「四次元」

数学と現実

多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答

GA324a

Rudolf Steiner:Die Vierte Dimension 

佐々木義之訳

 

第二部

質疑応答 1904-1922


ミュンヘン 1912年11月25日

■質問:精神科学は第四の、そして、より高次の次元に関して、何かを達成しているのでしょうか?

 あなたの質問に対する答を理解可能なものにするのは容易なことではありません。私たち人間は、物理的な世界、感覚で知覚することが可能な世界が教えるものから出発しますが、その世界では、空間は三つの次元を有しています。少なくとも理論的なレベルにおいては、数学者たちは四次元や、より高次の次元についての考えを定式化しますが、それは三次元空間に関する彼らの考えを、変数を通して、分析的に拡張することによってです。ですから、少なくとも数学的な思考の文脈においては、より高次の多様性について語ることが可能なのです。これらの問題に精通している人たちにとっては−つまり、その問題に心血を注ぎ込み、かつ必要な数学的知識を有している人たちにとっては−多くのことがらに光が当てられます。一例として、ウィーンのシモニーについて触れたいと思います。 

 最初、より高次の次元はアイデアのなかだけに存在します。それらを実際に見るようになるのは、私たちが精神的な世界に入っていくときですが、そこでの私たちは、直ちに三つよりも多い次元を把握するようになることを強いられます。そこでは、私たちに提示されるいかなるイメージも−つまり、三次元性が本来もっている特徴をまだ保持しているところのいかなるものも−私たち自身の魂の過程が反映されたものに他なりません。より高次の世界においては、非常に異なる空間的な関係が支配しているのです。もっとも、それをまだ空間的な関係と呼びたいのであればですが。 

 時間についても同じことが言えます。あなたが主張することのすべてが幻想に基づいたものではないということをどうして確かめられようか? と説き立てる人々がいつも大勢いるのですが、そのような人たちは時間の関係がどのようになっているのかを考えてみる必要があります。と申しますのも、彼らは、精神科学の活動分野では幻想とは全く異なる現象が扱われる、という事実を無視しているからです。今日の講義は非常に長いものでしたが、すべてを語ることは決してできません。あなた方の質問は私が講義のなかで話したことを補足する機会を提供してくれます。私たちが精神世界に参入するとき、時間と空間に関して生じる変化について、もう少し指摘させていただきたいと思います。 

 私たちが黄泉の国へと消失する、というイメージが戻ってくることが、いわば意味を持つのは、より高次の次元からのアプローチがなされるときだけです。けれども、ちょうど感覚知覚が可能な世界における三次元性がそうであるように、それはそこでは自然で自明のことなのです。通常の幾何学が精神世界の存在やできごとにあまり適合しないのはそのためです。数学者を代表して言わなければならないのは、四次元についての思索が現実的な価値を獲得するのは、私たちが精神世界に入っていくときである、ということです。けれども、より高次元の空間についての彼らの結論は、通常は、三次元的に知覚されたユークリッド空間に基づいて一般化されたものであり、現実に基づいたものではありません。そのため、彼らの結論はその現実に十分対応しているものではないのです。精神科学者が探求する存在やできごとに関する計算を行うためには、もっと良い数学が必要なのかも知れません。 

 とはいえ、あなたの質問に対する答は「イエス」です。超感覚的な世界との対応関係、そしてまた、無限に関する数学的なアイデア、特に一定の初歩的な数学上の課題はひとつの現実となります。何年も前に私自身が経験した次のような例があります。私が大学で近代の合成投影幾何学と分析的力学を学んでいたときに気がついたのですが、アストラル空間に属する非常に重要な特性に関する洞察が突然のひらめきのように得られました。 

 それは、無限へとのびる直線上で、無限に遠い左側の点は無限に遠い右側の点と同一であるという概念、つまり、その線上の点の配列に関しては、直線とは現実には円であり、もし、私たちが曲がりくねることをせず、十分に長く直線上を動きつづけるならば、私たちは反対側から戻ってくる、という概念です。私たちはこのことを理解することができるかも知れませんが、そこから結論を引き出すべきではありません。何故なら、精神的な探求においては、結論はどこにも導かないからです。そうではなく、現象が私たちに働きかけるのにまかせることが、超感覚的な世界の認識へと私たちを導くのです。 

 超感覚的な世界を取り扱うときには、数学を過大評価しないことが大切です。数学が有益なのは純粋に形式的なレベルにおいてだけです。それには現実の状況を把握する可能性はほとんどありません。とはいえ、精神科学と同様、数学は魂自体に本来備わった力によって理解することができ、誰にとっても平等に真実であるところのものなのです。数学と精神科学が共有しているのはそのことです。

(了) 


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