ルドルフ・シュタイナー

「四次元」

数学と現実

多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答

GA324a

Rudolf Steiner:Die Vierte Dimension

1999.7.5.登録/KAZE訳→2002.11.16再登録/佐々木義之さん改訳 

第2講


1905年3月31日、ベルリン

 今日は特に、非常に機知に富んだ男であるチャールズ・ヒントンの考えを参照しながら、多次元空間の表象に関する基本的な要素をお話したいと思います。(原註1)前回は0次元の考察からはじめて多次元空間の表象へと進みましたが、覚えておいででしょうか。どのように二次元空間から三次元空間へと至ることができるかという表象についてもう一度簡単に繰り返しておきたいと思います。

 シンメトリーの関係とは何を意味しているのでしょうか? 次のような互いに鏡の像である赤と青のふたつの平面図形を重ねるにはどうすればよいのでしょうか? 2つの半円の場合には、赤い半 円を青い半円のほうにずらしていくことで、比較的簡単にそれができます(図10)。

図10

 次のような 鏡の シンメトリーをもった図形の場合は、そう簡単にはいきません(図11)。 面の内部に留まる限り、そうしたやり方で赤を青のほうにずらそうとしても、赤い部分と青い部分を重ねることはできません。けれども、これを可能にする方法があります。黒板から、つまり第2の次元から出て 第3の次元を用いれば、別の言葉でいえば 、青い図形を 鏡の軸を中心にして空間中を回転させて赤の図形の上に重ねればそれが可能になります。7

図11

 一組の手袋もそれとまったく同じ関係にあります。3次元空間から出ることなく、片一方の手袋をもう一方の手袋に重ねることはできません。第4の次元を通過して行かなければならないのです。

 前回、私はこう申し上げました。第4の次元の表象を得ようとするならば、第2の次元から第3の次元に超え出るときの状況と同じ状況を成立させることによって、空間における関係 を流動的なままに留めなければならない、と。紙テープから互いに絡み合った空間構造を作り出すとき、その絡み合いは特定の複雑さを呼び寄せることになります。これは単なる遊びではありません。何故なら、そうした絡み合いは自然のなかに、特に物質的な対象物の絡み合った動きのなかにいつでも生じているからです。物体はそうした絡み合った空間構造において運動しています。この運動は諸力を備えていますから、その諸力もまた互いに絡み合っているのです。太陽の周りの地球の運動、そして地球の周りの月の運動を考えてください。月は、太陽の周りにある地球の軌道の周りに巻き付くような円を駆けめぐっています。つまり、月は円周の周りで螺旋を描いているのです。太陽自身が運動していますから、円周の周りの月はさらなる螺旋をなしています。その結果、空間全体を通じて広がる非常に複雑な諸力の線が生じているのです。

 天体は、私たちが前回考察した、シモニーの 絡み合った紙テープのように、相互に関係しています。私たちは、前に述べたように、私たちがそれを固定化させないようにするときにのみ理解することができるような複雑な空間概念を取り扱っているのだ、ということを生き生きと思い浮かべなければなりません。空間をその本質においてとらえようとするならば、私たちはなるほどまず固定的なかたちでとらえなければなりませんが、しかしさらにそれをもう一度完全に流動的なものとしなければならないのです。それは、零にまで行き着いて、そこで生きた点の本質を見出すようなものです。

 もう一度いかに次元が構築されるかを生き生きと思い浮かべてみましょう。点は0次元であり、線は1次元、平面は2次元、立体は3次元です。ですから立方体には、高さ、幅、奥行きという3つの次元があります。さて、さまざまな次元の空間構造は互いにどのようにふるまうのでしょうか? あなたが直線であって、1つの次元だけをもち、直線に沿ってのみ運動できると考えてください。そのような存在であるとするならば、そうした存在の空間表象はどのようなあり方をしているのでしょうか? そのような存在は1次元性を自らにおいて知覚せず、どこに行こうとも点を知覚できるだけでしょう。というのも、私たちが何かを描こうとしても直線には点しか存在していないからです。ですから、2次元的な存在が出会うのは直線だけであり、1次元存在だけを知覚するでしょう。立方体のような3次元存在は、2次元存在を知覚できますが、自分のもっている3次元を知覚することはできないでしょう。

