ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第6講-2

アトランティス後第五時代の芸術に現れてくる意識魂の働き:
とくに十五世紀のネーデルラント絵画

ドルナハ   1916/12/16


 ファン・エイク兄弟の世界的に有名な《ゲント(ヘント)の祭壇画》から始めましょう。

 433  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲント(ヘント)の祭壇、全体像

 この祭壇画は非常に多くの部分から成り立っています。ここにごらんになっているのは、前方の両翼を開いたときの中央の部分です。まずその上の部分です。

  434  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:父なる神

 中央に父なる神、法王の礼服をまとっています。すべて南方のキリスト教的なものから考えられています-- 法王のように現実的な父なる神です。けれども私が暗示したものが芸術的な把握のなかに含まれています。私たちが遡っていくと、かつての発展は、キリスト教的な表象のなかに、聖職者が人々に押しつけたような伝統的ーキリスト教的表象、つまりきわめてすぐれた意味でこのような心情の集合意識から出てくる思考にふさわしい表象のなかに、まったく没していたことがわかるでしょう。そして私たちは、個人的なものが、まさにここから発動してくるのを見るのです。

 さて、両側の絵は、これらも上部の中央部分の一部なのですが、左側が《マリア》、右側が《ヨハネ》です。

  437  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:マリア

  438  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:ヨハネ

ここで十五世紀の最初の三分の一となります。ヒューベルト・ファン・エイクが死に、弟のヤン・ファン・エイクが祭壇画を完成させるのです。

今度ゲント祭壇の中央部分の左右に見られる天使たちの絵を見てみましょう。

  439  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:奏楽の天使たち

 ごらんのように演奏している天使たちですが、今日私たちが目にするものとはまったく異なっていますね、すぐ前の時代のキリスト教的なドイツ絵画、シュテファン・ロホナーや《ケルンのマイスター》といった絵画に私たちが見出した天使たちと比べてみても、異なっています。-- 大きな違いというのは、この絵では、完全に成長した人間が天使とされているということがおわかりでしょう、たとえ教会の式典の衣装とでも申し上げたいものを身につけていたにしても、もはやかつてのような半ば子どものような姿ではなく、完全に成長した人間たちです。けれども同時にごらんのとおり、このような群像に遠近法における完全に仕上げられた処理をすることはまだ守られていませんね。遠近法はまだ非常にわずかにしか実施されていないのです。みなさんは、いわば全体を、絨毯のように平面上に見ることができるでしょう。

今度は別の側の別の天使像です。

  440  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:歌う天使たち

絵全体は、ある裕福な市民の注文により、当時ゲントのヨハネ教会であった聖バーヴォ教会のために制作されましたが、現在各部分が、ゲント、ブリュッセル、ベルリン、と世界中に分散しています。

さて、今度は絵のいわば中央部分、祭壇の以上三つの部分の下に見られる部分です。

  435  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:子羊の礼拝

ここでみなさんはこの時代と前の時代の根本モティーフのひとつをごらんになるでしょう。

 この壮大な表現全体が、ひとつの宗教的な基本理念を再現していると申し上げたいのです、数世紀にわたってこのように徐々に育成され、《子羊の礼拝》として思い描かれたたものがまさに芸術的に表現されるところまで到達してはじめて、芸術的な体現に至ることができた基本理念です。全キリスト教徒の数世紀にわたって、この理念は、供犠による救済によって、供犠による間の解放によって、徐々に育成されてきたわけですね。

 この理念の意義全体を注視しようとすれば、はるかに過去に遡らなければなりません。ここで、このような絵を、すなわちその短編小説的な側面、そのモティーフを、みなさんが直接比較してごらんになることができるのは、ミトラ供犠の表現だと申し上げたいのです。

  436  ミトラのレリーフ

 みなさんがこのミトラ供犠を、ミトラが牡牛の背に乗り、牡牛を傷つけ、血が流れると解されるなら、私たちが見るのは、ミトラを高めることと、さらにはミトラの救済が、動物の克服によって引き起こされるようすです。みなさんは、このモティーフのもっと深い意味をご存じです。これはこの

