ルドルフ・シュタイナー

■GA230■

創造し、造形し、形成する

宇宙言語の協和音としての人間

Der Mensch als Zusammenklang

des schaffenden,bildenden und gestalteden Weltenwortes


翻訳紹介(翻訳者:yucca)


●第7講   1923年11月2日  ドルナハ  

・植物界に関わる目に見えない存在たち

・根の精霊グノームと鉱物

・グノームは植物を通じて宇宙の理念を知覚する

・グノームと両生類

・地上的なものへのグノームの反感

・水の元素霊ウンディーネは植物の葉で働く

・ウンディーネは空気素材を結合し分離する夢見る化学者

・ウンディーネと魚

・空気ー熱エレメントのなかに生きるジルフェ

・ジルフェは鳥の飛翔とともに空気のなかで響く宇宙音楽を聴く

・鳥のなかに自我を見出すジルフェは宇宙の愛の担い手

・ジルフェは植物に光をもたらす

・ジルフェとウンディーネの共同作用により原植物の理念形態が形成される

・滴り落ちてくる植物の理念形態を地下でグノームが受け取る

・唯物論的科学による植物の受精の説明の誤謬

・熱ー空気のエレメントのなかに生きる火の精霊たち

・火の精霊は宇宙の熱を集めて植物の花にもたらす

・植物の受精は花ではなく、地下で行われる

・植物の父は天、母は大地

・グノームは植物の生殖の霊的な産婆

・火の精霊は蝶、昆虫と一体化しようとする

・蜂のオーラとなる火の精霊たち

・下降する宇宙の愛ー供犠と上昇する地の密度ー重力の共同作用の現れ

としての植物


 外的に知覚できる可視の世界に、不可視の世界が属していて、可視の世界と共に一つの全体を形作っています。これは、今私たちが眼差しを動物から植物に転じてみると、まず極めて明白になることです。

 何はさておき人間を喜ばせる現存する植物は、大地から芽生え萌え出て、秘密に満ちたものと感じられざるを得ない何かへの手がかりを形成しています。動物の場合は、たとえ動物の意志、動物のまったく内的な活動性がすでに人間にとって何か秘密に満ちたものであるにしても、それでも人間は自らにこう語ることができます、まさしくここにはこの動物の意志があり、そしてこの意志から形態が生じる、動物の発現は結果なのだ、と。しかし植物、これほど多様な形態をとって地球の表面に現れ、これほど秘密に満ちたしかたで大地と大気圏に助けられて種子から生え出る植物について、人間は、この植物界がまさに人間に向かって現れてくる形態で現れてくることができるためには、何か別のものが存在しなければならない、ということを感じ取らざるを得ないのです。

 私たちが植物界に目を向けるとき、霊的な観照はすぐさま私たちを溢れるほど多くの存在たちへと導きます、人間の本能的霊視のあった古代にも知られ、認識されていたけれどもその後忘れられ、今日詩人たちが用いる名前のみをとどめ、今日の人類にはそもそもその実在を認められていない多くの存在たちに。けれども、植物の周りに群がり取り巻いている存在が実在を認められないのと同じ程度に、植物界に対する理解も失われています、例えば治療法にとって(☆1)欠くことはできないと思われるこの植物界に対する理解は、実際今日の人類からすっかり失われてしまったのです。

 さて私たちはすでに、植物界と蝶の世界との非常に重要な関係を知りました、ただしこれが私たちの魂の前に正しく現れるのは、私たちが植物界の活動と営み全体をさらに深く覗き込むときです。

 植物はその根を地中に伸ばします。ここでそもそも植物から地中へと伸ばされているものを追求するひとは、霊的な眼差しによって、しかも根を正確に洞察するひとは実際そうであらざるを得ないのですが、同時にいたるところで植物の根というものがいかに自然元素霊たち[Naturelementargeister]に取り囲まれ取り巻かれているかを追求することができます。そしてこの元素霊たち、古い観照力がグノームと呼びならわし、私たちが根の精霊[Wurzelgeister]と呼ぶことのできるこの元素霊たちを、私たちはイマジネーション的インスピレーション的世界観によって実際に追求できます、私たちが物質的なもののなかに人間の生活と動物の生活を追求するのと同じようにです。私たちはいわば、この元素霊たちの、この根の精霊の世界の魂的なもののなかを覗き込むことができるのです。

 この根の精霊たちというのはまったく独特の地中の民で、外的な眼差しにとって最初は不可視ですが、その働きはそれだけいっそう目に見えるものです、と申しますのも、根と土壌の間をこの奇妙な根の精霊たちが中継しなかったらどんな根も生ずることができないでしょうから。根の精霊たちは地中の鉱物的なものを流動状態にして植物の根にもたらします。もちろんこれは、霊的に根底にある経過のことを申し上げているのです。

