風のトポスノート71-80

(1998.6.16-1998/1998.8.3)


風のトポスノート 71●観測者の問題

風のトポスノート 72●白洲次郎

風のトポスノート 73●実践

風のトポスノート 74●青山二郎

風のトポスノート 75●共同体・その2

風のトポスノート 76●今ここで考え行動すること

風のトポスノート 77●はっとした驚きから

風のトポスノート 78●世間と教養

風のトポスノート 79●非行

風のトポスノート 80●原理主義

 

 

 

風のトポスノート 71

観測者の問題


(1998.6.16)

 

 東理論について、少し言及されましたので、ひさしぶりに、それが問題にしようとしている事柄について、少しだけ思いつくままに書いてみようと思います。

「科学は、客観的で、普遍的」という価値観には、(略)三つのモノサシ、

つまり、

1.光速度最大

2.不確定性原理

3.観測の問題が、未解決

という、限定されたモノサシによって構築された土台が前提になっているのである。(略)

 我々の常識では、学問が領域化され、細分化されてゆくにつれて知識量が増大し、それは、種々の環境に対する認識の深まりを意味し、そのような研究活動が人間の進歩(=文明の高度化)であり、まことに結構なことだ、というような印象を持つのではなかろうか。(略)

 これは逆に、「視点を限定しないで世界を見ることによって、はたして知識が生まれるだろうか?」と自問してみれば、その意味が鮮明になるであろう。多分、すべてが渾然一体となり、緻密な内容を言葉に置き換えることができないはずである。かくして、このような設問自体が、一般には無意味のように思われるに違いない。

 ところが、この指摘は、最初に述べた現代科学の前提の3、つまり、「観測の問題が、未解決」であることに関連しているのである。

 そのイメージは、つぎのようなイメージによって了解できよう。

 まず「視点を定め、限定して世界を見る」という一般的な表現を、我々の脳の中に、限定して世界を見る観測者が具体的に実在するようなイメージに変更してみる。そして、その観測者に、「特定の観測者A」と名づけてみよう。

 このように、「特定の観測者Aを、設定する」ことによって、観測者Aの視界に、観測者Aだけに理解可能な知識の体系が生まれる。つまり、一つの学問領域が開ける、という具合に解釈するわけである。すると、同様に観測者Bを設定すれば、観測者Bにだけ理解可能な知識の体系が生まれ、別の学問領域が開ける。

 ここで問題にすべきは、観測者Aにだけ、観測者Bにだけ解る「知識の体系」の意味であろう。端的には、観測者Aにだけ解る知識は、観測者Bには解らず、観測者Bにだけ解る知識は、観測者Aには解らなくてもよいという価値観によって増大する知識が、現代の知識の性質である、というわけである。

(東晃史「知の本質/社会の謎を主体の研究に転換しよう」三五館/P16-29)

 この観測者の問題は、現代のあらゆる問題のキーになりうる問題だと思う。

 つまり、特定の観測者は、その観測可能なものについての知識を限りなく細分化し厳密に蓄積しながら体系を構築していくのだけれど、その観測者に観測できないものについては、そこから排されてしまうということだ。

 これは、通常のコミュニケーションの問題としてもよくでてくる問題で、関心領域の範囲外にある問題について語られたとしても、それは多くの場合、存在しないも同然であるということになってしまう。つまり、それらの言葉は、まるで知らない言語で語られているのとまったく同じものといえるほどに、まったく伝わらない。これは多かれ少なかれおそらくだれでも経験していることではないかと思う。文化間コミュニケーションの問題とも似ているかもしれない。それは、多く、互いの知識の共有がなされていないことが原因というよりも、それ以前に、いわば、「見ているものが違う」のだ。

 「モノサシ」が違えば、測れるものも違ってくる。しかし、一見、人は同じ「モノサシ」を持っているとお互い勘違いしながら生きているものだから、違う「モノサシ」どうしで、ある現実を測り、そこで「誤解」も生まれ、それ以前に、測っている「世界」そのものの違いゆえの、大いなるすれ違いも生じてしまうことになる。

 だから、科学では、その「モノサシ」を固定しようとする。「観測」そのものを限定してそこから厳密で、共有可能な知識を蓄積し、その体系内での確実さを得ようとする。そこで研究する研究者は、限定された観測者として位置づけられることになり、観測できない領域に関しては、態度が保留されることになるか、対象領域としては不適切なものだということに規定される。

 もちろん、そうした観測行為は、同じ人であっても、それが「研究」の場を出たときには、別の「モノサシ」を持つことが多い。つまり、人は、自分の内に、さまざまな「モノサシ」を持ついろんな観測者を持ち得るということだ。もちろん、それが自覚的な場合もあれば、そうでない場合もある。

 科学主義の問題なのは、観測者を固定した在り方をすべてにおいてそうであるべきだ、という主義にしてしまうところにある。しかし、その厳密さをもってすれば、たとえば、自分自身を観測する行為などは、狂気の沙汰になってしまいかねない。自分が自分を意識するなどということは、はたして観測していることになるのか、そうでないのかなどわからなくなるだろうし、人の意識というのは、もうそれこそ観測行為の対象にはならないだろう。人の行動に関するデータをそろえることはできるだろうか、観測可能なものというのは、その人の埃程度にさえ及ばないだろう。

 だから、自覚的な科学にとって重要なのは、自分の観測行為に使っている「モノサシ」をあくまでも限定したものとして自覚することだろうし、その観測によって可能になりうる世界の範囲についてもまた自覚しておくことだといえる。そしてその上で、今自分の選択している観測者以外の観測者の可能性について常にその「モノサシ」を多元化し、観測対象の可能性も多元化することだ。

