ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第5講-3

芸術上の人類進化における比類のない現象:レンブラント

ドルナハ   1916/11/28


  これでもうレンブラントの創作活動における1640年、あるいは少なくとも三十年代の終わりの数年に近づいてきました。

 513  ヨハネの説教

 514  アブラハムの犠牲

 515  アブラハムが三天使をもてなすようす

 516  大天使ラファエルがトビアスから去るようす

 517  貞淑なスザンナ

 520  サムソンの婚礼

    

 今度はレンブラントの風景の試作が二点です。

 518  よきサマリア人のいる風景

 519  アーチ橋のある風景

 これに引き続いて

 521  マリアの訪問

 522  赤い花を持つサスキア

 次の絵は通常、

 524  国の団結

    

と呼ばれています。

 さて、今度は、レンブラントのなかでももっとも有名な絵のひとつですね、

 525  アムステルダム市民防衛軍の夜の行進

 自警団、多人数の集団です。この時代、少なくともこういうしかたでこのような絵を描いた画家はほかにもいますが、このレンブラントの絵はとりわけ完成された一枚でしょう。このような絵はとりわけ、画家がいかにその民衆性に根付いているかを示しています。団体の全員、何らかのギルドやその他、地位や職業などを同じくする人々、そういう人々がこの絵を注文しました。それぞれが自分の負担分を支払ったのです。この絵で顔が半分だけしか見えない人は、むろん非常に感情を害しました、絵のなかの自分が申し分なく立派に見えないといったことで、レンブラントにとってはずいぶん多くのやっかいなことがあったわけです。自警団の夜の行進を示しているこの絵は -- 私たちは《夜警》と言うでしょう -- 、きわめてみごとに、レンブラントが明ー暗絵画[Hell-Dunkel-Bild]のすばらしい仕上げにおいてどれほど進歩したかを見せてくれます。今や私たちは、レンブラントの深まりの時点として正しく理解することのできる時点に直接至りました。この絵はすでに1642年に制作されていました。1642年という年には妻の死がありました、私たちが先ほど油彩(522)のなかに、そしてレンブラントとともに描かれている絵(506,507)のなかに見た妻です。

 523  扇を持つ婦人

 526  聖家族

    

 前の絵からこれらの絵に進んでいくと、まさにこれらの絵画に一種の円熟の境地を感じることができると思います。

 ここでいくつかの《自画像》を順番に見ていきましょう。

 530  自画像 1645 エッチング

    

 もう一枚

 531  自画像 1657

    

 さらにもう一枚

 532  自画像 1660

  次に

 527  羊飼いたちの賛美

    

 さらに有名な一枚

 563  窓辺で読書する人 ヤン・シクス  エッチング

    

 さて、とりわけ特徴ある画像のひとつの、慎み深さとでも申し上げたいものにおいて、この作品に注意してくださるようお願いします、ここでは、主体そのものが、読書する人を光のなかで示すことができるために用いられていて、そのためここではいわば光そのものが、内容に、短編小説的な内容にされているのです。

 

  534  スザンナとふたりの老人

 535  ある画家の肖像

 さてここでまた《エマオのキリスト》です。

 536  エマオのキリスト

    

 この絵は途方もない親密さを持っています。-- さてここでもう1648年という年に近づきました。 

 537  ダニエルのヴィジョン

     

 これは

 538  レンブラントの兄アドリアン

    

の肖像です。

 539  キリストと姦淫の女

    

 注意を向けなければならないのは、レンブラントの絵の大多数においてキリストは全然美しくないということです。

 540  鏡の前の若い女

    

 さて、このすばらしいレンブラント絵画、これは今まさに読むために本を開いた女性です。

 541  読書する老女

 542  甲冑の戦士

  今度は息子ティトゥスを描いた繊細な絵です。

 543  レンブラントの息子ティトゥス

いわゆる《ポーランドの騎手》です。

 544  ポーランドの騎手

    

 この絵の横に、そうですね、ルーベンスの、馬のいる絵を並べてみるとしたら、たとえばレンブラントとは何であるのかを見ることができるでしょう。そうすれば、レンブラントとルーベンスの捉え方における違いの全体を見ることができるでしょう。この馬は歩いています、ほんとうに生きている馬です。ルーベンスの馬は実際に歩いてはいません。

 544a  ルーベンス 馬上のスペイン王
フィリップ(フェリペ)二世

 けれども、これが光から捉えるということと関連していないと考えてほしくないのです。観照にいそしみ、現実を再現しようとする人はやはり、結局硬化したフォルム以外のなにものも決して与えることはできないでしょう。絵画的にこれほど多く達成されているときでさえ、全体に少しばかりの硬直が注ぎかけられていると言うことができるかもしれないもの、そういうものも常にやはり少しばかり達成されています。うねる元素のなかに、生き生きと動く環境のなかに瞬間をとどめ、つまり外的な現実から創造するのではなく、人物たちを現実のなかに、つまり元素的現実のなかに据える人は、活発に動くものの印象を実現させるのです。

