ルドルフ・シュタイナー

神秘学の記号と象徴

そのアストラル界と霊界との関係

第二講

  シュトゥットガルト 1907年 9月14日 

建築物と形式(フォルム)の人間に及ぼす作用。秘儀参入者の創造としてのゴシック建築。それは現代の人間の周囲の形式世界とは逆。アトランティスから後アトランティスへと移る人間の形態の改造とノアの箱舟の寸法比。地・存在としての蛇、水・存在としての魚、空気・存在としての蝶、熱・存在としての蜂の象徴。


 昨日はノアの箱舟に言及したところで止まりましたが、この箱舟の高さ、幅、長さの比率の中に、人体の寸法の比が表現されているということがわかりました。聖書という宗教的古文献のこの箱舟がどういう意味を持つかを洞察するためには、このとおりに考察せねばなりません。私たちは単に人間を救出しようという乗り物が人体の寸法を思い起こさせる一定の寸法を取るということがどういう意味なのかを明らかにするのみでなく、あの人類進化の時代、ノアの物語に暗示されている実際の出来事が起こった時代へと沈潜することが必要でしょう。

 神秘学(オカルティズム)についていくばくか理解した人々が、外界に何か対象物を見いだした時、それはいつも人間の魂にとってまったく特定の目的、まったく特定の意味がありました。ゴシックの教会と大聖堂を、中世初期に成立し西部から中央ヨーロッパに向けて広がったまったく独自のこの建築物を思い出してみてください。ゴシック教会は確固たる建築様式を持ちます。−−二つの、上に向かって先の尖った部分からなる独自のアーチが、全体に上方を切望する気分としてあふれていること、支柱が一定の形態をとっていることなどの点で表される様式です。このようなゴシック大聖堂が、単なる外的な必要性から、例えばあれやこれやのことを表現したり意味したりすべき神の家をつくろうというある種の憧れから出てきたものだ主張しようとする人はまったく誤っています。まったく違うのです。ゴシック様式の基礎になっているのは、もっとずっと深い何かなのです。ゴシック建築物のために世界に最初の理念を提示したのは、神秘学に精通した人々でした。彼らはある程度の秘儀参入者だったのです。

 人類のこの偉大な指導者たちは、このような建築物、建築様式を生じさせることに、まったく特定の意図を結びつけていました。ゴシック様式、ゴシック式大聖堂と教会に足を踏み入れる人には、まったく特定の魂の印象が呼び起こされます。そびえ立つ支柱群を備えに高く湾曲したドームの中では、まるで一種の苑(もり)に踏み込んだような印象です。そこにとどまることは、魂に対して、例えばあなた方が普通の家屋やルネサンス式丸屋根やロマネスク様式の丸屋根を備えた建築物の中に入っていく時とは、まったく違った作用を及ぼします。形式からまったく特定の作用が生じてくるのです。通常の人間にはこのことは意識されず、これらすべては無意識のうちに彼の意識下に生きます。このような形式に囲まれている時、自分の魂に起こっていることを人間はあまり理解してはおりません。その時起こることは、その周囲の状況に応じて非常に異なります。人々の多くは、現代の唯物主義はこんなにも多くの唯物主義的著作が読まれていることに由来するのだと信じています。しかし神秘学者はその影響はそれほどではないということを知っています。目で見ているものの方がはるかに重要なのです。目で見ることの影響は、多かれ少なかれ無意識裡に進行する魂の経過に及ぶからです。これには、きわめて実際的な意味があります。いつか精神科学が真に魂を把握するとき、この実際的な作用が公共の生活においても目につくようになってくるでしょう。既にしばしば指摘してきたことですが、中世において通りを歩くとき、今日とはまったく違ったものがありました。左右のどの正面(ファサード)にも、その家を作り上げた人の銘が刻まれていました。どの対象物も、人々の周囲にあるものは皆、どの戸錠も、鍵も、その製作者の魂が自らの感情を体現させた何かから作り上げられていました。ひとりひとりの細工者がいかにどの部分に対しても喜びを感じていたか、いかにその中に自分の魂を注いでいたかをはっきり感じとってください。どんな物の中にも、作者の魂の一部が存ったのです。従って、外的な形式の中に魂が存る所では、それを見、観察する人にも、魂の力がみなぎりました。今日の都市と比べてみてください。今日、事物のうちにまだ魂は存るのでしょうか。靴の店、刃物の店、肉屋の店、それにビアホール等があります。あのポスター芸術のみをとっても、これらはどんな成果を生むでしょうか。ぞっとするようなポスター芸術!老いも若きも、このようなおぞましい制作物、意識下の最悪の力を呼び起こす制作物の海の中をさまよっているのです。神秘学的教育術は、目で見るものが人間の奥深く影響を及ぼすということに注意を喚起するでしょう。それに、現代の風刺雑誌をご覧下さい。いったい何が掲載されていることか。何ら批判たろうとはせず、単に事実のほのめかしにすぎません。というのも、これらはすべて、人間をある一定の方向に導く力、時代を見定める力の流れを人間の魂の中に注ぎ込んでいるのです。精神科学者は、それは人間がどういう形式の世界に生きているかによるということを知っています。

