ルドルフ・シュタイナー

■GA230■

創造し、造形し、形成する

宇宙言語の協和音としての人間

Der Mensch als Zusammenklang

des schaffenden,bildenden und gestalteden Weltenwortes


翻訳紹介(翻訳者:yucca)


●第9講   1923年11月4日  ドルナハ  

・人間と元素存在たちの知覚・体験の違い

・地球の内部でのグノームの逍遙とその地質・鉱物体験

・グノームは月に対して敏感であり、月相によって姿を変える

・月の秘密と未来の地球に対するグノームの使命

・グノームたちは過去から未来へと固体の構造を保持していく

・海の微生物の死とウンディーネ

・ウンディーネたちは燐光を発しつつ上昇し、高次存在たちの糧となることに至福を感じる

・ジルフェは死んでいく鳥たちが霊化した実質を高次世界に媒介する

・ジルフェたちは稲妻となって霊化された実質と共に上昇し、高次存在たちに呼吸し尽くされることを欲する

・火存在たちは、蝶が絶えず霊化する実質を熱エーテルにもたらし、地球の本来の景観を高次存在たちに観てもらうことを望む

・地球と霊宇宙を媒介する元素存在たち

・意識とともに前進せよと人間に勧告する元素霊たちの言葉

・元素霊たちが自らの本質を表現する言葉

・元素霊たちから人間に向かって響いてくる金言

・宇宙は言葉から創り出された、という抽象的真理の具体的な意味

・元素霊たちが発する宇宙言語のさまざまなニュアンスから

 人体組織の各部分が形成される

・宇宙言語の協和音である人間


 感覚界の存在たちをよく知ることができるようになるのは、これを生き生きとした活動のなかに観察するときにのみですが、このことは、私がこの連続講演で皆さんに語ってきました、そして今語っております存在たち、自然元素存在たち[Naturelementarwesenheiten]の場合にもあてはまります、感覚的ー物質的なものの背後に超感覚的に存在し、感覚的ー物質的存在と同じく、あるいは本来、感覚的ー物質的存在よりも高次の意味で宇宙の全事象に参加している不可視の存在たちの場合にもです。

 さて皆さんは、宇宙はこの存在たちにとって、感覚界の存在たちにとってとは異なって見える、と考えることがおできになるでしょう、と申しますのも、感覚界の存在が持っているような物質体というものをこれらの存在たちは持っていない、ということが皆さんにおわかりになったでしょうから。これらの存在たちが宇宙で理解すること、宇宙で知覚することはすべて、たとえば人間の目に押し寄せてくるものとは異なっているに違いありません。これは実際そうなのです。人間はたとえばこの地球を、その上を人間が歩き回っている天体と感じています。時折そうであるように、この天体が、大気のありとあらゆる経過によって柔らかくされ、人間がほんの少しだけ中に沈むようであれば、これを少々不愉快と感じます。人間はこの大地を、堅いと感じたいのです、人間がその中に沈んでいったりしないものと感じたいのです。こういった感じ取り方全体、地球へのこういう姿勢は、たとえばグノームには全く存在しないものです、グノームたちはいたるところで沈みます、グノームにとって地球という天体全体がまずもって通過できる空洞のようなものだからです。グノームはどこへでも入っていくことができます、彼らにとっては岩石も金属も何のその、岩石も金属も、そう、彼らがその本質を携えて歩き回る、と申しましょうか、泳ぎ回る、と申しましょうか、そういうことを妨げるものではないのですから。私たちの言語には、地球の内部でのグノームたちのこの逍遙を表現する語はありません。ただ、グノームたちは、地のさまざまな成分についての内的な感性、内的経験を持ちます、彼らは金属鉱脈に沿って移動していくとき、石灰岩層に沿って進んでいるときとは別様に感じます。とは言えこのすべてをグノームは内的なしかたで感じます、グノームはあらゆるものを突き抜けていくのです。彼らは本来、地球が存在していると思い浮かべることさえありません、金の感情、水銀の感情、錫の感情、石英の感情などといったさまざまな感情をそのなかで体験する空間が存在する、と思うのみです。これも人間の言葉で語られることであって、グノームの言葉でではありません。グノームの言葉はもっとずっと具象的です、彼らは本来その生涯にわたって鉱脈のすべて、地層のすべてを渉猟することにより、繰り返し繰り返し渉猟することにより、私が皆さんにお話ししました際だった知性を獲得するのです。彼らはそうすることにより包括的な知を獲得します、金属のなかで、地中で、外部の宇宙万有のなかにあるものがすべて彼らに明かされるからです、鏡に映っているように、彼らは外部の宇宙万有のなかにあるものすべてを感じ取ります。けれども地球そのものに対しては、グノームはまったく観照力を持たず、地球のさまざまな成分、内的体験のさまざまな性質についてのみです。

