風のトポスノート291-300

(2001.3.1-2001.3.19)


291●放っておく愛情

292●「時」ほぐす対話

293●身体図式と身体イメージ

294●かたちと形

295●鉱物感覚

296●今様

297●そう考えなくてもいいんだ!

298●貧困の哲学

299●マテーシス

300●呼吸

 

 

風のトポスノート291

放っておく愛情


2001.3.1

 

 臨床心理学をやっていると、いろいろな病気をもった子どもがやってくる。その子どもの病気を治す、というよりは、一緒に子どもと遊んでやることが私の仕事になっている。

 最近の子どもは「悪の体験」がなさすぎると思う。別な見方をすれば、「悪の体験」をする機会を奪われてしまっているのではないか。(…)

 親の監視が行きとどきすぎて、子どもは悪いことや失敗を通じて成長していく機会を奪われているのだ。したがって、片寄った「よい子」ができてしまう。私が強調したいのは、この種の「よい子」についてである。

 家庭内暴力をふるう子は、そのほとんどが「よい子」であるといって間違いない。悪の試練ーーたとえばカエルを捕ってきて、放り投げて殺してしまい、後悔にさいなまれるといったような、誰しもが経験するようなことーーの体験が都市では味わいにくいのである。土をこねて、土と結びついて泥んこ遊びをするとかの、ある種のつらさを経たものが子どもに蓄積されてこないのだ。(…)

 子どもたちは、「悪の体験」を延期しつつ思春期に入ってくる。この思春期の爆発力はものすごいものである。この爆発に、教師や親も堪えかねてしまう。子どものためならばなんでもしてあげるという母性的な面が出すぎている。爆発したものにしても、母性は立ち向かうことはできない。暴れだしたらもうおしまいである。

 結局のところ、要約していえば、子どもに悪の体験をしてもらうのもよいが、これはむしろ、「放っておく」のがよい。これからの親は「何かをする」とかに対してではなく、むしろ「何かをしない」という愛情のために心のエネルギーを使うべきである。

(河合隼雄「対話する人間」講談社+α文庫/2001.2.20発行/P96-100)

 ここで「母性的」といっているのは、もちろん女性だけのことではなく、男性ー女性を越えた母性的なものということである。そういう意味では、日本には昔から父性はほとんど希薄で、戦前の父性のように見えていたお父さんの権威のようなものも、その多くは、きわめて母性的にできている社会のなかで母性原理を遂行していたにすぎない。従って、「父性の復権」というのは意味をもたない。

 最近、「教育の崩壊」ということがいわれたりもするが、おそらくは、むしろ「教育の過剰」ということなのではないか、と個人的には見ていたりする。もっと正確にいえば、子どもをあまりにかまいすぎる。子どもにあまりにも事細かに干渉しすぎる。そして、子どもを「よい子」にさせようとする。

 「よい子」にさせようとするということは、「悪の体験」を排除してしまって、それによって育てていくべき魂の力をスポイルしてしまうということである。だから、そのエネルギーはなんらかの形で外化せざるをえなくなる。

 「シュタイナー教育」とされるものが、とくに日本において難しく両義的なのは、それが多くの場合、子どもに対する過剰な干渉になりうるということではないだろうか。ほんらい、「シュタイナー教育」は子どもの自我の発達をサポートする側面があり、そのために、非常に意識的な教師の役割が要求されるわけであり、それによって子どもは非常に個性の強い、というかクセの強い子どもになる。けれど、「教育の過剰」の延長上にあるものとして「シュタイナー教育」が機能してしまったときどうなってしまうかということは、ちゃんと考えておく必要のあることではないだろうか。

 おそらく、子どもを「よい子」にさせようという親の善意は、ともすれば「悪の体験」に対して規制的に働いてしまうのではないだろうか。子どもを「放っておく」ということができないということである。そのためには、「放っておく」「干渉しない」ということのほうにも、愛情を注ぐことができればいいのだけれど・・・。

 

 

風のトポスノート292

「時」ほぐす対話


2001.3.4

 

 予め話の筋を決め、どのような話しぶり、表情をするかのシナリオを決めておく場合、独話(モノログ)の一種なので話は別だが、対話の場合、つまり、話の進展に応じて、語り手の意思もまた変化していく場合、初めからコミュニケーションとメタ・コミュニケーションが分離しているのではなく、渾然として融合している。この両者のレベルが融合している状態を、私はコミュニカビリティと呼びたいのだ。さらに言えば、コミュニカビリティが分節化することで、コミュニケーションとメタ・コミュニケーションに分かれてくるということだ。コミュニカビリティの自己展開としてコミュニケーションがあるという構図を読み込んでもよいかもしれない。

 結局コミュニカビリティの層を持ち出すのは、語ることをそもそも可能にする前提条件が、語ることに先だって存在するという装いを取りながら、語ることの中で整えられていくこと、おそらく、可能性の濃度が現実のプロセスの中で充実されていく過程があるということが述べたかったのだ。

 時(とき)が本来「解き・溶き・説き」であって、自らを解きほぐし、展開する中で、己の姿を表わすのと同じように、語ることも自らを解いていくのだろう。

(山内志朗「天使の記号学」岩波書店/2001.2.7発行/P106-107)

 プラトンの対話編。ソクラテスの哲学的方法としての対話。対話のプロセスのなかから紡ぎ出され生成してくるなにか。

 それはまさに弁証法。対話は差異をきわだたせ、矛盾という子どもを産む。そしてその子どもたちが豊かに育ち、力を合わせ実りのときに向かう。

 もちろん、カインとアベルのようなことにもなりがちではある。ゆえに、ソクラテスは裁判で死罪になる。毒杯という対話の結末。

 独話(モノログ)のなかにも、対話(ディアログ)がなければならない。独話だからといって、それが矛盾を生まないというわけではない。むしろ独話だからこそ、毒話となり、むずからが析出せざるをえなかったものが毒として、みずからのなかを駆けめぐり、死への毒杯となる。もっとも、適度な矛盾をみずからの糧として、孤高の独話を紡ぎあげ、壮大な織物をつくりだすこともできる。

