ルドルフ・シュタイナー

「呼吸過程について」

佐々木義之 訳

1908年1月16日)

Guidance in Esoteric Training(Rudolf Steiner Press)


 私たちの前回の講義では、人類の進化全体を通して明らかになる精神生活の偉大な法則と原理について、つまり、物理平面上で起こるあらゆることがらを見渡し、各時代を通して交代で指導力を発揮する偉大な精神的諸力についてあらかじめ考察しました{ガブリエル(1510〜)、ミカエル(1879〜)、オリフィエル}。これと対比して、今日は人間の内面生活を検証することによって、いくらか親密な仕方で精神生活の法則について議論してみたいと思います。

 秘教的な訓練に乗り出す探求者は誰でも、ある意味で、待つべき人です。彼は、彼が通常知覚している世界とは異なる、新しい世界がいつかは彼に現れることを期待しながら、つまり、彼がいつかは自分に、「私は新しい世界を知覚する。私は今、私がかつて物理空間中で知覚していたあらゆるもののただ中に、以前は私には隠されていた多くの精神的な存在たちを見る。」と言うことができるようになるのを期待しながら待つのです。皆さんがこのことを明確に理解するためには、人間がその進化の過程の中で通過していく七つの意識段階について思い出さなければなりません。これらの内で最初のものは鈍くぼんやりとしたレベルの意識ですが、人間はその中で自分を宇宙と一体のものとして感じていました。私たちはこの状態を土星段階と呼びました。太陽段階においては、意識はより狭い範囲に限定されましたが、そのためにより明るいものになりました。人間が月の存在状態を通過したとき、その意識は、その最後の名残として、私たちが夢の中で、つまり、鈍い像の意識の中で経験するところのものに似ていました。現在、地球上で、私たちは明るい昼の意識を有しています。この意識は私たちが木星上で、再び像の意識、ただし、そのときには明るく照らされた像の意識ですが、を発達させるときにも私たちとともに留まるでしょう。人類はさらにふたつの段階、つまり、インスピレーション意識とインテュイション意識へと順次上昇して行くことになります。ですから、私たちの明るい昼の意識は鈍い月段階の意識と木星の照らされた像の意識との間に中間的なものとして位置しています。秘教学徒はいつの日か木星意識が彼に現れるのを待ちます。皆さんは遅かれ早かれ誰でもこれを達成するでしょう(これはそれぞれの人の受け入れる能力、その人の内的な準備の程度にかかっています)。

 人間は誰でも彼の内に木星意識の萌芽を担っています。未来の意識は人間が気づくことができないような非常にデリケートで一時的な仕方で現れます。秘教的な生活は、かなりの程度、自分自身と自分のまわりに起こる微妙な経過を正しく説明することを学ぶことからなっています。古い月の意識もまた完全に消え去っているわけではありません。その最後の名残が残っています。古い月意識と新しい木星意識の両方が今日の人間の中に見出されるのですが、前者は恥ずかしさの感情の中に、後者は恐れと不安の感情の中に見出されます。血液は恥ずかしさの感情の中で、体の表面、その周辺へと押しやられるのですが、その中には月意識の最後の名残が生きています。不安の感情の中で、血液は心臓へと逆流しますが、その中で木星意識が自らを告げます。私たちの通常の昼の意識はこれらふたつの方向へと分岐しているのです。