 その代わりこれらグノームたちは月からやってくる印象に対して、まったく特別の天分を持っています。月は彼らにとって、常に注意深くようすをうかがうべきものです。この点でグノームたちはーー生まれついての、とは言えません、これを表す言葉を見つけるのはまったくもう困難ですーー言わば発生ついての神経衰弱患者なのです。私たちにあっては病気であるもの、これがこれらグノーム存在たちにとっては本来生の要素であるわけですね。これは彼らにおいては何ら病気ではなく、彼らにおいては自明のことなのです。これは彼らに、私が皆さんにお話ししてきたことすべてに対するあの内的な敏感さを与えてくれます。これはまた彼らに、月の様相の変化に対する内的な敏感さをも与えます。この月の様相の変化を、グノームたちはあれほどの注意深さで、この内的な注意がーー私は皆さんに彼らの注力を描写いたしましたねーー彼らの姿さえ変化させるほどの注意深さで追いかけているのです。したがって、グノームの生存を追求していくと、満月の場合、新月の場合、またこれらの中間の月相の場合、実際まったく異なった印象を受けます。

 満月のとき、グノームたちは不快になります。物質的な月光が彼らには気に入らず、このとき彼らはその存在感情[Seinsgefuel]のすべてを外に向かって駆り立てます。満月になると、彼らはいわば霊的な皮膚を張り巡らして自分を覆い、体の周囲に存在感情を押しやるのです。ですからこういう事柄をイマジネーション的に観ることができるなら、彼らは満月が輝くとき、甲冑を付けた、光を放つ小さな騎士のように見えるのです。そのときグノームは霊的な甲冑のような何かで身を覆っているのですが、これは、彼らにとって不快な月光を避けるために、皮膚において外へと急きたてられていくものです。けれども月が新月に近づくと、グノームはまったく透明になり、不思議なことにグノームの中には、きらきらと光を放つ色彩の戯れが見えます。ひとつの宇宙全体がグノームのなかに生起している様子が見えるのです。それはちょうど、人間の脳のなかを覗き込むときのようだ、とでも申し上げたいのですが、ただし単に脳の中に細胞組織を探す解剖学者のようにではなく、そのなかで思考がきらきらと輝いているのを観る人のように覗き込むときです。このようにこのグノームたちは、内部で思考の戯れが輝いている透明な小さな人間のように見えます。ちょうど新月のときには、このグノームたちはきわめて興味深いものです、なぜなら、彼らはそれぞれが自らのうちにひとつの宇宙全体を担っているからです、そこでこう言うことができます、本来その宇宙のなかに月の秘密が安らっているのだ、と。