  435  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:子羊の礼拝

の対極に置かれるモティーフだと申し上げたいのです。ここで(436)棒立ちになり、打ち負かされるべき牡牛は、血を流さなければなりませんが、子羊は自由意志からその血を捧げます。それによって、救済は、かつてそれがそのなかにあった要素から高められています、暴力的なもの、戦闘的なものから高められ、献身的なもの、恩寵を起こすものに移されているのです。そこにはこのように理念が表現されています、人間が高慢に自己自身を超越し、低次のものを死滅させようとすることによってではなく、世界を貫いて流れるものを、世界に悩む者たちのために忍耐をもって魂のなかで経験することによって、人間は世界実在のあらゆる点で解放を得る、という理念です。この普遍的であると同時にまさに個人的ー普遍的な解放原理が、これによって表現されているのです。子羊はひとりです、けれどもどのひとりも子羊を刺し貫くことはありません。ですからここでは子羊は、子羊を礼拝するあらゆるひとのために犠牲に供されるのです、人生のさまざまな領域から子羊に近づくひとのために、救済者である子羊に、源泉に、生の泉に近づくあらゆる人々のためにです。

 つまりこれは、中世末期に、数世紀にわたって徐々に形作られ、ファン・エイク兄弟によって定着された最大の思考、最大の理念なのです。これは、この進化時代の内部で、最大の、最も重要な芸術創造のひとつです、むろん私がみなさんに明らかにしました観点から判断しなければなりませんが。個人的なもの、内部から創造するものが、よく制御されていない空間処理と、まだ闘っていると申し上げたいのです。みなさんはとりわけこのような絵の場合には、その視点のなかで、絵の下部分に見られる人物{図形?}の空間配分とともに泉の天使に姿を見せるように置かれた見物人というものを直接想定するのは困難でしょう。

 さらにファン・エイクは、すばらしいしかたで、いろいろな職業部門をひとつひとつ、それらすべてのなかに子羊の衝動が働きかけるように示しています。次のグループはそのひとつですが、子羊に近づくようすをひとつひとつ取り上げてみましょう。

  441  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:裁判官たち

  442  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:騎士たち

これらはすべてこのゲントの大祭壇画の一部です。

 次は心情のこもったものです。

  443  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:隠者たち

  444  ヒューベルト/ヤン・ファン・エイク  ゲントの祭壇 部分:巡礼たち

 ここで私たちは、人間と風景との調和の扱いを賛美することができるでしょう。

 すでに申しましたように、ヒューベルト・ファン・エイクは1426年に死にます。それでこの祭壇画は長い間未完成でした。彼の弟、ヤン・ファン・エイクがさらに何年もこの仕事に取り組みましたので、識者たちはすでに長期間、個々のどの部分がヒューベルトによるもので、どの部分がヤンによるものか、という彼らにとって重要と思われる論争にいそしんでいますが、芸術的なものを重視するひとにとっては、かなり無駄な論争ですね。

 今度は、ヤン・ファン・エイクの別の絵に移りましょう。

  445  ヤン・ファン・エイク  司教座教会参事会員ゲオルク・ファン・デル・パーレの聖母

 この絵は1436年に描かれました。みなさんはここで聖母の表情の親密さに感嘆されるでしょうが、他方、それが真に壮大な自然観察から出ていると同時に、当時の手法はもちろん素朴ではありますが、ある意味で司教座教会参事会員に特徴的なもののためになっていることにも驚嘆されるでしょう。

 さて今度は、ヤン・ファン・エイクが、派遣されたスペインで描いた絵で、

  446  ヤン・ファン・エイク  生命の泉

背景にゴシックの建築物が見えます。生命の水、生命の泉を子羊の犠牲との関わりで描くことは、当時、理念が目指す何かであったわけですね。ここにも、最初の絵、聖母とヨハネと似たしかたで、父なる神のモティーフがごらんになれますね -- 最初の絵では北方的な様式でみなさんの魂の前に現れたものが、この絵はスペインで描かれましたので、ちょうどそのとき登場してきたいわば南方的な芸術に応じたものに、比較的にではありますが、変化しています。

 さて今度は、《磔刑表現》において

  447  ヤン・ファン・エイク  磔刑

この芸術のとくに特徴あるものが現れているようすを見てみましょう。人間的なものが、聖書から借用された伝統的なものをはるかに凌駕しています。ここから、そのきっかけとなっただけであれ、聖書的なモティーフであるものが、普遍的ー人間的に共感され、再び呼び起こされるようすが見られると申し上げたいのです。ここでは、聖書に告げられていることを描くべしという意見のみならず、それはきわめてすぐれた意味で、追体験され、共感されるのです。直接的に南方の芸術家が、ここのこの線とこの線-- マリアとヨハネの場合の--を一緒に描いたなどと想定するのは容易でないでしょう。けれども構成的なものではなく、内面性という印象を与えること、この内面的なものを再現するということが重要なら、まさにここのこの線は、この線と共に作用するでしょう、異なった魂状態がこのように特徴的に表現されるからです。