 私たちが何かを恥じて赤くなるとき、私たちは月存在の思い出であるところの何かを経験しています。月人間を想像してみて下さい。彼は、まだ自分のことを「私」とは言えませんが、ぼんやりとした鈍い像の意識の中に生き、彼が彼自身それと結びつき、それと調和していると感じていたアストラル的な諸力と存在の中に完全に横たえられていました。よろしいですか皆さん、そのような月人間が、ある日突然、「私は『私』だ。私は他の人間とは違う。私は独立した存在であり、私の周囲の存在たちは皆、私を見ている。」と感じ始めたと想像してみて下さい。そのような月人間が感じた恥ずかしさは彼の中で圧倒的な力で燃え上がったことでしょう。もし、彼がそのような未成熟な「私」の感情を経験していたとすれば、彼は消えてしまおうと、恥ずかしさで死んでしまおうとしたことでしょう。よろしいですか皆さん、私たちも恥ずかしさを感じるときには、消えてしまいたい、床の下に入り込みたい、私たちの「私」を解消してしまいたい、と思うでしょう。古い月人間がいかに彼の周囲の力や存在と調和していたかを思い描いて下さい。もし、他の存在が敵意を抱いて彼に近づいてきたとしても、彼はどうしたらよいか考える必要はありませんでした。彼は本能的にそれを避ける方法を知っていたのです。彼は、もし彼が意識をもっていたとすれば、おおよそ次のような仕方で、つまり、「私は、世界の法則はこの野生の動物が私をバラバラにするのを許さないだろうということを、世界の調和は、私の敵から私自身を守る手段が存在する、というようなあり方をしてしている、ということを知っている。」と表現したであろうような仕方で行動しました。古い月の人間は彼自身が宇宙の諸力と完全な調和の中にあると感じていました。もし、「私」の感情が彼の中に目覚めたとすれば、この調和は直ちに破られたことでしょう。そして、実際、地球上で

「私」の感情が人間に浸透しはじめたとき、それは彼と彼の周囲の環境との間にますます不調和をもたらすようになったのです。超感覚的な聴覚を有している人は誰でも、宇宙が圧倒的な調和の中で鳴り響くのを聞きます。そして、これと比較して、個々の人間から彼のところに届く響きを聞くとき、彼は不調和を、ある場合にはより大きく、ある場合にはより小さいとはいえ、それでもやはり不調和を聞きます。皆さんの使命は、皆さんの継続的な進化を通して、この不調和を解決し、調和へと解消することなのです。この不調和は「私」によって生じたのですが、とはいえ、それは宇宙を支配し導く精神的な諸力の叡知を通して生じてきたのです。もし、人間が調和の中に留まっていたとすれば、彼は決して独立した存在にはならなかったでしょう。人間が自由に彼自身の力で調和を取り戻すことができるように、不調和が導入されたのです。そのために、自分自身に意識的な「私」の感情が内的な調和を犠牲にしてでも発達することが必要だったのです。木星意識が点火され、人間が宇宙の諸力との調和的な関係を取り戻すときが来れば、そのとき、彼は彼の新しい意識状態の中でも、自意識を持った「私」の感情を保持していることでしょう。つまり、彼は独立した「私」なのですが、にもかかわらず宇宙との調和の中にあることでしょう。

 私たちは新しい木星意識が既に恐れと不安を感じる能力の中に自らを告げているのを見てきました。しかし、いつもそうであるように、未来の状態があまりにも早く現れるとき、それは未成熟で場違いなものになります。ひとつ例をあげてみましょう。8月に開花するべき花を温室に入れて、既に5月に咲かせるように強制することができます。本来開花するはずの8月には、それはもはや咲きません。そのための力が使い果たされて、それが置かれた条件の中で正しい位置を見出すことがもはやできないのです。5月にも、それは温室から出された瞬間に死んでしまうでしょう。何故なら、それはその季節の文脈の中には属していないからです。不安の感情についても同じです。今日、それは行き場がありません。そして、未来においてはますますそうでしょう。私たちが不安を感じるとき、何が起こるでしょうか?しっかりとした中心点を形成し、人間を外の世界に抗して強化するために、血が人間の中心へと、つまり、心臓へと押し戻されるのです。これを行うのは「私」の最も内的な力です。血に影響を及ぼすこの「私」の力はますます強く、ますます意識的にならなければなりません。つまり、木星上では、人間は自分を強くするために全く意識的に彼の血を彼の中心点に向けることができるようになるのです。けれども、今日この血の流れに結びついた恐れの感情は有害で不自然なものです。未来においてはそうであってはなりません。恐れとは無縁の「私」の力のみが活動的であるべきなのです。