 この月の秘密を解明すれば、非常に奇妙な結果に至ります、つまり、月は現在、絶え間なく接近しつつあるーーもちろんこの場合月があたかも地球目指して突進してくるかのような粗雑な想像をなさる必要はありませんがーー、月は実際毎年少しずつ近づいてくる、と自らに言って聞かせることになるのです。そしてほんとうに月は毎年地球に少しずつ近づいているのです。このことは、グノーム世界において新月の期間にますます活発になっていく月の力の動きから知ることができます。そしてこの接近に対して、これらの小鬼たちも特別注意を払っています、月が彼らにおいて行うことから結果を引き出すこと、これを彼らは宇宙万有における自分たちの最大の使命とみなしているからです。彼らは、月がまた地球とひとつになる時点を非常に緊張して待ち受け、全力を集中して、月が地球と一体化した時点に備えようとします、と申しますのも、その際彼らは月の実質を用いて、地球をその全実質に応じて徐々に宇宙に分散させるでしょうから。実質は去らねばならないのです。

 けれども、こういう使命を定められていることで、これらのコーボルトたち、グノームたちは自分たちをとりわけ重要と感じています、彼らは地球存在全体にわたってきわめて様々な経験を集めるからです、そして今や、全地球実質が宇宙にまき散らされ、木星紀へと進化していくとき、このときに地球の構造のなかに、この構造のなかの良いものを保管し、これをさらに一種の骨格として木星に組み込む準備をするからです。

 よろしいですか、この出来事をグノームから見て取るときはじめて、この地球が水をことごとく取り去られたらどう見えるか、ひとつ思い浮かべてみようーーそのとき思い浮かべることができるのですーーという気持ちになるものです。ひとつ考えてみてください、西半球においてはすべてが北から南へ、東半球においてはすべてが東から西へと方向付けられます。つまり、皆さんが水を取り去るとするなら、アメリカはその山地と海の下にあるものとともに、北から南へと延びるものとして得られると考えてみてください。そしてヨーロッパの方をながめると、アルプス、カルパチアなどに沿って東半球においてこういう方向にあるものが得られるでしょう。皆さんは、何か地球における十字構造のようなものを得るでしょう。

  

 これを貫いていくと、これは本来、古い月のグノーム世界を集合させたものだという印象を受けます。ですから、今の地球のグノームの祖先であるものたち、月のグノームたちが月の経験を集め、この構造を、堅い地球組織の、堅い地球組成の堅い構造を、彼らの経験から作り上げたのです、つまりこの堅い地球の形態は、本来古い月のグノームたちの経験から得られたのです。

 これが、このときグノーム世界に関連して起こってくることです。このことによってグノームたちは、宇宙万有の全進化に対して、興味深い、きわめて興味深い関係を獲得します。グノームたちはいわば常に、固体を前のものから後のものの固体へと運んでいるのです。彼らは進化における堅い構造の持続性の守護者です。このように、ある宇宙体から別の宇宙体へと、グノームたちは堅い構造を保持していくのです。超感覚的世界のこれら霊的存在たちに接近し、この存在たちの特殊な使命を研究するのは、きわめて興味あることのひとつです、と申しますのも、そうすることによってはじめて、宇宙のなかの存在として現れているものすべてが、宇宙のあらゆる形成に際して共働している、という印象を得ることができるからです。

 今度もまた、グノームからウンディーネ、水存在たちに移りましょう。ここで実際、非常に奇妙な思いが起こってきます。これらの存在たちは、人間が持っているような生の欲求、本能的にしろ動物が持っているような生の欲求すら有しておらず、ほとんどこう言えるほどです、ウンディーネたち、ジルフェたちは、むしろ死への欲求を有している、と。ほんとうにこれらの存在たちは、宇宙的なしかたで炎のなかに飛び込んでいく蚊のようなものなのです。これらの存在たちは、本来死んではじめてほんとうに生命を持つころができる、と感じています。これは非常に興味深いことです、この物質的地球においては、すべてが生きようと欲し、生命力を自らのうちに有するものすべてが評価され、生き生きと萌える芽生えの持つすべてこそが重んじられるということは。それを超えていくと、これらすべての存在たちがこう語りかけます、ほんとうは死こそが生の始まりなのですよ、と。そしてこれらの存在たちはこのことを感じ取ってもいるのです。と申しますのも、ウンディーネたちのことを考えてください。皆さんもご存じかも知れませんが、そうですね、海での経験を積んだ船乗りは、東の海上では7月、8月、9月に、ずっと西ではもう6月に、海があんなにも独特の印象を与えることを知っているのです、この人たちは言います、海が花を咲かせ始める、と。いわば海が萌えるのです、海の中で腐敗するものすべてによって萌えるのです。海の腐敗が起こり、そのため海は独特の腐った臭気を発します。