 中世の半ば頃、ライン河沿いにドイツ神秘主義と呼ばれる注目すべき宗教的運動が発生しました。法外な深まりと内面化が、キリスト教神秘主義の指導的精神たち、マイスター・エックハルト、タウラー、ズーゾー、ロイスブルーク他、「坊さん方(プファッフェン)」と呼ばれた人物たちから発しました。13世紀、14世紀においては、「坊さん(プファッフェ)」という呼称は、今日とは異なり、まだいくらか尊敬の意味合いを持っていました。当時ラインは、「ヨーロッパの偉大なる坊さん横町」と呼ばれていました。それでは、この人間心情の偉大な深まりと内面化、神的な本質的諸力との親密な一体化を求めるこの敬虔な感情はどこで生み出されたのでしょうか。それは尖塔迫持(せりもち)、支柱と円柱群を備えたゴシック大聖堂の中で引き出されてきたものなのです。この聖堂がこれらの魂を引き出したのです。見られたものはそれほど強力に作用するのです。人間が見るもの、人間の周囲からその魂に注ぎ込まれたもの、これが人間のうちでひとつの力になります。この力に従って、人間は−−次の受肉に至るまで−−自分自身を形づくるのです。

 ここでちょっと人間の進化からこのことを図式的に魂の前に引き出してみましょう。建築様式というのものは考え出されたものではなく、ある時代に秘儀参入者たちの偉大な思考から生み出されます。彼らは建築様式を世界へ流入させるわけです。建築物が建てられ、それが人間に作用します。人間の魂はこの形式の中に生きている霊的な力を幾分か自らの内に受け入れます。建築の形式−−たとえばゴシック式−−を見ることによって魂が受け入れたものは、魂の気分の中に現れてきます。高みを見上げる情熱的な魂として…。数世紀前に人々はゴシック式の中に生きていたものを自らの内に受け入れました。そして今度は、これらの人々、この建築の形式の力を魂の中に受け入れた人々の数世紀後を追求してみると、彼らは今やその次の受肉において、その人相や顔貌に、この内的な心情の顕現を示しているのです。人間の魂が顔を作り上げたのです。それでこのような芸術がなぜ用いられるのかがわかります。人類の未来のずっとずっと先まで、秘儀参入者たちは見ているのです。そのため彼らはある特定の時代に、外的な芸術形式、広くは外的な建築様式を形成します。このように、人間の魂の中に、未来の人類の時代のための胚珠が蒔かれるのです。