 宇宙がなぜこのように生成しているのかをイメージしてみる。それは、時の謎でもある。

 宇宙はみずからを解きほぐすために、みずから独話を始めた。独話をはじめたということは、みずからのなかに差異をつくりだし、それが対話をはじめたということである。

 宇宙の自己認識としての時。そのための差異と矛盾による生成のプロセス。

 それを雛形として、天と地の弁証法もはじまったのではないか。カインとアベルのようなありかたもそのひとつのエピソード。神に愛でられた存在と愛でられない存在。自由の起源は、神に愛でられないことによるものなのか。その矛盾のなかで、時は解きほぐされてゆき、さまざまな生成プロセスそのものでもあるタペストリーになってゆく。

 

 

風のトポスノート293

身体図式と身体イメージ


2001.3.4

 

 <身体図式(body schema)>とは、自分の身体全体または身体の部分の空間的関係に関するイメージ(身体像)を成立させる意識下の働きであり、常に意識の中心にあるものではないが、それは常に身体の動き・調整・イメージの尺度を形成し、その尺度に従って、当人が引き続いて起こる変化が判断できるようにするものである。こういった一見抽象的な身体の層が持ち出されるのは、身体のあり方に関する現実的なイメージである<身体イメージ(body image)>が絶えず変化していながら、身体表象の連続性・統一性が見出されるからであり、だからこそ、<身体イメージ>の下に、別の身体の層が想定されたのである。この<身体イメージ>は、<身体図式>をいわば「文法」として、この図式の下に構成されるのである。

 自分の身体がどんな姿勢をとっているか、身体の諸部分の関係がどうなっているかは、<身体図式<の働きに基づいて意識されることとなる。そればかりではなく、着衣などの空間行動を視覚など用いないで適切にできるのは、<身体図式>のためである。<身体図式>とは、意識に上らなくとも、身体を自分の身体として、身体の諸部分が相互に調整された状態で機能するものであり、現実的な身体表象や身体運動を準備するものである。

 この<身体図式>は、多数の感覚的経験や運動的体験が総合されて形成されるという。そして、<身体図式>が意識されるようになると、<身体イメージ>として現われることになる。もっとも、ふだんは<身体イメージ>も順応の結果、意識されることのないまま、<身体図式>にとどまることは多いのだが、この<身体イメージ>の方は、自分の目で直接見られる姿であろうと鏡の姿であろうと、自分の身体が外界の人間と異なることに気づくきっかけを与えるわけだから、<身体イメージ>の基礎にある<身体図式>は自己概念の基盤ともなる、とされるわけである。(…)

 <身体図式>と<身体イメージ>について、それぞれが他者との関係を含んだものであることに注目すれば、それぞれ「他者関係図式」、「他者関係イメージ」と言うこともできる。他者への関係、特に情緒的な関係は、感情といったものが時間的なものであり、しかも他の精神状態と一緒になって心を占めるものではないがために、きわめて不安定なものである。ある場面で抱いた心の高まりも瞬時に消え失せることがある。絶えず消え失せるとしても、何度でも呼び起こすことができること、これが「ハビトゥス」である。感情は心の状態というより、ハビトゥスなのだ。…ハビトゥスが定着するには、身体、いや少なくとも身体的なものが必要だ。だから、自己の身体へのイメージ(身体イメージ)が明確になっていない場合、人は安定した感情を持ちにくい。安定した感情を抱くために、人は自らの身体を形作り、装う。しかしながら、<身体イメージ>を明確にしても、安定した心の状態が訪れるわけではない。他者との関係は、基本的に問いかけと応えから成立しているからだ。自分の眼差しに感情があるのではなく、眼差しを交わし合うことに感情の現実態がある。

(山内志朗「天使の記号学」岩波書店/2001.2.7発行/P120-126)

 私たちが自分の身体としてとらえているものは、物質的な肉体のことだとはいえない。もちろん、人の身体としてとらえているものも、物質的な肉体のことだとはいえないだろう。

 私たちは自分の身体について、ある種の「文法」をつくりあげ、その「文法」に従って、自分の身体のイメージをつくりあげる。

 たとえば、自分の理想の体重はこうでなければならないという「文法」があるとき、その「文法」に従って、自分の身体のイメージはつくりあげられることになる。だから、人からずいぶんスリムですねといわれたとしても、自分の基準でそうでなければ、決してスリムではない。

 自動車を運転する場合などを考えてみると、その場合、私たちの身体の文法は自動車のボディにまで拡大されている。でなければ、運転はなかなかスムーズにはいかない。自分がどのような自動車に乗っているかということが自分のアイデンティティにまで拡大されている場合、その自動車そのものが自分の身体になっているということはよくみられる。だから、ベンツに乗っている自分が自分の「文法」であるならば、そうでない自分というのは自己イメージを阻害してしまうし、また、ベンツないしはそれに値しない車(だと思っている車)に乗っている他者は、その自分のベンツとの対比においてイメージされる。ファッションや家、持ち物、教育、言葉等に至るまでそうした「図式」と「イメージ」は適用されて、自分ー他者(の身体)ということになる。

