風のトポスノート548

 

阿弥


2005.4.25.

 

	 観阿弥と世阿弥の家はその後代々、能役者観世家として伝えられ、現宗家の
	清和さんまで二十六代。一方、黙阿弥は江戸本橋の商人の子で、世阿弥の家と
	はまったく関係がありません。共通の縁は阿弥号を持っている点だけです。
	 ではこの「阿弥」号とは何かというと、仏教の浄土宗のうち、一遍上人によ
	って開かれた時宗(遊行宗、一向宗ともいう)の信徒に許された号なのです、
	これは中世の室町時代以降、同朋衆がよく名乗った称号でした。
	 同朋衆とは、法体になって将軍や大名に近侍する人たちで、本当の僧ではな
	いが一応得度し脱俗出家した形で、得意の業をもって奉仕したのです。
	(河竹登志夫『憂世と浮世/世阿弥から黙阿弥へ』
	 NHKブックス 1997.9.20発行/P13-14)
 
時宗という名前の由来は、「臨命終時宗」にあるという。
日常における一瞬一瞬の念、一念がいわば「臨終」の時であるということのよ うである。
そしてその時宗の特色は、念仏しながらの遊行と踊り念仏。
 
その時宗の信徒に許された号が「阿弥」。
「南無阿弥陀」の「阿弥」。
その号を、観阿弥と世阿弥が名乗っているというのは興味深い。
河竹黙阿弥にしても、現役時代は二代目河竹新七だったのを、
引退のときわざわざ時宗の総本山遊行寺まで出向き、
正式に授けられたものだという。
観阿弥や世阿弥にあやかろうと思ったのかもしれないが、
それにしても日本の芸能と「阿弥」号の関係は、
ただならぬものがあると考えてよいのかもしれない。
 
ある意味で、能、狂言は、「臨終」の「時」を踏み越えた
虚の時空において表現されているといえるのではないか。
故に、「夢幻」能。
そこには成仏しえぬシテと成仏せしめようとするワキがおり、
その夢幻の時空において演じられるドラマがあり、
それが演じられることによって可能になるものがある。
別の表現をとるとすれば、独特なかたちで芸能化された
シャーマニズムとでもいえるだろうか。
 
しかも能の間に演じられる狂言の存在もまた興味深い。
それは能に比べて登場人物がよりアレゴリカルな形をとり、
しかもより日常に近づいた形で、言語的な要素を強めている。
また狂言は「猿にはじまり狐に終わる」とまでいうように、
動物や茸や蚊など、さまざまな存在さえも登場してくる。
より日常的に近づいていると同時に抽象的な表現の度合いを高め、
しかもそれが人間に限定されない森羅万象まで対象が広がっている。
ある意味では、演じられる芸能としてのメルヘンといえるのかもしれない。
 
そして能、狂言の後には、特に江戸時代以降、
浄瑠璃、文楽、歌舞伎が登場し、隆盛するようになる。
最初は、「憂世」というように霊的な世界にも関係してくるような
浄土への指向が、やがて地上化し、大衆化し、
やがて「浮世」の芸能へとシフトしてくるようになる。
 
こうした変化を、精神史的に見ていくのも興味深いところであるが、
とりあえず芸能における「阿弥」号に見られるように、
どこか神秘学的なものが現世的なかたちで展開していくあり方に
ときに注目してみるのも興味深いのではないかと思われる。
 


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