 けれども、こうしたすべても、ウンディーネたちにとっては異なっています。このときウンディーネたちは何ら不快を感じません、海中で腐敗するこれら何百万もの水の生き物たちが崩壊していくとき、そのときウンディーネたちにとって、海はきわめてすばらしい燐光を発する[phosphoreszierend]色彩の戯れに輝くものとなります。すべてがありとあらゆる可能な色彩に輝き煌めくのです。とりわけ青みを帯びた、菫色がかった、緑がかった色彩で、ウンディーネにとって海は内的にも外的にも煌めきます。海中のこの腐敗全体が、緑までの暗い色彩でのこのような鈍い煌めきとなるのです。けれどもウンディーネにとってはこういう色彩が現実であり、このときウンディーネたちが、この海の色彩の戯れのなかでこれらの色彩を自らのうちに吸収するのが見られます。ウンディーネたちはこれらの色彩を自身の肉体性のなかに引き込むのです。ウンディーネたちはこの色彩の戯れのようになり、ウンディーネ自身が燐光を発するようになります。そしてウンディーネたちがこの色彩を吸収し、自ら燐光を発するようになることにより、ウンディーネたち自身の中に何か憧れのようなもの、上昇したい、浮かび上がりたいという大きな憧れのようなものが生じます。この憧れがウンディーネたちを浮上させ、この憧れとともにウンディーネたちは、高次のヒエラルキア存在たち、天使(アンゲロイ)、大天使(アルヒアンゲロイ)その他に、自らを大地の糧として差し出します、ウンディーネたちはこのことに至福を見出すのです。こうしてウンディーネたちは高次存在たちの内部で生き続けます。

 このように、これらの存在たちが底知れぬ深みから、いわば早春となるたびに上へと発生してくるのは奇妙なことです。このときこれらの存在たちは、私が描写しましたようなしかたで植物に働きかけることによって、地球の生に参加しています。しかしそれからこれらの存在はいわば水中に溢れ出し、自身の肉体性を通して水の燐光放射を、腐敗していくものを吸収し、途方もない憧れのなかでこれを上へと運んでいきます、ですから、地球の水から発生し、ウンディーネを通じてもたらされた色彩、霊的ー実質的な色彩が、高次のヒエラルキアの存在たちにその糧を提供するようすが、巨大な、壮大な宇宙像のなかに見られます、ウンディーネたちの憧れはまさに高次存在たちに自分を食べ尽くしてもらうことなので、高次のヒエラルキアにとって地球は食料の供給源となるのです。ウンディーネたちはこうしてさらに生き続けます、こうしていわば永遠のなかへと入っていくのです。実際このように、地球から形成された内部を持つこれらの存在たちの絶え間ない上への流出は毎年起こります、これらは憧れに満ちて輝きを放ち、自らを糧として高次存在たちに差し出すのです。