 さて今度は、同じ芸術家の世俗的な二枚の絵です。

  448  ヤン・ファン・エイク  織物商アルノルフィーニの結婚

 この絵はとりわけ、この芸術家が表現したいと思ったものを特徴的に表現する能力という点でどこまで進んでいたかをはっきりと示しています。

 そしてファン・エイクのもうひとつの絵、これはみなさんに、肖像表現においてさらに進んでいく試みを示すのです。

  449  ヤン・ファン・エイク  男の肖像

 この絵においてとりわけはっきりと見られるのは、この人がどうあるべきかを思い描き、そしてこの衝動から取り組む、ということにはまったく重きを置かれていないということです、この人間をどう見るかということが重要で、そしてこの見方が示すものを再現するのです。

 さて今度は、ヤン・ファン・エイクより少し長く生きた同時代人、フレマールのマイスター(親方)と呼ばれるひとに移りましょう、彼のなかに私たちは、似た衝動を持つ探求者を見出しますが、フランスからやってきたもの、輪郭や芸術的伝統の余韻のなかに見出されるものに、彼の方がずっと影響されています。ファン・エイクの場合に見出せるのは、これは基本的な欲求から生じてきた、ということです。このフレマールのマイスターの場合、これあるいはあれは、あのようにあるいはそのように形作られなければならない、という意見がすでに根底にあるのが見られます。けれども、その意見はあまりに支配的になりすぎることはありません。とはいえやはり、そのなかに見出せるのは、まさにある種の美的ー芸術的伝統が原理であるということです。たとえばこのとくに独特の手の位置や顔の表現における扱い全体を見出すのは、ファン・エイクの場合容易ではないでしょうが、みなさんはこの絵に、フランスからのある種の影響によって共に引き起こされたものとしてそれらを発見なさるでしょう。

  450  フレマールのマイスター  聖ヴェロニカ

 優雅な生とでも申し上げたいものの息吹が、むろんファン・エイクの場合よりもいっそう人物に注がれています。

 続いて同じマイスターの作品です。

  451  フレマールのマイスター  マリアの死

 ここでこの絵にとって真に特徴的なのは、直接の{絵の描かれた当時の}現在にまでキリスト教伝説が移動させられていることです。これらは、十五世紀の三十年代頃に制作された絵画です。

 さて今度は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに移りましょう、彼は先ほどのマイスターと同様フランスからの影響を受けましたが、ファン・エイクあるいはファン・エイク派の、明白に現れた継承に由来するすべての要素を持っています。

  452  ロヒール・ファン・デル・ウェイデン  キリストの哀悼

 この絵にみなさんがごらんになるように、このマイスターの場合特徴的に差異として現れているのは、絵の中に劇的(ドラマ的)な生が入り込んでいるということです、他方、ファン・エイクは徹底して叙事詩的です。ファン・エイクは人物たちを静かに並列的に配置します、それらはいわば互いに働きかけ合うのですが、全体を貫く傾向というのはありません。ここ(ファン・デル・ウェイデンの場合)では、みなさんは人物たちの相互作用のなかに、単に叙事詩[Epik]だけでなくドラマ[Dramatik]を見出すでしょう。

 同じ画家の同じモティーフです。

   453  ロヒール・ファン・デル・ウェイデン  十字架降下  マドリード

 さてこれはキリスト教伝説に由来する絵です。ごらんのように福音史家ルカです、伝説によれば彼はマリアを絵に描いた画家だったとされますね。

   454  ロヒール・ファン・デル・ウェイデン  福音史家ルカがマリアを描く

 このマイスターの絵がもう一枚あります。

   455  ロヒール・ファン・デル・ウェイデン  聖なる三王の礼拝

 ここで王たちのひとりはブルゴーニュのフィリップ王、帽子を取るもうひとりはカール豪胆王です。場面全体がこれらの外的なことによって当時現在にまでずらされています。と申しますのも、画家は、多かれ少なかれ直接当時の王侯の姿を、やってきて幼子を礼拝する王たちとして取り入れたからです。

   456  ロヒール・ファン・デル・ウェイデン  カール豪胆王の肖像

 これらの画家はすべて、肖像芸術において一種の完成の域に達しています。


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