ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第10講

唯物論的になっていくアトランティス後第五時代初頭における
アトランティス後第四時代のイマジネーション的・霊的具象性の芸術表現

ラファエロ:《ディスプータ({聖体の}論議)》ー《アテネの学堂》

ドルナハ   1917/10/5


 きょうは、美術史についてのこの連続講義をいくつかの絵画で始めるのではなく、導入としてみなさんにひとつの考察を、提示することを考えております、実質的にただ二枚の絵画、人類の近代の進化史のなかに置かれるべき二枚の絵画に結びつけようという考察です。さらに私たちは美術史上の時代を、昨年そうしましたように、この導入の講義に結びつけたいと思います。

 まず最初の絵ですが、これはとくに私たちの本日の考察にまずは結びつけたい絵で、みなさんよくご存じのラファエロのいわゆる《ディスプータ[Disputa]({聖体の}論議)》です。

197 《ディスプータ》

 この絵に含まれているものをざっと具体的にあげてみますと、絵の中央下部、私たちの真正面に、聖杯を載せた一種の祭壇が見えますね、聖杯のなかには、聖体の秘蹟のシンボルであるホスチア[Hostie](聖餐式のパン)があります。左側と右側には教父たちが見え、その衣装から、教父、法王(教皇)、大司教たちであるのがわかります。そして、このグループは中央に対して、とりわけみなさんから見て祭壇のすぐ右側にいる人物の手の動きによって、左右で活発な動きを見せています。まさにこの人物により、これらの人物全員が上から下降してくるものに関心を持っていることがわかります。それから、祭壇の近くにいるこのグループの背後の空間に目を向け、風景をよく見ると、-- 風景のすぐ上に -- 絵の上半分から雲の塊が湧き出ているのが見えます。いわば空間の無限の地平線を眺めているわけです。次いで、中央に、この雲の塊から出てきて鳩の両側を漂っている天使のような存在たちによって福音書が掲げられているのが見えます。中央に見えるのは、鳩というシンボルで表された聖霊です。聖霊の上には -- はっきりと見てとることができますが、福音書を掲げる四人の天使の姿を伴う聖霊が、遠近法上少し前方に置かれているために、いくぶん後退して -- キリスト・イエスの姿が見え、キリスト・イエスの上には、父なる神の姿が見えます。つまりこれは、中に聖体を入れた聖杯の上の三位一体なのです。キリスト像の両側には、地上的なグループに対応するかたちで、天上的・霊的なグループが描かれています。キリスト像の両側には聖人たちが見られ、中央にはキリスト像の左右すぐ両隣に聖母と洗礼者ヨハネ、そしてその他の聖人たちは、ダヴィデ、アブラハム、アダム、パウロ、ペテロその他です。そしてさらに上の雲に向かって、本来の精妙な霊たち、霊的な個体たちの姿が見えます。

 今私たちの前にあるこの絵を -- もちろんもっとよい模写もありますが -- 、まず人類の進化史のなかに置いてみたいと思います。

 とりわけまず大きな違いがはっきりとわかるのですが、それは、この絵が描かれた時代の感情に完全に入り込んでいけば、私たちに明らかになるであろう違いです。私たちが一六世紀に入り込み、今日たとえばある画家がこのようなものを描くもとになるであろう複合的な感情と、この絵を比較してみるなら、私たちはこう言わざるをえないでしょう、当時、一六世紀のローマでは、法王ユリウス2世が、彼によってローマに招聘された二十代半ばのラファエロの活動の場を統治しましたが、あの時代、あの場所で、当時そこに生きていた人間的感情から生み出されたこの絵は、深遠な真実であったのだ、と。今日でももちろん似たようなものを描くことができるかもしれません、けれどもモティーフ形成という点でこの絵に似ているとしても、それは真実であることはできないでしょう。

 こういう事柄をしっかりと理解しておかなくてはなりません、さもなければ、人類史の具体的な考察に決して至ることはできず、今日学校や大学で人類史と称されている、伝説 -- あまりよろしくない伝説 -- の抽象的な考察に終始するにとどまるでしょう。この絵を理解するために、芸術的に理解するために、これを真に芸術的に理解するために、私たちが注目することのできる個々の部分、これらはすべて、ある特定の意味を持っています。考えてみてください、ラファエロが、ここでもしばしば話題にしたこの独特の個性であるラファエロが、当時一六世紀の初頭にローマにやってきます。ほかならぬ彼、ラファエロは、二十代半ばで、当時有していた肉体のなかにいるのです。そしてこう推測してもかまわないでしょう、この絵をほぼ描いたとき、彼は二十代の終わりだった、と。当時彼は、ふたりの老いた人物のまったき影響のもとに、その指示を受けていました、すでに人生の大きな戦いを経て、諸々の構想と理念、言うなれば考え得るかぎりもっとも遠大なすべてである理念を抱いていたふたりです。

 ちょっと確認しておきましょう、ユリウス2世の前任の法王まで、当時のローマというのはなんと言っても、その後ユリウス2世によってそうなったのとは根本的にまったく異なるものでした。ユリウス2世の前任者たちのなかでももっとも際だっているのはボルジア家の人々です。アレクサンデル6世の時代には、ローマは実際、年の経過とともに徐々に形作られてきたというような状況だったと言えるかもしれません、古代世界の廃墟・瓦礫と化した遺物に覆い尽くされ、聖ペテロ教会(サンピエトロ寺院)もほとんど崩壊し、使いものにならなくなっていました。とは言え、この人物たちは、古代世界のかつての芸術的な壮大さを再興しようという一種の憧れにすでに魂を満たされていました。しかし、ちょうど一五世紀から一六世紀にかけて、ほかならぬボルジア家とユリウス2世の間に奇妙な断絶が起こります。きょう話題となっている二枚のフレスコ画のある署名の間も含まれている部屋と柱の列の下、つまりその下の階に、アレクサンデル6世が壁面を描かせた部屋と柱の列があります。それにしても奇妙なことに、ラファエロのパトロンであるユリウス2世は、彼の前任者の普段の居間であったこれらの階下の部屋を、あたかもその中ではいつもコレラとペストの亡霊たちが徘徊しているかのように、避けていたと思われます。これらの部屋をユリウス2世はまったく避け、芸術的なもの、かつてそこで起こった出来事にも無関心でした。そのかわり彼は、今見られるその上階の部屋と広間を、彼の理念の意味において整えさせようと決めたのです。このことを私たちは、一六世紀初頭においては、法王ユリウス2世の頭から、かつての彼の前任者のもとで働いていた精神とはまったく異なる精神が働きかけているということとの関連で、ぜひとも考えなくてはなりません。

