ルドルフ・シュタイナー

■GA230■

創造し、造形し、形成する

宇宙言語の協和音としての人間

Der Mensch als Zusammenklang

des schaffenden,bildenden und gestalteden Weltenwortes


翻訳紹介(翻訳者:yucca)


●第4講    1923年10月26日  ドルナハ 

・かつての地球の状態と、現在の地球状態に見られるその名残

・土星ー太陽と月ー地球の区別

・土星ー太陽的なものと昆虫界(特に蝶)との関連性

・昆虫界は太陽作用と共に働きかける火星、木星、土星作用の賜物

・植物界の発生:地球に委ねられた胚と金星、水星、月の作用

・植物は地球に繋ぎとめられた蝶、蝶は宇宙に解き放たれた植物


 私たちは、あるやりかたで、地球状態、宇宙状態、動物界それぞれと人間との連関を考察いたしました。これから数日間はまさにこの考察を先に進めていくことになるでしょう、けれどもきょうのところは、今後私たちの関心事となるにちがいないより広範な領域へのつなぎにしたいと思います。ここでまず最初に示唆しておきたいことは、すでに私の『神秘学概論』のなかで、宇宙における地球の進化は、この地球進化というものを問題にするなら、太古における地球の土星変容[Saturnmetamorphose]を出発点としなければならない、というふうに叙述されていたことです。この土星変容は、そもそもこの太陽系に属しているすべてのものがまだこのなかに含まれている、という状態として思い描くことができます。土星から月に至るこの太陽系の個々の惑星は、当時まだこの古い土星ーーこれはご存じのように熱エーテルからのみ成り立っていますーーにおいては、溶解した宇宙体[Weltenkoerper]なのです。つまり、まだ空気の密度すら獲得しておらず、熱エーテルそのものである土星は、後に独立した形態を取って個々の惑星へと個別化されるすべてのものを、同じくエーテル的に溶解した状態で含んでいるのです。

 次いで私たちは、地球進化の第二の変容として、私がまとめて地球の古い太陽変容と呼んだものを区別します。ここでは、土星の火球から徐々に空気球が、光の流入した、光によって輝ききらめく空気球である太陽が形成されます。

 さらに第三の変容があります、前の状態が繰り返されたのちにここで形成されてくるものは、一方では、当時まだ地球と月とを包含していた太陽的なものであり、さらには、他ならぬ分離された土星をその一部とする外的なものーーこれも『神秘学概論』に書かれているのをご存じですねーーです。

 けれども当時この月変容においては同時に、太陽と、地球と月との連関であるものが、分離するということが起こります。そしてもう何度も記述しましたように、今日私たちが見知っているような自然領域は当時存在しておらず、とくに地球は鉱物塊を含んでいませんでした、地球はーーこういう表現が許されるならーー角質[hornartig]のものだったのです、したがって、固体成分が角質状に溶け合っていて、液体状になった月の塊から角質の岩がいわば突出していたのです。続いて、私たちの今日の地上の状態である状態が、第四の変容のなかで誕生しました。

 さて、私たちがこれら四つの変容を順に描いてみますと、まず最初に土星変容、つまりのちにこの太陽系に含まれるものがすべてまだ溶解していた熱体、(それから)太陽変容、月変容、そして地球変容となります。私たちはこの四つを二つに分けることができます(図示される)。

 ひとつよく考えてみてください、土星の太陽への進化において、まず気体的実質へと前進したものを私たちはどのように扱うでしょう。進化は火球から始まります、火球が変容し、空気球へと凝縮します、この空気球はすでに光に浸透され、光にきらめいているのですが。これで進化の最初の部分が得られます。

 さらに、月がその当初の役割を果たす進化の部分が得られます。と申しますのも、月が果たす役割はまさに、あの角質状の岩石形成物を形成することができるようにすることだからです。月は地球変容の期間に放出されますね、月は衛星となり、内的な地球の力を地球に残していきます。たとえば、重さの力[die Krafte der Schwere]は、物理的な関係において月によって置き去りにされたものに他なりません。月自身は去ってしまいましたが、もしこの古い月の包含物の名残が置いていかれなかったら、地球は重さの力を発達させられないでしょう。月は宇宙空間におけるあのコロニーなのです、これについて私はもうずいぶん前に霊的観点から皆さんにお話しいたしました。月は地球とはまったく異なる実質を有していますが、月は地球に、広義の地磁気[Erdenmagnetismus]と名付けられうるものを残していきました、地球の力、とくに地球の重力[Schwerkraefte]、重量作用とみなされる作用、これらは月が残していったものです。ですから私たちはこう言うことができます、ここに({黒板に描かれた}左の2つの円)土星状態と太陽状態があります、両者をまとめると、根本的に熱の、光に浸透されて輝く変容です。そしてここには(右の2つの円)月状態と地球状態があります、月に担われた液体的変容、液体的なものは月変容の期間に形成され、さらに地球変容の期間にも残ります、そして固体は、まさに重力を通じて出現させられるのです。

