ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第6講-1

アトランティス後第五時代の芸術に現れてくる意識魂の働き:
とくに十五世紀のネーデルラント絵画

ドルナハ   1916/12/16


 きょうはみなさんに、ネーデルラント絵画、ネーデルラントーフランドル絵画の発展の一部をよく示している一連の画像をお見せしましょう。これにより、歴史内部での発展において芸術進化のなかのきわめて重要な時点も指摘します。とりわけ、芸術進化ということに関してここで私たちが立っているのは、アトランティス後第五時代、つまり、意識魂の発達に関わるすべてを人類進化のなかから養成することを使命とする時代の幕開け直後の時であるということから、みなさんもこれを見て取ることができるでしょう。そして、現代風の型に従って教育された美術史家であろうとはしないというところにいくぶんなりとも近づいていれば、まさにこの《ネーデルラント絵画》という部分のようなきわめて特徴ある場に表現され、個々のどの部分にも、この働きつまり出現してくる意識魂のこの働きが見られるのですが、このように表現されるものに対して、少なくとも基本的な理解を示すことができるかもしれません。とはいえ、きわめて現代風の型にのっとって教育された美術史家であるにしても、そうであれば当然ヘルマン・グリムのような美術史家はまったく首位に立っていない精神とみなされるでしょうが、このような美術史家であるという不幸を免れていれば、私たちが人類進化のための精神の発展のなかに知ることとなった衝動の法則についてまったく知らない場合でさえ、ほかならぬ芸術の発展のなかに、そうですね、とりわけアトランティス後第三、第四、第五時代の違いについて精神科学が指摘することを非常にみごとに立証するものがある、ということがわかるでしょう。そして、今日実際芸術観の基本骨格とみなされうるものが、これらの諸時代の数世紀にゆっくりと徐々に生じてくるのを見るのは、そしてこの基本骨格の個々の要素が人類進化のさまざまなか所に生じてくるのを見るのは興味あることです。

 よろしいですか、私たちが、素描的表現、絵画的表現において遡っていくと、たとえば空間処理の法則といったものは、実際人間の魂の途方もない努力を通じてはじめて生じたことがわかります。ですから、かなり古い素描的ー絵画的表現というのは、今日の意味においては本来彫刻的芸術を示しておらず、面に固定された短編小説、面に固定された物語、と言ってよいようなものだったわけです。現代からそう遠くない時代の表現においてさえそのように言うことができるでしょう。きょうは歴史的観点にあまり入り込むことなく、一般的にいくつかの観点のみを挙げておきます。このようなかなり古い時代においては、空間表現に顧慮することなく、語ることもできる何かを表現することに主眼が置かれ、表現されるものはもっぱら面に固定されるので、語られるものごとが面に並置される、ということを感じ取ることができるでしょう。これを今日私たちは、現代の観点からすれば単に一種のイラストレーションとみなすことができるでしょうね、そして今日イラストレーションについては、語られるもの、表現されるものを面に並べるということをしないように望むことすらできるでしょう。

 次の段階には、きわめて素朴なしかたで空間秩序を固定しようという試みがなされます、いわゆる交差[Ueberschneidung]の原理が導入され、すなわち、見えるようになることを利用する、つまりあるものが別のものを覆うと、それはつまり前にいる者であり、他方は後ろにいる、ということですが、そういうことを利用する手がかりが得られます。ここでもう平面は、交差によって奥行きという次元を少なくとも暗示するために用いられています。