 なぜ、自我が成立するために、この地上的な肉体が必要とされるというのだろう。おそらくそれは、他者の身体との関係において、「自己の身体へのイメージ(身体イメージ)」を明確にし、「ハビトゥス」を定着させるということが必要だからなのだろう。自分の身体の「文法」をつくることによって、自分の身体に関しその「文法」に沿ってイメージすることができるようになるし、その身体イメージという「場」のなかに、自我の「種」は植えることができ、そこで育つことが可能となる。

 身体というのは、精神科学的にいうならば、肉体の身体とエーテル体の身体とアストラル体の身体があり、人は生まれて7年ごとにそれらが生まれてくるというように、身体の図式とイメージの形成に関して、それらのバランスの良い発達が重要であるということになる。そしてそれらの成長の後に、自我が発達を始めることができるが、それらがちゃんと発育していないところに自我が芽を伸ばしてきたとき、それはその「場」の影響を深く受けることになってしまうのだろう。

 ところで、自分が自分だと思っている自分の身体イメージをイメージしてみるとかなり面白いのではないだろうか。それと同時に、自分の関わるさまざまな人たちが、おそらくはイメージしているであろう身体イメージも。もちろん、同時にそれらに働いているであろう「文法」も。

 そうしてみるとわかるのだけれど、人はかなり滑稽ではあるが、悲しく切ない存在である。まるで悲劇を演じている道化のように。もしくは、喜劇を演じている悲しきヒーロー/ヒロインのように。それゆえに、愛すべき存在であるともいえる。

 

 

風のトポスノート294

かたちと形


2001.3.4

 

 肉体が<形>をもつのは、自明のことだ。その<形>には、外形、髪型、姿勢、身のこなし、服装、表情、化粧などが含まれるわけだが、それらは、個々人の行為の目的にとって、付随的・偶有的なもののように見えて、むしろそういったものが決定的な役割を果たすことは少なくない。

 しかし、<形>における、微妙な差異が決定的な違いを産み出すことも少なくない。<形>は幾何学的な形状における類似性や感覚刺激における類似性によっては分類されない差異を宿している。たとえば、「筆の勢い・筆勢」とはどういうことだろう。<形>は微差しかないのに、一方が生命力に溢れ、別のものが死んだものにみえるのはどういうことなのだろう。説明の仕方は様々ありそうだが、<形>のレベルにとどまらず、その<形>を産み出した人間の内面にあった<かたち>ということを考えると説明しやすいだろう。<かたち>に含まれる力が、何ものにも遮らずに発露し、<形>に定着するとき、躍動感が生まれるのだろう。つまり、<形>は、<かたち>が成立してきた、生成の跡を宿しているが故に、<形>の手前にあるものを表現しているが故に、様々なものを伝えられるのだ。(…)

 中世哲学では、形相(forma)と形態(figura)の区別があった。もちろん、近世以降、formaはform(形、形式)といった意味に平板化していったが。ラテン語のformaがギリシア語の「エイドス」の訳語でもあったことは思い出してもよいことだ。なぜなら、「エイドス」はプラトンの「イデア」と近い概念だったからだ。(…)

 <かたち>がイデアのように、純粋に知的なもので、<形>は感覚的なものと捉えればよいのだろうか。イデア論的に考えればそうではない。イデアも本来そうであったように、<かたち>は、純粋に知性的・天上的・抽象的なものではなくて、そこから<形>が生まれてくる基盤・母体のようなものだ。知性的なものと感覚的なものとの枠組みで考えれば、両者を媒介するものだ。<見えないもの>から<見えるもの>が生み出されてくる場合の媒介であって、見えることを成立させるものであるが故に見えないものであるもの、それが<かたち>なのだろう。ちょうど、光はものを見えるようにするが、それ自体は見えないものであるのと同じ様な意味で。(…)

 肉体には<形>があるからこそ、模倣することができ、そばにいることができ、抱擁することができる。しかし、<形>は<かたち>を備えていない限り、<から>のものになってしまう。そう、肉体は<からだ>となってしまう。肉体は絆・媒体となるものだが、それだけでは十分なものではない。

(山内志朗「天使の記号学」岩波書店/2001.2.7発行/P135-140)

 見えるものだけを見るのは見ていないということだ。見えないものを見えているものから見るということが見るということだ。

 宇佐見英治の『迷路の奥』(みすず書房/1975.6.発行)の「跋」には、リルケの「ぼくは見ることを学んでいる」、ティヤール・ド・シャルダンの「見ること。生そのすべてはここにあるといえよう」という言葉が引かれている。

 見ることを学ぶということは、<かたち>を見ることを学ぶということだろう。けっして<形>にとらわれることではありえない。

 あなたを抱きしめるということは、けっしてあなたの<形>を抱きしめるということではなく、あなたの<かたち>を抱きしめるということでなくてはならない。しかもあなたは天上のイデアではなく、身体という<形>をもったあなたなのだ。

 血を流してあなたを愛するということも、心血を注いで物を愛するということも、その<形>を生み出し続けている<かたち>そのものを愛することでなければらない。

 見ることを学ぶということは、あらゆる感覚に<かたち>を見ようとすることだ。音楽を聴くというのもその<かたち>を聴かねばならない。音のデータをいくら探してもそこには<かたち>は見つからないだろう。

 <形>を<かたち>と取り違えてしまうとき、そこにはからっぽの死骸しか見つからないだろう。物質は光となることをやめ、闇のなかへと沈んでいくだろう。

 

 

風のトポスノート295

鉱物感覚


2001.3.7

 

 宮沢賢治は盛岡高等農林学校で地質鉱学をおさめ、卒業後も助手としてしばらく研究室に残り、稗貫郡の土性調査に加わって方々を歩き廻った。そういうよく知られている経歴を思えば、彼の詩に岩石、鉱物のイマージュがまるで日常語のようにふんだんにあらわれることは、ごく自然なことだと思われる。しかし私を驚かせ、私の心をとらえたこうした隠喩の不思議さ、奇異さは、術語の頻出とは関係はない。それはまた履歴や環境によって説明のつくことがらでもない。(…)