 シュタイナーの神秘学は、自分の中の観測者を固定するのではなく、その観測者の多元化の可能性そのものを追求すると同時に、自分の現在の観測可能な大きさを拡大することを目指すものでもある。「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」というのもそうだ。そして、その可能性を否定したところでは、教育も農業も医学もその他のあらゆる応用は、単なる妄想の茶番だということにもなる。もちろん、その可能性は常に認識しておく必要がある。

 それは、シュタイナーが「神秘学概論」で、次のように述べているように、重要なことだ。 霊学研究の際して、病的な夢想や現実逃避に陥らないためにも、このような非難の中に含まれる一定の正しさを認めなければならない。なぜなら、この非難は、健全な判断に基づいているのだから。ただ、その判断は、事物の深みの中に入って行かず、その表面に留まっているために、真理の全体ではなく、半分を含んでいるにすぎないのである。

 超感覚的な認識行為が生命を衰弱させ、真の現実から遊離させるように見えるとすれば、たしかにこの非難は、超感覚的な認識行為の根拠を失わせるにたる有効性を持っている。

 しかしこの見解に対して、神秘学が通常の意味での自己弁護をしようとするなら、その態度は正しいとはいえない。神秘学は、正しい仕方で学ぶ人の生命力と生活力を高めてくれる、と人びとに感じさせることができたときにのみ、みずからの価値を示すことができる。われわれは、神秘学を研究することによって、世間離れした人間になることもなければ、夢想家になることもない。逆に、人間の霊的、魂的な部分がそこから発しているところの、あの生命の根元にわれわれを導き、それによって人間としての生きる力を強めてくれる。

(シュタイナー「神秘学概論」高橋巌訳/ちくま文庫/P51-52)

 観測者を多元化し、その大きさを拡大するということは、自分の見解を玉虫色にころころ変えることでもなければ、誇大妄想狂になることでもない。それは、今自分のなかにいるどの観測者の使っているかを自覚できるようにするとともに、その観測者を固定化しないで、使い分けることができるということだ。たとえば、カスタネダの本のシリーズのなかに、「集合点を変える」というのがあったが、まさにこれは、観測者=集合点を変えるということだと思う。

 

 

 

風のトポスノート 72

白洲次郎


(1998.6.18)

 

遺言書 

一、葬式無用

一、戒名不要

昭和五十五年五月 

白洲次郎

 白洲次郎。白洲正子の故パートナーである。

 こんな人物がいたということに、素朴な感動を覚えてしまう。

 誕生日が一日違い!の2月17日だということや「風の男」といわれていたこともあるのかもしれないが、どんな人物になりたかったか、と問われたならば、シュタイナーや出口王仁三郎というような途方もない人物は問題外だから^^;、(もちろん、この白洲次郎もすごく自分とはかけ離れてはいるんだけれども)この白洲次郎のような人物になれたらいいなあと素朴に思ってしまう。

 ちょうど、平凡社からでている雑誌「太陽」の七月号の特集がこの白洲次郎ということなので、少し書いてみることにした。その特集のなかの冒頭で、白洲次郎は次のようにシンプルに紹介されている。

 ケンブリッジに青春を送り、スポーツカーでヨーロッパを横断。自由と独立を愛し、吉田茂のブレーンとして、戦後日本の運命を握る。お洒落でダンディ。何をしても、何を言っても様になる。こんな男、見たこともない。

 まさに、白洲次郎は、こんな人物なのだけれど、それだけではなく、冒頭で紹介したような遺言書さえ遺している。1985年11月28日に亡くなったのだけれど、この遺言通り、葬儀は行なわれず、もちろん戒名もない。

 こんな、最後まで「風」のような人物、ほんとうに「見たこともない」なと思う。

 今度の特集を見て始めてしったのだけれど、白洲次郎は、1940年、鶴川村能ヶ谷に茅葺きの農家を買い、「隠居生活」を始め、その家のことを「武相荘」(ぶあいそう)と名付けたという。なぜそんなことをはじめたかというと、日本が戦争をしたら必ず負けると確信し畑仕事をしながら政局の行方に眼を光らせていたというのである。

 雑誌には、そのときの仕事着姿の写真が載せられている。そしてこんなコメントもあったりする。

 尊敬する人物は、農林1号を作った男、クリエートしたんだからと語った。

 この白洲次郎の生き方の理想は、生きることそのものをクリエートすることだったんだろうという気がする。ノヴァーリス風にいうならば、生きるこそそのものを「ポエジー」にするということだ。だから、ばかばかしい葬儀などもしなかったし、もっとばかばかしい戒名なども無視したといえる。

 白洲次郎のようなダンディな生き方はとてもとてもできないけれども、せめて、遺言状だけは、白洲次郎のように「葬式無用」「戒名不要」でいきたいと思っている。

 

 

 

風のトポスノート 73

実 践


(1998.7.2)

 