 さらに次の段階というのは、個々の人物が拡大されたり縮小されたりするということで特徴づけられます、これにより、大きく現れているものはより前方にあり、小さく現れているものはより後退している、ということが顧慮されているのです。さてアトランティス後第三時代にまで遡りますと、今日私たちが、平面の配列に組み込まれているとか、思想を表現するために空間が用いられているといったように空間処理について語るような意味では、空間処理というものはまだまったく存在し
ていないということがわかります。そしてこのことは、ギリシアーラテン時代に入ってもまだ続いているのです。私たちがこの時代に見出すのは、ひとがものを見るしかたに対して、見たところ前にある、つまり見る者にとって近くに置かれなければならない特定の人物たちが、見る者から遠く離れている人物たちより小さい、ということです。こういうかなり古い時代には、たとえば帰依をもってこのような処理が行われているのです、たとえば私たちが背景に王が、前景に家臣たちが配置されているのを見るなら、家臣は小さくされる、といった処理です。家臣たちは空間的に小さいわけではありませんが、人間の見方によって、思いに従って小さいのです -- つまり家臣たちは前に置かれ、小さくされるのです。けれどもこれはさらに、私たちがかなり古い時代にしばしば見出すことができ、私たちが遠近法と呼ぶものとの関連で、逆遠近法と呼ぶことのできるものへと移行していきます。逆遠近法の場合、絵のなかの何らかの人物が見るように事物が固定されていると想定しなければなりません。つまり、後方のある人物が、本来全体を見ている人物だと想定されているなら、前方-- 私たちにとって前方-- の人物たちが、後方の人物たちより小さいということもありうるのです。そうすると見る者というのは、こういう表現からは完全に閉め出されてしまわざるをえず、見る者は自らを考慮に入れないか、絵のなかに、人物のなかに、全体を見ていると想定されている個人のなかに、いわば自分を入り込ませて考えなければなりません。つまりこれは非個人的な遠近法なのです。このような非個人的な遠近法は、アトランティス後第四時代にはまだふさわしいものでした、そのときには意識魂がのちに意識的に生まれるようなしかたではまだ生まれていなかったからです。アトランティス後第五時代の人間は自分を忘れることができません、自分の視点へと秩序づけられた表現を求めなければなりません。したがって、そもそも見る者の視点へと秩序づけられた遠近法の厳密な技術は、実際ようやくブルネレスキとともに、ルネサンスとともに登場してくるのです。

 さて、こう言うことができます、この時点において、私たちが今日遠近法と呼ぶものがそもそもはじめて芸術技法のなかに導入されたのだ、と。そして南方が、以前の同様の考察でみなさんに指摘しました衝動から、遠近法の発明者なのです。と申しますのも、南方にとって、空間関係のなかへの秩序づけ、配列が重要だからです。南方にとって重要なのは拡大性のものです。したがって、南方はとりわけ構成的な芸術においても名人芸にふさわしいものでした。こうして私たちは、のちにルネサンスによって豊かにされた南方のなかに、私がすでに本来的なものとして高められ、高度な完成にまで達したと説明しましたあらゆるものとの関連で構成的な要素を見るのです。つまりこれによって芸術のなかに、諸存在の空間における統合と名づけられうる何かが表現され、そしてその際人間が観察者としてともに想定されるようになりますが、これは意識魂が生まれる時代、すなわち人間が自分自身を意識するようになる時代にふさわしいことです。

 さて私たちは、南方と、私が説明しましたように南方の文化と関連しているすべてのなかに、この遠近法の原理が現れてくるのを見ます、自然に即してこの南の文化から本来正しく発展してくるのが見えるのです。これに対して、北方では別の原理が発展しました。ファン・エイク兄弟に眼差しを向けるとき、私たちは、発生時の状態[Status nascendi]、発生の瞬間とでも申し上げたいもののなかに、この原理を見ます。