《なぜ賢治は、刻々と移り変わる雲の形状や色合いをとらえるのにあんなに度々鉱物や鉱物のメタフォールを用いたのだろうか。》(…)

《賢治の隠喩が奇異に思えるのは、雲のように柔らかな気体、目に見えぬ大気の流れに、そのような不壊の固物を結びつけたということ、そればかりではない。もし賢治の隠喩がただしければ、ーーー本当の神秘は、天空にある雲なり空の色合いが、地中の奥深く、地殻の中に隠されているということだ。賢治は「亜鉛の雲」といい、「蒼鉛いろの暗い雲から/みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という。なるほどいつか見たあの雲、山の端に垂れこめて動かぬあの雲の一塊はたしかに亜鉛色の重さと暗さをもち、ときに陽光に燦めいたり翳ったりしていたではないか。またここ数日、雨が降ったり止んだり森が雨空に閉ざされているが、午後から一段暗さを増してきたこの空の色を、蒼鉛いろという以外にどんな正確な名で呼んだらいいだろうか。》(…)

 噴出するロケットのように、下方の星をもとめて打ち下ろされるハンマーの響きはまことの言葉と成って彼の想像力を上方に向わせ、青いそらの寂光をめぐらせる。十一歳のとき、「石コ賢さん」とよばれるほど彼は鉱物採集に熱中した。彼は三十回も岩手山に登った。盛岡高等農林に入った賢治は土曜、日曜になると、採集用のハンマー、主食のビスケット、水筒、五万分の一の地図、星座表をバッグに入れ、近郊の山野を次々跋渉した。「盛岡付近の岩で頭を出しているものは、賢治のハンマーで叩かれないものはないというほど」彼は歩きまわった。賢治はいま「世界が一つの意識となり生物となる方向」をめざして、空にのぼり、次の詩にあるとおり「氷窒素のあたりから、すてきな化石を発掘」しているのかもしれない。それが賢治にとって、ほんとうはいちばん好きな仕事であったにちがいない。

(宇佐見英治「石の夢」筑摩書房/1994.12.10/P216-227)

 小学校、中学校の頃は、暇さえあれば、石や鉱物、化石を探して山を歩きまわっていた。きっかけになったのは、毎月届けられる「科学」という雑誌の付録。黒曜石のあの不思議な輝き、硬度9のコランダム、内から不思議な光が浮かんでくる蛍石・・・。毎日毎日標本から取り出しては、飽かず眺め続けていた。この鉱物への不思議な親近感は、その後もずっと続いている。

 賢治の魅力は、おそらくこの鉱物感覚的なイマージュに満たされているというところにあるのだろうと思う。賢治からこの鉱物感覚を取り去ってしまうことはできない。

 ノヴァーリスと宮沢賢治に共通するものーーとりわけ、鉱物感覚。ノヴァーリスは鉱山学校で何を学んでいたのだろう。鉱物のどんな秘密を探り当てていたのだろう。

 賢治は、「天空にある雲なり空の色合いが、地中の奥深く、地殻の中に隠されている」ことを知っていた。だから、ハンマーを「下方の星をもとめて打ち下ろ」し続けた。

 鉱物ははるか天空からやってきた存在であり、今は地中深く眠っているが、やがては天空に帰っていかねばならない・・・。花の色も惑星の色であるように、地上のさまざまに天空を見ることのできる感受性を失ってはならないだろう。そういう感受性を失ってしまったとき、人も物もすべては即物的なものでしかなくなってしまう。

 

 

風のトポスノート296

今様


2001.8.8

 

『秘抄』の歌詞は、和歌の伝統的な語彙の他に、和讃にみられるような仏教用語を多く用い、またさらに宮廷外の人々の日常語、すなわち雅語に対しての俗語を用いる。俗語の大部分は、おそらく新語ではない。それぞれの語には、意味論的な含みの豊富な領域があり、同時代の和歌よりもその歌詞を「今様」または現代風にしたばかりでなく、そこに独特の詩的余韻を作りだしたのである。「今様」とは十二世紀において成功し現代詩である。ーーしかしそのことが、二〇世紀後半の、今日の日本の現代詩の可能性に示唆をあたえるかどうかは、またおのずから別の問題である。そうであり得るためには、古くから使われてきた日常語と新語とを区別しなければならない。しかるに今では、日常語のなかへの新語の侵入が著しい。新語を駆使して一瞬の想像力を刺戟するのは、詩人よりも「コピー・ライター」の仕事であろう。しかも今日の社会は、叙情詩よりも広告を重んじる。

(加藤周一『梁塵秘抄・狂雲集』岩波書店・同時代ライブラリー316/1997.8.11発行/P24-25)

 『梁塵秘抄』は、後白河法皇の編んだ平安時代の歌曲を集大成したもの。歌曲とはいえ、写本が発見されたのは主に今世紀になってからだというのもあり、音楽としての側面はわからないようである。何に対して「今様」かといえば、『古今集』や『新古今集』に対してであろう。

 有名な歌には次のようなものがある。

 

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動がるれ

 

仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる

人の音せぬ暁に 仄かに夢に見えたまふ

 

極楽浄土のめでたさは 一つも空(あだ)なることぞなき

吹く風立つ波鳥も皆 妙なる法(のり)をぞ唱ふなる

 

 さて、現代の今様といえば、現代詩といわれるものの占める場所は決して大きくはないように思える。和歌や俳句の世界も事情は同じなのではないか。むしろ、それは流行歌の世界なのだろう。それは繰り返し繰り返し歌われることで、現代の「今様」の大きな柱を形成しているように思える。