 544  ポーランドの騎手

 545  医師トーリンクス

 546  ヤコブがマナセとエフライムを祝福する

 547  王たち、マギたちの礼拝

 548  爪を切る老女

 

ひとつごらんください、この老女はほんとうに爪を切ってはいませんか。

 550  鞭打ち

    

 551  ヤコブが天使と闘う

 552  ユリウス・キヴィリウスの晩餐

ローマ人に抗するバタヴィア人の指導者の晩餐です。

 549  ダチョウの羽の扇を持つ婦人

 553  織物組合の代表たち

 さて、これもまた、画面に見られる紳士たちの共同注文に基づいて描かれた絵ですが、それゆえに、それにもかかわらず、レンブラントの最も偉大な傑作のひとつです。紳士たちがどれほど途方もない簡潔さのなかにいるかをただごらんください、織られた布地を調べ、布地が合格であるしるしにそこに捺印するのが仕事であった紳士たち、つまり織物職人ギルドの実際の責任者たち、スタールメーステル[Staalmeester]たちです。もちろん彼らは共同でこの絵の支払いをしましたが、ここでレンブラントは、彼らはとくに身分の高い紳士方でしたので、どの顔も覆われたりせず、どの顔もきちんと現れてくるように配慮しなければなりませんでした。この絵の高度な芸術的完成にもかかわらず、それも達成されました。この紳士たちは、そのひとりが彼らの名前を記した紙片を手にしている《解剖》の解剖する大学教授たちのようなことまではしなくてすんだわけですね。

 505  テュルプ教授の解剖 1632

 554  ある老婦人の肖像

これもまた自画像です。

 533  自画像 1663

そしてさらに高齢のレンブラントの作品をもうひとつ

 555  放蕩息子の帰還

   

 ここでよく知られた《ファウスト像》をみなさんにお見せしたいと思います。

 564   ファウスト博士  エッチング

    

 これを見ると、私がこのところの考察のなかで述べましたことを思い出します、ゲーテはこの《光のなかの動き》そのものを十六世紀のものとして『ファウスト』のなかに記述しているのですが、それはレンブラントによってすでにそれ以前に示されていたのです。

 ぜひとも言い添えておきたいのは、レンブラントに完全に精通するためには、彼のエッチング芸術に入り込んでいくことも必要だということです、そもそもエッチング芸術への特別な偏愛、特別な帰依はレンブラントが心のうちを明かそうとしたあの潮流に属することですが、レンブラントは画家としてと同様、エッチング作家としてもこれほど偉大で重要だということです。

 558  キリストの降架 エッチング

 557  貢の銭  エッチング

 559  エッケ・ホモ(このひとを見よ) エッチング

 567  オリーブ山のキリスト エッチング

 565  キリストが病人を癒す エッチング

  

 いわゆる《百グルデン画》、つまり《あなたがた苦難を負う者はみな私のもとに来なさい…》です。

 ここでは、キリストをの姿を囲むまさにこの特徴ある人物たちのなかに、レンブラント芸術の美が真に現れているのがわかりますね。

 566  三つの十字架 エッチング

    

 みなさんにお見せした数々の自画像に加えて、最後の絵としてもうひとつ付け加えたいと思います、これもエッチングです。

 529  自画像 エッチング 1639

 本日、レンブラントと、私たちが今まで見てきたものとの大きな相違 -- と申しますのも、そもそも私たちは、レンブラントにおいて特別な高みに現れるものが、デューラーにおいて輝き始めるのを見ただけでしたから-- のなかに私たちが見ることができたのは、私たちが今までによく知っている芸術家たちとはこれまたまったく異なる芸術家、申しましたように、隔絶して立っている比類のない芸術家です。こうした連続の芸術鑑賞のなかで、個々の人物の個性的な創造活動のなかのまさに特徴あるもののなかに入っていくことは、格別に魅力あることでしょう。そしてレンブラントはとくに、十七世紀から輝き出るひとりの強く力ある圧倒的な個人の、この直接的個性的なものに眼差しを投げかけるのにふさわしいのです。そして今日もそうであるような時代には、ヨーロッパに蔓延った荒廃のかたわら、ひとりの人間の魂、現存する宇宙の根源的な諸元素と直接関わっていると思えるような人間の魂によって、直接の創造活動が行われた時代に目を向けることが重要かもしれません。私たちがここで共にあることができる間に、芸術の進展のなかからさらにいくつかみなさんにお見せすることができることを願っています。

(第5講終わり)

 


 ■美術史トップに戻る

 ■シュタイナー研究室に戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る