 私たちがファン・エイク兄弟、まずはヒューベルト・ファン・エイクに、次いで弟のヤン・ファン・エイクに眼差しを向けますと、彼らのなかに、私がみなさんに特徴をお話することができたように、のちに例えばレンブラントにおいて出てくるようなものが-- むろんまだまったく別のかたちをとってですが -- 現れてくるのが見えます。けれども、この原理は、中部ー北部ヨーロッパの諸要素から生じてくるのがわかります。こういうものごとは実際、外的な、リアルなシンボルを通じても現れ出てくるものです。近代の遠近法の本来の発明者はブルネレスキのなかに想定されなければなりません。と申しますのも、それより古い遠近法は、ギリシアのレリーフ表現の基礎となっていますが、これはたとえば消失点と呼ばれるようなものは持っておらず、消失線というものを持っていました。ですからつまり、事物は、眺められたものが一点に集められるように表現されるのではなく、消失線に集められるように表現されるのです。近代の遠近法、アトランティス後第五時代の遠近法と、かなり古い時代の遠近法との根本的な違いはまさにこの点に現れています。さて南方でブルネレスキによって遠近法が発見されたように、北方では-- そしてこれは単に伝統というのみならず、そこには何か非常に真実のものがあるのですが-- 、油絵が発見されます。そして油絵を見出したのがひとりヒューベルト・ファン・エイクのみではないにしても、時代と彼が制作していた環境から、やはりこういう油絵は発見されたと言えるのです。いったいそれはどういう意味なのでしょう。どうしてこのようなことになるのでしょう。油絵はその後、南にもたらされますね。遠近法は南方の芸術から北に取り入れられ、油絵は北から南にもたらされるのです!いったいこれはどういう意味なのでしょう。-- これは、北方の、つまり中部ヨーロッパの、根本特性全体、根本的な魂の気分全体に深く根付いています。南方は集団に自分を組み込むという資質をより多く持っています。南方の方がまだ集合魂そのものへの愛着が強いのです。ですから、南方は何らかの集団の一員と自称するのを好み、個人的なものへの理解が少ないのです。このことは当然考慮に入れておかなければならないでしょう、と申しますのも、諸民族は、個別の特徴をよく見る努力をしなければ、決して互いに理解し合えないであろうからです。ローマ精神のなかで教育された者、つまり南方の特性に衝動を与えられた者が、自らが民族の一員たることを語り、何らかの方向に従う愛国者と自称するとき、中部ヨーロッパ人が愛国主義について語るときとはまったく異なった意味のことを言っているのです。と申しますのも、このように連帯すること、このように人々を集団にまとめること、こういうことすべてに対して、そもそも北方にはどんな資質もないからです。北方にあるのは個人的なものに対する資質であって、中部ヨーロッパの根源的な特性は、まさに個人的なものの称賛のなかに現れ、したがってまず意識魂の発展の時代に、私的なもの、人間的ー個人的なものの称賛のなかに現れるのです。集団的なもの、つまり拡大され広げられたもののなかに本質的なものを見るとき、いわば構成的なもののなかにも生きていることになり、そのときこの構成的なものに対して理解が得られます。個人的なものに対して理解があるとき、ひとは個人的なものを内から形成しようとします。精神を、触手を伸ばしたり集団をまとめたりするものと見ず、個々のどの人のなかにも精神を見るのです。個人的な事柄をひとつひとつ組み合わせ、ひとりひとりのなかに精神を見る、すなわち、内部にあるもの、魂的なもののなかにあるものを、肉体的なものの表面にもたらそうとするのです。

 さて、このことは、遠近法によって起こるのではありません、それは光に浸透された色彩付与によって起こるのです。したがって、原ゲルマン的なファン・エイク兄弟がまさに現代の色彩付与の出発点だということなのです、個人的ー魂的なものから発して肉体的なものの表面に現れたものを、色彩そのもののなかに固定しようと試みる色彩付与の出発点です。このように、ファン・エイク兄弟とその後継者たちは、その本来の内面性を、北部ー中部ヨーロッパの諸要素から取ってきていることがわかります。そして、彼らの表現のなかに構成的なものとして徐々に入り込んでくるもの、これを彼らはフランスから、ブルゴーニュから取り入れているのです。

 さて、この特殊な発展、十五世紀におけるこの独特の発展が、これらの画家が生きていた地域がまだ強固な国家的構造を持っていない時代、ちょうどそういう時代に起こったということは、決して偶然ではありません。こういう国家的構造というのはその後ようやく南から、フランス、そしてとりわけスペインから流れ込んでくるのです。当時北部ネーデルラントと南部ネーデルラントに広がっていたもの、それは、めったに国家として関連づけられない、本来個人的な都市形成なのです。それは、この地域の人々が、人間は国家組織によって集団としてまとめられねばならない、人間においては国家組織が大事である、だからこの国家組織は空間においてこれこれの広さを持つことが重要だ、などといったことを考える資質など持っていなかった時代です。こういう人々、ファン・エイク兄弟もそこから成長したのですが、この人々にとって、彼らがどの民族の一員であるか、彼らが国家と呼んではいるけれどもそもそもそれについて考えたことなどない何かがどこまで広がっているか、そういうことはまったく問題にならず、彼らにとって重要なのは、どの集団に属しているかに関わらず、人間が、完全な価値を持つ人間が自らを発展させてゆくことなのです。このように、南部ネーデルラント地域、フランドル地域において、含蓄ある親密なしかたで、人間の内部が肉体表面にもたらされているのがわかります、まさしく色彩が個人的ー魂的な特徴のなかにもたらすことのできるもの、光に浸透されたものが、像のなかに混ぜ込まれることによってそうされているのです。さらに私たちが見るのは、北方的ーネーデルラント的市民性が、南方の貴族主義に入り込んでいき、まさにこの市民らしさのなかから、個々の人間をこのように正しく世界のなかに置き、同時に芸術的に真に集団性を一種克服するものが生じてくるようすです。