 とはいえ、それらはもはや、後白河法皇の編むようなものではなく、現代的なメディアを通じ、カラオケさえ通じて、広く隅々にまで浸透することと相成っている。それらは、まさに曲と一体となった歌曲であり、歌詞だけが独立して読まれることは稀であるし、曲なしで歌詞だけを思い出そうとするのは難しいほどである。

 個人的な体験でいうとしても、ぼくのなかにはそんなさまざまな「今様」が生きている。日本だけにかぎらず、その「今様」はインターナショナルである。ジョン・レノンの「イマジン」やサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、ビートルズの「レット・イット・ビー」などもそうであるし、井上陽水の「傘がない」、中島みゆきの「時代」、森進一の「襟裳岬」、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」などもすでに古典的な香りさえする。

 そういう現代的な「今様」の感覚のなかで、たとえばぼくはコピーライターとしての仕事などもしているのだけれど、果たして、現代的な意味での創造的な言葉の使用というのは、いったいどういうあり方が可能なんだろうということを思うことがよくある。

 最近では、あまりに氾濫する「コピー」的な言葉の洪水に半ば辟易して、むしろ古典的な言葉の美しさを求めたりすることが多くなっているようにも思うが、現代において教育において用いられる言葉の難しさなどは非常なほどではないかと思える。

 かつて、教育は、たとえば論語の素読のようなもので、意味もわからないままただただ「子曰わく・・・」とやり、習字も決まったお手本を繰り返しやるようなところもあったのだけれど、むしろ、幼児期においては、現代のようなあまりに氾濫し不統一な言葉のアナーキーな洪水にさらされるというのは、かなり厳しい環境かもしれない。メディアに関してもあらゆるものがある。テレビやゲームなども、むしろ主軸のようにさえなっている。

 そういうなかで、どういうありかたが創造的に可能なのか。そのことを注意深く見ていかなければならないように思っている。

 

 

風のトポスノート297

そう考えなくてもいいんだ!


2001.3.13

 

 哲学は学問ではない。哲学は学問の逆である。それは学びの剥ぎ取りである。

 私たちは小さいころからいろいろなことを学んできた。いや、学ばせられてきた、と言ったほうが正確だろう。家で、そして学校で。他の学問はその学びの延長線上にあるが、哲学は違う。哲学とは、そうやって知らず知らずのうちに学ばされ、身につけさせられてしまったことを、ひとつひとつ剥ぎ取って、できることならそのすべてを自覚する作業なのである。

 どんな高度な内容でも、学ぶことは、ある意味では簡単である。しかし、知らず知らずのうちに学ばせられて、すでに身につけてしまってきたことを自覚することは、ひじょうに難しい。その難しさは、高度な内容を勉強して理解する難しさとは、まったく違う種類の難しさである。だがそれは、ある意味では、学ぶこと以上に楽しく、こころおどる体験なのである。なぜなら、それは、自分の外にある他のものを知る喜びではなく、現にある自分自身を深く、根底から知る喜びだからである。

 哲学は、だから、もし学問に含めるとするなら、例外的にネガティヴな学問である。それは根がまじめな人には向かない。どちらかといえば、根が不まじめな人、根が反抗的な人に向くだろう。「根が」というところに注意。やたらと学校の教師に楯突くような、表面的に不まじめで反抗的なのは駄目である。もっと根源的に、そんな反抗の仕方そのものにもはじめから懐疑的であらざるをえないような人がいい。だから、むしろ、根が疑り深い人、という言い方の方が適切かもしれない。

 いやむしろ、根がものわかりの悪い人、という言い方の方が適切だろう。(…)

 あまり知られていないことだが、勉強と道徳は根源が同じである。すべての勉強は「こう考えなければいけない」という道徳教育だからである。哲学とは、まさにこの道徳に反旗を翻す意志なのである。その第一歩は「いや、そう考えなくてもいいのではないか」という疑念から始まる。次に、それでも大多数の人が「そう考えなくてはいけない」と思い込んでしまっている理由の解明に向かう。そして最後に、できることなら、別の考え方の可能性を提示する。これが哲学の王道である。

 だから、この仕事は、勉強的にも道徳的にも、ものごとを素直に身につけにくい人にこそふさわしい。

(永井均「哲学することの価値」 講談社メチエ「学問はおもしろい」2001.3.10発行 所収/P15-17)

 哲学が何であるか、いまだによくわからないところだらけだし、あまり哲学しているとか自分でもあまり思わないのだけれど、こういうふうに説明されると、哲学がとても身近な感じになる。そうかあ、ぼくが勉強できなかったのは、学問に向いてなかったんだあ・・・というのはほとんど言い訳だけれど(^^;。

 小さなころから苦手だったのが、みんなが「そう考えなくてはいけない」と思っていて、自分ではどうにもそうは考えられないときで、そんななかで、たまに「そう考えなくてもいいんだ」と実感できたとき、とてもうれしかったのを覚えている。

 なんだか自分が見る世の中は、そこらへん中に、「そういうものだ」という勉強や道徳の網の目が張りめぐらされていて、どうして好きこのんでそういう網の目にかかって、どんどんがんじがらめになっているのだろうと、疑問だらけだった。そういうのって、いったいどういうことなんだろう。たぶん、縛ってくれないと寂しくて仕方がないのかもしれない(^^;。(まるでマゾだな。だから、人もそれで縛ろうとすサディストにもなってしまう。)

 ヴィトゲンシュタインは、たしか、哲学というのは蝿を蝿捕り壺から逃れさせてくれるものだ、とか言ったのではなかったか。そういうものとしてとらえられる哲学はとても魅力的だ。もちろん、その「哲学」は「哲学ー学」ではない。そうなるとそれは勉強&道徳になってしまうから。