 このことを正しく目の前に置いてみると、アトランティス時代末期に起こったことも理解できるでしょう。もう一度、アトランティスの最期、没落が起こった時代に目を転じてみましょう。この時代にはまだ今日のような空気というものはありませんでした。。空気の分布も水の分布もまだまったく異なっていました。濃い霧がアトランティスを取り巻いていました。霧が雲に凝縮し、流れ落ちる雨となって大洪水が陸地にあふれました。このアトランティスの沈没は、徐々に段階的であったと表象せねばなりません。短期間のうちに起こったのではなく、何千年も続くひとつの経過(プロセス)だったのです。外的な生活状況の変化にともなって人間そのものも変わりました。それ以前、人々は一種の霊視により知覚していました。それから雨が降り始めたとき、人々はしだいしだいにまったく新しい生活の仕方、新たな見方、新しい種類の知覚に慣れなければなりませんでした。人間の肉体も変化を免れませんでした。アトランティスの人々が今日の人間とどれほど異なっていたか、はっきりと見ることにでもなれば、皆さんは驚かれるでしょう。けれども、こうした変化がひとりでに起こったとは考えないでください。感覚器官を備えた人間の身体は、少しずつ形成されてきたのです。人間の魂の力が長期間に渡ってこの人間の身体に働きかけ、先ほど簡単な例でお話したような仕方で作用しなければなりませんでした。まず人間は、建築様式を見ます。それが彼の心情に作用し、さらにまたこの心情が後世において、人間の顔相、顔貌に作用するわけです。

 アトランティス時代から後アトランティス時代に移行する時期になって初めて、人間の魂は自らの形を変え、それに続いて肉体も作り変えられました。もう少し深く入り込んでみましょう。正真正銘の古代アトランティス人を表象してみましょう。彼はまだ霊視的意識を有していました。このことは、生活している環境、霧に満たされた大気と関わりがありました。この環境では、事物は明確な輪郭をもって境界づけられてはいませんでした。それらはむしろ彼の前に浮かび上がってくる色彩像、色彩の波浪といったもので、入り乱れてうねりつつ、人々の魂の状態を彼に示していたのです。自分に近づいてくる対象物の代わりに、アトランティス人はひとつの光の形(フォルム)を知覚していました。青は愛、赤は熱情、怒りなどという具合に。彼を取り巻いて、あらゆる人間の魂の力が広がっていました。もしこういう状態がずっと続いていたとしたら、人間は決して現在の肉体を獲得できなかったでしょう。空気が水から解放され、対象がますます明るくはっきりと現れてきて、現在のような境界をなすようになったとき、人間の魂が新たな印象を受け取らねばならない時期が到来したのです。そしてこの印象に従って、魂は自らの肉体を形成しました。というのも、あなた方が考えたり感じたりするものに従って、あなた方は自らの肉体を形成するからです。さて、人間の魂は、アトランティスの水の風土から救い出されて新たな空気の風土に移行したとき、肉体を今日の形に作り上げるために何を体験せねばならなかったのでしょうか。人間の魂は、後に形成されるべき肉体に合った特定の長さ、幅、深さを備えているようなひとつの形(フォルム)に囲まれていなければなりませんでした。この形は、聖書がノアの箱舟と名づけたものによって実際に彼に与えられたのです。神秘主義の気分がゴシック式大聖堂の形から形成され、その形に従ってどんな顔貌が形成されたかを霊視者なら確認できるように、古代アトランティス人の肉体は徐々に形成し直されました。なぜなら人々は、偉大な秘儀参入者の影響の下に聖書がノアの箱舟を記述している寸法に従って建造された事物の中で、実際に生活していたからです。古代アトランティス時代の生活は、一種の水−海上生活でした。人々の大部分は水上の舟で生活していて、しだいに陸上での生活に慣れていったのです。というのも、古代アトランティスは単に水を含んだ霧の大気に囲まれていたのみならず、アトランティスの大部分は海に覆われていたからです。人々は肉体を今日のようなものに作り上げることができるように、このような舟の内部で生活していたのです。これがノアの箱舟の秘密です。聖書から再び神秘学的な深い意味を読み取ることに通暁すれば、この古文献には、叡智と限りない崇高さの輝きがあふれるのです。人々は、自分の皮膚のなかに閉じこめられているという印象を得なければならなかったので、舟上で生活しました。このように秘儀参入者たちは、何千年にもわたって人間の育成に作用を及ぼしました。宗教的古文献においてみなさんが出会うものは、まさしく深く秘された真実から取り出されたものなのです。

