「四次元」

数学と現実

多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答

GA324a

Rudolf Steiner:Die Vierte Dimension 

佐々木義之訳

 

第二部

質疑応答 1904-1922


ハーグ 1922年4月12日

 より高次元の空間についての質問

 

 通常の軸配座系は三次元空間を記述する、と言うことができます。図式的にお話しするならば、私たちはある種の代数的な仮定に基づいて先に進み、そして、私たちを平面から三次元空間へと導いた過程を抽象的なレベルで繰り返します。その結果は、四次元、五次元、あるいは、n次元空間です。私たちはヒントンのテサラクトのような図形を構築することさえできるのです。けれども、テサラクトは現実の図形ではなく、単に、真のテサラクトの三次元空間への投影です。

 純粋に理論的、抽象的なレベルでは、そのような演繹をしても何の問題もありません。理論的なレベルでは、私たちは時間の中で、単に、式や計算を使い、私たちが行っている飛躍、つまり、それが飛躍であるのは、時間の中への移動は第一次元から第二次元、そして第三次元への移動とは異なるからですが、その飛躍を考慮しながら、時間の中で三次元空間から四次元空間へと移動することさえできます。最初の移動過程を洗練させることによって、本当に時間の中への移行が可能になるのです。その結果は抽象的な四次元空間です。私たちは、私たちが行っていることを視覚化する必要がない限りにおいて、抽象的で、純粋に知的なレベルに留まることができます。けれども、私たちがそれを行おうとするとき、私たちは弾性の問題に突き当たる一方で、私たちの純粋に抽象的な思考のつながりは「無限の後退」へと導いていきます。私たちは、さしあたり、振り子は単に際限なく振れ続けると想像することもできますが、動力学的には、振動があるだけです。それが現実の状況です。

 私たちがイマジネーション的な知覚のレベルへと上昇するときには、四次元やそれ以上の次元があると仮定しつつ、単にそのプロセスをいつまでも繰り返すことはできません。一次元を表すために+a、二次元に+b、三次元に+cの表記を用いるとして、もし、私たちが現実の空間を記述しているならば、四次元を+dのように書くことはできないのです。そうではなく、現実の状況は私たちに−cと書くように強制します。第四の次元は単に第三の次元を無効にし、二つの次元だけが残るのです。ですから、そのプロセスの最後に、私たちに残されるのは4つではなく、2つの次元だけです。同様に、もし、第五の次元があると仮定するならば、それには−bの、そして、第六の次元には−aの表記を用いなければなりません。つまり、私たちは点へと帰ってきます。弾性の法則によって、私たちは出発点へと帰ってきたのです。この現象はイマジネーションの中に―つまり、主観的な実験としてですが―存在しているだけではなく、一昨日お話ししたような仕方で、ひとつの現実になるのです。

図66a

 私たちがこの地球の表面、そして、この植物の根を見ている限りは(図66a)、私たちは重力の特定の表現を取り扱いながら、空間における通常の次元の内部に留まっています。けれども、私たちが花の形を説明しようと試みるときには、これらの通常の次元はもはや十分ではありません。私たちは私たちの出発点としての軸の交点について語る代わりに、正にそのような点の対極にある無限の空間から始めなければなりません。外に向かって遠心的に動く代わりに、内に向かって求心的に動かなければならないのです(図66a)。その結果得られるのは波打つ表面です。遠方へと散逸するのではなく、外から圧力が行使されるのですが、その結果は滑るような、撫でるような動きです。圧力の結果であるそのような動きは、軸の交点を私たちの配座の出発点とすることによっては正確に記述することができません。その代わり、私たちは無限に大きな球を配座の中心にしなければなりません。そして、配座はすべて中心に向かって動かなければなりません。つまり、私たちはエーテルの領域に入るやいなや、通常の配座系の正反対―質的にも正反対なのですが―であるところの軸配座システムを適用する必要があるのです。エーテルに関する物理学の通常の理論は、この違いを考慮しないという間違いを犯しているので、エーテルを規定するのが難しくなっているのです。それはあるときは液体、あるときは気体と見なされます。中心点から放射する配座システムをエーテルに適用するのは間違いなのです。私たちがエーテルの中に入っていくやいなや、私たちは球を取り上げ、外側から内に向かう全体システムを構築しなければならないのであって、その反対ではありません。

図66b

 このような問題が興味深いものとなるのは、数学的に跡づけながら、物理学の領域に入っていくときです。私たちの理論を発達させるということは、非常に現実的なことのように見え始めますが、限界の問題を解くためには大いに貢献するかも知れません。けれども、今のところ、そのような理論は非常にわずかしか理解されていません。例えば、私はかつてある大学の数学の講義でこのテーマを紹介しようとしたことがあります。この講義で、私は、これらが双曲線の接線で、これらがその分岐であるとすると、右側の部分は発散しており、左側の部分は集中していると想像しなければならない、と言いました。つまり、完全に正反対のことが起こっているのです(図66b)。このような考察は私たちを徐々に空間のより具体的な取り扱いへと導くのですが、このような取り扱い方はほとんど受け入れられません。純粋に分析的な数学者たちはしばしば合成幾何学に対していくらか偏見を持っています。けれども、現代の合成幾何学は、純粋に形式的な数学から離れ、経験の問題に取り組むことができるようにします。私たちは、純粋に分析的な幾何学だけを用いている限り、現実の領域に近づくことはできません。分析的な幾何学は座標の終点やそれらの座標軸上の位置などを確立することができるだけです。私たちが線や円だけを用いて構築するときには、イメージによる助けが必要となり、視覚化に頼ることを強いられます。合成幾何学が非常に有用なのは、数学の形式的な側面から離れることを可能にするからです。それは私たちが自然における数学的な要素について考えなければならないことを示しています。


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