 知識というのは、必要なものではあるのだけれど、それに縛られるためのものになってしまったとき、まるで子泣き爺という妖怪を抱いてしまったときのように、そういうものにのしかかられて身動きがとれなくなってしまうところがある。知識というのは、自分を自由にさせてくれるものではなくてはならない。それを得ることで、自分を縛っていた縄をほどいてくれるものでなくてはならない。そういう意味で、知識は哲学の光に照らされたとき、生きてくるのだろう。

 

 

風のトポスノート298

貧困の哲学


2001.3.18

 

 生活と人生は緊張を孕みつつも相互に依存している。生活できなければ人生の抱負を実現できないが、人生から意味の供給を断たれた生活は自己を再生産し続けるエネルギーを枯渇させてしまう。しかし、人生が生活に意味を供給できるためには、生活のための生活を超えた地平を生活に開示できなければならない。私たちの生は生活と人生の緊張を保持しつつ両者を統合していく営為である。生活は生の経済であり、人生は生の倫理であるが、両者の均衡をとりえなくなった生において生活と人生はともに崩壊する。

 私たちの社会では、経済大国の絶頂期から構造不況に悩む現在に至るまで、この崩壊が進行しているように思える。生活が人生から遊離したというより、生活が人生を吸収し蕩尽することで自らも疲弊している。人生が生活を意味付けるのではなく生活が人生を意味付けるという「生活による人生の簒奪」が、人生も生活も貧困化している。(…)

 私たちをいま支配しているかに見える経済の優位は結局、「時代の要請」や「トレンド」とみなされた生活様式という溶媒の中に、人生の意味を溶解させてしまう価値形成力の貧困に起因する。一日に100回もケータイでメールのやりとりをしないと不安を抑えられない高校生たちや、同じ不安に駆られてパソコンの前から離れられず「買物にも出られない」とぼやくEメール症候群の主婦たちの出現を私たちは笑えない。生活の手段に人生の意味を簒奪させて生活自体をも狂わせてしまうような同調圧力に抵抗できない弱さ、そのような抵抗を生み出す価値を自己の内部に自律的に形成する力の乏しさという、私たちの社会の一般的特徴を彼らは戯画的に象徴しているからである。「悲しき唯物史観」の主張とは逆に、この価値形成力の貧困は唯物史観が認識として敗北しながら、実践上の優勢をいまの私たちの社会において誇っていることを示す。実践上の優勢にすぎないがゆえに、実践的にそれを克服することは可能である。「より良く、より豊かに生きたい」という人々の希求が根底にある以上、価値形成力の貧困が私たちの生をいかに貧困にしているかを解明し、代替的な選択肢を提示することが、それを克服する実践の推進力になる。これは単なる貧困の経済的原因の説明ではなく、生の貧困化の意味の哲学的反省と、それを克服するための制度原理の政治哲学的考察を必要とする。「哲学の貧困」論を超えて「貧困の哲学」を再興することがいま私たちには必要であると言ってもいい。(…)

 本書の以上のような「貧困の哲学」は私たちの生を貧困化する現代日本社会の諸条件の摘示と改革を志向するが、何が「豊かな人生」かを人々に「教示」し、そのような生の範型に人々を「善導」しようとするものではない。むしろ、何が豊かな人生かを自律的に探究する人々の試行錯誤的実践と相互啓発が多様に、豊かに開花することを妨げる私たちの社会の桎梏を示し、さらに、そのような桎梏を政治的・経済的変革によって除去する私たちの共同事業の促進を妨げている共同性の未熟と民主政治の機能不全を明らかにして、それを克服するための政治哲学的原理と制度構想を探究するものである。このようなリベラルな「貧困の哲学」では物足りない、もっと強烈な人生の理想と目標を示せという人々に対する応答によって、この序文を結ぶことにしよう。このような人々がもつ「豊かな人生」の範型の公定への欲望こそ、私たちの生を貧困化するものなのである。

(井上達夫「現代の貧困」岩波書店/2001.3.7発行/xiii-xvii)

 いつのまに経済至上主義的な生が支配的になってしまったのだろう。経済至上主義にかろうじて抵抗しうるものは、地縁・血縁的な共同体意識以外にはみあたらない。しかしそういう意識さえ、「共同」して経済至上主義的志向をもったりもする。

 もちろん、武士は食わねど高楊枝的な、生活を度外視するあり方は逆の陥穽にはまっているともいえるし、なぜ「食わねど高楊枝」なのかという「生の豊かさ」を示すことができるとはかぎらない。もっとも、「食わねど高楊枝」はもはやレッドデータに記載されるほどだろうが。

 お金のために働くということ。これはある程度致し方ないとはいえるのだが、それがすべての価値観を支配してしまうとなるとそれは結局のところ「生」を崩壊させてしまいかねない。お金がたくさんあれば豊かに生きられると考えがちなのだが、さて、その豊かさとはいったいどういうことなのかが問題なのだ。

 億万長者が、無一文だが豊かに生きている賢者に対して、「私ももっと成功して余裕ができればあなたのように生きられるのだが…」と語るという、よく使われるたとえ話があるが、豊かに生きたいがために豊かさそのものを放棄してしまうという矛盾がそこにはある。

 問題は、多くの場合、お金の多寡ではないだろう。お金がたくさんあったほうが自由の可能性は高いが、人は多くお金によって自由を捨てることになってしまう。どちらにせよ、お金がなさすぎる場合も多すぎる場合も、いつもお金のことばかりを考えざるをえないという状態は、生を貧困化するに充分なのである。