 また別の形象が聖書の第一章に見いだせます。今世紀の蛇の形象です。ローマの地下納骨堂(カタコムブ)ではさまざまな魚の徴(しるし)が見られます。この魚は古来、常に繰り返し図像として、キリスト教的なものないしキリスト自身を意味するとされています。誰かがこうした形象について思索を深めようとすると、おそらく多分に才気煥発なところが発揮されるでしょうが、それは単なる思弁にすぎません。私たちは単に真実と関わりを持とうとしているのです。これらの図像もまた霊的世界から与えられたのです。皆さんが人類進化の歴史において数分間私に従ってくださるなら、これらの蛇と魚の象徴にどんな真実が含まれているかおわかりになるでしょう。

 今一度、地球は人間と同じくさまざまな受肉を経てきたということを思い出してください。ご存知のように、この地球は地球となる前には土星、太陽、月でした。人間の肉体はさまざまな惑星状態においてすでに存在していたのですが、自我は地球上ではじめて人間に受け入れられました。さて、この地球がまだ最初の受肉状態、つまりまだ土星であったとき、どのように見えたか観照してみることにしましょう。当時はまだ岩石や表土のようなものは存在しておりませんでした。人間の物質的肉体は存在してはおりましたが、非常に精妙なものでした。それが徐々に濃密になって、ようやく現在の筋肉の形態となったのです。

 今日の私たちの周囲の物質を観察してみると、個体、液体、気体といった異なった状態があることがわかります。神秘学ではすべての個体状物体が「土」と呼ばれ、「水」と称してすべての液体状の物質、「空気」ですべての気体状、ガス状のものが理解されます。「火」すなわち「熱」はこれらの状態より精妙です。今日の物理学者はむろんこのことを認めないでしょうが、神秘学者はこの「火」が実際、土、水、空気と比較されるものであり、ただこの三つよりももっと精妙な状態であるということを知っています。皆さんが熱を感じとるところでは、空気よりももっと精妙な何かが存在しているのです。私たちが神秘学的な意味で、土、水、空気とみなすものに関しては、土星上には何もありませんでした。これらの固定した有形の状態は、太陽、月、地球となってようやく成立したのです。土星上で最も濃密な状態は、熱あるいは「火」でした。この中に人間の体が生き、土星を取り巻く環−−つまり土星はどれも環を有するわけです−−、これは本来反射された火の鏡像、火の分泌なのです。このことを更に詳しく述べていると、本日のテーマから遠ざかることになってしまいます。

 さて、土星から太陽へと移りましょう。ここで火に空気が加わります。太陽上で最も濃密な状態は空気でした。これは一種の空気太陽だったのです。太陽上で人間は空気存在であり、その時にエーテル体が注入されました。空気存在の他には何もありませんでした。これらの空気人間は空気のように「透過できる」存在でしたから、彼らを突き抜けていくことができたでしょう。空気人間たちは蜃気楼と比較することができるでしょう。それほど彼らは軽くふわふわしていたのです。むろん、古い太陽上の空気は今日より濃密でした。古い月上でようやく水の状態が生じ、この月上で生きるものはすべて水の凝縮によって形成されました。今日でも見ることのできるクラゲや軟体動物がこうした水−存在についての表象を与えてくれます。当時の物質的肉体はすべてこのような性質のもので、この種の肉体のみがアストラル体を自らの内に受け取ることができたのです。進化はだんだんと先へ続いていきました。このように物事は、つまり人間と地球は関わり合っているのです。人間は自らの惑星に属しているのですから。さて今度は、この惑星進化の意味を考察してみましょう。土星上には物質体の萌芽・原基がはじめて存在しました。太陽でエーテル体が付加され、月ではアストラル体が付加されました。月上ではしかしさらに別のことも起こりました。古い月が二つの天体、すなわち一種の精妙になった古い太陽と本来の古い月という二つに分離したのです。当時、古い月上にとどまっていた人間は、基本的に今日の人間よりずっと劣った存在で、その進化段階はずっと低次のものでした。というのも、アストラル体は古い月上では荒れ狂う激情にあふれていたからです。ずっと後になって自我が付加されてからようやくアストラル体の浄化が始まりました。