 以上二つ(ずつ)の変容は、本来かなりはっきりと区別されます、そして明確に理解しておかなくてはならないことは、かつてあったものはすべて、後のものの内部にも潜んでいる、ということです。古い火球土星であったものは、熱実質としてその後のすべての変容の内部に残りました、私たちが今日地球領域の内部をあちこち移動していたるところでなお熱にぶつかるなら、この私たちがいたるところで見出す熱は、古い土星進化の名残なのです。私たちが空気あるいは単に気体状の物体を見出すいたるところに、古い太陽進化の名残が得られるのです。私たちが太陽に貫かれて輝く大気を見わたすとき、私たちはこの進化の感情に満たされることによって、ほんとうはこう言うべきなのです、この太陽に貫かれて輝く大気のなかに、私たちは古い太陽進化の名残を得ているのだ、と。と申しますのも、この古い太陽進化というものが存在しなかったら、私たちの大気と、今や外部にある太陽光線との親和性は存在しないでしょうから。太陽がかつて地球と結びついていたこと、太陽の光がまだ気体状であった地球の内部で自ら輝きを発していたこと、つまり地球は内部の光を宇宙空間に放射する空気球であったこと、こういうことを通じてのみその後の変容、つまり現在の地球変容が可能となったのです、こうして地球は、大気圏に囲まれ、そのなかに外から太陽光線が差し込んでくるようになりました。とは言えこの太陽光線は、地球の大気圏に深い内的親和性を有しています。この太陽光線はたとえば、今日の物理学者たちが粗雑に語るような、たとえばガス状の大気中を貫いていく小さな射出粒子がそうであるような、そういう光線ではありません、そうではなくこの太陽光線は、大気と深い内的親和性を有しています。そしてこの親和性は、かつて太陽変容の時代共にあったことの残響に他なりません。このように、以前の状態が繰り返し繰り返し多種多様なしかたで後の状態に入り込むことによって、すべては互いに親和関係にあるのです。全般的に見て、皆さんが『神秘学概論』のなかに見出すように、今ここで私が手短かに描き出しましたように地球進化が進行していくうちに、地球上と地球の周囲にあるもの、そして地球内部であるもの、これらすべてが発生してきました。

 そこで私たちは今やこう言うことができます、今日の地球を眺めると、私たちは地球の内部に、固体を生ぜしめるものを、本質的に地磁気のなかに繋ぎ止められた内的な月を持っている、と。内的な月、これは実際固体的なもの全般が存在するように、重さを持つものが存在するように作用するもので、重力とは実に液体的なものから固体的なものを作り出すものなのです。私たちはさらに、本来の地球領域、すなわち液体的なものを持っています、これは多種多様なしかたで再び現われてきます、たとえば地下水として、また、雨となって上昇し下降する、水蒸気状態の水などとして。さらに私たちは周囲に、気体状のものを有しています、古い土星の名残である火的なものに貫かれたすべてのものを有しています。したがって私たちは、今日の地球においても、上方に太陽ー土星あるいは土星ー太陽であるものを指摘せねばならないのです。私たちは常にこう言うことができます、光に浸透されて輝く暖かい空気のなかに存在するものはすべて、土星ー太陽である、と。そして私たちは上方を見上げ、この空気が貫かれているのを見るのです、この空気が、土星作用であるもの、太陽作用であるもの、その後時の経過につれて本来の気圏として、ただし太陽変容の残響である気圏として発達してきたものに貫かれているのを見るのです。これが得られるのは、私たちが眼差しを上に向けるときです(図示される)。