 とくに日本人の多くは、集合的に生きるのが身についていて、「時代の要請」や「トレンド」を示してくれるものに容易にとびついて生きているところがある。「より良く、より豊かに生きる」ということさえも、だれかにその答えを見せてほしいのだ。「こうすればより良く、より豊かに生きられますよ」と。

 だから、遊びといえば、レジャーになり、テーマパークになり、スポーツになり、みんな一斉に同じ方向を向いて押し寄せる。それはもはや遊びではなくて、プログラムされた仕事のひとつなのだ。「時代の要請」や「トレンド」に乗り遅れてしまうと、とんでもないことになってしまうという意識が強い。子どもたちの話題にしても、そういうものが多くを占めるというところが、すでに生の貧困を示しているといえるだろう。そういう貧困に対してもっとも重要な示唆が必要な教育でさえも、結局のところ、どのようにすればいい教育ができるか、というプログラムを求めることしかできないということになってしまう。

 そしてその大きな牽引役といえば、マスコミであり、マスコミは経済至上主義以外の何ものでもない。というよりも、大多数の日本人が望んでいる価値観のプログラムをできるだけなにも考えなくても済むように教えてくれるというのが、マスコミの主な役割となってしまっているのである。

 価値観の脱プログラム化、そしてそのために、自分の生を形成している価値観がいったいどのようなものであるのかを問い直すこと。そこからはじめないかぎり、どこまでいっても、誰かがつくってくれた「より良いプログラム」を求めるという同じことの繰り返しにすぎなくなってしまうだろう。

 

 

風のトポスノート299

マテーシス


2001.3.18

 

 プラトンが自分のアカデミアの入口に、「幾何学を解さざる者、入るべからず」という箴言を掲げていたことは、有名な話だ。当時幾何学と言えば、後世で言うところの「数学」ということばに相当しているから、ここでプラトンは「数学的なものを把握していない者は、ここに立ち入ってはいけない」と言っていることになる。ちょっと考えると、プラトンはなにか「数」にかかわる学問を知っていなければ、哲学を学ぶことはできない、と言っているようにも見える。しかし、プラトンがここで言っている「数学」は数を扱う技術や学問には、関係がない。このことばの深い意味については、ハイデッガーが『物への問い』の中で詳しい探究を行なっていて、それによれば、プラトンの時代のギリシャ人は、「数学」の語源ともなったことば「マテーシス」を、近代の人々の理解よりももっと広い意味で使っていたというのだ。

「マテーシス」とは「学ぶこと」を意味している。そして、それから派生する「マテーマタ」とは「学びうるもの」という意味をもっている。人はどういうものを学ぶことができるのか、また教師はどういうものを生徒たちに、学びができるのか。

 教えるということは、与えることであり、提供することである。だが、教えることにおいて提供されるのは、学ぶことができるものではない。そうではなく、そこにおいては、ただ、生徒がすでに手にしているものを自分自身から取るようにとの生徒への指示が与えられるだけなのである。もし、生徒が、ただ、提供されたものを引き継ぐだけであるならば、その生徒は学んでいるのではない。生徒は、自分の取るものは自分自身が本来すでに手にしているものだと知る時にはじめて、生徒は学ぶに至る。すでに手にしているものを取ることが、自己自身を与えるということだという、そういうところに、また、この取ることがそのようなこととして、経験されるところに、はじめて真の学ぶことが存する。

(ハイデッガー『物への問い』創文社)

 私たちの誰もが、いつもすでに知っていることを、もう一度正確で厳密な知識として手に入れることが「学ぶ」ことで、教師はそういう知識だけを、生徒たちに教えることができるわけだから、たしかに教えることでもっとも多く学ぶのは、いつでも教師のほうなのだ。学ぶことは、教師と生徒の双方からおたがいにし向けられる行為なのであり、それはすでに誰でもが知っていることを、間違いのない、正確な知識として、受け渡すことに、その本質がある。そして、プラトンはほかのギリシャ人たちと同じく、それを「マテーシス」として、理解していたのだ。

(中沢新一「フィロソフィア・ヤポニカ」集英社/P215-216)

 教えるerziehenは、引き出すということであり、引き出すということは、すでにそこになければならないということである。

 教えることは与えることであり、しかも、学ぶ者は与えられるものをすでに手にしていなければならない、というのは、非常に示唆的である。

 仏教で発心ということがいわれ、そこに至るまでにこそ途方もない道程が積み重ねられてきている、というのも、その与えられるものを潜在的に手にすることこそもっとも困難であるということなのだろう。

 学ぶ者は、ある意味で、学ぼうとすることで、「汝自身を知る」のであって、そのためにみずからを鏡に映す必要があるのである。そして、その鏡に映ったものだけを学ぶ可能性が与えられる。しかし、鏡に映るものはおそらく過去の長い霊性の歴史のなかで、ひとつひとつ獲得してきたもの以外にはないのだろう。だから、みずからの姿をちゃんと鏡に映し出すことは非常な困難となる。

 何も準備のないまま学ぼうとしても、自分のなかの鏡に何も映すことができなければ、教える者は何も与えることはできないのである。

 もちろん、教えるものの側からもそれがいえる。学ぶものがその鏡にさまざまなことを映す可能性を持っていたとしても、教える者がその与えるものを持ち得ないとするならば、学ぶ者がそれを受け取ることはできないのである。少なくとも、教えるものは、知識ということを別にしても、学ぶものをより高次のレベルから鏡に映し出せなくてはならない。

 シュタイナーが、教師が子どもに働きかける場合、子どもの肉体に働きかけるには教師はエーテル体を、子どものエーテル体に働きかけるには教師はアストラル体を、子どものアストラル体に働きかけるには教師は自我を、子どもの自我に働きかけるには教師は霊我を働かせなければならない、というのはその意味でもあるだろう。

