ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第6講-3

アトランティス後第五時代の芸術に現れてくる意識魂の働き:
とくに十五世紀のネーデルラント絵画

ドルナハ   1916/12/16


 さて今度はマイスター、ペトルス・クリストゥスに移りましょう。彼による祭壇の両翼をここにごらんになれます。

   457  ペトルス・クリストゥス  マリアへのお告げ(受胎告知)

   458  ペトルス・クリストゥス  キリストの誕生

 ペトルス・クリストゥスについては、もともと彼はとくに際立ったものなしに、一方にウェイデン、もう一方にファン・エイクという線で、一方あるいはもう一方の方向性に従って仕事をする、と言わなくてはなりません。1452年、つまり十五世紀のなかほどにこの絵は描かれました。

 さて今度は、その性質上、より北方オランダ的な要素を持ち続けている絵画を、さらにもっと見ていきましょう。こういう絵の場合、とりわけ風景が非の打ちどころなく仕上げられていることがわかります。

 以下の絵は、ディーリック・バウツ(子)によるものです。

 この芸術家集団にとってまさしく非常に特徴的なのは、

   460  ディーリック・バウツ(子)  洗礼者ヨハネ

   461  ディーリック・バウツ(子)  クリストフォルス

一方に洗礼者ヨハネ、もう一方にクリストフォルス、つまりキリストを担う者です-- まったく直接に人間的な親しみ深さが現れている一方、真にその一部となっている風景的な要素も現れている絵画です。まさにバウツの場合にこのことが現れているのがおわかりでしょう、戸外の自然のなかにこのように人間を配置する技術のなかにごらんになれますね。

   459  ディーリック・バウツ(子)   王たちの礼拝

 さて今度は、まったく写実的な表現の完遂というものを、さらにもっと見ていきましょう。すなわちそれは、この道の途上で目指されたものを、自然的なものの直接的な再現のなかに、ますますいっそう真に求めることができる人間、芸術家です。私たちはこれをまず、ヒューホー・ファン・デル・フースに見ます。

   462  ヒューホー・ファン・デル・フース  幼子の礼拝 ポルティナリ祭壇画より

   463  ヒューホー・ファン・デル・フース  礼拝、部分:羊飼いたち

 ここでは写実主義が実際まさに、この芸術進化の内部で、ある種高度の完成にまで達しています。

   ヒューホー・ファン・デル・フース

   464  聖アントニウスとマタイと寄進者たち

   465  聖マルガレーテと聖マグダレーナと寄進者たち

   466  羊飼いたちの礼拝

 下部に描かれているのはこの絵を寄贈したひとたちです。さらに

   467  ヒューホー・ファン・デル・フース  マリアの死

   468  ヒューホー・ファン・デル・フース  原罪

ごらんのように、この芸術は-- すでに一度、マイスター・ベルトラムに注目しつつこれについてお話ししましたが-- 蛇を直接描かず、ルツィファー的なものを描いていますね。

   469  マイスター・ベルトラム  原罪

 物質的な蛇として存在しているような蛇そのものが、人間を誘惑したなどというのは、最近の時代になってからの自然主義、唯物主義の発明です。

 さて今度は、ファン・デル・ウェイデン派のなかで育成され、いわばこの派を継続し、この派のなかでは《ドイツのハンス》と呼ばれた芸術家に移りましょう、つまりハンス・メムリンクです。これは

   472  ハンス・メムリンク  マリアと幼子

 この芸術家はマインツ地方に生まれ、この絵のなかに--近いうちにそうできれば、とりわけ特徴ある独自性を持つ本来の上部ドイツ絵画をみなさんにお見せするでしょう-- 明らかに彼の素質のなかにあるものをいくらかもたらしましたが、その他の点では、フランスからの影響を含めて、この時代のネーデルラント絵画のなかに生きていたすべてを取り入れました。

 さて今度は、同じハンス・メムリンクの、当時やはり身近であったモティーフです、マリアにまつわるさまざまな出来事を描写するものです。

   470  ハンス・メムリンク マリアの七つの歓び

 これらはほとんどマリアの生涯から取られた場面です。もちろんとても小さいので、眺めるだけでは細部にまで入り込んでいくことはできないでしょうけれども。

 今度はメムリングの特徴ある一枚です。

   471  ハンス・メムリンク  最後の審判

 ここで彼は、彼の流儀で真に天才的なしかたで、最後の審判についての彼の表象を表現したのです。当然ながらいくらかぎごちなさ、不器用さをごらんになるでしょうが、それでもやはり出来事を人間的に親密に貫く何かがあります。この絵は現在ダンツィヒにあります。盗賊であった豪商がこの絵を盗んだのですが、彼は非常に信心深かったので、のちにダンツィヒの教会にこれを寄贈したのです。

 さてこの同じハンス・メムリングの肖像芸術にもう少し親しみたいと思いますが、みなさんは、これらの画家善人が、人間の個の再現において、それぞれのしかたで偉大なことを成し遂げているのをご覧になるでしょう。