 土壌のいたるところに存在しているこの根の精霊たちは、多少とも透明な、あるいは金属にも貫入されている岩石や鉱石のなかで格別心地よく感じますが、自分たちの本来の居場所があるためにもっとも心地よく感じるのは、鉱物的なものを植物の根に媒介するときです、根の精霊たちは、内的な霊的性質のものによってすっかり満たされます、私たちが人間の眼や人間の耳の内的霊的な性質のもののなかで捉えることのできるものとのみ比較することのできる霊的性質のものによってです。と申しますのも、根の精霊たちというのは、そういう霊的性質のもののなかではまさに感覚であるからです。根の精霊たちは本来通常は感覚から成り立っている以外の何ものでもなく、そしてこの感覚は同時に知性でもあり、単に見たり聞いたりするだけでなく、見たり聞いたりしながら即座に理解する感覚、いたるところで単に印象を受け取るだけでなく、いたるところで理念を受け取る感覚なのです。−−そう、私たちはこの根の精霊たちが理念を受け取るしかたを示すこともできます。よろしいですか、大地から植物が芽吹いてきます(図参照)。植物は、このあとすぐ示しますように、地球外の宇宙万有とつながりを持つようになり、ある季節にはとりわけ、いわば霊の流れ[Geiststroeme](薄紫)が上から、植物の花や実から、下の根に向かって流れます、地中へと流れ込みます。そして私たちが眼を光に向かって差し延べ、そして見るように、根の精霊は、植物を通して上から地中へと滴り落ちていくものにその知覚能力を向けます。このとき根の精霊に向かって滴ってくるもの、これは、光が花の中へと送り込んだもの、太陽の熱が植物のなかに送り込んだもの、空気が葉の中で仕上げたもの、そしてそう、はるかな星々が植物の形成に働きかけたものです。植物は宇宙万有の秘密を集め、それを土壌に送ります、そしてグノームたちは、植物を通じて彼らのところに霊的に滴ってくるものから、この宇宙万有の秘密を自らのうちに受容するのです。そして、とりわけ秋から冬の間中ずっと鉱石や岩石のなかを遍歴しながら、植物を通じて滴ってきたものを携えていくことで、そのことによって根の精霊たちは、地球の内部で全宇宙の理念を地球に浸透させつつ遍歴し携えていく存在となるのです。私たちははるかに宇宙を見渡します。宇宙は宇宙霊[Weltengeist]により築かれ、宇宙理念の、宇宙霊の受肉です。グノームたちは、彼らにとって私たちにとっての光線と同じものである植物を通して宇宙万有の理念を受け取り、それを地球の内部で完全に意識しながら鉱石から鉱石、石から石へと運んでいくのです。

 私たちは大地の奥底を見下ろします、そうすることで、何らかの単に機械的に作用する自然法則のための抽象理念をそこに探し求めるのではありません、そうではなく私たちは大地の奥底を見下ろして、地球の内部での宇宙知性の光に満ちた番人である遍歴し逍遙するグノームたちを見るのです。このグノームたちは見たものを即座に知るがゆえに、人間と比べても確かに同じ性質の知識を有します、グノームは抜きん出た知性存在であり、彼らは完き知性そのものなのです。グノームにあってはすべてが知性です、ただしそれは普遍的な知性、したがって人間の知性など不完全なものとして見下すような知性です。グノームの世界は実際、私たちがこうしてあれこれのことを把握しようとするときのしばしば難渋し悪戦苦闘する知性を思う存分笑っているのです、グノームはあれこれ思案する必要などまるでないわけですから。グノームは宇宙における知であるものを見ます、そして、人間があれこれのことにどうにか辿り着くために骨折らなければならないと気づくと、とりわけ嘲笑的になります。どうしてまたそんなことができるんだいーーグノームは言いますーー、どうしてまたあれこれ考えるなんていう骨折りができるんだい?見りゃあ全部わかるじゃないか。人間どもはばかだよーーグノームはこう言うのですーー、何せあれこれ考え込まなきゃ始まらんのだからな。

Waermeartig-Lichtartiges熱ー光的なもの) :Feuergeister(火の精霊たち): Waermetraeger(熱の担い手)

Luftartig-Waermehaftiges(空気-熱的なもの): Sylphen(ジルフェたち): Lichttraeger(光の担い手)

Feucht-Luftiges(水-空気的なもの): Undinen(ウンディーネたち): Chemiker(化学者)

