風のトポスノート515

 

中心にいないこと


2004.06.28

 

        財界でも学界でも中心に居てはいけない。
        いつも少し離れたところに居るべきだ。
        そうしないと渦の中に巻き込まれてしまう。
        そして自分を見失う。
        (渋沢敬三から宮本常一へのことば)
 
中心にいるということは
中庸であること中道であることを
必ずしも意味しない。
 
中庸であること中道であるためには、
むしろ中心にいないことが必要なことが多い。
 
中庸であること中道であるためには、
そのダイナミックで持続的な統合に向けた
ある種の「衝動」が必要となる。
 
その「衝動」を得るためには、
動きのない中心から離れていることが
どうしても必要になる。
 
権威が形骸化したものになりやすいのも
権威が中心化することによる。
 
自分を常に中心から「差異化」し続けることによって
はじめて中庸であり、中道であることができる。
 
台風の目にいると
つかのま、無風状態になり
雨もあがった状態になることがあるが、
中心にいるということは
ともすれば台風の実態から
目をそらしてしまいかねないことがあるのだ。
 
権威となるということは
今の自分をそのままで肯定することにも通ずる。
真の権威は、自己否定による高次の自己肯定を
不断になすことでもあるのだが、
権威はともすれば自己否定の恐怖と隣り合わせになってしまうのだ。
そうなってしまうと、自分を変容させ続けることで可能になる
中庸、中道というあり方が不可能になってしまう。
 
組織の腐敗もそこで起こる。
生きた組織は耐えざる変容を求めるが
組織を権威づけるためには、
その変容をこそ拒みがちになる。
そして中心を固定させてしまうのだ。
 


■「風のトポスノート401-500」に戻る
■「思想・哲学・宗教」メニューに戻る
■神秘学遊戯団ホームページに戻る