「哲学が取り扱うのは現実以外の何ものでもない」、マルクスも、ヘーゲも、同じことを言っている。ところがマルクスには、ヘーゲルがそう言っているとは思えない。なぜか。他でもない、マルクス自身が先に、思惟と実践とを別物と認めているからなのである。(略)ヘーゲルにとっては口にするのも今さらの、思惟すなわち実践、なのである。理念と現実とをあらかじめ切り離しておいてから、さて再び「実践(べき)」で両者を統一すべしと叫ぶマルクス、さあ、迂遠なのはどちらだ、直截で力強い哲学は、どちらだ!「実践」という曖昧な言葉を哲学に持ち込んだことで、マルクスは失点1。ヘーゲルのジジイぶりの前には、マルクス的元気はてんで子供なのだ。しかし老ヘーゲルは、開き直ったり諦めたりしているわけでは決してないという点に要注意。哲学はただ理念のみを取り扱うものであるが、しかもこの理念は、無邪気な「実践」にとどまって現実的でないほど無力なものではないのである。この冷静さこそ頼もしい。じっさい、書斎でひとりで考えている考えは「理念」にすぎず、その同じ考えが街頭で演説されれば「実践」に化けるとは、無責任な手品なのだ。なぜなら彼は、それなら書斎に居たときは、いったい「何」について考えていたことになるのか。他でもない「非現実的な抽象物」についてだということになる。理念と現実とを別物と考える限り、どうしたってそれはそういうことになるのだ。

(池田晶子「考える人/口伝西洋哲学史」中公文庫/1998.6.3/P47-48)

 「実践」という言葉には、魔法がある。「実践」と名づけられさえすれば、何かをしたことになるのだ。

 「書を捨てて街に出よう!」そう言った劇作家がいたが、そのアクチュアリティは認めよう。だが、街に出て何をしようというのかが問題なのだ。ただ街をふらついたところで、どうなるものでもないのだから。おそらく、書を捨てて街に出る必要がある人というのは、書に向かっていたところで、思惟していたわけではないのだ。思惟していたとしても、それは、実践を排したそれでしなかない。

 思惟即実践であるならば、書斎でひとりで考えていようが、街頭で演説していようが、片方が思惟で、片方が実践であるということはできない。どちらも思惟でも実践でもないか、それともどちらも思惟であり実践であるかだ。

 ところで、マルクスは理念と現実とを別物と考えた。しかし、マルクスの現実とはいったい何だったのか。マルクスの実践とはいったい何だったのか。伝記を読むと面白い。

 唯物論とは、考えられたものである。物質というのも、考えられたものでしかない。唯−物だけがある、そう考えたのだ。だから、物質から出発することはできない。きわめて単純なこと。しかし、わかりやすさは、容易に人を魔法にかけてしまう。

 そうして、思惟から実践が切り取られてしまい、実践から、思惟が抜け落ちてしまった。死んだ思考であろうがOKという思想家、研究者や、動きまわっていれば、実践しているという信仰者が増殖することになった。

 自分も、そんなゾンビになっていないかどうか、魔法にかかっていないかどうか。それを確かめるためにはどうしたらいいのか、容易に答えのでるものでもないが、少なくとも、その可能性を忘れないようにしたいと思う。 

 

 

 

風のトポスノート 74

青山二郎


(1998.7.3)

 

「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、美しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識だのと譫言を吐いてごかますので、みんな頭にきちゃってる」

 ぽっと出の私には、最初は何のことか、まったく理解できなかった。が、少しばかり原稿を書くようになって、自分が頭で考えていることの十分の一も表現できない事実を知った時、いくらかその言葉の意味がわかるようになった。「わかる、わかる」と有頂天になっていると、また冷水をあびせられた。「わかるなんてやさしいことだ。むずかしいのはすることだ。やってみせてごらん、美しいものを作ってみな。できねえだろ、この馬鹿野郎」

 そういいながら、傍らのコップを指先で叩いてみせる。「ほら、コップでもピンと音がするだろう。叩けば音の出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。音がしないような奴を、俺は信用せん」

(白洲正子「遊鬼/わが師 わが友」新潮文庫/平成10年7月1日/P10-11)

 青山二郎である。

 おそらく、青山二郎からすれば、ぼくなどは馬鹿野郎でさえないだろう。

 青山二郎が語っていることは、簡単に誤解できる。観念論を批判して物質に現われたものだけを確かなものとしてとらえる・・・とか。だが、そんな浅薄さとは無縁である。

 そのことを語ろうとすれば、言葉がでてこなくなる。というより、語るに値する言葉を使うことができない。まさに、「できねえだろ、この馬鹿野郎」である。

 ぼくは、青山二郎についてそう多くを知っているわけではないし、その生き方を真似ようとも、真似られるともまるで思っていないけれど、よく陥りがちな「わかる、わかる」を自分で自分に戒めるためにも、こうした「やってみせ」ること、「叩けば音の出るもの」ということの開示しようとするものの重みをときにはしっかりと受けとめてみたいと思っている。そこには、思惟と実践の間に分裂を許さない生が開示されているのだから。 

 

 

 

風のトポスノート 75

共同体・その2


(1998.7.6)

 ちょうど一年ほど前、このノートの2で「共同体」について書いたことがあります。それは、中村雄二郎の「術語集II」からの 

 今日、<共同体>の問題を論じるのは難しい。個と共同体との関係をどのように調整し、<エゴの孤独>と<全体主義の悪>という両極にある陥し穴からどのように免れるか、さらに、個を共同体に埋没させるのではなく、共同体を個が十全に開花するための土壌にするにはどのようにすべきかは、人類にとって大きな共通の課題である。

 ということから、思うところを書いてみたものなのでしたが、ちょうど少し前に、ゲマインシャフト、ゲゼルシャフト、ゲノッセンシャフトについて興味深い話があり、それとも関係したテーマだといえます。

 

 yucca wrote(#1275/メーリングリスト): 