 ラファエロのもうひとりのパトロンはブラマンテでした。彼の頭の中には、新たな聖ペテロ教会の構想がありました。ユリウス2世もブラマンテも両者ともに、すでに申しましたように、人生の荒波を経てきた老人でした。この若い人物、ラファエロを、彼らはローマに招きました。ラファエロを自分たちに仕えさせ、新たな理念として、人類全体に行き渡らなければならないと彼らが考えた新たな衝動として、彼らの頭のなかで力強く鳴り響いているものを、絵画的に表現させようとしたのです。この衝動、当時一六世紀初頭からローマを出発点に人類のなかに送り込もうとされるこの衝動を、もう少し詳しく見ておかなくてはなりません。この衝動は一方においては、外的なキリスト教世界の発展と密接に関連し、さらにこのキリスト教会的世界の設立に関わるものすべてと密接に関連しています。他方においてこの衝動は、ヨーロッパの全歴史的発展とも密接に関わっています。よく考えてみましょう、今日の人間にとっては実際のところ、時代のなかに、たとえば、しばしば《ディスプータ(論議)》と呼ばれたこの絵を育んだような時代のなかに、感情と思考とともに入り込んでいくということはきわめて困難なのです。そして今日の人間にとってさらに困難なのは、もっと前の世紀、すでにキリスト教が支配的になっていた時代であるにせよ、もっと前の世紀のなかに入り込んでいくことです。しばしば言及してきたことですが、今日ひとはこう考えます、ああ、人間はいつでも、今そうであるのと同じようなものだったんだ、と。けれどもそれはまったく違うのです、とりわけ人間の魂生活に関しては、まったくそうではありませんでした。そしてほぼ二千年近く前、ゴルゴタの秘蹟が人類進化のなかに置かれたとき、このゴルゴタの秘蹟は、それが広範な社会的な人類進化のためにそうなったものであると同時に、、今日の人間の理解できるものとはまったく別の何かでもありました。しかしさらにずっと弱々しくしか思い描かれないのは、次のようなことがどういう意味なのか、ということです。つまり、この絵が成立したほぼ同じ時代、一五世紀末に、人類にもたらされたのは、まずアメリカ大陸の発見、第二に、本の印刷技術の発見により到来したまったく異なった人間社会の構造、最後に、近代自然科学においてコペルニクス主義、ケプラー主義とともに成立したもの、こうしたものですが、これらがもたらされたのは、どういう意味なのかということです。

 この絵をよく見てください。今日、画家が描くとしたら、もはやこの絵は当時と同じ意味で真実にはならないだろう、真実にはなり得ないだろう、と私は申しました。と申しますのも、描かれた当時と同じ意味でこの絵が自らにとって客観的であった魂、地球について、まだアメリカが発見されていないということによって生み出された観念を持っていた魂、そういう魂を今日見出すことはできないであろうからです。まだ心底信仰深く雲を眺めて、雲の彼方に、今日私たちが霊的世界において思い描くべきものを、いわば実体的空間的に、雲の彼方にありありと思い描くような魂です。今日そのような魂はきわめて素朴な人たちのなかにさえもはや見出されません。けれども、この絵の内容はこれらの魂にとって無条件に客観的だったと考えないとしたら、私たちは当時の魂を誤って思い描くことになります。ひとつよく考えてみてください、この絵の内容とはいったい何でしょうか。 -- 私たちは今日、精神科学的な観点から、この絵の内容であるものに対してひとつの名称を見出すことができますね。高次の世界を仰ぎ見る最初の段階としてイマジネーションについて語るのは私たちにはおなじみのことです。人類はこの一六世紀に至るまで、世界について、広大な空間世界について、地上世界との関連で、イマジネーションへと上昇する表象を有していた、と言うなら、私たちは正しいことを言っているのです。当時イマジネーションはまだ生き生きとしたものでした。ラファエロは、魂のなかに存在していた生き生きとしたイマジネーションを描いたのです。世界観、世界像は当時まだイマジネーション的なものでした。

 これらのイマジネーションは、コペルニクス主義、アメリカ発見、印刷術の腐食性の力によって駆逐されてしまいました。人類はこの時代からようやく、イマジネーション、つまり私たちがイマジネーション的認識、イマジネーション的霊視と呼ぶものに代わって、全体的な世界構造を外的対象的に表象するようになりました。つまり現代の人間は、外部に太陽がある、諸惑星が回転している、などと表象するわけですが、当時の人々はそういうことはまったくしませんでした。彼らが似たようなことを語りたいと思ったなら、彼らはイマジネーションについて語ったのです。ですからこの絵はそのようなイマジネーションの写しなのです。人類のイマジネーション的な観る力が徐々に養成されてきた世紀、その後それはこのラファエロのそれのような絵画とともに一六世紀に一種の終結を見たのですが、そういう世紀とはつまり、一六、一五、一四、一三、一二、一一、一〇世紀で、九世紀まで遡りますが、それより前ではありません。私たちがさらに遡ろうとしても、私たちはもはや正確な表象を得ることはできないでしょう、今挙げた諸世紀において人間が感じていたイマジネーション的なしかたでさえ、これを今日私たちが魂の前に呼び起こすことももう十分に困難なのですから。

 私たちが九世紀より前の諸世紀においてキリスト教によって生じたことを表象しようとするなら、キリスト教的な表象を、通常そうされている傾向よりもずっとスピリチュアルに[spirituell]表象しなくてはなりません。アウグスティヌスはキリスト教的な表象から、彼が用いることのできたもののみを取り出しました。しかし今日アウグスティヌスを読むと、それ以降および今日とは別のいかなるものが、世界像として及び世界と人間の関係についての像として、まだ魂のなかに生きていたのか、ということについて、ひとつの感情が得られます。そしてみなさんが、カール禿頭王の時代に教えていたスコトゥス・エリウゲナをお読みになれば、とりわけ重要な表象を獲得されるでしょう。こう言ってもよいかもしれません、九世紀より前のこれらの古い世紀、こういう諸世紀において、思考全般へと自らを高めた人々のもとで、キリスト教的思考を貫いていたのは、高次のスピリチュアルな表象だった、と。こう言ってよいかもしれません、この古い諸世紀に人々が世界像を作り出したなら、彼らはこの世界像のなかに、感覚的経験が直接与えてくれるものはまだほんとうにわずかしか取り入れなかったけれども、この世界像のなかにそれだけいっそう多く取り入れたのは、感覚的な経験が与えてくれないもの、世界を古い霊視力で見つめることから取り出されたものであった、と。そして私たちが、ゴルゴタの秘蹟後最初の数世紀に遡ってキリスト教的な表象を追求してみると、これらの表象とは、むしろこう言えるようなものでした。つまり、当時人々は、天上的なキリスト、霊的世界にいるキリストに関心を持っていた、そして地上に降りてからキリストがそう成ったもの、それを人々は吊された付属物{ペンダント}[Anhaengsel]のように見ていたのだ、と。霊的存在のただなかにキリストを求めること、キリストを超感覚的でスピリチュアルなものとの関連で考えること、これが本質的な欲求だったのです。そしてこれは、古いスピリチュアルな -- 先祖帰り的にスピリチュアルであるにせよ -- 世界観に由来していました。この世界観が、古代の文化をアトランティス後第三時代まで満たしていたわけです。当時地球はほんとうに霊的なものからぶらさがった付属物と考えられていました。