 続いてジルフェに移りましょう。私たちは一年の経過のなかで死んでいく鳥たちを発見します。私は皆さんに、この死んでいく鳥たちが、霊化された実質を持っていること、地球から上昇していくために、これらの霊化された実質を高次の世界に引き渡そうとすることをお話ししました。けれどもこのとき媒介者が必要です。ジルフェがこの媒介者なのです。実際のところ、死んでいく鳥の世界を通して、空気は絶えずアストラル性に満たされていきます、低次のアストラル性とはいえまさにアストラル性、アストラル的実質に満たされます。このアストラル的実質のなかを、羽ばたいていく[flattern]、と申し上げることはできません、この言葉の響きが不快でなければ浮遊していく[verschweben]、とでも申し上げたいのですが、このなかを浮遊していくのはジルフェなのです。ジルフェたちは、死んでいく鳥の世界から発するものを吸収し、これをやはり憧れに満ちて高みへと運び、高次ヒエラルキアの存在たちによって呼吸し尽くされることを欲します。ジルフェたちは、高次ヒエラルキアの呼吸存在であるものとして自らを差し出すのです。これもまた壮大な光景です!鳥の世界が死んでいくのを見るとき、このアストラル的な、内的に輝く実質が空中に移っていくのです。ジルフェたちが青い稲妻のように空気を貫いてひらめき、この青い稲妻のなかへと、最初は緑、次いで赤みを帯びつつ、鳥の世界から発してくるこのアストラル性をジルフェたちは吸収し、上方に向かってひらめく稲妻のようにさっと上昇していきます。これを空間の外まで追っていくと、ジルフェたちは高次ヒエラルキア存在たちに呼吸されるものとなります。

 したがってこう言うことができます、グノームたちは、ある宇宙をその構造に従って別の宇宙へと携えていく、と。グノームたちはいわばーーこれは比喩的にのみ言えることですがーー水平的に進化と共に進んでいくのです。他の存在たち、ウンディーネやジルフェたちは、自身の死のなかで、味わわれ食されるなかで、呼吸されるなかで至福と感じるものを上へと携えていきます。こうしてこれらの存在たちは高次のヒエラルキアのなかでさらに生き続けます、そのなかに自らの永遠を見出すのです。

 さらに火存在たちに移りますと、愛する友人の皆さん、ひとつ考えてみてください、蝶の翅(はね)の鱗粉は、死にゆく蝶とともに融けてなくなってしまうように思えますね。ところが、鱗粉が融けてなくなってしまう、というのは正しくありません。蝶の翅から飛散するものは、最高に霊化された質料です。これはすべて、地球を取り巻く熱エーテルのなかへと、ごく小さな彗星のように飛び去っていきます、鱗粉のひとつひとつがごく小さな彗星のように地球の熱エーテルのなかへ飛んでいくのです。一年の経過のなかで、蝶の世界が終わりを迎えるとき、きらきらと煌めきつつ、すべてが内的な煌めきとなります。そしてこの煌めきのなかに火存在たちが溢れ出し、これを吸収します。火存在のなかでこれはきらきらと煌めきつづけ、火存在もまた憧れを持ちます。火存在たちは、こうして吸収したものを、高みへと運びます。そしてーーすでに皆さんに別の側面から描写いたしましたがーー今や、蝶の翅から火存在によって外へと運ばれたものが、宇宙空間へと煌めき出るようすが見られます。けれどもこれは外へと煌めき出る、流出するのみではなく、地球について高次ヒエラルキアの霊たちの本来の眼差しを生み出すものでもあるのです。高次ヒエラルキアの霊たちは地球を眺めて、地球に関して主にこの火存在によって運ばれていく蝶ー昆虫存在を見ます、そして火存在たちの最高の歓喜は、高次ヒエラルキアの霊眼の前に置かれたあるがままの自分を感じ取ることです。火存在たちの最高の歓喜は、見られること、いわば眼差しに、高次ヒエラルキアの霊的な眼差しに受け入れられることなのです。火存