 さて、哲学が産婆術だというのもそれに似ている。生まれようと準備されているものをちゃんととりだしてそれを育てていかなければならない。

 しかしどちらにしても「マテーシス」の原則は、「学ぶ用意のできている者以外は入ることはできない」ということになる。もしくは「入る」ことはできるのだけれど、何も得られないということでもある。

 日々感じることでもあり、反省を余儀なくされ続けていることでもあるが、確かに、自分が少なくとも関心を持ち得ていないことについては、「馬の耳に念仏」のように、何もぼくのなかには反射されなかったりする。そして、ずっと後になって、自分がいかに学ぶ姿勢に欠けていたかを非常な後悔とともに思い起こすことだらけである。「叩けよ!さらば、開かれん」なのだが、ぼくはそのとき、それが扉だということさえ認識できていなかったのだ。その扉から入ることを禁止されていたのではない、それが扉だということがわからなかったのだ。「汝自身を知れ!」と扉に書かれてあるとしても、その文字が読めないのと同じである。その文字が読めない限り、それが扉であることに気づくことさえできないといことになる。

 秘儀が公開されてもそれが秘儀であることがわからない、というのもそれに近いのだろう。シュタイナーの著書や講義集にしても、その内容が読む者の鏡に映らない限り、その内容を理解することができないわけである。道理で、読んでも読んでも記憶に残らないはずだ・・・(^^;)。そういう意味で、学ぶための忍耐強い準備が重ねられる必要があるのだともいえる。

 

 

風のトポスノート300

呼吸


2001.3.19

 

勅使河原 そう。ぼくが怖かったのは“生きてる”というのを感じたときのほうが怖かったですね。

三浦 それはいつくの時?

勅使河原 幼稚園の頃かな。こういうふうに話してる時、三浦さんがいて誰々がいるんだなとは思うけど、実体は見えてても自分のことはみえてないですね。こう、自分だけ違うところにいて、そこから向こうをのぞき見してるっていう感じ。で、こう見てると、話しかけられたりするでしょ、そういう時にあっと思って大発見したというか大事件だったのは、ぼくも三浦さんと同じように生きてる、同じ時に生きてるんだというのを感じたことですね。生きてることが他人事じゃなくなっちゃったわけです。

三浦 じゃ、自分が他人だったみたいなものだったんだ。

勅使河原 そう。だからそれを感じるまでは自分が虚像だったのかもしれない。その時の現実がホログラフィか映画のようなものだったんじゃないかな。それで、自分が生きてること、同じ時に生きてるんだとわかった時に今度はうしろ側を感じたんだよね。うしろって何があるかわかんないし、怖いでしょ。もうこうなったらどうしようもない、生きてるんだと思ってね。こりゃ息もしなきゃいけない(笑)、ほんとに呼吸しなくちゃいけなくなったんだなって思ったわけ。すると急に息苦しくなって、呼吸しなきゃ死んじゃうんだと思ったのが、生きていく恐怖ね。で、呼吸を意識するともう、吸えなくなっちゃったり、ここで吐くのかなとかずっとそれを考えてるんだけど、その考えをパッと忘れたりした時ふつうに吸ったり吐いたりしてて、今のは自然に呼吸してたんだ、やっぱりこの程度でいいんだなあって(笑)。

(『勅使河原三郎の舞踏/月は水銀』より、三浦雅士との対談 新書館/1988.9.10発行)

 昨日、NHKのテレビ番組『課外事業』で、勅使河原三郎の授業を観た。

 小学生に、まずは自分の身体の重さ、重力を感じてもらい、そして呼吸するということ、人との間で呼吸を受け渡すことなどから始め、そうして風や匂いやスピードなどのテーマで、自由にダンスをつくってもらうというものだった。

 ぼくはテレビの前で、小学生のひとりになって、まるではじめて呼吸したかのように、いっしょに呼吸と戯れていた。

 人は吸うと吐くとを交互に繰り返しながら生きている。生まれるときに、大きくこの地上の空気を吸い込み、そして死ぬときには、おそらくは息を吐いたまま、もう息を吸い込むことのないままになる。

 そんなあたりまえのことが、息を吸って吐くというあたりまえのことが、そしてそれを宗教的な呼吸法云々というのではなくて、自分が息をしているということと、目の前の人も息をしているんだということ、そして、その呼吸を渡すことさえできるんだということ、人はそれぞれ自分のリズムで呼吸しているんだけれども、その呼吸のリズムを共振させたり交錯させたりしながら、生きているんだということなどなど・・・。

 そんなあたりまえであったはずのことが、まるではじめてであるように呼吸とそして呼吸とともに動いている自分の身体と戯れていた。

 そう、ぼくは今、生きているんだ、と感じた。

 そういえば、ときおり、自分が生きているのかどうかわからなくなるときや、自分が自分であることがわかなくなってしまいそうなときもあったりする。そういうときは、おそらくぼくの呼吸はぼくの身体とバラバラ事件になってしまっているのだろう。そういうときのぼくは、まるで虚像になってしまっているかのように虚ろだ。

 今日、ぼくは呼吸とともに動くようにしてみた。そうしてみると、ぼくの動きがどれほど呼吸とちぐはぐか、ぼくのしている仕事のなかでぼくがどれほどちぐはぐか、をびっくりするくらいに実感することができた。おっかなびっくりの呼吸遊戯の一日・・・。

 どのようにすれば、ぼくの動きと呼吸がぼくのリズムを刻むことができるのだろう。ぼくがひとつの楽器そのものになって、たとえば竪琴になって戯れることができるのだろう。

 その戯れのなかで、おそらく、ぼくはぼく自身を生きることができるのかもしれない。そしてそれはぼく自身のなかの宇宙が戯れながら展開していけるということなのかもしれない。


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