 さて、そもそも人類が今日までにいかに進化してきたかを理解し、把握したいと思うならば、非常に本質的なひとつの表象についてそろそろ知らなければなりません。知らなければならない表象とは、ヨーロッパの人類は、その文化の発展のために、スピリチュアルな表象を抑制することがどうしても必要だったということです。このことについては、共感にせよ反感せよ、判断は許されません。このことについてはそもそも、批判的な精神で判定を下すことは許されず、まったくありのままの事実を据えなければならないのです。それはまさしく、そうならねばならない文化が到来するための、ヨーロッパの運命でありカルマだったのです。スピリチュアルな表象をいわば抑制し[zurueckdraengen]、押しとどめる(堰き止める)[zurueckstauen]こと、これがヨーロッパの運命でした。

 こうして、ヨーロッパにはスピリチュアルな表象を抑制するようなキリスト教が必要であることが、九世紀以降いっそう明確に意味深く示されるようになりました。そして、ギリシア・東方教会とローマ・カトリック教会への教会分裂も、この必然性の一つの結果です。当時において、東は西から切り離されます。これはきわめて重要なことです。西は、スピリチュアルな衝動を東方へと押しとどめるという運命を担います。スピリチュアルな衝動は東にとどまります。そして、このアジアとロシアにつながるヨーロッパの半島 -- ここで私はロシアもアジアとみなしています -- が、八、九世紀以降、スピリチュアルな衝動を東方へと押しとどめる必要があった、ということが明確に理解されないならば、人類の生成のなかにあるものが真に理解されることはないでしょう。スピリチュアルな衝動はそこで圧縮され、西ヨーロッパと東ヨーロッパの生活から遠く隔たって発展し、今日のロシアへと発展していきました。

 これは非常に重要なことです。ひとつこのことをきちんと心に留めておいてほしいのです。今日では、ものごとをもはや全く関係のなかで観察しようとしない、ということが慣例となっています。ですから、ロシア革命のような事件も、数ヶ月前に起こったことのように思われるのですが -- どういう理由からある人やまた別の人がこう想像するのか、私はわかっています -- 、実際は、すべての背後にまさにこういうことがあって起こっているのです。つまりある特定の、世紀の経過につれてこの東方で次第に不可視の捉えがたいものとなったスピリチュアルな生命が、押し戻され、せき止められて、今や、まだまったく定義しがたい、カオス的なしかたで作動するのですが、この東方で起こっていることの渦中にある人々は、海で泳いでいる人々の体内に -- 溺れかけていないにしても -- 海水が入る場合のように、実際そのさなかではあまり生きていられない、ということです。海水は人々の外にあるものだからです。このように、東方でスピリチュアルな衝動として表面で作動するものも、まだ霊的なもののなかにあるのです。人々はそのなかを泳ぐのですが、そのとき表面に押し迫ったもの、九世紀以降東方へと、いわばそこに保管されて後の時代に発展を遂げるために東方に押し戻されていたものについては、あまり予感していませんでした。東方に生まれ、東方で民族移動やその他の状況から徐々に育ってきた人々、こういう人々の魂のなかにスピリチュアルな衝動として入り込んできたものは、西ヨーロッパと南ヨーロッパ、及び中部ヨーロッパにはさしあたり用いることのできないものだったのです。

 西は何か奇妙なものを手元に残しています。東は、それを知ることなく -- 真に重要な事柄は多くの場合人間にとって潜在意識のもとで進行するものですから -- 、東は、真にそれを知ることなく、福音書の《私の王国はこの世のものではない》{ヨハネ福音書18,36}という言葉に厳密にとどまり続けました。ですから、東方においては物質界であるものが、あいかわらずスピリチュアルな世界へと、上方へと堅くつながっているのです。西は、この《私の国はこの世のものではない》という言葉を逆転させて、まさにキリストの国をこの世の国とすることに頼らざるを得ませんでした。こうしてヨーロッパは、キリストの国を、外的な物質界においてローマから発してひとつの帝国のように外的に建設していく運命を担うのです。九世紀以来、ローマからこういう法則がうち立てられた、と言ってもよいかもしれません、《私の国はこの世のものではない》という古い言葉との決別、その代わりに、地上での、物質界でのキリスト・イエスの国たるべき現世の国を建設する、という法則です。

 ローマ法王は徐々に、こう語る者となりました。私の国はキリストの国である。しかし、このキリストの国はこの世のものであるから、われわれはこのキリストの国がこの世のものであるように、これを建設せねばならない、と。けれども、まさにこの国こそキリストの国である、この国は、単に自然な存在、外的な自然存在の原理のみに基づいて建てられてはならない国である、という意識も残っていました。意識されていたのはこういうことです。自然を見渡すと、太陽によってあるもの、朝焼け・夕焼けによってあるもの、星々によってあるもの、これらすべてを見ると、単に、目が見、耳が聞き、手がつかむことのできるもののみを前にしているのではない、そうではなく、無限の空間のかなたに同時に、スピリチュアルな国であるものを前にしているのだ、と。そして、この目に見える世界のなかにあるものすべては、いわばスピリチュアルな世界の最後の流出[Ausfluss]、最後の湾[Golf]なのだ、と。この目に見える世界は、この世界がスピリチュアルな世界の流出であることが完全に意識されているときにのみ、ひとつの全体なのです。この世界は具体的であり、単に人間はこのスピリチュアルな世界のための視覚を失っただけなのです。人間にとってこの世界は隠されていますが、この世界はひとつの現実であり、真実です。そして人間が死の門を通過し、その人が恩寵に恵まれているなら、その人はスピリチュアルな世界に入っていくのです。ですから今日しばしば思い描かれるよりもずっと生き生きと、こういう人々は考えることができました。死者たち、とりわけ恩寵に恵まれた死者たちは死の門を通過すると、-- 雲を貫き、星々を通過し、惑星軌道を通過して、という具合に -- ありありと表象されなければならない世界に入っていきました。つまり、この絵のなかで、死者たちの魂が上のグループを形成しているというのは、具体的なこと[etwas Konkretes]だったのです。そして死者たちの魂はその中央に、三位一体という具体的な[konkret]秘蹟、具体的な秘密を有しています、過去の本質をなすものである父なる神、現在の本質をなすものであるキリスト・イエス、未来の本質をなすものである聖霊から構成される、この具体的な秘密です。

 けれども時代の現実へと隔てられているものに関して、現代の世界、知覚できる世界を単なる幻影にしたくないなら、そして人間がこの感覚的な世界の内部で動物のように生きることを望まないなら、これに関して、物質界のこの感覚的な世界のなかに、徴(しるし)がなければなりません、雲の上の霊的世界に目に見えず漂い宿っているものについての徴が。あとから生まれた者たちは、今やすでに死後の魂[Post-mortem-Seelen]となっている先に生まれた者たちが直接観照していたものについての、生きた徴を得なければならないのです。