在たちはこれらの高次ヒエラルキアを目指して進み、これらに地球についての知をもたらします。

 以上、これらの元素存在たちがいかに地球と霊宇宙との媒介者であるかおわかりでしょう、高次ヒエラルキアの光の海・炎の海のなかで糧となって消えて行く、燐光を発し上昇するウンディーネたちの光景、呼吸されるジルフェたちの、上へとひらめく緑がかり赤みがかった稲妻、そこでは地上的なものが絶え間なく永遠のものへと転じていきます、そして行為し続ける火存在が永遠に在り続けること。なぜなら、この地上では鳥たちの死が起こるのは一年のある時期のみですが、これら火存在たちは、彼らによって見ることができるものを、いわば一年中ずっと宇宙万有へと注ぎ出すよう気を配っているからです。このように地球は周囲に一種の火のマント[Feuermantel]をまとっています。外から見ると、これは火のように見えます。けれどもその全体は、人間が見ているのとはまったく別様に地球のものごとを見ている存在たちによって、引き起こされているのです。申しましたように、人間にとって地球は、その上を歩いたり立ったりできる堅い実質と感じられます。グノームたちにとって地球は、透過性のある球、空洞の球です。ウンディーネたちにとって水は、その中で燐光放射を感じ取ってそれを自分のなかに吸収し、体験することのできる何かです。ジルフェたちにとって、死にゆく鳥の世界から発する空気のアストラル的なものは、従来そうであったよりもずっと鋭くひらめく稲妻にしてくれるものです、ジルフェたちはふつうは鈍い青みがかった稲妻なのですから。そして蝶存在の死滅もまた、いわば地球を火の外皮のように絶えず覆い続けるものです。これを観照すると、いわば地球はすばらしい火の絵画に取り巻かれているようです、一方地球から見渡すと、これらのひらめく稲妻、これらの燐光を発し消えていくウンディーネたちがいます。これはすべて、あたかもこう言わざるを得ないかのようです、この地球上では、これらの元素霊たちの生き生きとした営みがある、これらは上方を目指し、地球の火のマントのなかで消え去る、と。けれども実際には元素霊たちは消えてしまうのではなく、高次のヒエラルキアの存在たちの中へと移行することで、そこに自分の永遠の実在を見出すのです。

 けれども、最終的にすばらしい宇宙絵画のように見えるこのすべても、地球上で起こっていることの現れであり、すべてはまず最初の段階がこの地球上で起こっているのです。私たち人間はいつも、ここで起こっていることの内部にいます、ですからほんとうは、たとえ通常の意識では最初これらの環境を把握することができないとしても、人間は毎晩これらの存在たちの活発な営みのなかにいて、自我およびアストラル体としてはこれらの存在たちの営みに参加してさえいるのです。

 とは言えとりわけグノームたちにとって、人間が眠っているのを観察することは一種の楽しみです、ベッドのなかの物質体をではなく、自我およびアストラル体として物質体の外にいる人間を観察し、そして、この人間はほんとうは霊のなかで考えているのにそれを知らない、人間は自分の思考が霊的なもののなかに生きていることを知らない、とわかることは一種の楽しみなのです。さらにまた、ウンディーネにとっても、人間がこれほど自身を知らないということは不可解です、ジルフェにとってもそうですし、火存在にとっても同様です。

 よろしいですか、物質界にあっては夜にヘビその他に巻きつかれるのは、心地よいものではありません。けれども霊的人間、つまり自我およびアストラル体は、夜これらの元素存在たちに包まれ取り巻かれていて、こうして取り巻かれていることが本来、宇宙についてもっと知ることができるように意識をともなって前進せよという勧告なのです。

 したがって私はこれから、皆さんに理解していただく試みをすることができます、これらグノーム、ウンディーネ、ジルフェ、火存在といった存在たちがそのときいかに飛び交っているかについて、そして、彼らが実際人の何をおもしろがっているか、意識をもってさらに進むよう勧告することで彼らが人から何を欲しているかを聴き始めるとどのようになるのか、これについての理解です。そう、よろしいですか、ここにグノームたちがやってきて、たとえばこう言います、

    お前はお前自身を夢見ている

    そして目覚めを避けている。

 グノームたちは、人間が自我を実際夢のなかでのように有していること、人間はまず、この真の自我に到達するために正しく目覚めなければならないことを知っています。グノームたちにはこのことがはっきりわかっているのです。彼らは眠りのなかで人間に呼びかけます、

