「四次元」

数学と現実

多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答

GA324a

Rudolf Steiner:Die Vierte Dimension 

佐々木義之訳 

 

四次元空間


1905年11月7日、ベルリン

 私たちの通常の空間は三つの次元−長さ、幅、高さ−を有しています。直線は一つの次元、長さだけを有しています。この黒板は平面ですが、それは二つの次元、長さと幅を有している、ということです。立体は三つの次元を含んでいます。三次元図形はどのようにして生じるでしょうか?

 全く次元をもたない図形、つまり、点を想像して下さい。それはゼロ次元を有しています。点が一定の方向に動くとき、結果として直線あるいは一次元図形が生じます。さて、その直線が動いているのを思い描いて下さい。それによって生じるのは長さと幅をもつ平面です。そして、最後に、動く平面が描くのは三次元図形です。しかし、私たちはこのプロセスを続行するわけにはいきません。私たちは動きを用いて三次元図形から四次元図形、あるいは第四の次元を創り出すことはできないのです。第四の次元についての概念を発達させるために、どのようにイメージを用いることができるでしょうか?ある数学者や科学者、例えば、ツェルナーは、精神世界が四次元空間中に存在すると仮定することによって、その世界を感覚で知覚可能な世界との調和へともたらしたい、という誘惑を感じていました。

 平面上に横たわる完全に閉じた図形である円を想像して下さい。誰かが私たちに硬貨を円の外側から内側に動かすようにと言ったとしましょう。私たちは円周を横切るか(図46)、あるいは−もし、円周に触れることが許されないとすれば−硬貨を空中に持ち上げ、それを円の内部に置くしかありませんが、そのためには第二の次元を離れ、第三の次元に入ることが要求されます。硬貨を魔術のように立方体や球のなかに動かすためには、私たちは第三の次元を離れ、第四の次元に移行しなければなりません。今回の人生において、私が最初に空間の性質を把握し始めたのは、現代の合成的投影幾何学を学び始めるとともに、円を直線に変形させることの重要性を理解したときです(図47)。世界は魂の最も繊細な思考のなかに現れます。

図46

図47
 

 さて、円を想像してみましょう。私たちはその円周をずっと辿っていきますと、最初に出発した点に戻ることができます。その円がどんどん大きくなっていく一方、接線は変化しない、と思い描いてみましょう。その円はますます平らになっていますから、それは最終的には直線になるでしょう。これらの段階的に大きくなる円を辿るときには、私はいつでも一方の側から降りて行き、出発点にもどるまで反対側を上がって来ることになります。最終的には、私は無限に辿り着くまで一方向に−右としましょうか−動いて行くことになります。こうして、私が無限からもどってくるのは反対側、左からでなければなりませんが、それは直線のなかに連なる点が円のように振る舞うからです。ですから、空間には端がありません。それは、直線の点が閉じた円の点とちょうど同じように配置されているために、正に直線には端がないのと同じです。同様に、私たちは、無限の広がりをもつ空間は、球の表面のように、自己充足していると想像しなければなりません。私たちは今、無限の空間を円あるいは球の意味で記述しました。この概念は私たちが空間の現実を考えてみる上での助けとなるでしょう。

 私たちが考えもなしに無限に向かって進み、反対側から何も変わらずにもどってくる、と想像する代わりに、光を運んでいると想像してみましょう。直線上の一定の地点から見たとき、この光は、私たちがそれを遠くへ運ぶほどますます弱くなり、私たちがそれをもって無限から戻ってくるときには、ますます強くなります。そのとき、もし、私たちが光の強さの変化を正負の変化として思い描くならば、光が強くなる一方の側は正であり、他方は負となります。正に相対する空間の効果であるところのこれらふたつの極は、大自然におけるあらゆる影響のなかに見いだされます。この考えは、力を有しているものとしての空間概念、つまり、空間のなかで作用する力は力そのものが現れたものに過ぎない、という考えへと導きます。私たちは三次元空間のなかで、内側から働く力を発見する可能性を疑うことはもはやないでしょう。そして、すべての空間的な現象は空間における実際の関係に基づいている、ということに気づくでしょう。