 祭壇の上には、聖体、ホスチア(聖餐式のパン)を入れた聖杯が載っています。このホスチアは、この下の左右にこれを取り巻いて立っている人々にとって、単なる外的な物質ではありません、このホスチアは周囲をオーラ[Aura]の流れに包まれています。そしてこのホスチアのオーラとともに、三位一体から下降してくる力が働いているのです。祭壇上にある聖体について、教父たち、司教たち、法王たちの頭のなかで生きているこのような表象を、今日の人類はもはやまったく持ち合わせておりません。こうした表象は時代の経過とともに消え去っていまいました。そしてこの絵においては、下の祭壇のそばのこうした人々に明らかになる瞬間がしっかりととどめられているのです。、祭壇上に秘蹟がある、ホスチアの回りを何かが漂っている、と明らかになる瞬間です。この何か、これを見ているのは、すでに死亡した魂たち、つまり恩寵を受けたダヴィデ、アブラハム、アダム及びモーゼ、ペテロ、パウロですが、死者たちはこれを、この物質界にいる魂たちが、感覚的世界の対象を見るように見ています。

 この下の部分(197)を、中央の聖体とともによく見ますと、この下の、いわば絵の一番下の階にあるものにおいて、私たちの前にあるのは、法王ユリウス2世のような人ならそれについてたとえばこう言ったであろうものです。つまり、ともかくも可能な限り大きく壮麗に、地上でローマからこれをうち立てたい、このような国、このような帝国を -- 国家[Staat]ではなく、帝国[Imperium]を -- を建設したい、この国、この帝国ではこのようなオーラの流れに取り巻かれたことが起こるような、過去がその衝動とともにこのオーラのなかに生きているような、そんな国を建設したいのだ、と。つまり、この世のものである国、しかし、この世のものでありながら、スピリチュアルな世界に生きているものの徴であり、署名[Signum]であるような国です。

 この種の表象を、ユリウス2世はまずブラマンテのなかに、次いで若々しいラファエロのなかに点火したのでしょう。それによって結果として、若きラファエロがこの絵を構成することができました。ユリウス2世はこの絵をいわば彼の執務室のなかに置いて、秘蹟が最重要事であるような帝国をローマから建設しようという聖なる標語のように、常に目の前に置いておきたかったのです。けれどもこの王国は、この世のもの、スピリチュアルなものをも含み込んだこの世のものでなければなりませんでした。

 今お話ししたこうした感情のすべてを魂に作用させてみさえすれば、そして、スピリチュアルな世界は、九世紀以来、ここで雲が上方に押し上げられているように、いわば東方へと押しもどされ、時節到来するまで今はそこで待機しているのだ、と言うなら、この絵についてひとつの印象が得られるでしょう。

 これに対して、さしあたり西方では、アトランティス後第五時代が準備されました、私たちが今なお生きていて、人類がこれから先も長く生きていくこのアトランティス後第五時代、まさに、私の国はこの世のものである、という徴のもとにある時代です。そしてこのアトランティス後第五時代の国はますますいっそうこの世のものとなっていくことでしょう。けれども、この世のものであるこの国のなかに、このアトランティス後第五時代のほぼ初頭、初期の頃に、ブラマンテどユリウス2世という老人たちの影響のもとに、ラファエロによって、このような事柄が置かれます。きわめて重要な事柄は歴史の発展において無意識のうちに起こるものです。それで、無意識の、しかし英知に満ちた根拠から、ユリウス2世はラファエロを呼び出したのです。ご存じのように、人類は何千年の経過のうちにどんどん若くなりました。ご存じのように、人類は、アトランティス後第五時代の初めには、二八歳という年齢となり、現在は《二七歳》です。ブラマンテとユリウス2世はたしかに老人でした。しかも彼らは、若きラファエロ、あのような絵を描いたときの、若々しい肉体そのものであり、二八歳の力を持っていたラファエロのみがその肉体をもって置くことのできたものを、直接世界のなかに置いたわけではありませんでした。これは人類進化において重要なスピリチュアルな背景です。

 それではここで、今みなさんに特徴をお話しした思考をもとにラファエロがローマにおいていかに描いたか、いわばアトランティス後第五時代に対するアトランティス後第四時代の抵抗をいかに描いたか、ありありと思い浮かべてみましょう。実際はそうではありませんが、ラファエロの魂のなかに次のようなことが引き起こされた、と仮定して考えてみましょう。ラファエロの魂の前に置かれたのは -- 無意識のなかにそれは生きていましたが、この無意識を仮定として私たちの前に置いてみることができます -- 、ラファエロの魂のなかに生きていたのは、アトランティス後第五時代として到来することを定められたものについての知識だった、と想定してみましょう。アトランティス後第五時代の、神無き、精神無き世界の到来が定められている、その時代にあって人類は、不毛な、味気ない、冷え切った宇宙空間を思考し、太陽と諸惑星を散りばめ運行させる、味気ない宇宙空間を精神無く{退屈に}[geistlos]表象し、地球そのものも精神無く表象し、精神無き自然法則によって宇宙の全生成を構成しようと試みる、と。ラファエロの魂の前に据えられたものは、アトランティス後第五時代の、精神性欠如という現実であった、と想定してみましょう。そしてこのラファエロの魂は、これに対してこういう印象を抱いた、と想定してみましょう。そんなことは許されない、カント=ラプラス理論の意味での精神無き宇宙の霧をまとった冷たい宇宙空間を据えるこの精神無き時代、この時代のなかに、私は、生き生きとしたスピリチュアルな実在のイマジネーションを投入したいのだ、と。私は、可能な限り、観念のなかで、この不毛な自然史的な実在を、古い霊視的な世界の把握から明らかになるイマジネーションで満たしたい、と。 -- ラファエロの魂においてはこのようなようすだった、と想定してみてください。彼の潜在意識においてはこのような状況でした。ユリウス2世の魂においてさえこのような状況だったのです。

 実際のところ私たちの時代は、ユリウス2世や、ボルジア家の人々ですらそうなのですが、そういった偉大な精神を、歴史伝説がやっているように、侮る必要はありません。歴史は、私たちの同時代人、現代のきわめて偉大な人たちについて、私たちがボルジア家の人々やユリウス2世、その他昔の似たような人たちについて下すのとはまったく異なる判定を下さねばならないでしょうから。現代の人々は単にそれに対して距離を置かないのです。

 このようにラファエロは、アトランティス後第五時代の初頭に、まさしくアトランティス後第五時代の申し子、とでも申し上げたいものとして、生まれました。彼は実際にこのアトランティス後第五時代から生まれ出たわけですが、この時代に対して生き生きと反抗する魂、この時代がもはや真実として体験しようとしないものを、美というかたちでこの時代のなかに据えようする魂、スピリチュアリティを失った感覚性のなかに感知しうるスピリチュアリティをもたらし、古い時代がスピリチュアルな観る力から得ていたものをアトランティス後第五時代のなかに持ち込もうとする魂、そういう魂として生まれたのです。スピリチュアルな視力で観られていたものを、感覚的な絵というかたちで、この世の国に、この世の第二の国のなかに、感覚的な、けれども超感覚的なものの徴に満ちた感覚性において感覚的であるもののなかに置くこと、これがおおよそラファエロの意図したことでした。そしてこのことについての真実であるのがこの絵、すみからすみまで真実の絵です。なぜなら、この絵は当時の生きた感覚から生じたものだからです。