Feucht-Irdisches(水-土的なもの): Gnomen(グノームたち):Lebenspfleger(生を養う者)

hell:明色

Lila:藤色

rot:赤色
 さらに申し上げたいのですが、ひとがグノームに論理について語るなら、彼らは不作法なまでに嘲笑的になるでしょう。いったい何のためにそんな無駄なものが必要だと言うんだ、思考への導きだって?思考はそこにあるじゃないか。理念は植物を通って流れてるじゃないか。何で人間どもは鼻を植物の根みたいに地面の奥に突っ込んで、鼻先にぽたぽた落としてもらわないんだ?太陽が植物に話して聞かせることをさ。そうすりゃ人間どもも少しはものがわかるってもんだろうに!だけど論理なんかじゃーーグノームは言いますーー、ほんのこれっぽっちも知るなんてこたあできっこないのさ。

 このようにグノームとは本来、宇宙万象の、万有の理念を、地球の内部で担う者なのです。ところがグノームたちは地球自体を全く好んではおりません。彼らは宇宙万有の理念を携えて地中を飛び回っておりますが、もともと地上的なものを憎んでいるのです。地上的なものは彼らにとってもっとも逃れ去りたいものなのです。それでもやはりグノームたちはこの地上的なもののそばにとどまり続けますーーなぜなのかはまもなくおわかりになるでしょうーー、でも彼らはこれを憎みます、なぜなら地上的なものは、グノームたちに対して絶えず危険を作り出すからです、しかも地上的なものは、グノームたちにある姿をとらせようと、つまり私が前回にここで皆さんに描写いたしました存在たちの姿、とくに両生類、カエルやヒキガエルの姿をとらせようと脅かすからなのです。ですから地中のグノームはこう感じています、あんまり土にくっつくと、カエルやヒキガエルの姿になっちまう、と。ですから彼らは大地とあまり癒着しすぎてこういう姿にならないように、絶えずジャンプしています、彼らは、自分たちが属しているエレメントのなかでこうして脅かすこういう土の姿に対して絶えず抵抗しているのです。彼らは土ー水的エレメントのなかにとどまっていますが、そこでは絶えず両生類の姿になる危険に脅かされます。この両生類の姿になることからグノームは絶えず身をもぎ離し、地球外の宇宙万象の理念で自らを満たすのです。彼らは本来、地球の内部で地球外のものを示すものです、地上的なものと癒着することを絶えず避けなければならないからです、さもないと個々のグノームはまさに両生類世界の姿になってしまうでしょうから。そして地上的なものに対するまさしくこの憎悪の感情、嫌悪の感情とでも申し上げたいものから、グノームたちは、植物を地面から追い出す力を獲得します。彼らはその根源力で地上的なものから離れ、この離脱によって植物の上への成長の方向が与えられます、彼らは植物を巻き添えに引き離すのです。これはグノームの地上的なものに対する反感です、これは植物をその根においてのみ土領域に属させ、その後土領域から引き出して生え出させるものです、つまり実際グノームたちは、植物をその生来備わった土の姿から引き離し、上に向かって成長させているのです。

 さらに植物が上へと成長し、グノームの領域を去って、水ー土的エレメントの領域から水ー空気的エレメントの領域へと移行すると、このとき植物は葉において外的物質的に形状化するものを発達させます。けれども、今や葉において活動しているすべてのもののなかでは、また別の存在たちが作用を及ぼしています、古代の本能的霊視者の術がたとえばウンディーネと呼んだ水の精霊(水の精)たち[Wassergeister]、水のエレメントの元素霊たちです。グノーム存在たちが根を取り巻いて飛び回り動き回っているのが見られるように、地面の近くでは、この水存在たちが、これら水の元素霊たち、ウンディーネたちがグノームが与えた上への志向を心地よく眺めているのが見られます。