    お前はお前自身を夢見ている

ーー昼にはこう言いますーー

    そして目覚めを避けている。

さらにウンディーネたちから響いてきます、

    お前は天使のわざを思考している・・

人間は、自分の思考が本来天使のもとにあるということを知りません。

    お前は天使のわざを思考している

    それなのにそのことを知らない。

そして、ジルフェたちから、眠っている人間に向かって響いてきます、

    お前に創造の力が輝く、

    お前はそれを予感しない;

    お前はその力を感ずる

ーー創造の力ー力をーー 

    それなのにこの力を生きない。

以上がおおよそジルフェの言葉、ウンディーネの言葉、グノームの言葉です。

火存在の言葉は

    お前を神々の意志が力づける、

    お前はそれを受け取らない;

    お前はその力で意志する

ーー神々の意志の力でーー

    それなのにこの力をお前から突き離す。

 これはすべて、自分の意識とともに先に進めという勧告なのです。物質的生存には至らないこれらの存在たちは、自分たちの世界に人間も参加できるように、人間がその意識をともなってさらに前進することを欲しています。

 こうして、いわばこれらの存在たちが人間に語るべきことに習熟していくと、これらの存在たちがいかに自らの本質を表現するかも次第にわかってきます。たとえばグノームたちはこのように表現します、

    私は根の本質の力を保つ、

    この力は私に形成体を創り出す。

ウンディーネたちは

    私は水の成長力を動かす、

    この力は私に生命の素材を形作る。

ジルフェたちは

    私は空気の生命力を呑み込む、

    この力は私を存在の威力で満たす。

 そして火存在ーーここで火存在が行うことに対して何らかの地球の言葉を見出すのは非常に困難です、火存在は地球生と地球の営みからはるかに隔たっているからです。ですから、私は「消化する」[verdauen]という言葉から、とは言えこれが消化を思い起こさせないようにーーこれは火のように焼き尽くすことですからーー私は溶かす[ich daeue]{という言葉}を作ります。「溶かす」[daeuen]は動詞とならなければなりません、ここで起こっていることはそのようにのみ表現できるからです。

    私は火の志向する力を溶かす、

    この力は私を魂の霊性のなかに解放する。

 私はここで皆さんに、これらエレメンタル界の存在たちがいかに自分自身を特徴づけるか、そしてこれらがまず何を人間たちに勧告としてもたらすか、理解していただこうと努めました。けれどもこれらの存在たちは、人間に否定的なことだけを耳打ちするほど不親切なわけではなく、これらの存在からはいわば碑文体の金言も発せられます。こうした金言は何か途方もなく巨大なものと感じられます。このような事柄の場合、皆さんはこういうことに対する感受性を身につけておかなければなりません、つまり、いかにすばらしいにせよ、ある文が単に人間の言語でのみ語られるのか、そのような文が力強いグノームの一団から宇宙的に響くかではいかに異なるか、ということに対する感受性です。生じてくるしかたによって、まったく違いが出てくるのです。そして人間がグノームにたちに耳をすますと、グノームの合唱は、私が書き記しました勧告を与えたあと、人間に向かって響いてきます、そのときグノームの合唱は人間に向かってこう響いてきます、

    目覚めを希求せよ!

 これは、力強い道徳的印象です、宇宙万有を貫いて流れ、夥しい数の個々の声から成るこのような言葉がこれを表すことができるのです。

ウンディーネの合唱はこう響きます、

    霊のなかで思考せよ!