 今、この時代を考えてみてください、このアトランティス後第五時代の子が、アトランティス後第四時代のまったくイマジネーション的でスピリチュアルな具象性を持ち込み、アトランティス後第五時代のなかに入り込むアトランティス後第四時代の契約のように登場するこの時代を。ほぼ同じ時期の年、ひとりの北方の人物がローマで贖罪者の階段をよじ登っていました。これこれしかじかの数の段をよじ登れば、それは神意にかなった行をなすことであり、階段を一段上るごとに、煉獄の炎で焼かれる日々がこれこれしかじかの数だけ免除される、と言われている階段です。信仰篤く、信仰に溢れて、ローマでこの北方の人物は -- 一方ラファエロはヴァチカンの署名の間でこういう絵を描いていました -- 、自らの魂の救済を気遣って、この神意にかなった行によってこれこれしかじかの煉獄の日数を逃れるべく、階段をよじ登っていました。そしてよじ登っている最中に、この人物はひとつのヴィジョンを得て -- 煉獄の日々を逃れるためにこのように階段をよじ登るといったような行は無駄であるとこの人物にわからせるヴィジョンです -- 、このヴィジョンによりこの人物は、ラファエロがアトランティス後第五時代の子としてアトランティス後第四時代の契約のように描いた世界と、自分との関係を断ち切ったのです。

 ご存じの通り、この北方の人物とは、ラファエロの対蹠者、ルターです。ラファエロにおいては、みなさんが単に表面的にごらんになるだけでも、あらゆる色彩とフォルム、あらゆるスピリチュアルな比喩、超感覚的世界のあらゆる表現と徴が見られますが、それは感覚的な色彩とフォルムのなかに、あらゆる形態を求め形態を形作りつつあるものです。そしてルターは同じ時代のローマで、歌とポエジーに満ちた魂とともにありますが、形態無く、魂のフォルムの欠如のなかに生き、ローマでの彼の環境であったこの全世界とを拒否しているのです。九世紀に東方のスピリチュアルな世界が押し戻されるように、ルターも北方世界のために、アトランティス後第四時代から契約として南ヨーロッパに残されていたものを押し戻すのです。ルターはこれを押し戻します。こうして未来において私たちの前には三つに分かれた世界があるのです。つまり、東方においてはスピリチュアリティが押しとどめられて待機し、南方においては、アトランティス後第四時代の契約のようにやはり押しとどめられ拒否されているものが、組み込まれます。北方の音楽的なものは、南方の色彩とフォルム豊かな契約にとって代わります。ルターはラファエロの真の対蹠者です。ラファエロはアトランティス後第五時代の子ですが、その魂のうちにはアトランティス後第四時代の内容が完全に生きています。ルターはアトランティス後第四時代の落伍者です。ルターは、彼がそのなかに生きていたアトランティス後第五時代の人間ではなく、こう言ってよければ、アトランティス後第四時代から第五時代のなかへと単に移動させられたようなものです。ルターはその心のありかたという点で、まったくもってアトランティス後第四時代の人間です。彼はアトランティス後第四時代の人間のように考え、感じます。けれども彼は、アトランティス後第五時代のに移されてきて、その不毛な感覚性、単なる自然史、スピリチュアリティ無き凍てついた原野とともに、今やアトランティス後第五時代に入り込んで鳴り響く運命となっているものを味わい尽くすのです。ラファエロは、アトランティス後第四時代の魂内容を備えたアトランティス後第五時代の人間です。ルターの方は、単にアトランティス後第四時代から第五時代に移されただけなので、その魂とともにアトランティス後第四時代に立っていて、外的なものをすべて拒絶し、その代わりに、人間の外的な営みや外的な行為と何ら関わりのないもの、人間の魂とスピリチュアルな世界の間の形のない内的な関係のみに基づくもの、信仰のなかにのみあるもの、そういうものに人間の魂の衝動を基礎を置こうとする人間なのです。

 ひとつ考えてみてください、ある画家が、ラファエロが南方のカトリシズムからこの絵を描いたほどに真実に、ルター主義から描こうとしたら、その画家は何を描くでしょうか?彼はたとえば、アルブレヒト・デューラーが描いたようなキリストの姿を描くでしょう。あるいはある信心深い人間を描くことでしょう、そして、この魂が移されてきている感覚的な環境や感覚的な環境の対象とは全くなにも共有しない何かが魂のなかに生きていることが、骨相学的な表現のなかに認められることでしょう。

このように時代から時代へとつながっているのです。今日の時代においてはまったく別の表象がなされます。今日では、キリストがほかの人々のなかのひとりの人間のような絵画が描かれていることから、このことを見て取ることができるでしょう。《主なるイエスよ、来て私たちの客人となってください》や同様のものでは、可能な限り人間的に描かれています。

198a  ウーデ 《来てください、主イエスよ、私たちのお客として》

 先ほどのこの絵(197)では、下の方に司教たちと教父たちのグループが、中央には単にシンボル[Signum]、徴が見えます。けれどもこれは、感覚の外にある世界を指しています。その内部には三位一体が具体的にあるのです。

 さて今度は《三位一体》を取り出してみましょう。この三位一体のみを示しているもうひとつの画像です。

198   ディスプータ 部分:三位一体

 上に父なる神が、下に聖霊と子(息子)が見えますね。この三つの部分が、未来、現在、過去の具体的な内容のように取り上げられているのがおわかりでしょう。当時の世界観潮流は、恩寵に恵まれた死者たちの魂にとって直接的な観照のなかに生きていたものを、外的感覚的世界であるものと混ぜ合わせることのできる状態にはなかったでしょう。けれどもラファエロは、当時の表象という意味において、彼が表現することができたものを真に表現するために、自然の空間の広がりへの自由な展望を用いました。彼は絵画のなかでいわばこう表現しなければならなかったのです、空間を満たしているものの単なる感覚性は真なるものではない、けれどもこれは真実として空間のなかに入り込んでいく、と。ですから、下の方に -- 地平線の筋もごらんになれますね -- はるかな、無限へと伸びてゆく視点[Perspektive]がとられていますね。ここではいわば、自然を単に今日の意味で感覚的に表象することへの反抗が表されているのです。

 ラファエロが、この絵の構成を決定するに至ったのもそう単純なものではありませんでした。このことをはっきりと見ることができるように、スケッチのうちの二つをよく見てみましょう、ラファエロはまずこれらのスケッチを描き、それをもとに徐々にこの絵が仕上げられたのです。

199  《ディスプータ》のためのスケッチ

 私たちは、経過全体をこう思い描かなくてはなりません、つまりラファエロはユリウス2世の委託を受けて、1507年、1508年の時期にローマにやってきて、最初は彼のイメージ(表象)のなかにすでにあったものをそのまま絵のなかにもたらそうとしました。それから徐々に、彼はまずユリウス2世の教えを受けるようになり、空間、自然と、超感覚的および感覚的な人類のグループとのあの関係が、そうあらねばならない姿で徐々に形態をとるようにしていったのです。