   473  ハンス・メムリンク  男性像、ベルリン

 魂的なもののこの面差しのなかへの再現は、すでに何か途方もないものです。-- そしてさらにもう一枚。

   474  ハンス・メムリンク  男性像  デン・ハーグ

 この絵は非常に有名なものですね。

 さて続いて、もっと後期の芸術家たち、もはやすでにまったく自由な特徴は持たず、とうに発見された本質を示している芸術家たちに移りましょう。まず最初は、ヘラルト・ダフィットです。彼は1460年頃に生まれ、オランダからブリュージュに移住しました。今までは芸術上の前ー宗教改革であったのに対し、すでにこの芸術家のなかには、ますますいっそう宗教改革に接近してゆくものが見出されます。

   475  ヘラルト・ダフィット  王たちの礼拝

 ここではもちろんもう南方的な要素が構成的なもののなかに入り込んできているのがわかりますね。

   477  ヘラルト・ダフィット  キリストの洗礼

 これは同じダフィットによるものです。そして

   476  ヘラルト・ダフィット  聖母子と聖人たちと天使たち

   478  ヘラルト・ダフィット  聖母子

 さて今度は、いわばヘラルト・ダフィットの一種の追随者で、二十八歳で夭折した芸術家、ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスですが、彼はやはりある意味で、この芸術時代の特異性のすべてを自らのうちに担っています。

   479  ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス  聖家族

 同じ画家による絵をもう一枚

   480  ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス  幼子を礼拝するマリア

十六世紀頃の時代へと進めば進むほど、説明しましたエイクの時代にとって本来特徴的なもののなかに、別の諸要素がいっそう入り込んできます。こうしてヒェロニムス・ボッスに辿り着きます。

   481  ヒェロニムス・ボッス  十字架を担うキリスト  ゲント

 ここでみなさんはもう、非常に構成的な要素が入り込んでいわばもはや単に自然主義的な観察というのはなく、ファンタジーにあふれた要素が一貫して作用しているのをごらんになるでしょう。ですからボッスは、ありとあらゆる単に空想的なもの、妖怪じみたものの画家ともなるのです。

   482  ヒェロニムス・ボッス  十字架を担うキリスト マドリード

 次は《地獄》を描いている彼の絵です。

   483  ヒェロニムス・ボッス  地獄

 つまりここでは空想的なものが、この方向性に従って学ばれたものに混入されていますね。この奇妙な中断をごらんになれるでしょう。

 さて今度は、クェンティン・マセイスに移ります、彼においてはもう徹底して構成的なものが優勢になっています。これはもう十六世紀です。

   485  クェンティン・マセイス  聖家族

 この絵は1509年に描かれました。

   486  クェンティン・マセイス  キリストの哀悼

 ここではすでに完全に意識された構成的なものがごらんになれますね。

 次の絵においては、構成的なファンタジーが、比較的弱い造形のもののなかで、特徴的なものと結びつけられているようすもごらんになれるでしょう。

   484  クェンティン・マセイス  両替商とその妻

 さて今度は、とりわけ風景画において、この時代の独自性をみなさんに示している芸術家に移りたいと思います-- ヨアキム・デ・パティニールは、そもそもこの時代にそしてこの時代から芸術へと成長していくとくに重要な風景画を描いています。実際そもそもこの時代以後ようやく、風景というものが芸術のために発見された、と言うことができますね。

   487  ヨアキム・デ・パティニール  逃避行中の休息 マドリード、プラド美術館

   488  ヨアキム・デ・パティニール  逃避行中の休息 ベルリン、ドイツ美術館

   489  ヨアキム・デ・パティニール  キリストの洗礼

 これらの絵画を主に風景画という観点から見てくださるようお願いいたします。もちろん、この風景は、自然主義的な模倣を試みる時代になってはじめて登場することができ、こうしてはじめて絵画において風景というものが意味を持ち始めるわけですね。

   490  ヨアキム・デ・パティニール  聖アントニウスの誘惑

 さて今度は、もう強く十六世紀に入り込み、私が市民的なものと呼んだものを、農民的なものに至るまで持っているとでも申し上げたい芸術家に移りましょう、彼はまったく自然な民族性から描きますが、他方で可能なあらゆる影響が、その創造活動のなかに流入していて、イタリア的なものさえも受け入れられています-- つまり奇妙なしかたで、オランダ的な要素が、すでにルネサンスに向かって活動しているものと結びつけられ、ある種のユーモアを持っているのです。それはピーテル・ブリューゲル(父)で、1525年に生まれました。

 ここでは信心深い男とその背後に悪魔が見えます。

   491  ピーテル・ブリューゲル(父)  悪魔と信心深い人

 あるいは

   492  ピーテル・ブリューゲル(父)  盲者の寓話

 続いて、彼による天使たちの墜落の絵です、投げ落とされる天使たちです。

   493  ピーテル・ブリューゲル(父)  天使たちの墜落

 彼による聖書的な絵がもう少しあります。

   494  ピーテル・ブリューゲル(父)  十字架を担うキリスト

 

   495  ピーテル・ブリューゲル(父)  王たちの礼拝

 きょうはこれで終わりにしましょう。


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