 私たちが眼差しを下へ向けますと、後半の二つの変容の間に生じたものを継承するものがより多く得られます。重さ、固さ、もっと良い言い方をすれば重さを引き起こすもの、固体となっていくものが得られるのです、私たちは液体的なものを得ます、月ー地球が得られるのです。いわば地球という存在のこの二つの部分を私たちは厳密に区別することができるのです。皆さんが『神秘学概論』を今一度こういう観点から通読なさるなら、太陽変容が月変容へと移行する箇所において、まさに表現全体を通じて深い区切りが入れられているのがおわかりになるでしょう。このように今日においてもなお、上にあるものつまり土星的なものと、下にあるものつまり地上的ー月的ー液体的なものとの間には一種の鋭い対照(コントラスト)があります。つまり私たちは、土星ー太陽的ー空気的なものと、月ー地球的ー液体的なものとを完全に区別することができます。一方は上、他方は下です。

 地球進化においては全般的にみて地球に属するものすべてがともに進化したため、こういう事柄を秘儀参入学をもって見通すひとの眼差しがまず最初に向かうのは、昆虫の世界の多様性です。単なる感情であっても、この飛び回りきらめく昆虫界を、上なるものと、土星ー太陽的ー空気的なものとある種関係づけざるを得ない、と考えられるのです。これはまったくそのとおりです。私たちが蝶をじっくりと見るとき、蝶は空中を、光の流入した、光に貫かれて輝く大気のなかを、きらめく色彩をみせて舞い飛びます。蝶は空気の波に運ばれるのです。蝶は本来、月ー地球的ー液体的なものにはほとんど触れません。蝶のエレメントは上にあるものです。本来地球進化とはどのようなものであるかをさらに研究しますと、小さな昆虫の場合はとくに、奇妙なことに地球変容の非常に初期の時代に至ります。今日光に貫かれて輝く大気のなかで蝶の翅としてきらめいているものは、最初は古い土星の時期に元基のなかで自らを形成し、古い太陽の時期にさらに進化しました。今日なお蝶が光ー空気の創造物であることを可能にしているものは、このとき生み出されたのです。太陽が光を放射するという天分は太陽自身に帰せられます。太陽の光が物質のなかに火的なもの、きらめくものを生じさせる天分は、土星ー木星ー火星作用に帰せられます。ですから、蝶の本性を地上に捜し求めるひとは、結局蝶の本性を理解できません。蝶の本性のなかで働いている力を、私たちは上に捜さなければなりません、太陽、木星、土星のもとに探究しなければならないのです。私たちがこの驚くべき蝶の進化のもっと細部に入り込んでいくとーー私はすでに一度ここで、この蝶の進化を人間との関連においていわば記憶の宇宙的体現としてお話ししましたがーー、もっと細部に入り込んでいくと、蝶はまず光にきらめきつつ空気に運ばれて地球の上方を舞い飛ぶ、ということがわかります。蝶は卵を産みます。そう、粗雑な唯物主義の人は、蝶は卵を産む、と言います、なぜなら現在の非科学[Unwissenschaft]の影響下にあっては、そもそももっとも重要な事柄が研究されないからです。問題はこういうことです、蝶は卵を産むとき、いったい誰に卵を委ねるのか、と。

 さて、皆さんが蝶の卵が産みつけられる場所をくまなく研究してごらんになると、蝶の卵は太陽の影響から遠ざけられることがないように産みつけられるということが、いたるところでおわかりになるでしょう。地球への太陽の影響は、単に太陽が地球を直接照らす場合にのみ存在するわけではありません。もう何度も注意を向けていただいたことですが、農民たちは冬の間ジャガイモを地中に置いて土で覆います、なぜなら、夏の間に太陽熱と太陽の光の力としてやってくるものは冬の間は地球の内部にあるからです。地球の表面ではジャガイモは凍りついてしまいます。ジャガイモを穴に埋めてその上に土をかぶせると、冬の間中太陽の作用が地中にあるため、ジャガイモは凍りつかず、ちゃんとした良いジャガイモのままです。冬の間中私たちは夏の太陽の作用を地下に求めなくてはなりません。たとえば私たちが12月にある程度の深さの地下に行くと、12月に7月の太陽の作用が得られるのです。7月には太陽はその光と熱を地表に放射します。熱と光は徐々に深く入り込んでいきます。7月に私たちが地球の表面への太陽の力によって体験するものを12月に捜そうとするなら、私たちは穴を掘らなくてはなりません、すると、7月には地球の表面にあったものが、12月にはある程度深いところに、地下にあるのです。そこではジャガイモが7月の太陽のなかに埋め込まれています。このように、太陽は単に、ひとが粗雑な唯物論的知性でもって捜すところにのみ存在するのではありません、本来太陽は多くの領域に存在するのです。ただ、このことは宇宙における季節によって厳密に統御されています。