 別のスケッチは

200  《ディスプータ》のためのスケッチ

 最初のスケッチの下の部分をより詳しく取り上げていますが、これもまだまったく未完成な手法を示しています。ごらんのように、ラファエロはまだうまく処理できていないのです。ラファエロが到達しなければならなかったものは、当時の意味において、スピリチュアルな世界と自然との関係を正しく考えるということでした。古い時代においては、まだ九世紀に入っても、人間の過去と自然の現在との関係について明確な表象がありました。九世紀より前の人々は -- 今日の人類にとってグロテスクに聞こえるとしても -- 、自分に何かが起こったときに、何らかの偶然からそれが起こったとは考えませんでした。そうではなく、彼らは自分に何かが起こったら、彼らが紡ぎ込まれている出来事のなかに、彼らとカルマ的に結びついていた死者たちが生きていることによってそれが起こるのだ、ということを知っていたのです。九世紀より前には、私たちを取り巻く出来事のなかで死者たちが人々の前に置かれていたのです。その後徐々に、このようなイメージ(表象)は光を失っていき、そして、私がみなさんに一六世紀のなかに入り込んでいくものとして特徴づけたものが、後に残るのです。

 けれどももう一度この九世紀へと戻ってみますと、私たちはさらにこのように思い描かなければならない事態に至ります、この古い民にとって、自然界と精神界(霊界)の間の時間的な分離は存在しなかった、と。自然はいわば下への継続であり -- 九世紀より前には、と私は言います -- 、スピリチュアルな世界の継続なのです。けれどもギリシア文明はすでに、この世界像のなかに、人間が自分自身の思考、自立した自我を通じてもたらすことのできるものを組み込んでいました。ラファエロが描いたもの、ラファエロはこれを自ら表現しました。何ら論議されていないのは確かであるにもかかわらず、のちの時代に《ディスプータ(論議)》と呼ばれたこの絵の上部の天井に、当時の象徴学に基づいて、DIVINARUM RERUM NOTITIA 、つまり、神的な事柄について書かれているもの、という銘記を掲げた女性の姿を付け加えることによって、表現したのです。基本的に、九世紀より前には、この《神的な事柄について知られていたもの》が、世界観としてまだ存続していて、自然というものは、単に、神的な世界が下へ伸ばしてきてそこに人間が見られるようになった湾のようなものだったのです。

208   ビネット Divinarum Rerum Notitia 神的な事柄の知識(記録){神学}

 

210   ビネット Causarum Cognitio   原因の認識 {哲学}

 *ビネット[Vignette] :中世手写本などに見られる唐草模様・葡萄の蔓などの装飾図案。ここではそれぞれの壁画上部の天井のメダイヨン(小円形画)部分。

 こうした世界観全体は、申しましたように、東方に向かって押し戻され、残響が、アトランティス後第四時代からの契約のようにラファエロが描いたイマジネーションのなかに残っているのです。当時意図されたことは、南から、地上に、物質界そのものに、キリストの国を、力の王国として、帝国としてうち立てるということでした。法王ユリウス2世は、ほかの類似した人物たちと同様、本来の意図をあまり標榜することはありませんでした。ユリウス2世は、ルターが出てきたために、カルヴィン、ツヴィングリが出てきたために、設立されることができなくなったものを、実際に設立しようとしました。彼は、この世のものであるキリストの国を設立しようとしたのです。けれどもこれを公言することは許されなかったでしょう。このような人物の場合、これはふつう秘教的なこととみなされます。ユリウス2世は、とりもなおさずイタリアの民を帝国に、新しいローマ帝国に組み込むために、軍司令官のようにイタリア中を回るなどということは許されなかったでしょう。彼は別のことを言いました。彼はこう言ったのです、イタリアの民を解放するために、軍司令官としてイタリア中を回る、と。これはよく言われることですね。のちの時代にも、実際はまったく別のことを意図しながら、民族を解放するために、あれやこれやをなさねばならない、とはよく言われることです。けれども当時においても、多くの人々が、ユリウス2世はイタリアの民族を解放するためにイタリア中を回った、と信じていたのです。これはもちろんまったくユリウス2世のお気に召すことではありません、どこかの民族を解放することが、たとえばウッドロー・ウィルソンの気に入ることではない、あるいはそもそも気に入ることなどあり得ないのと同様に。

 さて、よろしいですか、ここに、二つの時代の間の明らかな境界、つまりこの南方的なものの押しとどめ、と申し上げたいものがあるのです。古代ギリシア時代から世界観における二分化は維持されてきました。はっきりと理解されていたのは、死者たちの活発な行為から自然が沸き立たせるもの、これについては、人間が自分自身の胸の霊的な力から、自身の魂から展開したものを発達させるなら、もはや観照することはできない、そのとき人間が得るのは、DIVINARUM RERUM NOTITIA つまり《神的な事柄について書かれているもの》ではない、そうではなくそのとき人間が得るのは、CAUSARUM COGNITIO 、つまり《原因に即して直接的世界に存在するものの認識》である、と。けれども人間はそれによって全自然を解釈しようなどと望まないように用心しなければなりませんでした。自然について表象を得ようとして -- そのきっかけが与えられたとしたら、ユリウス2世は世界に向かって雷のように轟く言葉でこのように呼びかけたことでしょう -- 、自然について表象を得ようとして、アトランティス後第五時代の人間がするように、太陽が昇る、朝焼けや夕焼けがそこにある、星々がそこにある、ということを、その表象において表明するとしたら、それは偽りを言うことになる、と。それは実際のところ、否定するということだ、自然のなかには三位一体があり、使者たちの魂があるということ、あたりを見回し、ダヴィデ、アブラハム、パウロ、ペテロといった死者たちの魂と聖なる三位一体を描写することで、イマジネーション的に表現されるものが、そこには実際にあるということ、そういったことを否定するということなのだ、と。お前たちは、ただ最後の時(エーオン[Aeon])のみを据えるから、自然のなかに真にあるもの、いにしえの宇宙周期[Aeonen]を切り捨てるのだ!-- このようにユリウス2世は言ったでしょう。お前たちは自分自身を信頼したいというのか?お前たちが、物質体に結びついている人間の諸力を通じて発達させることのできるもののみを発達させるのなら、お前たちの得るのも、人間の外面的な自然についての、単に外面的な学にすぎない、人間が世界の無限の広がりとは関わらず、自分自身の置いた限界のなかに追い込まれ、織り込まれている、そういう限りでの学にすぎないのだ、と。

 ユリウス2世がラファエロに語ったのは、およそこのようなことだったでしょう。ひとが今日自分自身の魂の力によって人間について知りうることを描きたいというなら、お前は人間を自然への無限の視点[Perspektive]を用いて描くことは許されない、人間がどれほど才能にあふれ、賢明であろうとも、人間が自らを押し込んだ限界のなかに人間を閉じ込めておかなければならない、と。お前は人間をホールのなかに閉じ込め、世界を支配する出発点であるこれらの部屋のなかに-- ユリウス2世は、ルターも、ツヴィングリも、カルヴィンもやって来なければそうなっていたであろう世界を描きたかったからです -- 登場させなければならない、と。これらの部屋から支配されるべき世界をお前が描きたいなら、一方には自然の広がりのなかに真にあるものを、他方には、人間が自らの魂の諸力のみから探求するときに見出せるものを、描くがよい。けれどもそのとき、自然を描いてはいけない、自らが置いた限界の内部の人間を描くのだ、と。