 そのような関係の一つは、二つの次元のねじれです。二つの閉じた輪をつなぎ合わせるためには、そのうちの一つを開いてもうひとつに差し込まなければなりません。さて、私は空間本来の多様性を確かめるために、長方形の細長い紙でできたこの図形を二回ねじります。つまり、片方の端を固定して、もう片方を360°回転させます。そして、その帯をピンで留めながら両端をくっつけます。このねじった輪を長さ方向に半分に切りますと、結果としてつなぎ合わさった二つの輪が得られます。それらの輪はどちらかひとつを破ることなしには、分離させることができません。単に帯をねじることによって、そうでなければ四次元に入ることによってのみ実行することができる操作を三次元のなかで行うことができるようになりました。これは単なる遊びではなく、宇宙的な現実です。ここに太陽があり、太陽をまわる地球の軌道と、地球をまわる月の軌道があります(図48)。地球は太陽のまわりを動いていますから、月と地球の軌道は、ちょうど(私たちの紙でできた二つの輪のように)ねじれているのです。地球進化の過程で、月は地球から離れていきました。この分離は、私たちの二つの紙の輪がつなぎ合わさったのと同じ仕方で生じました。空間をこのようにして見ますと、それは本来的に生きたものとなります。

図48

 次に、正方形を考えて下さい。それが空間中を移動して立方体が描かれると想像しましょう。正方形の動きはそれが最初にあった位置に対して垂直でなければなりません。立方体はその面を構成する六つの正方形からできています。立方体の外観を示すために、私はその六つの正方形を平面上に並べて置くことができます(図49)。私はこれらの正方形を上方に折り曲げることによって、つまり、それらを三次元に移行させることによって、立方体を再構築することができます。六番目の正方形がトップにきます。この十字架状の図形を形成するために、私は立方体を二次元のなかに崩し込みました。三次元図形は広げると二次元図形に変わるのです。

図49

 お分かりのように、立方体の境界は正方形です。三次元の立方体はいつでも二次元の正方形によって境界づけられるのです。一つの正方形を見てみましょう。それは二次元であり、四つの一次元線分で境界づけられています。私はこれら四つの線分を単一の次元のなかに広げることができます(図50)。正方形がもつ次元のうちのひとつを規定する辺を赤い実線で、もうひとつの次元を青い破線で表します。長さと幅の代わりに、赤と青の次元について語ることができます。

図50

 六つの正方形から立方体を再構築することができます。つまり、私は四という数字(正方形の辺を構成する線分の数)を越えて、六という数字(立方体の側面を構成する平面の数)に至ります。このプロセスをさらに一歩進めて、私は六から八(四次元図形の「側面」を構成する立方体の数)へと移行します。私は八つの立方体を配置して、二次元平面においては、六つの正方形から構成されていた先ほどの図形の三次元における対応物を形成します(図51)。

図51

 さて、この図形の裏表をひっくり返して、折り畳むことができる、八つの立方体を図形全体のなかに閉じこめることができる、と想像して下さい。四次元空間のなかにある四次元図形を創り出すために、私は八つの立方体を用います。ヒントンはこの図形をテサラクトと呼びました。その境界は、ちょうど通常の立方体が六つの正方形から構成されるように、八つの立方体から構成されます。このように、四次元テサラクトは八つの三次元立方体によって境界づけられます。

 二次元のなかでのみ見ることができる存在を思い描いて下さい。この存在が立方体から展開された六つの正方形を見るときには、正方形1、2、3、4、そして6だけを見るのであって、決して中央の影をつけられた正方形5を見ることはありません(図52)。あなた方自身が展開された四次元物体を見るときも同様です。あなた方は三次元物体だけを見ることができるわけですから、中央の隠された立方体を見ることは決してできません。

図52

 立方体を正六角形の輪郭が現れるように、このように黒板に描くとしましょう。その他の部分は後ろに隠されています。あなた方が見ているのは一種の影の像、二次元空間への三次元立方体の投影です(図53)。立方体の二次元的な影の像は、ひし形、あるいは等辺の平行四辺形から構成されます。もし、立方体が針金でできていると想像するならば、後ろにあるひし形も見えるでしょう。この投影図は六つのオーバーラップしたひし形を示しています。このようにして、立方体全体を二次元空間のなかに投影することができるのです。

図53

 さて、四次元空間のなかにある私たちのテサラクトを想像してみましょう。その図形を三次元空間中に投影すると、四つの相互に貫入しない斜めの立方体(平行六面体)が得られるはずです。これらの平行六面体のうちの一つはこのように描かれるでしょう(図54)。