 けれども蝶は、卵が何らかのしかたで太陽との関係を保てないようなところには卵を産みません。ですから、蝶が地球領域に卵を産みつける、と言うのは、まずい表現なのです。蝶は断じてそんなことはしません。蝶は太陽領域に卵を産みつけるのです。蝶はまったく地球へは降りてきません。地上的なもののなかに太陽が存在するいたるところに、蝶はその卵を産みつけるための場所を捜します、そのためこの蝶の卵はまったくもって太陽影響下にのみあります。蝶の卵は全く地球の影響下にはないのです。

 次いで、ご存じのように、この蝶の卵から幼虫が這い出してきます。つまり幼虫が出てきて太陽の影響のもとにとどまるのですが、今やその他の影響も共に受けるようになります。まだ他の影響を共に受けないうちは、幼虫は這い出してくることができないでしょう。これは火星の影響です。

 地球を思い浮かべていただいて(図示される)そして火星が地球の回りを回転するとしますと、上のいたるところに火星の流れがあって、しかもとどまり続けます。火星がどこかにある、ということが問題なのではなく、私たちが全火星領域を有しているということ、そして幼虫が這い出していくとき、幼虫は火星領域の意味において這い出していくのだ、ということが重要なのです。それから幼虫はさなぎになり、自らの周囲に繭を作り出します。私たちは繭を得るのです。私は皆さんに、これは幼虫の太陽への献身であること、このとき紡がれる糸は光線の方向に紡がれることをお話しいたしました。幼虫は光にさらされ、光線を追い求め、紡ぎ、暗くなると中断し、また紡ぎます。これはすべて本来、宇宙的な太陽光、物質素材(マテーリエ)に浸透された太陽光なのです。つまり皆さんがたとえば、皆さんの絹の衣服に用いられる蚕の繭を手にされるとき、絹のなかにあるものは、まさしく太陽の光、蚕の物質素材が紡ぎ込まれた太陽光なのです。自身の体から蚕はその実質を太陽光線の方向に紡ぎ込みます、そしてそうすることによって自らの周囲に繭を作り出すのです。けれどもこれが起こるためには、木星作用が必要です。太陽光線は木星作用によって修正されなければならないのです。

 そして、ご存じのとおり、繭から、さなぎから這い出してくるのは、蝶です、そう、光に運ばれ、光に輝く鱗翅類です。蝶は、ちょうどクロムレック(環状列石)に射し込んでくるようにしか光が入ってこない暗い部屋を後にします、このことを私は皆さんに古代のドルイドのクロムレックによってお話しいたしました。このとき太陽は土星の影響下に入ります、そして土星と共にあることによってのみ太陽は、鱗翅類が空中でさまざまな色彩に輝くように光を空気のなかに送り込むことができるのです。

 ですからよろしいですか、私たちが大気中を飛ぶ無数の蝶の群を眺めるとき、その内部には私たちがそれについてこう言わざるを得ない何かがあるのです、これは根本的に地球の産物などではない、これは上から地球へと産み落とされたのだ、と。蝶はその卵を、太陽から地球へやってくるものより下へは決して携えていきません。宇宙は地球に無数の蝶の群を贈ります。土星は蝶に色彩を与えます。太陽は飛翔の力を、光の支える力その他によって引き起こされた飛翔の力を与えます。

 つまり実際のところ私たちは蝶のなかに、小さな存在を、太陽と太陽を越えたこの太陽系であるものによってこの地球上へとまき散らされた小さな存在とでも申し上げたいものを、見なければなりません。蝶、昆虫全般、とんぼ、その他の昆虫たちは、まさしく土星、木星、火星および太陽からの賜物なのです。もし太陽の向こうにある諸惑星が太陽と共に、地球にこの昆虫界という贈り物を与えてくれないとしたら、地球は、たったひとつの昆虫も生み出すことはできないでしょう、蚤一匹たりともです。事実、土星、木星その他は非常に物惜しみしないので、昆虫界を羽ばたき出させることができます、これは地球進化が体験した最初の二つの変容のおかげなのです(図参照)。