 もう一方の壁面に対置されている絵を私たちに作用させてみると、このことがわかります、いわゆる《アテネの学堂》です。

202   《アテネの学堂》

 しばしば《アテネの学堂》呼ばれた -- のちになってからのことですが -- この絵の上には、時代の経過につれて、可能な限りあらゆるものが重ねて描き加えられ、中央に立っている男の場合には、その書物に上に《エチカ[Etica](倫理学)》、もうひとりの場合は《ティメオ[Timeo](ティマイオス)》と描き足されたりしていますが、これらはすべて後から描き足されたものです。この絵はさまざまに破壊され、今日ローマにおいてももはや、本来の状態どおりの展示は見ることができません。ラファエロの時代には、これは決して《アテネの学堂》と呼ばれたことはなく、こういう呼び方は後世になってもたらされたのですが、その後人々はこれについて諸々の学説を立てました。基本的に私たちはこのように思い描かなければなりません、無限の空間の広がりを見つめ、自然を単に感覚的に表象するだけでなく、永遠と時間性のなかにあるすべてに貫かれたもの、死の門を通過した者たちに貫かれたものとして表象するなら、もうひとつの絵(197)にふさわしく、世界は真実となる、と。人間が自分の魂から知ること、それを人間はこのように配置しなければなりません、これらの賢者たちがみなこの絵のように(202)一堂に会するとき、ただ自分自身にのみ立脚して見出しうる天上的なものについての知識を携えた人間は、手で上を指し示す(203)ひとりの人物のなかに表現される、という具合に。芸術的でない愚行に走って、この人物のなかにプラトンを見る必要などありません。

 このように思い描くことができます、手で上を示している人物が象徴化しているものは、右側の人物によって発されている言葉 -- 手の動きによってそれが暗示されています -- に移行している、と。右側の人物が話し始めているので、それは言葉での発話のように作用しているのです。けれども、人間の魂そのものから生じているものすべては、それが閉じられた空間のなかで表象されるとき、人間が自分自身にとどまっているときにのみ、真に表象されます。人間が自分自身から自然の像を求めるなら、人間が自分自身から見出すものは、具体的な自然の像ではなく、コペルニクス的世界観が与えるような抽象的自然以外の何ものでもありません。

 このようにラファエロはユリウス2世の委託に応じて、アトランティス後第五時代の初頭に人間の魂のなかにこの魂そのものを通じて生きうるものを、神的なものに対置したわけです。ここでは世俗的な学問であるすべてが集められています、世俗的ではありますが、神的なものの把握、神的なものの悟性に即した把握にまで上昇している学問です。これらの学問のグループを分析すると、いわゆる自由七学芸、つまり文法、修辞学、弁証法、幾何学、算術、天文学、音楽が見出されます。そして表現上のクライマックスとして、世俗的な学問すべてを神的なものに適用する者と、学問を人間の言葉のために表現する者、この両者のなかに、いかに観る者と語る者の対比[der Gegensatz des Schauenden und des Sprechenden]が生きているか、これをみなさんはごらんになれるでしょう。これは絵そのものから生じてくるのです。この絵に全ギリシア哲学を見るのは、芸術的でない、素人くさい博識ぶったおしゃべりにすぎません。そういうことは必要ないのです。そういうことは芸術作品とはまったく関係のないことです。けれどもきょうお話ししたこと、今最後に示唆したこと、これらはすべて芸術作品に関わりのあることです。と申しますのも、この絵もまた当時の意味で真に人間的な感情を再現していることが私たちに示されるからです。魂が、認識において自分自身のみに委ねられたときに、人間について見出すものについての感情です。

 この絵の細部もありますので、それをもう少しお見せしましょう。

204   《アテネの学堂》、部分:左半分

 

205   《アテネの学堂》、部分:右半分

 細部まで入り込んでごらんになるなら、ここで右の人物たちの認識行為全体が、話すことに移行している中央の中心人物につながっていることを見出せるでしょう。ここでは右側に(205)よりインスピレーションに基づくものすべてが、左側に(204)よりイマジネーションその他に基づくものが観られるのです。

 中央の人物たちの画像がもうひとつあります。

203   《アテネの学堂》、部分:中央の人物

 つまりこれは、観る者と話す者との対比なのです。はっきり理解しておきたいのは、現代というものを理解できるのは、このような絵を芸術的な意味で真に感じ取るときに投げかけることができるような眼差しを、過去のなかへとますますいっそう投げかけることを試みる場合のみだということです。この現代は、戻ってくるものが少なくない時代です。現代においては、ヨーロッパにおいて、中部ヨーロッパ、とりわけ北ヨーロッパでも、そして西ヨーロッパ全般において、ヨーロッパの進化の九世紀とカルマ的に関連するある種の気分が戻ってきています。このことを人々はまだ正確に見通してはおりません。いえ、正確に見通してないだけではなく、そもそも見通していないのです。今日起こっていることは、九世紀におけるヨーロッパの運命のために講じられねばならなかった措置によって、スピリチュアルに逆の措置を講じなければならないという必然性から、さまざまに発生しているのです。当時スピリチュアルな世界が東方へと押しとどめられたように、今度はスピリチュアルな世界がまた物質界に組み込まれねばなりません。キリスト紀元後九世紀の気分、この気分が、今の時代に、ヨーロッパの西部、ヨーロッパの中部、ヨーロッパの北部に戻ってきています。ヨーロッパの東部においては、混沌から、すさまじい混沌混迷から、秘密に満ちたしかたで一六世紀を想起させられる気分のような何ものかが、育ってきています。九世紀の気分と一六世紀の気分がこのように共鳴し合ってはじめて、秘蹟が生じるでしょう、今日の人類が、進化をいくらか理解できるほど上昇したいなら、光を当てなければならなかったもの、そういうものに、多少なりとも光を当てることのできる秘蹟が。

 一六世紀において、自然と神にとってもっとも秘密に満ちたもの、もっとも神秘的なものすべてが、芸術を通じて外に向かって目に見えるように置かれたようすをごらんになれば、これは非常に不思議なことでしょう。三位一体という聖なる秘密、私たちはこの秘密が、世界でもっとも重要な絵画のひとつというかたちで、魂の前に置かれるのを見たのです。するとたちまち、対蹠する者が蜂起します、この聖なる秘密をどうにかして空間の中に移さねばならないということについては何も知ろうとしない、プロテスタント的・福音書的気分です。生粋の北方的・ルター的精神であるヘルマン・グリムにも、今日の時代の人間がキリストについて考えることを、自分のよき権利として魂のもっとも内奥に持ち続けている -- ラファエロが世界のなかに描き込んだ気分のまさに正反対のものですね -- 、ということについて語っている箇所を見つけることができるでしょう。