 ウンディーネたちは、その内なる性質によりグノームたちとは異なっています。ウンディーネは感覚器官のように、霊的な感覚器官のように宇宙万有へと伸びていくことはできません。ウンディーネは本来、空気ー水的エレメントのなかの全宇宙の動き働きに身を委ねることができるだけで、そのためグノームほど利発な精霊ではないのです。ウンディーネは絶え間なく夢見ています、とはいえこの夢が同時にウンディーネ自身の姿なのです。ウンディーネはグノームほど烈しく地球を憎んではおりませんが、地上的なものに対して非常に敏感です。ウンディーネは水のエーテル的エレメントのなかで生きていて、このエレメントのなかを漂い浮遊しています。それにウンディーネは魚であるものすべてに対してとても過敏です、なぜなら、時折とってしまう魚の姿はウンディーネにとって脅威だからです、とはいえすぐまた魚の姿を捨てて別の姿に変容していくのですが。ウンディーネは自らの存在を夢見ています。そして自身の存在を夢見ながらウンディーネたちは結びつけては解き放っています、空気の素材を結びつけては分離しているのです、空気の素材をウンディーネたちは秘密に満ちたしかたで葉のなかにもたらし、グノームたちによって上へと押し上げられたもののところに運んでいくのです。グノームたちは植物存在を上へと押し上げます(前の図参照、明色)。ウンディーネ存在たちがいわば四方からやってきて、植物を取り巻いくこの夢のような意識のなかで、これ以外に言いようがないのですが、宇宙化学者[Weltenchemiker]である証しを見せてくれなかったら、ここで植物存在は干からびてしまうでしょう。ウンディーネたちは素材の結合と分離を夢見ているのです。そして植物がそのなかに生き、上へ向かって地を去りそのなかへと成長していくこの夢、このウンディーネの夢こそが、植物のなかで葉から発して素材の秘密に満ちた結合と分離を引き起こしている宇宙化学者なのです。したがって私たちは、ウンディーネは植物の生の化学者だと言うことができます。ウンディーネは化学を夢見ています。これはウンディーネのなかのきわめて繊細な霊性です、実際そのエレメントを水と空気が触れ合うところに有している霊性です。ウンディーネたちはまったく水的なエレメントのなかで生きています、ところがウンディーネがほんとうの内なる満足を感じるのは、どこか表面に、単に滴(しずく)や何らかの液体であってもその表面にいるときです。と申しますのも、ウンディーネは、魚の姿になってしまわないように、魚の姿をとり続けないように苦心して身を守らなければならないからです。ウンディーネは変容し続けたいと思っています、永遠に常に絶えることなく姿を変えていきたいと思っているからです。ウンディーネはこうして変化しつつ星々や太陽、光や熱のことを夢見ているのですが、この変化においてウンディーネは、今や葉から発して植物をさらに形成させる化学者となります、グノームの力によって上へと押し上げられた植物をです。さてこのように植物は葉を成長させ(前図参照)、植物がそのなかへと成長していくウンディーネの夢として秘密のすべてが明かされるのです。

 けれども、ウンディーネの夢のなかへと成長していくのと同じく、今や植物はさらに上の別の領域へと入っていきます、グノームが水ー土的エレメントのなかに、ウンディーネが水ー空気的エレメントのなかに生きているように、今度は空気的ー熱的エレメントのなかに生きている精霊たちの領域へ。このように空気的ー熱的エレメントのなかに生きているのは、古代の本能的霊視術がジルフェと名付けた存在たちです。気体状の暖かいエレメントのなかに生きているこれらジルフェたちはしかし、空気はいたるところで光に浸透されているため、光へと押し進み、光に親和的になります、そしてとりわけ、気圏の内部のより精妙でより大きな運動であるものの影響を受けやすいのです。

 皆さんが春か秋に、ツバメの群をごらんになるなら、飛翔しつつ空気の体を振動させ、運動する空気の形状を引き起こしているツバメの群をごらんになるなら、この運動する空気の形状、とはいえこのときは個々の鳥に備わっているのですが、この空気の形状は、ジルフェにとって聴き取ることのできるものなのです。そこからジルフェに宇宙の音楽が鳴り響いてくるのです。皆さんがどこか、そうですね、船に乗っていて、カモメが飛んでくるとき、カモメの飛翔によって呼び起こされたもののなかには、船の伴奏をする霊的な響きが、霊的な音楽があるのです。

 さらにまた、この響きのなかで自らを広げ展開させ、この呼び起こされた空気の形状に故郷を見出しているのもジルフェなのです。霊的に響きを発しつつ揺り動かされた空気エレメントのなかにジルフェは自らの故郷を見出し、そこで光の力がこの空気の振動のなかに送り込むものを受け取ります。けれどもこれによってジルフェは、鳥が空中を通り過ぎるところではどこでも、もっとも慣れ親しんだ、我が家のような感じを持ちます、ジルフェは基本的にそれ自身としては多かれ少なかれ眠っている存在なのですが。鳥のいない空中を飛んでいくことを強いられると、これはジルフェにとってまるで自分自身が失われたかのようなものです。空中に鳥が見えるようになると、ジルフェにまったく特別なものがやって来ます。私はしばしば人間にとってのあるできごとを提示しなければなりませんでした、人間の魂を自らを「私」[Ich]と言うことに導くあのできごとです。私は常々、ジャン・パウルの言葉(☆2)に注意を喚起してまいりました、人間が最初に私という表象に辿り着いたとき、ヴェールをかけられた魂の至聖所を覗き込むようだ、という言葉です。ジルフェは自分の魂のこのようなヴェールをかけられた至聖所を覗き込むわけではありません、ジルフェは鳥を見るのです、すると私という感情がジルフェを襲います。鳥が空中を飛翔しつつ自らのなかに呼び起こすもの、このなかにジルフェは自分の私(自我)を見出します。そして外的なものにその私(自我)を点火するために、ジルフェは大気の空間を貫く宇宙的な愛の担い手となるのです。ジルフェはまた同時に、たとえば人間の希望のように生きておりますが、私(自我)を内部に持たず、鳥の世界のなかに持つことによって、宇宙万象を貫く愛の希望の担い手でもあるのです。