 さて今度は、後半の二つの変容、月変容と地球変容がいかに共に作用してきたかを見てみましょう。さて、蝶の卵はまったく地球に委ねられないとはいえ、やはり次のようなことは指摘されなければなりません、つまり、月変容つまり第三の変容が始まった頃、蝶はまだ今日のようなものではなかったということです。地球もこれほど太陽に依存してはいませんでした。太陽はもともと第三の変容の当初は、まだ地球と共にあったのであり、その後になってはじめて分離したのです。したがって蝶もまだ、その胚[Keim]を地球にまったく委ねないほど脆くはありませんでした。蝶はその胚を地球に委ねることで同時に太陽にも委ねていたのです。ここで次のような差異が生じました。この最初の二つの変容においては、昆虫界の遠い祖先について語ることができるのみです。とは言え、宇宙に、外部の惑星や太陽に委ねるということは、当時はまだ地球に委ねるということでした。地球が濃密化し、水を獲得してはじめて、地球が月の磁気的な力を獲得してはじめて、事態は変化し、差異が生じてきたのです。

 

Sonne:太陽 Mars:火星 Jupiter:木星 Saturn:土星 Oben:Waerme=Luft 上:熱=空気

Keim:胚 Raupe:幼虫 Puppe:さなぎ Schmetterling:蝶 Unten:Wasser=Erde 下:水=土

Mercur:水星 Venus:金星 Mond:月

 さてこう考えてみましょう、このすべて、つまり熱ー光は上に属します、今度は下を考えると、水ー地です。地球に委ねられる運命にあった胚を想定してみましょう、一方、別の胚は、引き留められ、地球ではなく地上的なものの内部の太陽にのみ委ねられます。

 さて、第三の変容つまり月変容が起こったときに地球に委ねられた胚を想定してみましょう。よろしいですか、この胚、これは地球作用の影響下、水的な地球ー月作用の影響下に入ります、これは、昆虫の胚が太陽作用の影響下と太陽より上にあるものの影響下にのみ入るのと同様です。そして、これらの胚が地ー水作用の領域に入ったことによって、これらの胚は植物の胚となりました。そして上に残された胚、これらは昆虫の胚のままとどまりました。さらにそれから第三の変容が始まったとき、当時太陽的であったものから月的ー地球的なものへと変化したものを通じて、植物の胚がこうして地球進化の第三変容の内部に発生したのです。今やこの地球外の宇宙の影響のもとに得られたもの、胚から幼虫、さなぎを経て蝶となるこの進化全体を、皆さんは今やこのように追求することができます、種子が地球的になることによって生じてくるのは蝶ではありません、種子が地球的になることによって、ーー今や太陽ではなくーー地球に委ねられることによって生じてくるのは、植物の根、つまり胚から発生する最初のものなのです。そして、幼虫が火星から発する力のなかで這い出してくる代わりに、葉が生えてきます、上に向かって螺旋状の位置に沿って生えていく葉です。葉とは、地球の影響下に入った幼虫なのです。這っている幼虫をよくごらんになると、上において下つまり植物の葉に対応するものが得られます、葉は太陽領域から地球領域に移された種子によって根となったものから変容して生じるのですが、この葉に対応するものが得られるのです。

 皆さんがさらに上昇すると、萼のある位置に向かってますます収縮した、さなぎであるものが得られます。そして最後に、鱗翅類が花の中に発生します、上空の蝶と同様に色とりどりの花のなかにです。円環は閉じます。蝶が卵を産むように、花の中にはまた未来のための種子が発生します。おわかりですね、私たちは上空の蝶を見上げます、私たちは蝶を空中に持ち上げられた植物と理解するのです。卵から鱗翅類(の成虫)に至る蝶は、地球の影響のもとに下で植物であるものと同じものですが、上位惑星とともに太陽の影響下にあるのです。これが葉に達すると(図参照)、地球から月の影響、さらには金星の影響と水星の影響が得られます。それからまた地球の影響にもどります。種子は再び地球の影響なのです。

 さてごらんのように、私たちの前に自然の大いなる秘密を現わす二つの句を置くことができます:

 

      植物を見よ

      植物は地球により

      繋ぎとめられた蝶。

 

      蝶を見よ

      蝶は宇宙により 

      解き放たれた植物。

 

 植物---それは地球(大地)により繋ぎ止められた鱗翅類です!鱗翅類---それは宇宙により地球(大地)から解き放たれた植物です!