図54

 しかし、八つの平行六面体は、四次元空間中における四次元テサラクトの完全な三次元投影像を得るためには、相互に貫入しなければなりません。私たちは、八つの適切な仕方で相互に貫入した平行六面体の助けを借りて、テサラクトの完全な三次元的な影を描くことができます。結果として得られる空間図形は四つの対角線をもつひし形十二面体です(図55)。立方体のひし形投影像においては、三つの隣接するひし形が他の三つと合致するために、立方体の六つの面のうち三つだけを見ることができます。同様に、テサラクトのひし形十二面体投影像においては、四つの相互に貫入しないひし形立方体だけを、テサラクトの八つある境界立方体の投影として、見ることができるのですが、それは、四つの隣接するひし形立方体が残りの四つを完全にカバーしてしまうからです。

図55

 こうして、テサラクトの三次元的な影を構築することができるのですが、それは四次元物体そのものではありません。同様に、私たち自身も四次元存在の影なのです。私たちが物理平面からアストラル平面に移行するとき、メンタル像を形成する能力が涵養されなければなりません。二次元存在が三次元的な影の像をいきいきとイメージするように繰り返し試みていると思い描いて下さい。三次元の四次元に対する関係を心的に構築することは、数学的な四次元空間ではなく、現実の四次元空間をのぞき見ることを可能にする内的な力を発達させることになります。

 もし、私たちが、より高次の世界において、私たちに見ることを可能にする能力を発達させていなかったならば、私たちはいつもそのより高次の世界、つまり通常の意識の世界のなかで無力なままに留まるでしょう。私たちが物理的な感覚知覚の世界において見るために用いる目は、私たちがまだ子宮のなかにいるときに発達するのです。同様に、見ることができる者としてより高次の世界に生まれることができるためには、私たちは、まだ地球という子宮のなかにいる間に、超感覚的な器官を発達させなければならないのです。物理的な目の子宮のなかでの発達は、このプロセスに光を当てるひとつの例です。

 立方体は、長さ、幅、そして高さという次元を用いて構築されなければなりません。テサラクトは、同じ次元に第四の次元を加えた次元を用いて構築されなければなりません。植物は生長しますから、三次元空間から抜け出します。時間の中に生きるいかなる存在も三つの通常の次元から自らを解き放ちます。時間が第四の次元なのです。それは三次元という通常の空間の内部では不可視のままに留まり、ただ超感覚的な力によってのみ知覚することができます。動く点が線を創り出し、動く線が平面を創り出し、動く平面が三次元図形を創り出します。三次元空間が動くとき、結果として生じるのは成長であり、発達です。そこにあるのは、動き、成長、そして発達として三次元空間に投影された四次元空間、もしくは時間です。

 あなた方は、三つの通常の次元を積み上げるに当たっての私たちの幾何学的な思考が現実の生活へと継続しているのを見いだすでしょう。時間は三つの次元に対して垂直であり、第四の次元を構成しています。それは成長します。時間が、存在するものの内部で、生きたものになるとき、知覚能力が生じます。時間が存在の内部で内的に乗ぜられ、自ら動き出すようになるとき、結果として生じるのは感覚を有する動物存在です。実際に、そのような存在は五つの次元を有しているのですが、他方、人間が有している次元は六つです。私たちは、エーテル領域(アストラル平面)においては四つ、アストラル領域(下位のデヴァカン)においては五つ、そして、上位のデヴァカンにおいては六つの次元を有しているのです。こうして、精神の多様な顕現があなた方のなかに見られることになります。デヴァカンがその影をアストラル空間のなかに投げかけるとき、結果として生じるのは私たちのアストラル体です。アストラル領域がその影をエーテル空間に投げかけるとき、結果として生じるのはエーテル体、等々です。

 時間がひとつの方向に動くとき、自然界は死滅し、別の方向に動くとき、それは生き返ります。これらの流れが出会う二つの点が誕生と死なのです。未来は絶えず私たちに出会うためにやってきます。生が一方向にだけ動いているものであったならば、何も新しいことは生じなかったでしょう。人間は天才−つまり、彼らに向かって流れてくる彼らの未来、彼らの直感(インテュイション)−をも有しています。働きかけを受けた過去は反対側からやってくる流れですが、それはその存在を、その時点までに進化してきたようなものとして決定づけます。 

(了) 


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