 ですから鳥の世界へのジルフェの深い共感に目を向けなければなりません。グノームが両生類の世界を憎んでいるように、そしてウンディーネが魚に対して過敏でいわば魚に近づきたがらず、魚から離れたがっていてある意味で恐怖を感じているように、ジルフェは鳥の方へ行こうとし、漂い響きを発する空気を鳥の羽に乗せて運んでくることができると、心地よいと感じます。そして皆さんが鳥に向かって、誰に歌を習ったのか尋ねるとしたら、鳥からこう聞かされるでしょう、私に霊感(インスピレーション)を与えるのはジルフェです、と。ジルフェは鳥の姿を好ましく思っています。とはいえジルフェは宇宙の秩序により、鳥になることを妨げられています、ジルフェには別の務めがあるからです。ジルフェの務めは、愛の中で光を植物にもたらすことです(前図、明色と赤)。ウンディーネが化学者であるように、これによってジルフェは植物にとって光の担い手なのです。ジルフェは植物に光を浸透させます、植物の中へと光をもたらすのです。

 ジルフェが植物のなかに光をもたらすことによって、植物のなかにまったく独自のものが作り出されます。よろしいですか、ジルフェは絶え間なく光を植物のなかに運び入れます。光、すなわち植物のなかのジルフェの力は、ウンディーネが植物のなかに移動させる化学的力に働きかけます。ここでジルフェの光とウンディーネの化学の共同作用が起こります(前図、赤)。これは奇妙な可塑的な活動です。上へと流れてきてウンディーネに加工された素材を助けに、ジルフェはその中に理想的な植物形態を光から織り上げます。ジルフェは実際、光とウンディーネの化学的働きから、植物のなかに原植物[Urpflanze]を織り出すのです。そして植物が秋にかけてしぼみ、物質的な素材であるものがすべて塵と化すと、このときこの植物のフォルムはまさしく滴り落ちていき、それを今やグノームが知覚します、宇宙が、つまりジルフェを通して太陽が、ウンディーネを通して大気が植物に引き起こすものを知覚するのです。これをグノームたちは知覚しているのです。したがってグノームたちは冬の間中ずっと、下で、植物によって土壌のなかに滴り落ちてくるものを知覚するのに忙しいのです。このときグノームたちは、植物のフォルムのなかの宇宙の理念を捉えます、それはジルフェに助けられて可塑的に形成され、精神(霊)ー理念の形態[Geist-Ideengestalt]をとって土壌のなかに入っていきます。

 植物を単に物質的に、物質として観察する人々は、この精神ー理念の形態について(☆3)何もわからないのは言うまでもありません。したがってここで登場してくるのは、物質的な植物観察にとっての大いなる誤謬、恐るべき誤謬に他ならぬものです。この誤謬を皆さんにざっとお話ししてみましょう。

 皆さんは唯物論的科学がいたるところでこう記述しているのをごらんになるでしょう、植物はこの土壌に根付き、上にその葉を広げ、最後に花、花のなかの雄蕊(おしべ)[Staubgefaesse]、そして雌蕊の子房[Fruchtknoten]、そして普通ほかの植物の葯(やく、ひぐさ)[Anthere]、雄蕊から花粉がもたらされ、雌蕊の子房が受精(受粉)して新しい植物の種子ができる、と。どこにでもこう記述されています。いわば子房が女性的なものとみなされ、雄蕊からやってくるものが男性的なものとみなされていて、唯物論的なものにとどまる限り、異なった見方をすることはできません、ここでは本当にこのプロセスは受精[Befruchtung]のように見えるからです。ところがそうではなくて、受精一般、植物の生殖を洞察するために、私たちが意識しておかなければならないのは、まず第一に植物のフォルム、偉大な化学者ウンディーネが引き起こし、ジルフェが引き起こすものから生じる理想的な植物のフォルムは、地中に沈下しグノームに守られている、ということです。それは下の方にあるのです、この植物のフォルムは。これをグノームが見て観察した後で、今やこの植物のフォルムはグノームによって地中で大切に守られます。土は、滴り落ちてくるものの母胎となるのです。ここには、唯物論的な科学が記述するのとはまったく別のものがあります。