 蝶を、昆虫全般を、胚から飛び回る昆虫に至るまで眺めるなら、それは空中に持ち上げられた、宇宙により空中に形成された植物なのです。植物を眺めるなら、それは下に繋ぎ止められた蝶なのです。卵は地球に要求されます。幼虫は葉形成に変容させられます。収縮したもののなかには、さなぎ形成が変容させられています。さらに、鱗翅類のなかに発生するものは、植物の場合花のなかに展開されるのです。蝶-昆虫界全般と植物界との間にあんなに密接な関係があるのも驚くにはあたりません。と申しますのも、そもそも、昆虫たち、蝶たちの根底をなしている霊存在たちはこう言わざるを得ないからです、この下には私たちに近しいものたちがいる、私たちはこれらに親しまねばならない、これらと結びつかねばならない、これらの樹液などを味わいつつこれらと結びつかねばならない、これらは私たちの兄弟だからだ、と。これらは兄弟だ、地球領域に下降していき、地球によって繋ぎ止められ、別の生存状態を受け容れた兄弟なのだ、と。

 また一方、植物に魂を吹き込む霊たちが、蝶たちを見上げてこう言うこともあり得るでしょう、これは地球の植物の(うちの)天に近しいものたちだ、と。

 よろしいですか、宇宙の理解は抽象をもってしては成立しない、と言えます、抽象では理解するために不十分だからです。なぜなら、宇宙において働いているものからして、もっとも偉大な芸術家だからです。宇宙はあらゆるものを法則に従って、もっとも深い意味において芸術家の感覚を満足させる法則にしたがって形成します。抽象思考であるものを芸術家の感覚のなかで変容させることによって以外、誰も地球に沈降させられた鱗翅類を理解できません。光と宇宙的諸力によって空中へと持ち上げられた植物の花の内容を、誰も蝶のなかに見て理解することはできません、抽象的思考に再び芸術的な運きを与えることのできないひとは誰も。とは言え、私たちが自然物と自然存在とのこの深い内的な親和性に注目するとき、それはともかくも何かとほうもなく精神を高揚させるものであることには変わりありません。

 昆虫が植物にとまっているのを見ること、そして同時に、植物の花をアストラル的なものがいかに統べているかを見ることは、何かまったく特別なことです。そこでは植物は地上的なものを抜け出そうとしているのです。植物の天への憧れがさまざまな色彩にきらめく花びらを統べています。植物は自分ではこの憧れを満たすことはできません。そこで植物に向かって宇宙から、蝶であるものが放たれます。植物は蝶を見つめます、蝶の中で自分の望みがかなえられているのを見るのです。植物界の憧れが、昆虫、とりわけ蝶の世界を観ることで鎮められる、ということ、これは地球を取り巻く驚くばかりの結びつきです。満開の花々の色彩がその色を宇宙に放射することで示している切なる願い、これは、植物に向かって鱗翅類がその色彩をきらめかせて近づいてくることにより、植物にとってその憧れの認識実現のようになるのです。放射するもの、熱を放射する憧れ、天から放射されてくる満足、これが植物の花の世界と蝶などの鱗翅類世界との交流なのです。これこそ、ぜひとも私たちが地球の周囲に見なければならないものです。

 さて、植物界への移行が得られましたからには、人間から動物に至った観察を次の時間に拡張していくことができるでしょう。今や私たちは植物界を組み入れることができ、こうして次第に、人間と地球全体との関係へと至ることができるでしょう。しかしそのためには、飛翔する空中の植物つまり蝶から、地に固着している蝶つまり植物へと、いわば橋が架けられることがどうしても必要でした。大地の植物は地に固着している蝶です。蝶は飛翔する植物です。私たちがこの地に結びつけられた植物と天に解き放たれた蝶との関係を認識できて始めて、動物界と植物界との間に橋を架け、さらにはきっとある種の無関心をもってあらゆる俗物性、あいもかわらず自然発生云々がどうであったかを語り続ける俗物性を見下ろすこともできるのです。これらの散文的概念をもってしては宇宙万有(ウニヴェルズム)の領域、到達すべき宇宙万有の領域に到達できません。この領域に到達することは、散文的概念を芸術的概念に転換することができ、さらに次のようなことを思い浮かべることができるようになって始めて可能なのです、つまり、太陽にのみ委ねられた天から生まれた蝶の卵から、植物が後になってから生じるようすを、以前は太陽のみに委ねられていた蝶の卵が今は地球に委ねられることにより、この蝶の卵が変容させられることで植物が生じてくるようすをです。


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