ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第5講-2

芸術上の人類進化における比類のない現象:レンブラント

ドルナハ   1916/11/28


 このように私たちは、レンブラントがいわば、彫塑的に描く、とでも申しますか、光と闇を用いて彫塑的に描くのを見るのです。眼差しを単に現実に向けるだけで、つまり南ヨーロッパの画家たちのように高められた真実にではなく、単に現実に眼差しを向けるだけであるにもかかわらず、彼はこのように光と闇で描くことによって、その人物形態を、精神的な、スピリチュアルな高みにまで上昇させます。と申しますのも、これらの人物形態のなかには、光として空間にみなぎるものが生き生きと活動しているからです。レンブラントの場合いたるところにこれを探さなければなりません、そのなかでこそ、彼は本来の意味で偉大かつ独創的な精神であるからです。レンブラントの場合、以下のことを正確に見て取ることができます。一連の絵画に魂の眼差しを漂わせてごらんになればみなさんにもおわかりと思いますが、彼はまず観察者であり、自然が彼に見せるものをいわば模写しようとします、それから、彼は光と闇から創り出すすべをますます探り当て、彼にとって人物形態はいわば、光と闇の特定の分割を空間のなかで純粋に作用させ、より高く形作られたものの深い秘密を光と闇から出現させるきっかけを与えるものにすぎなくなります、外的現実を彫塑的に形作ることは、単にそのためのきっかけにすぎません。ですからレンブラントの場合、きわめて大胆な明ー暗の分割がますます多く現れてくるのが見られます。そしてこれは実際そうなのですが、レンブラントの人物形態に向き合うと、これはいわば単にモデルとして手本として空間のなかに置かれたものではなく、本来まったく別物である何かなのだ、これは、人物形態の上に漂っている何かなのだ、と感じるのです。人物形態は、レンブラントがほんとうに創り出したもののためのきっかけにすぎません。彼が創り出したもの、彼がそれを創り出したのは、彼にいわば光を捉える機会を与えてくれる人物形態に光を捉えさせることによってでした。彼が人物形態に光と闇から捉えさせたもの、人物形態はいわばこの捉えられたものの背景にすぎないのですが、この捉えられたもの、レンブラントの芸術作品は本来これがあってはじめて成り立つものなのです。つまりレンブラントの芸術作品のなかに、絵が直接描写しているものを探すひとは、真の芸術作品を見ていないのです。レンブラントにおいて真の芸術作品を見るのは、何かが注ぎ出るための機会であるにすぎない人物形態に注ぎかけられるものを見る人、この注がれたものを観察する人のみです。まさにこの中期の創造、レンブラントの制作活動のこの中期には、精緻な、親密で興味深いものがありますが -- これらのスライド画像には色彩がないので、この画像でお見せすることはもちろんできませんけれど-- 、とりわけ興味深いのは、彼の画像の上の明ー暗からの色彩創造がいかに真実であるか、色彩が明ー暗から生み出されるようすがいかにいたるところに見られるか、ということです。これはレンブラントのなかで堅固な芸術的直観となり、彼の活動の終わり頃には、色彩全般がまったく後退し、絵画全体が彼にとって明ー暗の問題となっている、とでも申し上げたいほどになっています。

 その上、十年を通じて彼のなかで生存のために格闘しているもののなかには、途方もなく人間的に心を打つものがあります。と申しますのも、レンブラントはもともと、天才的、芸術的な素質に恵まれていましたけれども、まだ深く、事物の深奥にまで達してはいなかったからです。彼が最初に創造したもの、それはすでに偉大なものでしたが、ある関連で深さを欠いていました。さて -- おそらく1642年頃ですが -- 、彼の人生にとって悲痛な喪失がありました、当時彼は妻を亡くしたのです、実際彼にとって第二の人生を意味していたほどに心から愛し、結びついていた妻をです。けれどもこの大きな喪失は、彼にとってまさに限りない魂の深化の源泉となりました。こうして明らかになるのは、まさにこの時から、彼の創作活動は深さを獲得し、それまでにそうであったよりも限りなく魂に満ちたものとなるということです。天才的なレンブラントに加えて、自らのうちで自己を深めたレンブラントもまた現れてくるのです。レンブラントをこのように概観してみると、彼は実際まさしく始まりつつあるアトランティス後第五時代の画家なのだ、と言わなければなりません。と申しますのも、私たちも知っているとおり、彼のなかでとりわけ意識魂が生存のために格闘していた、と言えば、このアトランティス後第五時代の基本特性を言い当てているからです。その結果、芸術にとって起こってくるのは、芸術家が対象の外に立ち、世界を客観的に自らに作用させるということですが、対象を眺めるその見方のなかには普遍的なものがあるのです、さもないと、人間的エゴイスムから創造することになってしまいますからね。けれどもこの対峙するということ、人間に対してもひとつの対象として向き合うということのなかには、同時に、それまでの時代には決して見ることのできなかった無限に多くのものを見る可能性もあるのです。そもそも、人間が見ているような現実を単に再現するだけなら、芸術全体にいったいどんな意味があるというのでしょう。-- 通常の生活においては見ることのできないものをこそ芸術は再現しようとするのです。私たちは意識魂の養成をもたらす時代を扱っているわけですから、もちろん人間はとりわけ人間そのものに向けられ、そして人間を通じて言葉を発し始めるものに向けられます。古代の画家、アトランティス後第四時代の画家は、しばしば特徴づけましたように、内なる自己感知[Sich-Erfuehlen]、内なる自己体験[Sich-Erleben]から創造したのですが、アトランティス後第五時代の画家は見ること(観照)[Anschauen]から創造します。そしてレンブラントはきわめて明確な観照芸術家[Anschauungskuenstler]です。けれどもこれは人間に芸術的な自己認識を与えます、そして私が思いますに、レンブラントがこれほど多くの《自画像》[Selbstbildnis]を制作したという事実が指摘されるなら、それはまったく、何か偶然のことが指摘されているわけではない、ということです。思うに、彼が何度も繰り返し芸術的な自画像を求めねばならなかったということには、非常に重要な深い意味があります、単に彼にとって自分の姿が都合の良いモデルだった -- 最高にすばらしいモデルではなかったでしょうね、レンブラントは美男子というわけではなかったですから-- からというわけではなく、彼にとって重要なのは、内部に生きているものと、外から観察しうるものとの調和、この調和を、自らが観察される自画像という場で、まさにそこで、ますますいっそう感じ取るということだったからです。アトランティス後第五時代の最初の偉大な画家が、これほど多くの自画像を制作したということには、おそらく深い内的な根拠があったのです。