 植物はこの上部で(下図参照)、ジルフェの領域を通過したあと、火の元素の精霊たち[Elementar-Feuergeister]の領域に至ります。この火の精霊たちは、熱ー空気的なものを住処としていて、地熱が最高度に上昇させられるか適当な状態になると、熱を集めます。ジルフェが光を集めたように、火の精霊は熱を集めてこれを植物の花のなかにもたらします。

Maennlich(男性的)

Feuergeister(火の精霊たち)

 ウンディーネは植物の中に化学エーテルの作用をもたらし、ジルフェは植物のなかに光エーテルの作用をもたらし、火の精霊は植物の花の中に熱エーテルの作用をもたらします。そして花粉、これは今や、いわば熱を載せて種子の中にもたらす小さな空気の舟を火の精霊に提供するものとなります。花糸[Staubfaeden]の助けを借りていたるところで熱が集められ、花糸から子房のなかの種子へと運ばれます。そしてこの子房のなかに形成されるもの、この全体が宇宙からやって来る男性的なものなのです。子房は女性的なものではありませんし、花粉の葯が男性的なものというわけではないのです!そもそも花のなかで受精が起こっているのではなく、花においては単に男性的な種子が形成されるだけです。ここで受精として機能しているものは、宇宙万有の熱から火の精霊たちによって花のなかに宇宙男性的な種子として取り出されたものであり、これが女性的なもの、皆さんにお話ししましたように、形成する植物から理念的なものとしてすでに前もって土壌のなかに滴下され、土壌の中に安らっている女性的なものとひとつにされるのです。植物にとって大地は母であり、天は父です。地上的なものの外で起こっていることはすべて、植物にとって母胎ではありません。植物の母性原理が雌蕊の子房のなかにあるなどと考えるのは、とてつもない誤謬です。子房のなかにあるのは火の精霊に助けられて宇宙から取り出された男性的なものに他なりません。母的なものは、植物の形成層[Kambium]、これは樹皮や木質部に向かって広がっていますが、この形成層から理想的形態として植物にもたらされるものです。そして今、グノームの作用と火の精霊の作用との共働から生まれるもの、これが受精なのです。根本的に言って、グノームたちは植物の生殖の霊的な産婆なのです。そして受精は冬の間に地下で起こります、種子が地中に送り込まれて、ジルフェとウンディーネの作用からグノームが受け取った形態にぶつかるときです、授精しつつある種子にこの形態がぶつかることができるところまで、グノームはこの形態を運ぶのです。

 おわかりですね、人々が霊的なもののことを知らないために、植物の成長とともに、グノーム、ウンディーネ、ジルフェ、火の精霊ーーこれは以前はサラマンダーと呼ばれていましたーーがいかに活動し、生きているかを知らないために、植物界における受精という出来事についての理解がまったく不明瞭なのです。つまり、大地の外で起こっていることは受精などではなく、植物界の母は大地、植物界の父は天です。これはまったく文字通りの意味でそうなのです。そして植物の受精は、火の精霊が、葯という空気の小舟に乗せて、凝縮された宇宙の熱として子房のなかにもたらしたものを、グノームが火の精霊から受け取ることによって起こります。ですから火の精霊は熱の担い手なのです。

 本来植物の成長全体がいかにして起こるか、今や皆さんは容易に理解なさるでしょう。まず下の方で、火の精霊からもたらされたもののに助けられてグノームが植物に生命を与え、それを上方へ押し上げます。グノームは生命の担い手です。グノームは生命エーテルを根に運びます、彼ら自身がその中で生きているあの生命エーテル、これをグノームたちは根に運ぶのです。さらに植物のなかではウンディーネが化学エーテルを、ジルフェが光エーテルを、火の精霊が熱エーテルを養います。それから熱エーテルの果実が下の生命であるものと結びつきます。ですから、植物を理解することができるのは、植物を取り巻いて飛び交い、活動し、生きているものすべてとの関連で植物を観察するときのみです。さらに、植物においてもっとも重要な経過の正しい理解にも、こういう事柄に入り込んで行って、霊的なしかたで入り込んで行って初めて到達できるのです。

 このことがいったんわかると、ゲーテのあの覚え書きに再会するのは興味あることです、その覚え書きでゲーテは、ある他の植物学者と結びつけて、植物の上部での永遠の結婚(☆4)について人々が語るのに対してひどく腹を立てているのです。草原一面が結婚だらけだ、などと思われていることに対してゲーテは腹を立てました。ゲーテにとってそれは何か不自然なことに思われたのです。それは本能的に非常に確固とした感情でした。ただゲーテにはまだ、ほんとうはどういうことなのかを知ることはできませんでしたが、それは本能的に非常に確固たる感情だったのです。ゲーテはその本能から、花の上部で受精が起こっていると言われるのが理解できなかったのです。ただ彼はまだ、下の方、地下で起こっていること、大地が植物にとっての母胎であることは知りませんでした。けれども、上で起こっていること、これは植物学者たちの誰もがそうみなしているところのものではない、とゲーテは本能的に感じたのです。さて、皆さんも一方において、植物と大地との密接な関係を理解されました。けれどもまた別のものにも目を向けていただかなくてはなりません。