 さて、人間は3次元を知覚することができます。私たちが正しく推論するならばこう言わなければなりません。1次元存在が点だけを知覚でき、2次元存在が直線だけを、そして3次元存在が面だけを知覚できるように、3次元を知覚する存在はそれ自身が4次元存在でなければならない、と。人間が外的存在を3次元によって境界づけることができ、3次元からなる空間と関わることができるということは、人間が4次元的であることを意味しています。同様に、立方体が2次元だけを知覚することができ、それ自身の3次元を知覚できないように、人間は自身が生きている4次元を知覚できない、ということは明らかです。こうして、人間は4次元存在でなければならない、ということがわかりました。私たちは水のなかの氷のように、4次元の海を泳いでいるのです。

 もう一度、鏡の像の考察に戻りましょう(図11)。この垂線は鏡の断面を表しています。鏡は左側の図形の鏡像を反射しています。反射のプロセスは、2次元を超えて3次元を指し示しています。鏡像のそのオリジナルに対する直接的で連続した関係を理解するためには、私たちは1次元と2次元に加えて3次元の存在を仮定しなければなりません。

  さて、外的空間と内的表象の関係を観察してみましょう。 私の外にあるこの立方体は私の内なる表象として現れます(図12)。 立方体についての私の表象像は、鏡の像がそのオリジナルに対するように、立方体と関係しています。私たちの感覚器官は立方体についての心的な表象を発現させます。この表象像をオリジナルの立方体に重ねようとすれば、第4の次元を通っていかなければなりません。ちょうど2次元の 鏡プロセスを連続して行う場合、第3の次元に移行しなければならないように、表象像と外的な対象との間に直接的な関係を生じさせるためには、私たちの感覚器官は4次元的でなければなりません。あなた方が2次元的にのみ表象するとすれば、夢の像だけが目の前に現れ、外の世界に対象があるなどとは考えないでしょう。私たちが何かを表象するときには、4次元空間を通じて、私たちの表象力を外的な対象の上に直接投げかけているのです。

図12

 人類進化の初期段階においてアストラル状態にあった人間はただ夢見る人に過ぎませんでした。彼らの意識のなかに生じるイメージとは夢の像だったのです。人間は後にアストラル領域から物理的空間へと移行しました。このように述べるとき、私たちはアストラル存在から物理的、物質的存在への移行を数学的に定義したことになります。この移行が生じる以前には、アストラル人間は3次元的な存在でした。そしてそれ故に、その2次元的な表象を3次元的な物理的物質的な対象世界へと拡げることができなかったのです。しかし、人間が自ら物理的な物質になったとき、彼らはさらに第4の次元を獲得しそれによって生命をも3次元のなかで体験できるようになりました。

 私たちの感覚器官のユニークな特性によって、私たちは私たちの表象像を外的な対象に重ねることができるようになっているのです。私たちは、私たちの表象を外的な物に関係させることで、その表象を外的な対象にかぶせながら、4次元空間を通過して行くのです。もし、私たちが物の中に入り込んでそこからそれを見ることができるとしたら、つまり物は反対側から見るとしたらどのように見えるのでしょうか? そのためには、私たちは第4の次元を通って行かなければならないでしょう。アストラル世界自体は4次元の世界ではありません。けれども、物理的世界へのその反映と共に考えれば、アストラル界は4次元的です。アストラル界と物理的世界を同時に見渡すことのできる人は4次元空間に生きています。私たちの物理的世界のアストラル世界に対する関係は4次元的なのです。

 私たちは点と球の間の違いを理解することを学ばなければなりません。 実際、ここに描かれたような点は受動的なものではなく、すべての方向へと光を放射しています(図13)。

図13

 そのような点の反対はどのようなものになるでしょうか? ちょうど左から右へ行く線の逆が右から左へ行く線であるように、 光を放射する点の反対も存在しています。巨大な、実際は無限に大きな球、あらゆる方向から、しかし今は内へと暗闇を放射している球を表象してみましょう(図14)。この球が光を放射する点の反対です。

図14

 光を放射する点の正反対とは、単にニュートラルな闇が無限に広がる空間ではなく、あらゆる方向から闇をあふれ出させる無限の空間です。闇の源泉と光の源泉が対極をなしているのです。私たちは、無限のなかに姿を消す直線が別の側から同じ点へと戻ってくることを知っています。同様に、点がすべての方向へと光を放射するとき、この光は無限からその逆のもの、つまり闇として戻ってくるのです。