確かに、過去のゲマインシャフトによく見られるようなヘルシャフト関係、これには、秘教集団などにおける絶対的な階層構造も含まれるでしょうが、こういうある意味でルツィファー的(?)なヘルシャフト関係は現代的にシフトさせていかなければならないものですよね。つまり過去のゲマインシャフトの単純な復活は問題があり、かといって、へたをするとアーリマン的(?)なヘルシャフトにもなりかねないゲゼルシャフトの人工性、抽象性に与することもできない、このあたり、まさに「科学と共感のはざまでいかに科学するかと苦闘した、近代人としてのF.テンニースのあまりにも人間的な姿がある」というの、とてもよくわかります。だからこそ、シュタイナーの、社会有機体構想なのよ〜、テンニースさん、と言いたくなってくるような・・

ゲノッセンシャフトの基になっている本質意志、この第三の人間的形式は宗教とされていますが、これを「自由の哲学」に基づく、人智学的精神科学とすれば、ほとんどシュタイナー的社会有機体構想に近づくのではないかと思いました。

 社会、組織、共同体、団体・・・いろいろと名前はあるけれど、集団化しなければできないことがある反面、そこにはいろいろな問題が生じてくることにもなります。

 上記にもあるように、「ルツィファー的(?)なヘルシャフト関係」、つまり「過去のゲマインシャフトの単純な復活」や「アーリマン的(?)なヘルシャフト」への危惧を内包した「ゲゼルシャフトの人工性、抽象性」は、やはり克服しなければならないところであるのは確かなのですが、オウム真理教の事件によって示唆されたのは、「秘教集団などにおける絶対的な階層構造」である「過去のゲマインシャフトの単純な復活」が、現代においても、お化粧直しをして、屈折した形ででてくる可能性があるということでした。

 おそらくそれは、「初めに共同体ありき」という発想からくるもので、どんなすぐれた理念を持つ共同体があったとしても、その発想を重ねていくならば、化学肥料で痩せていく土壌のようなものとならざるをえないのではないでしょうか。

 それは、ボランティアを点数化するような制度のように、自発的であるべきだ!というように「自発的」に「べき」をつけることで「自発的」を殺してしまうようなあり方です。

 上記引用で、「「自由の哲学」に基づく、人智学的精神科学」というのがありますが、これも、そこに「初めに共同体ありき」という発想から、「自由に〜すべきだ」「自由に〜しなさい」というカントの定言的命法のようなものを持ち込むときに、「自由の哲学」は死んでしまうことになります。

 共同体がいわば自己組織化されたものではなく、最初にその共同体という「鋳型」があるというあり方であるならば、その共同体は、その「鋳型」以外のあり方を受け入れることはもはやできません。「初めに共同体ありき」が危険なのは、そこに柔軟性が欠如してしまうからです。たとえば、「人智学」にしても、そこに「シュタイナー」という「鋳型」、「人智学」という鋳型を最初に持ち込んでしまうことになれば、同じ事がいえます。ですから、共同体を云々する場合、そこに「鋳型」を持ち込まないようにするという原則が重要になってきます。

 共同体に参加するということは、その共同体の理想に共鳴し、その理想を実現しようとするということであり、その営為は非常に重要になるわけなのですが、その理想が「べき」になっていないかどうかについては、常に意識的でなければならないと思います。それと同時に、みずからの参加する共同体を理想化するあまり、それが閉じたあり方になっていないかどうかにも意識的である必要があります。

 シュタイナーは、つねに、自分で考えること、確かめるということを重視しました。「自由の哲学」です。「共同体」についての視点は、常にそこからの示唆から出発することを

くり返し検討しなければならないのではないかと思います。とくに、我をなくすことが得意で、純粋で誠実であることを最重要視する日本人には重要な観点ではないかと思います。

 ぼくとしては、どうも集団的なあり方を苦手としていて、それがぼくのひとつの限界のようなものをつくっているわけですが^^;、少なくとも「共同体」の可能性については、最初から「鋳型」としての共同体をイメージしすぎて、自分の想像力を「鋳型」にはめ込んでしまうことをしないよう、その可能性についてこれからも自分を開いていくよう心がけたいと考えているところです。

 

 

 

風のトポスノート 76

今ここで考え行動すること


(1998.7.6)

 

「無常といふ事」が、中期の傑作の一つであることは、誰でも認めるに違いない。ああいうものがもっと読みたい、書いて下さいというと、小林さんは首を振った。あれは僕にはもうやさしいんだ。いつでも書ける、だから書かないのだ、といわれた。わかったことは書く必要がない。過去はけっして振り返らない。それが小林さんの生きかたであった。小林さんにとっての「歴史」とは、過去を振り返ることではなく、今自分とともに在り、自分の中に生きている歴史であって、音楽の場合と同じように、何か切っかけさえあれば、それがたとえ天平の瓦の断片でも、天平の昔は忽ち目前に甦る。

(白洲正子「遊鬼/わが師 わが友」新潮文庫/P56-57)

 小林秀雄である。

 「わかったことは書く必要がない。過去はけっして振り返らない。」

 こんなダンディズムを生きてみたいと思いながら、広告のコピーは、わかったことばかりを書き、このMLでも姿勢は「いつでも書ける、だから書かないのだ」でありながら、けっこうぐだぐだと同じことばかり書いている自分に気づく。同じことのようであってもいいのだけれど、少なくともそのくり返しに一回性のいのちが吹き込まれていればいいのだが。

 ぼくのなかにある、振り返る過去から自由であること。わかりきった知識という死体から自由であること。

 共同体というテーマでも同じことだろう。わかりきった「枷」のなかでわかりきったことをくりかえすことは、共同体という生命体を死滅させることにほかならない。つねに生きたダイナミズムのなかで、そのダイナミズムに枷をはめようとする反動と戦い続けることが必要だ。