 よろしいですか、この上部で火の精霊があちこち飛び交うとき、とりわけ葯の花粉を媒介するとき、火の精霊たちはひとつの感情しか持っておりません。それは、ジルフェの感情に比べてより高められた感情です。ジルフェたちは鳥が飛び交うのを見ることによって、自らの自己を、自我を感じ取ります。火の精霊たちはこれを蝶の世界に向かって、昆虫全般の世界に向かってさらに高めたわけです。そしてこの火の精霊たちは、子房にまさに熱の伝達を引き起こすために昆虫のあとを追いかけていくのをもっとも好みます。理念的形態とそこで結びつくために地中に入って行かなければならない凝縮された熱、この熱をもたらすために、火の精霊たちは、蝶の世界、そして昆虫の世界全般に対しても非常に親近感を持っています。火の精霊たちは、花から花へと飛び交う昆虫のあとをいたるところで追いかけます。花から花へと飛び交うこうした昆虫たちを追いかけるとき、実際こう感じられます、このように花から花へと飛び交う昆虫たちはどれもまったく特殊なオーラを有していて、これは昆虫からのみでは全然説明がつかない、と。特に、花から花へと飛び交い、ひときわきらきらと不可思議な光を放ち、ほのかに煌めく玉虫色のオーラを持つ蜂を、そのオーラに基づいて説明するのはきわめて困難です。なぜでしょう?蜂という昆虫はいたるところで火の精霊に伴われているからです、火の精霊たちは蜂に非常に親近感を持っているので、蜂がいると、霊的な眼差しにとってその蜂が、いたるところで本来は火の精霊であるオーラのなかにいるのが見えるほどです。蜂が植物から植物へ、樹から樹へと空中を飛ぶとき、蜂は、本当は火の精霊から与えられたオーラとともに飛んでいるのです。火の精霊は単に昆虫の存在のなかに自分の自我を感じるのみではなく、昆虫と完全に結びつこうとしています。

 けれどもこれによって昆虫の方も、皆さんにお話ししました力、微光を放ちつつ宇宙へと自身を示すあの力を獲得します。これによって昆虫たちは、自分に結びついている物質的質料(マテーリエ)を完全に霊で浸透し、この霊で浸透された物質的なものを宇宙空間へと放射させる力を得るのです。けれども、炎において光を輝かせるものはまず第一に熱であるように、物質的受肉へと下降させるべく人間を惹きつけるもの(☆5)を、昆虫たちが宇宙空間に放射させるとき、地球の表面にいるのは、昆虫たちです(下図参照、赤と黄)、宇宙を貫き、回りを飛び交う火の精霊たちを貫いてこの行為へと燃え上がっている存在たちです。そして火の精霊たちは、一方では火で浸透された質料を宇宙へと流入させるために活動し、他方では凝縮された火、凝縮された熱が大地の内部に入り込んで、ジルフェとウンディーネから地中に滴下された霊の形態をグノームに助けられて呼び起こすことができるように働くのです。

hell-lila(明るい藤色)

rot(赤色)

gelb(黄色)

 よろしいですか、これが植物の成長の霊的経過です。本来人間は下意識において、花咲き芽吹く植物とともに何か特別なものがあるということを予感しているので、植物存在があれほど秘密に満ちたものに思えるのです。この秘密はもちろん引き裂かれてはおりません、驚くべき神秘からは蝶の鱗粉が払い落とされていないからです、とは言え、単に物質的な植物があるだけでなく、植物の力を最初に押し上げる(☆6)、直接理解し、まさに知性を形成するグノームの世界の驚くべき働きも下の方にあるとき、通常植物において人間を魅了し高めるものは、いっそう驚異に満ちたものに思われると申し上げたいのです。いわば人間の知性は重力に屈しないように、私たちが頭の重さを感じることなく頭が持ち上げられるように、そのようにグノームはその光輝く聡明さによって大地的なものを克服し、植物を押し上げます(☆6)。グノームは下で生命を準備するのです。しかし生命は化学機構によってかき立てられることがなければ死滅してしまうでしょう。化学機構をもたらすのはウンディーネです。さらに光がこれに浸透しなくてはなりません。