 にも関わらず-- きょう最初の数枚の絵ですぐにもこれを見ることができるでしょう-- 、これらの絵画上にまさに大量の群衆の発生が見られることもあるでしょう。けれども、この群衆の発生というのは、最初から集団的に考えられ、彼らがかくかくしかじかに配分され空間的に組み合わされることを目指して構成されるというのではなく、個々の存在おのおのが完全な重要さを持って、隣り合って置かれることによって集団が成立しているのです。

 つまりこれは、私たちが芸術進化のまさにこの部分から注目できるであろうことなのです。ファン・エイク兄弟の場合、私たちはまさに、さまざまな点でまだ遅れた空間配置とでも申し上げたいものを見るでしょうが、この遅れた空間配置にも関わらず、何か慣習的に型にはまったものに考慮することのない、高度な内面性と見られたものへの適合性も見るでしょう。さてこのように私たちは、ここに芸術的に、アトランティス後第五時代にふさわしく、物質的な現実に入り込んでいくことの別の極があるのを見ます。別の極-- 一方の極は北方にあるからですが-- は、イタリア芸術から、ルネサンスの芸術からやってきます。そこには構成的なものがあり、ほかの全てがいわば構成的なものに奉仕するのですが、北方には内から創造するものがあって、それがようやく徐々に、内面化された個人的なものを並置することから構成的なものを作り上げるということに到達します。その結果、アトランティス後第五時代の自然主義的な芸術原理のある一面は、まさに本来ここにその起源を持つということになるのです。物語るものは、人間を直接取り巻く現実のなかに置かれます。かつての時代には、たとえば聖書の物語が芸術的に表現されるとき、その物語はこの人間を直接取り巻く現実から取り除かれていました。この時代になって、聖書の物語を直接的に自然主義的な現実のなかに置くということが始まります。私たちの前に立っているのはネーデルラントの人々であり、また聖書の物語の人物たちでもあるのです。かつては外的、自然主義的世界から締め出されていたもの、黄金の背景と申し上げたいもの、そのように表現されていたものが、とりやめられるのです。私たち自身が立っている基盤の上で、聖書の場面も展開されるのです。

 けれども、このことが当然のごとく直接結びついているのは、人間の周囲のいたるところに、内部空間としての空間の処理か、あるいは外的空間の処理が現れてくるということです。いわば、空間はそれ自体として絵の構成のなかに生きることをやめ、その代わりに絵のなかに移され、絵そのもののなかに登場しなければならないのです。どのようにして空間は登場することができるのでしょう。今や絵そのものの一部が空間として形成されることによってです。すなわち、内部空間、部屋あるいは何らかのものを取り、人物を据えることによって、あるいは、空間が風景として自然主義的に人間の周囲に形作られるように形作ることによってです。したがって私たちは、まったく自然に即して、申しましたようなしかたで近代の衝動としてまさにこのネーデルラント芸術を貫いているすべてとともに、壮大な、圧倒的なしかたで風景がいたるところで背景あるいはその他に現れてくるのを見るのです。そしてもっともみごとに、もっとも華々しくこの芸術が発展するのは、自由都市の時代、あの地域のどの都市もがその独立を誇った時代、他の都市との領土的連合など何ら必要のない時代においてです。ここで発達するのは一種の国際的な意識です。そしてこの、集団という心情からまったく自由であること、これは、まさにあの地域、あの時代のもともと優れたゲルマンの市民性から、北ネーデルラント的、南ネーデルラント的なものから成長してくるのであり、南方の構成的なものの影響をまったくわずかしか受けておりません。これは、北ネーデルラント、南ネーデルラント的なものから成長し、南方の構成的なものの影響をまったくわずかしか受けず、南と接している地域に限っては影響を受けていますが、まさに民主主義的な市民的有能さから、芸術的なものを創造し、花開いたのです、またも集団的な心情が事物を覆ってしまうとでも申し上げたいあの時代に入るまで。

 このように、きょう私たちが見てゆく芸術進化の時代は、同時に人間の自由な進化の時代でもあります。当然のことながら、まだずっと多くのことをお話しなければならないのかもしれません。けれども私はとりわけこの芸術進化の置かれた世界史上の時代を、みなさんの記憶にとどめておきたかったのです。それでは今からただちにいくつかの画像の上映を始めることができますね。


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