 人類の進化全体を通して、外的な世界は私たちにとってますます敵対的なものになっています。皆さんは、皆さんの内的な力を皆さんにのしかかる外的な世界に向けることをますます学ばなければなりませんが、不安は消え去らなければなりません。特に、秘教的な訓練において前進する人にとっては、すべての恐れと不安の感情から自分を自由にすることが必要です。不安が一定の正当性を有しているのは、ただ私たちが自分を強くする必要があることを私たちに気づかせる、という点においてだけです。とはいえ、人間を苦しめるすべての不自然な不安の感情は全体として消え去らなければなりません。木星意識が始まるとき人間がまだ恐れと不安の感情を有していたとしたら、何が起こるでしょうか?その段階で、外的世界は今日の人間にとってそうであるよりもはるかに、はるかに敵対的で恐ろしいものになっているでしょう。不安の習慣から脱していない人は誰でも、そこで恐ろしい戦慄に次ぐ戦慄へと陥ることになるでしょう。

 この状態は既に今、外的世界の中に準備されています。それは、前回皆さんにお話ししたやがてやって来るオリフィエルが支配する恐怖の時代には、もっとはっきりと自らを現すことでしょう。その時代が来たとき、人間はしっかりと立つことを学んでいる必要があります!現在の私たちの文化そのものが、木星上で人類を脅かすあの恐怖のモンスターを創造しているのです。今日、人間の技術があれほど天才的な仕方で構築している巨大な機械類を見て下さい。人類は将来彼に向かって荒々しく立ち向かってくるであろう悪魔を自分で創り出しているのです。今日、彼が技術的な装置や機械として組み立てるものは、将来、生命を獲得し、恐ろしい敵意をもって彼に反抗するでしょう。単なる便宜のためや、個人や集団のエゴイズムを満足させるためにだけ創造されるあらゆるものは、人間にとって未来の敵になるでしょう。今日、私たちはあまりにも私たちが為すことから有利な便宜を得ることに関心を持ちすぎています。もし、私たちが本当に進化と前進のために役立ちたいと思うならば、何かが役立つかどうかではなく、それが美しいかどうか、高貴であるかどうかに関心を持つべきなのです。私たちの行動は、単に便利さによってではなく、美しいものへの純粋な喜びによって導かれるべきです。芸術的な必要性を満たすために、純粋な愛と美の中で人間によって創造されたあらゆるものもまた、将来、生命を獲得し、そして、彼のより高次の進化のために貢献するでしょう。今日、いかに何千、何万という人間たちが、その幼い子供時代からずっと、物質的な便宜に基づいた活動のみに従事させられているかを見るのは恐ろしいことです。彼らはそのすべての生活において、あらゆる美しいもの、芸術的なものから切り離されているのです。どんなにみすぼらしい小学校にも最高の芸術作品が架けられていなければなりません。それは人類の進化にとって無限の祝福となるでしょう。今日、人間は自分の未来を構築しているのです。今日、絶対的な善も、絶対的な悪もないということをはっきりさせるならば、木星上では事態がどうなるかについてのアイデアを得ることができるでしょう。どの人間の中にも善と悪が入り混じっています。善良な人は誰でも自分の中に悪よりも少しばかり多い善を有しているに過ぎないということ、善ばかりを有しているのではないことに気づくべきです。けれども、木星上では、善と悪が混合されることはもはやありません。人類は完全に善なる人たちと完全に邪悪な人たちに分かれるでしょう。今日、私たちが育成するあらゆる美しいもの、高貴なものは木星上における善なるものの強化へと導き、エゴイズムや便利さの結果として生じるあらゆるものは悪の強化につながります。

