「四次元」

数学と現実

多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答

GA324a

Rudolf Steiner:Die Vierte Dimension 

佐々木義之訳

 

第二部

質疑応答 1904-1922


ドルナッハ 1921年12月29日

討論:

 

 講義を聴いてお分かりと思いますが、私たちは触れることのできる空間と視覚的な空間を区別しなければなりません。この違いは、一方では数学についての、他方では物理的な世界についての考察を越えて進むように私たちを促します。私の連続講義を聴いてお分かりかと思いますが、数学は人間精神から、あるいは人間そのものから産み出された、ということが真実であることに変わりはありません。そして、私たちが純粋に数学的な領域―それは数学的な意味で規定される領域です―の中にますます入り込むにしたがって、私たちはますます現実を包括的に理解することが少なくなります。皆さんは現代の人々が数学を用いて現実を記述しようとしたとき、繰り返し生じてきた困難をご覧になってきました。

 例えば、もし、皆さんが無限に大きな球から平面へと移行することを考えるならば、皆さんはこの投影幾何学の基礎と、現実についての私たちの通常の考え、私たちの周囲の世界との経験的な相互作用に基づく考えとを調和させることはほとんどできないでしょう。したがって、私たちの仕事は―そして、適切な教育というバックグラウンドを持っている多くの人々はそれに向けて大いに働かなければならないでしょう―、非常に具体的な領域で、現実を理解するために数学的な考えを用いるように努める、ということです。この点に関して、ひとつ問題を提起してみたいと思います。その問題を成功裏に解くことができるのは、数学者たちがそれに向けた真剣な取り組みを実際に始めるときだけです。

 私は触ることができる空間について理論的な説明を行いました。今、私たちの触覚という地上的な経験のすべて、実際、それこそ私たちが取り扱っているものなのですが、を必然的に取り込むような仕方でこの空間を扱ってみてください。私たちは、それに本来的に備わっている次元性を含めて、私たちの触覚経験のすべてを重力に対する私たちの関係性の中に組み込まなければなりません。私たちは重力の影響下にあり、そして、周辺の異なる方向からやって来る種々の求心的な力が微分方程式を立てることを可能にします。触ることができる空間に関しては、私たちはこれらの方程式を、分析幾何学や分析動力学の中で、決定された動きに対する方程式を扱うような仕方で扱わなければなりません。そのとき、これらの方程式を積算することが可能になりますが、それは触ることができる空間における私たちの経験に対する特定の積を私たちに与えます。一方、微分はいつも私たちを現実から遠ざけます。

 これらの微分を積算することによって、一昨日皆さんにお話しした図式が得られます。もし、皆さんがそれらの現実へと回帰しようとするのであれば、皆さんは私がその講義で示したようにしなければなりません。現実に触ることができる領域においては、積分方程式を用いて作業しなければならないのです。触るということに関しては、垂直の次元が一定の微分を有していますが、そのため、この式における変数xにはプラスかマイナスの符号がついていなければなりません。このことによって、触ることができる空間についての私たちの経験に対する積分式を立てることが可能になります。そのことを次の式で表してみましょう。

∫f(x)dy

その結果、触ることができる空間についての私たちの経験に対する積が得られます。

 さて、先に進んで、視覚的な空間にこの同じ原則を適用してみましょう。ここでもまた、私たちは、分析幾何学や分析動力学の中で決定された動きに対する方程式を扱うのと同じ仕方で扱うべき微分方程式を立てなければなりません。その積分では、全く同様の積が得られるのですが、(最初の式では、変数xの符号が正であったことを考慮して)その積は負であると考えなければなりません。積分をこのように扱うときには(細かいことはすべて省略しますが)、ひとつの解が得られ、それはまた別の方程式へと導きます。

∫f(x)dy

 けれども、それぞれの式から別の式を差し引きすると、それらは互いに打ち消し合い、その結果、ゼロに近づきます。つまり、視覚空間に対して積分するときには、触れることができる空間に対する積分を打ち消すような積分結果が得られるのです。そして、触れることができる空間に対する積分で思い出すのは―とはいえ、それはより広範なものですが―一般の分析幾何学や動力学に関連した状況や関係性のために必要とされる方程式の多くです。唯一の相違は、動力学の方程式には重力が含まれなければならないということです。

 もし、視覚の空間的な側面を数学的な言葉で表現する正しい方法を見つけることができさえすれば、私は視覚的な空間に対して適用可能と考えられる積分を得ます。私たちがいつも行っているのは、些細な例から始めて、視覚についての解釈を構築し、そして、視覚空間を考えるときには避けられない垂直方向の動きを考慮しなければならないのを忘れてしまう、ということです。私たちは、視覚はいつでも重力とは反対の方向に働くことを強いられる、ということを認めなければなりません。この事実を考慮すると、積分を一方では動力学に、他方では光学に関連づけることが可能になります。このようにして、私たちは、現実の状況を包括する使用可能な積分において、動力学、光学、あるいは、その他のものを定式化します。しかしながら、積分間の差がゼロであるというのは全く正しいというわけではありません。それはひとつの微分であり、ゼロと書く代わりに、このように書かなければなりません。

dx=∫−∫

   +  −

もし、そのような積分と、その結果得られる微分を繰り返し探求することで、dxに対応する微分方程式に導かれるとすれば、dxがここでは正、そして、ここでは負であると考えるとき、dxは数学的な意味で虚数であることが分かるでしょう。

 けれども、もし、その結果として得られる微分方程式を積分するならば、その結果は驚くべきものです。皆さんがその問題を正しく解くならば、皆さんは自分でそれを経験することができます。このステップは音響、音響式へと導くのです。こうすれば、皆さんは、内在する現実を理解するために、本当に数学を用いたことになります。皆さんは、垂直軸上の下方には動力学、上方には視覚―何故なら、光は負の重力に等しいからですが―を配さなければならないのに対して、聴くことは水平軸上において生じる、ということを学びました。皆さんがこれらの計算式を立てるときには、ラグランジの等式の結果として、一方には数学があり、他方には物理学があるという不一致が観察されるばかりではなく、この基礎の上に、数学と物理学の領域においてなされ得る仕事が、以前、系統発生学の領域において私が指摘した仕事と正に同じくらい生産的である、ということがお分かりになるでしょう。この線に沿って―単に記述的な考察を通してではなく、これらのことをやり遂げることによって―私たちは現代の自然科学と人智学の間の違いを見いだします。私たちは私たちの計算が具体的な現実にしっかりと根付いたものであることを示さなければならないでしょう。


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