 共同体は、みずからの内にもある。いや、みずからの内にある共同体が自己組織化されたものが外的な共同体なのだ。だから、個が自由でないばあい、共同体は自由から遠い。

 なにごとも今ここで考え行動していかなければならない。教義がこうだ、規則がどうだ、こうすべきだ、ということは死を選ぶということである。常に、その厳しさとともにありたい。

 

 

 

風のトポスノート 77

はっとした驚きから


(1998.7.18)

 先日、ある方から最近のポップミュージックについて、90年代の初頭には深刻だった状況も、良くなってきている。たとえば、MISIAとかは「心臓で聞けるポップ」だ。ということを聞いて、なんだかはっとした。

 ぼくはポップミュージックを聞いて育ってきたのだけど、そういうぼくが、ここ10年間ほど、そのポップミュージックにどうしても関心をあまり持てななくなってきていた。しかし、そういえば、昨年くらいから、ぼちぼちまた聞きはじめていたのでした、なぜか。

 MISIAという名前は、知らなかったのだけど、「心臓で聞けるポップ」ということで聞いてみたくなった。早速、そのMISIAの「Mother Father Brother Sister」というアルバムを聞いてみたのだけれど、たしかにパターンの編集に内から響いて来ない声をパターンどおりに編集しただけのようなものとは違って、パターンを越えた、内からわきあがってくるようなものが伝わってくる。「心臓で聞けるポップ」という形容がよくわかる気がした。

 なんだか、ひさしぶりにはっとしたのだ。

 そういえば、最近、はっとすることが増えてきている。こういう感覚は少し前まではあまりなかったように思う。この感覚というのは、なんだかとても重要なことではないかと思うようになった。

 音楽とは関係がないけれど、最近みてなかった相撲をひさしぶりにみたら、貴乃花の顔がコワイ!こんな恐い力士の顔など見たことがない。なんだか背筋からぞっとするような、でも気持ち悪い「ぞっ」ではなくて、存在感からくる、ある種の畏れのようなものとでもいえばいいだろうか。言葉では説明できないコワサだ。

 これも、ひさしぶりにはっとした瞬間のひとつだ。

 こういうはっとした驚きについて、これはこうこうこういうことだ、というような説明ができるものではないし、まして、その驚きの質と量について、学者のような説明をしたところで、まったく意味をなさないだろう。

 そこであらためて考えてみたことがある。なぜぼくがこういうHPやMLをひらいているかということ。シュタイナーの神秘学などについて自分なりに学んでいるのはなぜかということ。

 ある学者の方から、比較的最近「なぜ広告屋であるKAZEさんが」という言葉を聞いたこともあるのだけれど、ある意味では、学者のような研究者でないからこそでっきることがあるのかもしれないと思う。それは、そうした「はっとした瞬間」やそうした「その驚きの質と量」に関係してくることなのかもしれない。それは、おそらく研究することを職業にしている研究者という枠組みの内部ではとらえきれないなにかなのかもしれないと思う。

 これもまた「そういえば」なのだろうけど、先日の参議院選挙で、自民党の対立候補として民主党その他が擁立した候補の、いわばコンセプトづくりに広告プランナーとして参加したのだけれど、プレゼン時にぼくの持参したコンセプトは、「政治のプロだと思っている人にはわからないことがある。だから、そのプロの見えないところをいっしょに見ることのできる、そんな視点をアピールするべきではないか」というものだった。

 その候補をぼくは決して好きだったわけではなかったし、予想通り次点で落選したのだけれど(^^;)、そうしたコンセプトをプレゼンテーションしながら、衆議院議員の経験者などと話していたときにも、「はっとした瞬間」があった。それが伝わったのか、政治のプロ達はその場で、「そうだな、見えないところに気づくことは大事だな」とかいうことで少しばかり話ができて、基本的なところで採用になった。とはいえ、その後、やはりその方々の「プロ意識」の巻き返しがあり、その「プロの見えないところ」という視点が自尊心を傷つけたのか、その視点が次第に埋もれていくことになり、なんだかわけのわからない主張を選挙活動では展開することになった(^^;)。

 さて、なぜこういう「神秘学遊戯団」なるものをやっているのかだけれど、先日も、人智学関係の組織に属している方からメールをいただいたりして、少しお話したときも問題になった点に、「組織」ということがあった。「組織」というのはとても難しくデリケートな問題なので、それについて短絡的な結論を下すことはできないのだけれど、おそらくその方とぼくのスタンスの違いは、「組織」が先にあるということと「個人」が先にあるということとの違いだったという気がしている。

 実際、日本の人智学協会も大きく二つの組織に分裂している。人智学というコンセプトからみれば、その分裂は無意味なのだけれど、現実の「組織」というのは、そうなって仕方ない側面があって、それを単純に見ることもできない。ただ、そうした「組織」であることによって見えなくなっていることがあるということはいえると思う。もちろん、「組織」でしか可能でない視点や可能性もあるのだけれど。

 「はっとした瞬間」、「その驚きの質と量」ということに戻ると、こうしたいろいろなことからあらためて思ったのは、ぼくは、専門化の枠組みにも組織の枠組みにもとらわれないところで、つまりその驚きが「みんなそうなんだ」や「理論」にしてしまわないところで見えてくるものをとらえつづけていたいということだ。「心臓で聞けるポップ」に、今共振している体験という地平。それを外から「研究」したり、抽象化したかたちで共有したり、それを理解した人という視点から見おろすというのではなくて、その地平につねにライブでいること。