 このように、レンブラントについて個別に註釈しながらさらに長々と述べることができるでしょう。けれどもそのすべては、レンブラントが実際いかに隔絶した現象であるかということに注意を促す以外何も提供することはできません、けれどもこのように隔絶されているなかで、中部ヨーロッパの精神生活という源泉のなかから、ほかならぬこの源泉から、この精神生活にとって特徴的なものが生み出されるのです、現実を見つめること、けれども単に写実的に現実を見ようとする眼差しではなく、眼差しそのものが豊かにされうるようなもので豊かにされた眼差し、元素的にうねる世界、つまり画家の場合は色彩のうねりの上の明ー暗、この明ー暗にとって外的な現実は、明ー暗と色彩世界のなかでこの生き生きとした活動を展開できるための機会にすぎませんが、この明ー暗で豊かにされた眼差しで見つめるということです。

 それでは、彼の絵画の特徴的なものをいくつか私たちの魂に作用させて、レンブラントにおいてこのことがいかに追求されているか見ていきましょう。

 これは

 496  神殿におけるイエスの描写

です。

 この絵においてみなさんはただちに、先ほど示唆されたことが実際に示されるのをごらんになるでしょう。レンブラントにおいて常に念頭に置いておかねばならないのは、彩色画に向き合うとき、すでに明ー暗のなかに素質としてあるものが、色彩から生きている、という感情も必ず得られる、ということのみです。彼の描いた、聖書の物語に題材を取ったこれやその他の絵画を魂に作用させてみると、例えばレンブラントが、さてそうですね、ルーベンスやさらにはイタリアの画家たちに対して見せる違いに気づくでしょう。これらの画家においてはいたるところで、伝説に基づく聖書的な人物たちの再現が見られます。レンブラントの場合に見られるのは、聖書を自ら読んだひとりの個人から生じてきた聖書的人物の再現です。よく考えてみましょう、レンブラントの創造活動が行われた時代、これは多かれ少なかれ、カトリシズム、つまりイエズス会(ジェズイット会)が、聖書を読むということすべてに対して大きな闘いを開始することを目指した時代の頂点でした。聖書を読むことは当時タブーであり、聖書を読むことは許されなかったのです。南方の影響から、そして南方の支配からもまさに解放されていたこのオランダという土地に、ここに今、聖書そのものへ向かおうという衝動が発達したのです。そして聖書そのものによる体験から-- 単にカトリックの伝説によるのではなく-- 、レンブラントがかくもすばらしく彼の明ー暗を放射したものが生じてくるのを私たちは見るのです。この絵は1628年頃のものです。

 497  サムソンとデリラ

 これも1628年作です。

 498  エマオのキリスト

 

 これは一年後の1629年のものです。

 さて今度は、レンブラントの最初の《自画像》です。

 528  自画像 1629

 彼の場合、衣装さえもしかるべきしかたで明ー暗を展開させることができるように配置されています。のちに彼は、表面に光がきらめく金属の衿を用いることさえとても好んだのです。

 499  聖家族

 これは1630年か1631年のものです。

 500  肖像

 さてこの肖像画ですが、この絵は私が申しましたことをみなさんに徹底して保証するでしょう、同時にこの絵は、芸術的な捉え方のまさしくこういう影響のもとに-- つまり現実をファンタジーにまで高めるものが徹底して用いられているにもかかわらず-- 、魂的なものがただならぬ意味深さで表面に出ているのをみなさんに示すでしょう。これはニコラース・ルッツの肖像(1631)です。

