を探求するとすれば、彼はそれを科学的な言葉で、単に知性的に理解するようになるだけです。けれども、人間は、超感覚的な能力が消え去ったとき、その代わりとして、彼にはもはや知覚することができないものの一種の影のような反映を彼のために創り出す想像力を与えられました。想像力は人間と同じ道、すなわちダンテの場合のように、最終的に彼の自意識へと入っていく道にしたがわなければなりませんでした。けれども、人類を精神世界に結びつける糸は、芸術が下降して人間の自我の中に閉じこめられるときでさえ、断ち切られることはありません。人間は想像力を携えて彼の道を行くのです。そして、「ファウスト」の出現によって、私たちは精神世界が想像力から新しく創造されるのを見るのです。

 こうして、ゲーテの「ファウスト」は、芸術がそこに起源を有するところの精神的な世界に、人間が再び入って行くべき時代の始まりに位置しているのです。ですから、芸術の使命とは、高次の訓練によって精神的な世界に至ることができない人々のために、はるかな過去の精神性と未来の精神性とを結びつけるべき糸を紡ぐ、ということなのです。実際、芸術は既に、「ファウスト」の第二部において見られるように、精神的世界についての視界を想像力の中で与えることができるまでに前進しています。人間は、彼が精神的な世界に再び入り、その意識的な認識を獲得することができるようにする力を発達させることを学ばなければならない地点に立っている、ということについての示唆がここにあります。芸術は、想像力の助けを借りて、人間を精神的な世界へと導いただけでなく、十全なる自我意識に基づき、精神世界についての明晰な視界を持つということを前提とする精神科学への道を準備したのです。精神科学の仕事とは、芸術の領域から引いてきた例の中で見てきたように、あの世界−人間があこがれるあの世界への道を指し示すということであり、それはこの冬の連続講義の仕事でもあったのです。

 こうして、私たちは、いかに偉大な芸術家たちが、精神世界の反映こそ彼らが人類に提供すべきものであると感じてきた点において正当化され得るかを見ます。そして、精神世界の直接的な顕現がもはや可能ではない時代において、これらの顕現を仲介する、というのが芸術の使命なのです。ですから、ゲーテは、昔の芸術家たちの作品について、「そこには必然があり、神がある。」と言うことができたのです。それらは、そうでなければ決して見出されることはなかったであろう隠された自然の法則に光を当てます。そして、リヒアルト・ワーグナーもまた、第九交響曲という音楽の中に、別の世界−主として知的な意識には決して到達できないような世界の顕現が聞こえる、と言うことができました。偉大な芸術家たちは、彼らが、過去から現在、そして、未来に向けて、あらゆる人間の源泉であるところの精神を担っている、と感じてきました。ですから、私たちは、深い理解を持って、彼自身、芸術家であると感じていた一人の詩人(シラー)によって話された、「人間の尊厳は、あなたの手に渡された。」という言葉に同意することができるのです。

 私たちは、このようにして、人間進化の過程における芸術の本性と使命について記述し、芸術が、今日、人々が軽々しく想像するほどには、真実についての人間の感覚からかけ離れているわけではない、ということを示そうと試みてきました。逆に、ゲーテが真実についての考えと美についての考えを別の考えとして話すことを拒否したとき、彼は正しくそうしたのであり、彼の言葉を借りれば、神的−精神的なものの必然的な働きという「ひとつの」考えがあり、真実と美とはそのふたつの顕現なのです。

 詩人やその他の芸術家の間ではどこでも、人間存在の精神的な基礎は芸術においてその言辞を見出す、という考えに対する同意が見出されます。あるいは、彼らの中には、芸術は、彼らの作品が精神世界からのメッセージを人類にもたらすであろうと信じることを可能にする、と皆さんに言うことができるような深い感情を有する芸術家たちがいます。ですから、芸術家が、その表現において、もっとも個人的であるときでさえ、彼らは、彼らの芸術が普遍的な人間のレベルにまで上昇させられ、そして、彼らの芸術の性格と顕現が、次のようなゲーテの神秘的な合唱によって語られる言葉を効果的なものにするとき、彼らは真の意味で人類のために語っているのだ、と感じるのです。

移ろいゆくものはすべて比喩にすぎない・・・

 そして、私たちは、私たちの精神科学的な考察の力の上に、次のような言葉を付け加えることができるかも知れません。芸術は、一時的で滅ぶべきものに、永遠で不朽なるものの光を吹き込むために必要なのだ。それが芸術の使命なのだ、と。


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