 そのライブであるがゆえの限界もまた当然ながらあるのだけれど、ぼくにとっては、やはり死んだ思考ではなく、生きた思考が魅力的なのだ。ぼくがシュタイナーの神秘学にかぎりない魅力を感じているのは、それがつねにライブであるということだと思う。

 そして、その基本がいつも「はっとした驚き」を抽象化から遠ざけておくことなのではないかと思う。早い話、趣味でやっていることなのだから、つまらないのはイヤだということに過ぎないともいえるのだけれど、「好きこそものの上手なれ」というのもあるわけである(^^)。

 

 

 

風のトポスノート 78

世間と教養


(1998.7.18)

 今日(7月18日)、NHK教育の「未来潮流」のテーマは、「新しい教養のかたち・世間の中でいかに生きるか・21世紀を開く知」。阿部謹也が、東京大学の小林康夫、アサヒビール会長の樋口廣太郎、建築家の安藤忠雄に話を聞きながら、「世間」「教養」ということについて考えていくというものだった。

 阿部謹也といえば、「ハーメルンの笛吹き男」をはじめとした著書でも有名なようにドイツ中世史を専攻されている方で、今回テーマになっている「世間」「教養」ということについては「『世間』とな何か」、「『教養』とな何か」(講談社現代新書)という著書もあって、以前からそれについては深く共感するところもあったのと、その顔や語り口などにも興味があったので、テレビを見てみることにした。

 小林康夫との対話では、「世間」と切り離された、いわば大学内での「知」のありかたをテーマにしている小林康夫の問題意識との根底における違いが明らかにされていた。阿部謹也のいう「教養」には、ただ「知識」などだけではなく、「人格」が含まれ、その「人格」には、いわば身体知や「いかに生きるか」「自分とは何か」といった問題意識が含まれているのだが、小林康夫にとっては、そうした要素は既に解決済みのものとされた上での「知の技法」が問題化されている。小林康夫の顔と声は、その話の内容そのままを表現していて、難しそうな言葉づかいの羅列とそれが何をいわんとしているかがあまりわからなかった、というか、学者特有の、何もいわないで、間違ったことをいわないようにしようという典型的なスタイルを表現していてとても面白かった。

 さらに、樋口廣太郎との対話では、「世間」の「常識」をきちんと身につけながら、「仕事」をしていくということが「教養」の重要なこととしてとらえられていたように思う。話の内容はともかく、、樋口廣太郎の顔と声は、企業家の現実的な人格をそのまま表わしていたように思う。

 そして、安藤忠雄との対話。今回のテーマは、ここで集約されていたように思う。まさに、そこでの「教養」は、「世間」のなかで、「世間」との緊張関係のなかで、「いかに生きるか」「自分とは何か」ということを常に問い直しながら、しかもそれらが、いわば身体知ということが重要な要素となりながら育てられていくものとして問題化されていた。話の内容もよかったが、安藤忠雄の顔と声が素晴らしかった。「失敗をおそれないこと」「いつも遠くを見て生きること」そのことの重要さが、その顔と声から響いてきた。最初の小林康夫の顔と声と対称的だった。

 ぼくは、いわゆる「世間」でいう「教養人」では決してないし、エリート的な道とは無縁で、いわば成功してなくて、ダイナミックでもない安藤忠雄のような生き方をしているわけだけれど(^^;)「いかに生きるか」「自分とは何か」ということを小さい頃から、ずっと考え続けてきたように思う。しかし、小林康夫的にいえば、そういう問いかけは個人的な問題であって「知」とは関係ないというかそういうことは既に解決済みの問題として問題化されないまま「知の技法」が議論されることになる。

 その「知の技法」は、このMLやHPで試みているような在り方とはある意味で、対極をなすものだといえる。だから、ぼくは、ここで、いわゆる学問的にいうならば、かなり「間違ったこと」や「検討に値しないこと」ばかりを云々しているということになるけれど、そうした「失敗」や「誤解」をあえておそれないことにしている。重要なのは、「間違わないこと」「批判されないこと」もしくは「批判に耐えるような言述をすること」ではなく、「問いを発すること」、「自分で考えること」、そしてなによりも「生きること」なのだから。

 アカデミックな立場では、おそらくそういうことは成り立たない。たとえば、研究する立場の人間は、自分がどのように生きてきたか、どのように生きようとしているのか云々は、不問に付される。たとえば、今、何を食べているか、食についてどう考えているか、自分の身の回りのことを自分できちんとできるかどうか、自分の人間関係をどのようにとらえ、そこで何をしているか、そうしたことは、研究とは関係のないことになってしまう。

 しかし、生きることにおいては、それが最も重要なことのひとつなのだ。そして、そこには、間違ったことをいわないための「知の技法」ではなくいかによりよく生きることができるか、「遠くを見ること」ができるかがその今自分が生きているという地平において問題化されることになる。樋口廣太郎が、対話のなかで言っていたような「愚」の重要性ということにもそれは関係してくるように思う。研究においては、もちろん研究者の「愚」が問題化されることはない、というかそれは研究者の無能を意味することになってしまう。

 シュタイナーは、魂を指先に送り込むことを子どもの教育の重要な要素としてとらえていた。つまり、最初には身体知とでもいうことが重要になり、それが思考そのものとなるというのだ。

 今回の阿部謹也の提示していた問題意識は、そうしたシュタイナーの神秘学の基本の部分とリンクしていたように思いとても興味深く見ることができた。

 

 

 

風のトポスノート 79

非 行


(1998.7.26)

 

 青少年の非行問題に取り組む強調月間中の二十五日、県警音楽隊やボーイスカウト、ガールスカウトの少年少女ら約百五十人が、松山市内の商店街でパレードし、少年非行の防止を呼びかけた。(略)