 よろしいですか、当時一六世紀の初頭には、宗教改革が起こり、さらなる発展は、ローマにおいても、法王ユリウス2世の領土においても、宗教改革によっていわば世界喪失[Welten-Los]することになりました。しかしどのようにしてでしょうか?世界喪失することになったために、人々は、超感覚的世界は観ることのできる[schauber]ものであること、ただし、人間の進化によってのみ観ることのできるものであることを、自覚しようとしたのです。こうして -- ヘルマン・グリムはこれを正しく見出したわけですが -- ラファエロとその周辺にとって、パウロ的キリスト教が特別な問題となりました、そう、パウロ自身の姿もです。こう言うことができるでしょう、一六世紀に入るまで、キリスト教は今よりもずっと、ペテロ的キリスト教と呼ばれうるものに貫かれていた、と。ペテロは、超感覚的世界と感覚的世界をまだ分かつことなく見て、感覚的世界のなかに超感覚的世界を、超感覚的世界のなかに感覚的世界をなおも感じていました。けれども超感覚的世界は人々から消え去ってしまいました。このことは一六世紀に入るまで、意識されていました。それで、パウロのなかに生きていたもの、観ること[das Schauen]、ダマスカスの秘密、そしてそれともにパウロの姿全般が、問題となったわけです。ですからラファエロは、それ以降の発展すべてのなかで、パウロの姿を捉えようと、彼の絵画のきわめてさまざまなものにパウロの姿を置こうと試みたのです。そしてこう言うことができるでしょう、南からひとつの宗教改革が生じようとしていた、と。パウロ的に世界を観ること、私が今述べましたように、ユリウス2世のインスピレーションのもとに成立したラファエロの絵画のなかに生きていた、そういうパウロ的世界観照を伝えようとした南からの宗教改革です。

 ラファエロにとってパウロが問題でした。ラファエロの別の絵の上でパウロの姿を追求すると、このことが感じ取れるでしょう。《聖ツェツィーリエ》では宇宙音楽の具象的な表現をごらんになれます。

196   聖ツェツィーリエ(カエキリア)

 もちろん厳密に表現されているのではありません。左の隅に、含蓄深く、パウロの姿が見えますね。ラファエロはパウロの姿を絵画的に研究しています。繰り返し何度も、彼にとってパウロが問題になるのです。なぜでしょう? パウロが彼の人間性・個性から、観ること[Schauen]に、あるいは少なくとも観る状態になることに到達しようと試みていたからです。他の人たちにとっては当然のようにあるものに対して、パウロが探求者として異なったようすで参加しているのを、ここで私たちはその姿勢全体、その身振りのなかに、見ることができます。彼は両面を発達させています。そのため、キリスト教的告知として起こるべきものは、彼からやってくると、異なっているのです。いかにパウロを把握するか -- パウロがいかに教えを説くか、ここにごらんになれるでしょう -- 、それがラファエロにとって問題となったのです。

 さてここでもうひとつ、アテネで語るパウロです。

234   アテネでのパウロの説教

 ごらんのとおり、ラファエロはパウロを研究しています。ラファエロにとってパウロは何になったのでしょうか? 英雄です、南から成功させようとしたけれども成功させられなかった宗教改革の英雄となったのです。そしてこの改革は押しとどめられ、のちに南からは宗教改革の代わりにイエズス会が据えられるのです。これについてはまた別の機会に。地上におけるキリストの国としてユリウス2世の念頭にあったものを、パウロが切り抜けさせるはずだったのですが。

 さて、今から私たちに作用させるふたつのパウロの頭部を、しっかりと心に刻み込んでください。

235 196   《聖ツェツィーリエ(カエキリア)》のパウロの頭部

 

236 234   《アテネでのパウロの説教》のパウロの頭部

 これらは、あの骨相を、キリスト教的世界の秘密、スピリチュアルな秘密を覗きこみ、このスピリチュアルな秘密を言葉を通じて外に向かって告げることのできる骨相を、そこに表現するために、ラファエロが研究した頭部です。そして私たちはパウロのなかに、原因の世界として認識される世界と、恩寵に恵まれた観る力のみが近づくことのできる世界、超感覚的世界とを結ぶ絆を見るのです。見つつ教えを説くパウロ、つまりアトランティス後第五時代の世界と古いスピリチュアルな時代の世界との結ぶ絆です。さらに、ラファエロがこのようにパウロの骨相のなかに、パウロの身振りのなかに、指の動きにまで入り込んで -- ここでは腕が上げられているだけですが -- 研究したものも取り上げてみてください、これもともに取り上げて、そして今もう一度、いわゆる《アテネの学堂》に見られる人物をよくごらんになって、

203   《アテネの学堂》の中心人物たち

 そして私たちが見たこのふたつのパウロの頭部(235,236)を、この頭部(203)、みなさんから見て右側の頭部と、比べてみてください、すると、みなさんがそこに見出すのは、その人物において観ることが言葉になっている、そういう人物、つまりパウロである、と申し上げたいのです。ダマスクスの秘蹟という出来事を観ることを超えて成長し、キリスト教を語る者となったパウロ、地上的な原因世界の認識から、神的な事柄について人間が経験することのできるものへと上昇するときに、Causarun Cognitio(諸原因の認識) のなかに見出されうるものと契約を結び、宥和するパウロです。そしてそのときみなさんは、のちの時代に《ディスプータ(論議)》と呼ばれるようになった絵から、《アテネの学堂》と呼ばれるようになった絵へと見はるかすとき、ともかくも《署名[Signatur]》のように、《署名の間[Camera della Segnatura]》そのものを貫いて漂っている、とでも申し上げたいものについて、何かを感じることでしょう。《ディスプータ》には、真理が、自然に満ちた空間におけるスピリチュアルな真理があり、もう一方の向き合った壁へと視線をそらすと、その仲間である観る者とともに、教えを説くパウロが現れるのです、人間の魂が自分自身から見出せるすべてのもの、そのすべての源たりうる世俗的な博識を指し示すパウロが。いわゆる《アテネの学堂》と呼ばれるフレスコ画を見ると、

202   《アテネの学堂》

 中央の人物たちのなかに、その反対側のフレスコ画に描かれているものをその内容として持っている魂が生きているのがわかります。

197   《ディスプータ(論議)》

 これでおおよその関係がわかりました。一方の壁をごらんになると、魂のなかに内的に存在するすべて、目で見ることのできない、単に外面的な肉体性のみが見えるもの、そういうすべてのものがあり、これが、もう一方の、いわゆる《ディスプータ》と呼ばれる反対側の壁に現れ出てくるのです。

 一方の壁に描かれたこの二人の人間の魂のなかを覗きこむことができるなら、このふたりの魂のなかに生きているものは、反対側の壁の、いわゆる《ディスプータ》というフレスコ画のなかに見られるだろう、と申し上げたいのです。これについてはまた別の機会にもっとお話ししましょう。
(第10講・了)


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