 さて、その反対の場合を考察してみましょう。闇の源泉としての点を考えてみますと、その逆とは、すべての方向から明るさを中へと放射する空間です。[前回の講義において説明したように、線上を動く点は無限のなかに消えてしまうのではなく、別の側から再び戻ってきます(図15)。

図15

  同様に、点は、拡張するか、あるいは外へと放射するとき、無限のなかに消え去るのではなく、無限から球として戻ってくるのです。 球は点の逆です。空間は点のなかに生きています。点は空間の逆なのです。

 立方体の逆とは何でしょうか? この立方体によって規定された部分を差し引いた無限の空間全体にほかなりません。ですから、全体としての立方体は無限の空間にその逆を加えたものとして表象しなければなりません。世界をダイナミックな力の意味で表象しようとするならば、極性なしではうまくいきません。そのようにしてはじめて物をその本来の生においてとらえたといえるのです。

 神秘学者が赤い立方体を表象するとき、その他の 空間は緑になります。というのも、赤は緑の補色だからです。神秘学者は単純な自己完結した表象だけをもつのではありません。彼らの表象とは抽象的で死んだ表象というよりは生きた表象なのです。私たちの表象は死んだものですが、世界の事物は生きたものです。私たちが抽象的な表象のなかに生きるとき、私たちは物自体のなかに生きていません。私たちが光を放射する星を表象するときには、その反対、つまり無限の空間を、対応する補色において、表象しなければなりません。こうした訓練を行えば、思考が鍛えられ、諸次元を表象するための自信が得られます。

 正方形は2次元の空間領域ですね。ふたつの小さな赤い正方形とふたつの青い正方形からなる正方形は異なる方向に異なって光を放っている面です(図16)。異なる方向に光を放つ能力は3次元的な能力です。ですから、ここには長さ、幅、そして放射能力という3つの次元があります。

図16

 ここで面に関して行ったことは立方体に関しても行うことができます。上記の正方形が4つの小正方形から構成されていたように、立方体が8つの小立方体から構成されていると考えてください(図17)。立方体はさしあたり高さ、幅、奥行きという3つの次元を有しています。それらに加えて、それぞれの小立方体の部分の内部に、ある一定の光を放射する能力を区別しなければなりません。その結果、高さ、幅、奥行きに加えて、さらなる次元、放射能力が生じます。

図17

 4つの小正方形の部分からなる正方形を組合わせて、8つの異なる小立方体の部分からなる立方体を考えてみてください。そして、立方体ではなく第4の次元をもった物体を考えてみてください。私たちはこの物体を放射能力を通して理解することができるようになります。8つの小立方体の部分の それぞれが異なる放射能力をもっているとします。そして、単に一つの側に向かってだけ放射能力のある立方体があるとしますと、すべての側に向かって光を放つ立方体を得るためには、すべての側に向かって光を放つもうひとつの立方体をつけ加える必要が、つまり、その反対の立方体をもってそれを2倍にする必要があります。私はそれを16の立方体から構成しなければなりません。(原註2)

 次回は、より高次の次元空間をいかに表象するかについて学ぶことにしましょう。

 

(原註1より)

 チャールズ・ハワード・ヒントン(1853−1907)、数学者で作家。

(原註2)

 このアナロジーの考察で意図されていることは簡単には再構成できません。ヒントンにおいては、いずれにせよこの思考過程にあたるところを見つけることはできませんでした。同様に、ヒントンはなるほど第2の次元から第3の次元への移行やとりわけ第3の次元から第4の次元への移行を実例を挙げて説明するために色彩を使っているのですが、まったく別の仕方なのです。このことに関する彼の考察は、特にここに印刷されているシュタイナーの1905年5月24日の講義で報告されています。(訳註/本書の第4講を指しています。)

 この箇所で述べられている考察の幾何学的な基礎は以下の通り。

 「中心で分けられた線分は、両方の線分の部分で2つの正方形がそれぞれ接するように、正方形へと補完することができます。そこから、4つの小さな正方形に分割された大きな正方形が生じます(図16)。4つの正方形の部分で2つの立方体がそれぞれ互いに接するようにすることで、そこから8つの小さな立方体に分割された立方体を作ることができます(図17 )。それに対応した4次元構造である4次元の立方体は、3次元の立方体8つの立方体の部分が2つの4次元の立方体ごとに共通の「境界空間」として把握されるときに生じます。それによって4次元の立方体は、16の立方体の部分に分割されます。

(第2講・了)


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