 普段、街頭補導などにあたっている県警少年課の小糸智恵子さんは「夏休みに入ると子どもたちの気が緩む。非行防止の主体はまず家庭です」と話した。

(朝日新聞 1998年7月26日付 地方紙面 29)

 こういう記事はとてもありふれたもので、とくにとりあえて云々するほどのものでもないのだけれど、こういうありふれた記事のなかにこそ(だからどんな記事でもいいのだけれど)あらゆる問題が集約的に表わされているように思う。

 子どものころからけっこうひねくれていたぼくにとっては、こういう「少年非行の防止を呼びかけ」てパレードするとかいうのはむかしから自己目的化した自己満足的茶番以外の何者でもない。街の各所にでかでかと掲げられている標語のいわばデモンストレーション版とでもいえるものだ。そうした標語にしても、デモンストレーションにしても、いったい誰を対象にしているのかと考えだけでばかばかしくなってしまう。

 少しひねくれついでに、この記事に表現されている認識の固定的な枠組みについて。

 まず、「青少年の非行問題」という認識図式。「非行」ということそのものがよくわからない概念なのだけれど、おそらくこうした記事に疑問を持たずにいられる幸せな方にとっては「非行」に「走っている」青少年たちのイメージは非常に具体的なかたちで指摘できるのだろうと思う。おそらく、そうした方の多くは、甲子園大会などに絡めた一大マーケティング戦略としてのキーワード「球児」という表現に気持ち悪さを感じてはいないだろうし、自分の出身校、地域、県、地域を応援することにそんなに疑問も感じることはないだろうと思う。

 ところで、上記には使われていないけれど、「非行に走る」という表現はとても面白い。非行という行動でないものに向かって走るというのだから、ひょっとしたら、「非行」を実体化している方にとってはまったく理解できないということをそのまま表わしているだけかもしれない。理解できないものでも、図式化、概念化すれば、なんだかわかった気になるということの典型的な表現だともいえる。

 それから、もし「青少年の非行問題」という「非行」が、「青少年にとって望ましくない行動」なのだとすれば、同じような行動であっても、「青少年」でなければOKなのだろうか。そういう疑問も当然持ってよい疑問のひとつだと思う。今はよく知らないが、ぼくが学校に通っていたころは、男の先生方の多くはタバコをすぱすぱ吸っていたし、PTAの方々とよく酒盛りをしていた。とくに、補導担当にあたっていた体育会系の先生方はかなりひどい言葉づかいをしていたのではないかと思う。こういうのは、ぼくの昔からもっていた個人的な疑問のひとつにすぎなくて、これらの多くはおそらく偏見にすぎないところがあるのだろうけど、「青少年にとって望ましくない行動」と「大人にとって望ましくない行動」をきちんと比較しておくことは重要なことではないかと思う。「大人」はパチンコやギャンブル云々に熱中していても「非行」とはみなされないということは注目されてよいと思う。

 「県警音楽隊やボーイスカウト、ガールスカウトの少年少女ら約百五十人が、松山市内の商店街でパレードし、少年非行の防止を呼びかけた。」ということだけれど、おそらく「呼びかけられた」のは、「非行防止の主体はまず家庭です」とあるように、おそらくは「家庭」の主体である「お母さん」たちだろうと思う。そして、商店街だから、商店主なども含まれるだろう。で、こうした日には、「家庭」の主体である「お母さん」たちが、商店街でぶらぶらとしているというのがこのパレードの前提になっているということは押さえておかなければならないだろう。けれど、商店街でいちばんぶらぶらしているのは、まさに当の子どもたちである。

 さらに、きわめつけ、県警少年課の方の言葉は的を得ていると思う。「夏休みに入ると子どもたちの気が緩む」のだそうだ。おそらく、「気が緩んで」はいけないといいたいのだろう。だから、「家庭」でもっと「非行防止」のための教育的指導がなされなければならないというわけだ。つまり、この発想の基本は、性悪説だということがわかる。教育的指導によって「非行」でない方向に導かなければ、子どもたちは「気が緩んで」、あらぬ方に走ってしまうというわけだ。おそらく、そういう教育的指導は、(少なくともぼくのような非行体質をもった子供にとっては)自分を常に「そういう目で見ている」ということを意識化し、犯罪者予備群でもあるかのようなそんな人間観を持っているということを強く印象づけてしまう。つまり、「信用されてないんだな」と感じてしまうわけである。

 まあ、なぜパレードする必要があるのかについてはばかばかしくて話にもならないけれど、少なくとも「こんなばかばかしいことまでするほどに、非行青少年に関心がこれだけあるのだ」ということは示しているのだと思う。それと、「非行」などをすれば、なにか恐ろしい罰が待っているようなそんな印象を子供に植え付ける効果もあるのかもしれない。

 さて、7月26日付の朝日新聞には、大阪府の中教師、東村元嗣さん(62)が、教育現場の生の声をと頼まれて奈良教育大で「講義」をしたことについての記事が載っていた。

 

「講義」のテーマは「定年を迎え、振り返って診る」。今の嘱託勤務を含め、教師生活は三十九年。来年三月には教壇を去る。その総決算の舞台でもあった。これだけは伝えたい、と思うことをしゃべった。本人の気付かない長所を見つける。どんな問題児でも、たとえ1%でも、良いところを探す。それを通知票の所見欄に記す。「落ち込んだ時に何度も引き出して見たくなる通知票」を心がけてきた、と。荒れる生徒とどうつきあい、彼らはどうやって心を開いたかにも触れ、「生徒と教師は一対一の真剣勝負」と力を込めた。