 501  女性像

 502  哲学者

 まさに私がみなさんにざっと特徴づけようとしたことを感じ取ることのできるきわめて純粋な明ー暗の習作、つまり、ほんとうの芸術作品とは、ここで人物の回りにあるすべてや建築物その他がそれにとっては単に機会を与えるのみであるような、そういうものである、ということが感じ取れる習作です。つまり真の芸術作品は光の分割[Lichtverteilng]なのです。

 503  逃避中の休息

 504  老女

 505  テュルプ教授の解剖 1632

 506  レンブラントとサスキア

 これは、レンブラントと鏡の前の妻サスキアの絵です。

 507  レンブラントとサスキア

 レンブラントの妻の肖像をもうひとつ

 522  赤い花を持つサスキア 1641

 さらに

 508  東洋人の肖像 1635

 ヘルマン・グリムが体験し語っている内容は非常に興味深いものです。彼は、大学の講義にキネトスコープ[Kinetoskop]{初期の映写機}を取り入れました。-- さてスライド映写機によって芸術作品の理解にどれほど得るところがあるか、また別の機会に明らかになるでしょう。-- レンブラント講義の際に、ヘルマン・グリムは画像を手に入れるのが少々遅れ、講義を始めなくてはならなくなり、自分でまだ試していなかったので、上映しながら彼自身もそれをはじめて見るということになったわけですが、それから聴講者たち、そのなかには常にかなり年配の人々もおりましたが、と話し合いました。通常、講義室というものは照明されていて、多かれ少なかれ、つまり多いときもあり、少ないときもありますが、注意が保たれていますね、一方、この常ならぬ状態において -- 講義室の照明は消されていましたから-- 、当時のレンブラント講義の際にあることが起こったのです、つまり聴講者たち-- むろんこういう事柄についてはすでにいくらか知識のある人々です-- は、ヘルマン・グリム自身がこう語っているのですが、残りの闇によって、その性質によって引き起こされて、スライドがいかなる作用をするか、繰り返し強調しないではいられませんでした -- つまりレンブラントが達成した活性によって、そのような人物が出席者たちの間に直接いるのだと実際感じられたのです。その人物が入り込んできたのです。-- みなさんがこの必然的な副産物のことを無視なさるとしても、スライドがあれば、ここにいる私たちの人数がひとりだけ増えた、ととくにはっきりと感じられることでしょう、-- その人物は私たちの間でそれほどエネルギーに満ちて生きているのです。そしてレンブラントにおいて達成されたのはまさしく、彼は人物を、人間はほんとうはいつもそのなかに立っているのに、ただそれに気づいていないもののなかに、つまり明ー暗のなかに置く、ということです。この共通の明ー暗、これをレンブラントは、人物たちの上に注ぎかけ、それゆえ彼は人物たちをすべて現実のなかに置くのです。彼はただ人物を明ー暗のなかに置くことによって創造者であるのではなく、その明ー暗によって共通のものを持たせ、観察者もまたそのなかに生きているものをこのなかに与えることで、人物を生きたもののなかに置くのです。これが彼の場合このように重要なことなのです。

 509  キリストの降架 1633

    

 この絵のなかには、みなさんに留意していただきたいもの、つまり構成への一種の始動といったものをごらんいただけるでしょう。けれどもやはりこう言わねばならないでしょう、構成そのものはかなり失敗していて、いずれにせよ南方の芸術で構成的と呼ばれているものには従っていない、と。これに対して、私たちが特徴づけなければならなかった本来レンブラント的なものをごらんになれば、実際ここでもいたるところで、光の塊の分割のなかで、限りなく秘密に満ちたものが絵から語りかけてくるのがおわかりでしょう。構成は実際それほど重要ではないのですが、それでもこの絵は、途方もなく深い印象を与える、と私は思います。-- 直ちに次を見てみましょう。

 510  埋葬 1639

 ここでこの絵と次の絵(511)をみなさんにお見せします、ほんとうはその次(512)をここでお見せしなければならないのですが。けれどもほかならぬこの二枚の絵(510,511)をごらんになって、それからこれを、これに続く、けれども時間系列にしたがえばきっとこの二枚の絵に先だっている絵と比較していただきたいのです。これらの二枚の絵を先に取り出して、ここでありありとごらんに入れたいのは、いかにレンブラントがこの時期 -- これら二枚の絵と続く第三の絵の間はおよそ二年です-- 真に自らを完成したかということです。申しましたように、彼は絶えず闘う人でした。私たちがこの絵(510)と次の

 511  復活 1639

を、内面化ということに関して、第三の絵(512)と比較してみると、レンブラントがいかにこの三年で上達したかわかります。

 512  昇天 1636

    

 つまり時間的には、この絵をほんとうは《降架》(509)の次に並べなければならず、それから《埋葬》に移るはずだったのです、事実上、前に進む力となっているこの《埋葬》に。

 

 510  埋葬 1639


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