 そのためにはさらなる進化が必要でした。つまり、月が再び太陽と合体し、古い月と太陽という二つの天体が再びひとつにならねばなりませんでした。[筆記に欠落]分離した太陽上に生きていた高次の存在たちは、彼ら自身の進化を続けることができるためには、月から離れねばなりませんでした。けれども今度は、この月上に残された存在、そこでさらに固化してしまった存在を救済せねばならなくなり、それで太陽は再び月と一体化せねばなりませんでした。

 さて、ひとつ問いを出してみましょう。もし太陽と月とが再びひとつにならなかったとしたら、両者が別々に進化を続けていたとしたら、どんなことが起こっていたでしょうか。その時は、人間は決して今日のような形態を保つことができなかったことでしょう。古い月が自らの道を単独で進んでいったとしたら、つまり、太陽との合一によって新たなる力を創造することができなかったとしたら、月が生み出すことができたであろう最高の存在は、おそらく今日の蛇のようなものであったでしょう。それに対して、太陽存在は−−彼らが単独のままだったとすれば−最高のものとして魚の形態に到達することができたでしょう。魚の形態は、人間よりずっと高度に進化した存在たちの外的な現れなのです。魚の集合魂は、実際今日でもとても高度なものです。外的な形態は魂とはまったく別のものなのです。それでは古い月の存在たちを蛇よりも高める力はどこからやってきたのでしょうか。この力は、太陽の存在たちから彼らのもとへやってきました。この高次の存在たちの太陽状態の清澄さが魚の形態の中に表現されています。それは古い太陽存在たちが獲得できる最高の物質的形態であるからです。

 それで太陽の力のすべてを地球に受け付けた太陽の英雄、キリストは、魚の徴(しるし)によって象徴されるわけです。どんな深い直観をもって秘教的キリスト教が魚の形態の意味をとらえたか、今や皆さんにはご理解いただけると思います。魚の形態は秘教的キリスト教にとって、太陽の力、キリストの力の外的な表徴なのです。なるほど魚は外的には不完全な存在ですが、魚はそれほど深く物質の中に入り込んでいないので、利己主義に満たされることが少なくてすむのです。

 神秘学者にとって蛇は、古い月から進化した地球の象徴です。一方、魚は古い太陽の霊存在たちの象徴です。固体的実質を備えた私たちの地球は、蛇の中にそのもっとも深い存在、地球存在を象徴化しました。水の実質として分離されたものは、魚の中に象徴として示されています。神秘学者にとって魚は水から生まれたもののように思われます。さて、それでは空気から生まれたもの、火から生まれたものとは何でしょうか。これは追求していくのが困難な分野です。ここではいくつか暗示的なことをお話するだけにとどめておきます。

 地球がまさに土星状態から太陽状態へと進化して移行した当時は、どのように見えたのでしょうか?人間は一種の空気人間でした。今日の意味での死というものを人間はまだ知りませんでした。人間は自らを変態させていたのです。人間がどのようにして今日のような死についての意識に行き着いたのか、ちょっと図を描いてはっきりさせてみましょう。地球が土星状態から太陽状態へと進化していった時、人間の魂はまだ太陽を取り巻いている気圏内で生きていたのですが、下方に肉体として存在していたものと関わりを持っていました。今日において、夜眠っている間、アストラル体は物質体から抜け出てはいても、物質体に属しているように、古い太陽と古い太陽上においても、アストラル体はそのような状態でした。ただ、当時においては魂は決して物質体の中に入り込むことはありませんでした。霊的な意識をもったひとつの魂がなるほど特定の肉体にすでに属してはいましたが、外から肉体を管理していたのです。それはこのように表象せなばなりません。