 こういう教師に、ぼくは少なくとも一度も出会えなかったし、「落ち込んだ時に何度も引き出して見たくなる通知票」ではなく、「こういうところに注意しなさい」という所見しか見たことがないし、「一対一の真剣勝負」をしたような教師も知らない。なんだか、この記事を読んで、こんなあたりまえのことにじーんときてしまった・・・。

 「一対一の真剣勝負」と「県警音楽隊やボーイスカウト、ガールスカウトの少年少女ら約百五十人が、松山市内の商店街でパレードし、少年非行の防止を呼びかけ」ることとはいったいどこでつながるのだろうか。

 どんなことでも、いちばん根本のところにある認識、発想を検討することでしか何も変わらないのではないかと思う。

  

 

 

風のトポスノート 80

原理主義


(1998.8.3)

 

 そこで、こんどは、アメリカ合衆国の市民権をもち、プリンストン大学で教 えておいでの町田さんが痛感なさっているアメリカ自身の世俗的「原理主義」のことですが、「法による正 義」が体現しているもののほかにも、それに共通するものとして、私がこの数年来つよく感じているものがあります。それは、科学・技術的な「原理主義」とも言うべきもので、わかりやすいかたちで示せば、「コンピューターの父」と言われるマーヴィン・ミンスキー氏に典型的にあらわれているものです。私はミンスキーさんとは三回会って意見をかわしています。考え方はまったく相容れないのですが、たいへん魅力的な人です。(略)

第三回目に会ったのは九七年夏、日本機械学会創立五〇周年を記念して東京で開かれたロボットについてのシンポジウムのときでしたが、そのときには、彼の〈科学〉以外はなにも要らないという主張はいっそう強まり、〈哲学〉も〈宗教〉も不要だと言うようになりました。しかも、それが〈科学主義〉の哲学であり、科学教〉である意識は皆無なのです。それらのことを考えると、「原理主義」とは、イスラムの場合でも、アメリカの場合でも、自分の立場を意識によって振り返りえない立場のことになると思うのですが、どうでしょうか。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第3回 原理主義の諸相/第6通信・中村雄二郎→町田宗鳳より)

 風のトポスノート 58(#964)で、岩波書店のホームページで展開されている中村雄二郎さんの「インターネット哲学アゴラ」をご紹介させていただきましたが、(ホームページは http://www.iwanami.co.jp/agora/index.html)現在のテーマは「宗教について」。

 対話の相手は、町田宗鳳(まちだ そうほう)さん。195O年京都に生まれ。14歳で臨済宗大徳寺に出家。30歳半ばでハーバード大学神学部修士課程およびペンシルヴァニア大学博士課程、「法然」の研究で博士号。『エロスの国・熊野』(1996年・法蔵館)、『法然・世紀末の革命者』(1997年・同)の著者であり、アメリカに永住し、現在プリンストン大学東洋学部助教授ということです。

 対話のテーマは、以下の7つ

1「宗教のなかの狂気」

2「信仰と倫理とのかかわり」

3「原理主義の諸相」

4「異端の役割」

5「グノーシスと隠れキリシタン」

6「死と宗教」

7「意志する宗教」

 ということで、現在は、4の「異端の役割」に入っていて、中村雄二郎さんの第10通信までが登録されています。

 さて、ここでとりあげたいのは、「原理主義」について。

 このミンスキー氏については、少し前にご紹介した中村雄二郎さんの「日本文化における悪と罪」でもふれられていたと記憶しているのですが、中村雄二郎さんも述べているように、「原理主義」というと、「イスラム原理主義」がイメージされてしまうのですが、ここで中村雄二郎さんが、原理主義としてとらえているのは「自分の立場を意識によって振り返りえない立場のこと」。この指摘には、なるほどそういうとらえ方は的を得ていると思いました。この意味での「原理主義」は、上記のミンスキー氏のような科学主義もいわば科学原理主義とでもいえるわけです。

 また、中村氏は、

 この「ことなかれ主義」こそは、日本の「負の原理主義」ではないでしょうか。つまり、積極的な原理主義ではなく消極的な、それと見えにくい原理主義です。

 とも第8通信で述べていますが、「積極的な原理主義」はもちろんなのですが、むしろ、その「見えにくい原理主義」をしっかり見ていくことが重要だと思います。というのも、「見えにくい」だけに、意識化することが二重の意味で難しく催眠状態のようなかたちで作用してしまいかねないからです。「自分の立場を意識によって振り返りえない立場」を「原理主義」と呼ぶ場合、その「積極的な原理主義」においても、自分を振り返ることができないのですから、「見えにくい原理主義」の場合は、それ以前の状態だといえるわけです。

 山本七平さんに「空気の研究」というのがありますが、我々が、息苦しくなったときなどにしか空気を感じないように、その「空気」という「原理」を意識化することは非常に難しいわけです。

 そういう「見えにくい原理主義」は、我々を取り囲んでいて、あらゆる場所で、働いていているのですが、人はそれをほとんど意識することはありません。けれど、その「原理」が焦点になるときには、その「原理」に反したことに対して、ものすごい抵抗がでてきます。まるで、海に潜って、息苦しくなったときのように。つまり、そこに「なぜ」を持ち込むことによって、自分が空気のようにあたりまえだと思っていることが、危機にさらされてしまうことになるからです。

 シュタイナーのいう意識魂は、そうした「自分の立場を意識によって振り返りえない立場」の対極にあるものです。ですから、そういう「原理主義」的な傾向性があることそのものが「精神科学」とは矛盾するものであるということになります。


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