 人間は、未来の悪の力に対等に直面できるように、彼の「私」の内的な力を自分のものにしなければなりません。彼は全く不安なしに悪に直面できるように自分を強化するような方法で、意識的に血を制御することができなければなりません。彼は血を内側に向ける力を手にしなければならないのです。けれども、彼はまた血を周辺に向けて流れさせる別の能力をも失うべきではありません。木星状態とは、ある意味で古い月意識への回帰を意味することにもなります。人間は偉大な宇宙の法則との調和を取り戻し、それらと自分が一体であると感じるようになります。彼は宇宙の精神的な諸力と共にに流れる能力を取り戻すのですが、月の上でそうであったように、無意識でぼんやりとした仕方でそうするのではありません。木星上では、彼はいつでも彼の明るい昼の意識と自意識的な「私」の感覚を保持するのですが、にもかかわらず、宇宙の諸力や法則との調和の中で生きるのです。不調和はそれ自体、調和へと解消されるでしょう。そして、この宇宙的な調和の中へと流れることができるために、彼は彼の「私」の最も奥深いところにある力が彼の心臓から輝き出るようにさせなければなりません。言い換えれば、彼は、敵に直面したとき、血の内的な力を意識的に彼の中心に向けて導くことができるとともに、それを意識的に輝き出させることができなければならないのです。彼が未来の条件に対抗できるのはそれができるときだけなのです。

 内的な発達に向けて努力する人は誰でも、既に今日、これらの力を徐々に制御し始めていなければなりません。これは意識して息を吸ったり吐いたりすることを学ぶことによってできます。人間が息を吸い込むとき、彼を宇宙の力に結びつける「私」の力、心臓から輝き出るところの力が活性化されます。そして、彼が息を吐いて止めるとき、心臓に向けて押し進み、それを確固とした中心にするところの「私」の力が活性化されます。こうして、その学徒は−今日でさえ−、私がお話しした意識的な呼吸の訓練をすることによって、彼の「私」の力を徐々に支配することを学ぶようになるのです。けれども、もし、まだ教授を受けていないならば、誰もそのような訓練に助けなしに取りかかることができると信じるべきではありません。誰でも、そのための正しい時が来れば、教えを受けることになります。とはいえ、まだそのような訓練を実践していない人でも、その訓練の目的に対する理解を深めるのが早すぎる、ということは決してありません。それは後になってその訓練をそれだけ一層実り多いものにするでしょう。よろしいですか皆さん、皆さんは皆さんや宇宙の中にある微妙な経過に対する理解をますます発達させ、そして、徐々に人間進化の未来の時代へと成長していくべきなのです。

 

(同じテーマでの、1908年1月26日のベルリンでの講演からのノート)

・・・私たちが息を深く吸って止めるとき、私たちは古い月の状態の一部を繰り返す。一方、私たちが息を私たちの外に残すとき、私たちはいくらか木星を経験する。秘教学徒が何らかの理由で月の状態を経験する必要があるときには、息を止める訓練を受ける。もし、彼が木星状態に至る必要があるとすれば、息を彼の外に残す訓練を受ける。それぞれの人間は個別に考慮される必要がある。

 私たちは人類の流れが既にふたつに分かれはじめているのを知っている。ひとつは善と道徳に向けて引き寄せられ、もうひとつは恐怖と悪に終わる。そのような条件が既に近づいている。その種は既に存在している。機械や装置のようなあり方で、今日、世界の中に存在し、発達させられているものは、木星上では、驚くべき恐怖のデーモンとなる。便利さの原則を押し進めるだけのために奉仕するあらゆるものが、いつかはそのような恐ろしい力として自分自身を主張するだろう。もし、私たちが便利に使うための器具を、その便利さだけでなく、とりわけ美と善をも伝えるものへと変容させるならば、この過程を阻止することができる。私たちがこのことを知っているのは非常によいことなのだ。そうでなければ、そのような諸力はいつの日か地球をバラバラに引き裂くことになるだろう。私たちはまた、教育において子供を芸術的な創造や印象の中に置くことがいかに途方もなく重要なことであるかを見ることができる。芸術は人間を自由にする。機関車でさえいつの日か美しい機械へと変容させられなければならない。私たちの恐れや不安の感情は他の邪悪な存在たちに栄養を与える。私たちはそのような考えの餌食にならないようにしなければならない。木星上では、そのような存在たちが今よりももっとはるかに多く私たちを取り囲むことになる。けれども、クリアーなオーラを維持している人は誰も汚物のまわりに群がるハエの心配をする必要がない。


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