 このように私たちには、下から青黒い色調で、グノームから発して上へと弾みをつけられた重力(下図)が上昇してくるのが見え、さらに植物を取り巻いて飛び回り、葉のなかにほのめかされるウンディーネの力、植物が成長することによって素材を混合しまた分解する力が見えます。上からは、ジルフェ精霊によって植物のなかに光が刻印され、ジルフェは今や可塑的な形態を作り出し、これはまた理想化されて下降し、大地の母胎へと受け入れられます。さらにまた植物の回りを火の精霊たちが飛び交い、小さな種子の粒の中に宇宙の熱を集め、これがさらに種子の力とともにグノームのところまで下ろされ、こうしてグノームは下で火と生命から植物を誕生させることができるのです。

Liebe-Opferkraft(gelb-rot) 愛-供犠の力(黄色-赤色)

gelb(黄色)

Aufwaerts-stroemende Dichtigkeit(lila)上へと流れる密度(藤色)

rot(赤色)

Magnetische Kraft(blau-schwarz) 磁気の力(青色-黒色)

lila(藤色)

blau-schwarz(青色-黒色)

 さらにまた皆さんは、いかに大地の反発力、密度が、根本的にグノームとウンディーネの両生類と魚に対する反感に帰せられるかおわかりでしょう。土の密度が高いとき、この密度はグノームとウンディーネの反感です、反感によって彼らはその姿を維持するのです。光と熱が地面に下降してくるとき、これは同時に、あの共感の力、担い手であるジルフェの、大気中を運ばれる愛の力の現れ、そして担い手である火の精霊の、自らに下降させる傾向をもたらす供犠の力の現れなのです。ですからこう言うことができます、地の密度、地磁気、地の重力であるものが、上を目指して苦闘することにより、下を目指してくる愛ー供犠の力と、大地の上方で一体化する、と。そしてこのように、下へと流れ込む愛ー供犠の力と上へと流れる密度、重力が混じり合って作用することで、これらが共に作用することによって、両者が出会う地面の上方で、植物存在が、宇宙の愛、宇宙の供犠、宇宙の重力、宇宙の磁力の共同作用の外的な現れである植物存在が生育していくのです。

 これで皆さんは、私たちをあれほど魅了し、高揚させ、楽しい気分にさせる植物界に眼差しを向けるときに重要なことは何であるかがおわかりになりました。私たちは、物質的なもの、感覚的なものに霊的なもの、超感覚的なものを付け加えて観ることができてはじめて、植物界を見通すことができるのです。これは同時にまた、唯物論的な植物学のたいへんな誤謬を修正することも可能にします、あたかも上の方で受精が起こっているかのよう思う誤謬を。上で起こっているのは受精ではありません、大地の母胎のなかで植物のために前もって準備されているもののために、植物の男性的な天の種子が用意されるのです。

 

□編註

☆1 治療法にとって:ルドルフ・シュタイナー/イタ・ヴェークマン著『精神科学的認識による治療法の拡張のための基礎』(1925 GA27)参照。

☆2 ジャン・パウルの言葉:ジャン・パウル Jean Paul 本名ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター 1763-1825 家庭教師、作家、詩人。ここでシュタイナーにより自由に再現された言葉はジャン・パウルの著作『ジャン・パウルの生涯の真実』(第一小冊子、ブレスラウ1826 2回の講義 53頁)に基づく。字義通りには「非常に幼い頃、ある朝私は家の戸口の下に立って左の木材の層を見ていた、と突然、私は" 私"[Ich]である、という内なる視覚が、天からの稲妻のように私の前に訪れ、以来ずっと輝きつつとどまった、このとき私の自我[Ich]がはじめて自己自身を見たのだ、永遠に。記憶違いはここでは考えられない。どんなにもの珍しい物語も、ヴェールをかけられた人間の至聖所で起こる事件、その新鮮さだけであんなにありふれた付随状況までとどめておく事件には、何かを付け足して干渉することなどできなかったからだ。」

☆3 この精神ー理念の形態について:シュタイナー『四つの神秘劇』(1910−1913GA14) 参照。第四の劇「魂の目覚め」第二景:グノームたちの合唱、ジルフェたちの合唱。

☆4 永遠の結婚:ゲーテ「進行。飛散、蒸発、滴化」参照。J. W. ゲーテ『自然科学的論文集』所収。 このゲーテ『自然科学的論文集』5巻はキュルシュナーの「ドイツ国民文庫」においてシュタイナーにより編集され註釈を付された(1884ー1897)。復刻版 ドルナハ1975 GA1 a-e 第一巻 163頁

☆5 人間を惹きつけるもの:第六講の編註☆1参照。

☆6 編集者による原文訂正。意味に即して「押し出す」が「押し上げる」に訂正された。(第七版)


■シュタイナー「宇宙言語の協和音としての人間」メニューに戻る

■シュタイナー研究室に戻る

■神秘学遊戯団ホームページに戻る