 魂は<外的なもの>だったのです。この肉体はまだ死の法則に属してはいませんでした。成長と死滅は今日の場合とは違う形で起こっていました。肉体がある部分を失うと、新しい部分が再生されたのです。今日たとえば空腹と食物が関わっているように、物質体の崩壊と再生とのこのような関係が生じました。長期にわたって魂が生き続ける一方で、肉体は変化していきました。当時は、いかなる死もありませんでした。こうして太陽状態のある時点から、人間の魂がある特定の肉体をまず形成し、それからその肉体をさらに別のさまざまな形に作り変えていくようになったのです。最初にある一定の形の肉体が形成され、それから魂がこの形を別の形に変化させ、さらに別の形に、それから第四の形に…という具合に続いていき、再び最初の状態に戻りました。人間はその間ずっと同じ意識を保持していました。形は変化を重ね、人間の魂が二つの状態を体験した後に、最初の形に戻った時、魂は新たに受肉したように感じたのでした。このような進化の過程は蝶において保持されているのがおわかりでしょう。蝶は、卵、幼虫、蛹、蝶という形で変態しています。蝶は、古い太陽上での、空気状態の人間を表す象形文字、記号なのです。まったく変化してしまった環境に生きている今日の蝶は、むろんこの太陽状態の衰退した形です。蝶は、人間が乗り越えてきた空気状態の象徴なのです。ですから、蝶は、神秘学においては、空気−存在と呼ばれるのです。同様に、蛇は土−存在、魚は水−存在と呼ばれます。鳥が空気−存在と呼ばれない理由は、後ほどもう一度述べようと思います。

 さて、最初の土星状態まで戻りましょう。この時、人間は霊的−魂的存在であって、総じて同じ肉体を持ち、低次の段階で自らの不死を知り、その肉体を絶えず変化させていました。こういう状態も、ある存在の中になおも保持されています。その共同生活は非常に独特で、これを集合魂とみなしますと、ある意味で人間よりずっと高次の存在といえます。つまり、蜂のことです。蜂の巣全体は個々の蜂とは違うとみなされねばなりません。蜂の巣−−個々の蜂ではなく−−は、ひとつの霊的な本性を持っています。これはある意味でかつての土星における低次の段階での人間の本性と一致するのですが、人間は金星状態において、高次の段階で再びこの本性に到達することになりまう。蜂の体は、古い土星段階にとどまったのです。私たちは蜂の巣と個々の蜂とをよく区別しなければなりません。蜂の巣の魂は通常の集合魂ではなく、それ自体特別な存在です。個々の蜂は、形態の中に、人間の肉体が土星で行ったようなことを保管したのです。蜂の巣の霊は、個々の人間の霊よりも高次のもので、今日すでに金星−意識を有しています。蜂は死すべき運命について何も知らない霊人の象徴なのです。この惑星がまだ火のような状態[土星]であった時に有していた霊性に、人間はこの惑星が金星となって再び火のようになる時、高次の段階でもう一度到達するでしょう。それゆ、神秘学では蜂を熱−存在あるいは火−存在と呼ぶのです。

 自然科学があまり多くを語れない平行現象を追求するのは大変興味深いことです。いったい今日の人間は土星状態から自らの中に何を受け継いだのでしょうか。熱です!血液の温かさです。当時土星全体に分布されていたもの、つまり熱が解き放たれ、今日の人間と動物の温血を形成したのです。蜂の巣の温度を調べてみれば、それが人間の血液とほぼ同じ温度であることがおわかりになるでしょう。つまり、蜂の巣の全体が、人間の血液の温度に相応してこれと同じ進化段階に戻るような温度を展開しているのです。そういうわけで、神秘学者は蜂を熱から生まれたもの、熱−存在と呼ぶのです。同様に、蝶を空気から生まれたもの、空気−存在と呼び、魚を水−存在と、蛇を土−存在と呼びます。

 以上のような言及からも神秘学的象徴や記号が表現しょうとするものが、いかに深く惑星と人間の進化史と関わり合っているかおわかりになると思います。


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