 ジルフェの合唱ーーとなるとそう単純ではありません、と申しますのも、満月の輝きのなかでグノームたちが鎧をつけた輝く騎士のように現れるとき、ちょうどそのとき、地の底からのようにグノームたちから「目覚めを希求せよ!」と響いてきます。また、ウンディーネたちが、食べ尽くされるという憧れのなかで上へと漂っていくとき、漂い上昇しながらも地上へと「霊のなかで思考せよ!」が響き返してきます。ジルフェたちは宇宙光のなかのように青ー赤ー緑を帯びた稲妻となって消えつつ上方で自らを呼吸させるのですが、このとき、光のなかにひらめき入りそのなかで消え去りつつ、高みのジルフェから下へと響いてきます、

    創造しつつ呼吸する現存を生きよ!

 そして、火のような怒りのなかで、と申し上げたいのですが、と言っても何か破壊的なものではなく、宇宙から人間が得なければならない何かと感じられるような怒りのなかで、つまり火のような、しかし同時に熱烈な怒りから響いてくるように、火存在たちが彼らのものを地球の火のマントのなかに携えていくときに、これは響いてきます。このときはもう個々の声が一緒に響いてくるのではなく、周囲全体から力強い雷鳴のように響いてきます、

    神々の意志の力を愛しつつ受けよ!

 むろんすべてから注意をそらすこともできます、そうすればこれを聞き取ることはありません。人間がこういう事柄を聞くかどうかは人間の意志にまかされています。けれども人間はこういう事柄を聞き取ることによって、これが現にある宇宙を成り立たせている要素であること、描写しましたようにグノーム、ウンディーネ、ジルフェ、火存在が自らを展開していくことで実際に何かが起こっているということを知るのです。そしてグノームたちは、人間に対して単に私が描写いたしましたような関係にあるだけでなく、彼らの宇宙言語を大地から響き渡らせるためにそこにいるのです、ウンディーネたちはその宇宙言語を上へと流れ漂いつつ響かせます、ジルフェたちは上から、火存在たちは合唱のように、一つの力強い声の展開が合流するように。

 これは私たちに現れてくるであろう言葉に置き換えられました。とは言え、これらの言葉は宇宙言語の一部なのです、そして、たとえ私たちが通常の意識ではこれを聞くことが出来ないとしても、これらの言葉は人間にとって意味のないものではありません。と申しますのも、宇宙は言葉から造り上げられた、という本能的な霊視に基づく太古の観照は、まさしく深い叡智であるからです。けれども宇宙言語は、何かわずかな音節から構成されたものではありません、宇宙言語は、数え切れないほど多くの存在たちから響き合ってくるものです。数え切れないほどたくさんの存在たちが宇宙の全体性において語るべきことを持っていて、宇宙言語はこれらの数え切れない存在たちから一緒に鳴り響いてきます。宇宙は言葉から生まれた、という一般的抽象的な真理はこれを私たちに完全に伝えることはできません、これが私たちに完全に与えられるのは、いかに個々の存在たちの声から宇宙言語がさまざまなニュアンスで構成されていくか、そしてこのさまざまなニュアンスが、大いなる宇宙の調和(ハーモニー)と力強い宇宙の旋律(メロディー)のなかへと響いていって、いかに語り、創造するかを、私たちが次第に具体的に知るようになるときのみです。

 グノームたちの合唱がその「目覚めを希求せよ」を響かせることにより、人間の骨組織、運動組織(系)全般を出現させるための力として働くものが、グノームの言葉に置き換えられます。

 そしてウンディーネたちは「霊のなかで思考せよ」と呼びかけることにより、ウンディーネたちは、ウンディーネ的なものに翻訳しつつ、新陳代謝器官を形成するための宇宙言語として人間のなかに注ぎ込まれるものを呼んでいるのです。

 ジルフェたち、これらが呼吸されることにより、ジルフェの「創造しつつ呼吸する現存を生きよ」が下へと流れ込んでくることにより、人間に律動(リズム)組織(系)の器官を備えさせる力が人間を貫いて揺り動かし、活気づけます。

 そして火存在のしかたで宇宙の火のマントから雷鳴とともにやってくるように響いてくるもの、ひとがこれに気付くとき、これは反照、模像のなかに現れるものですーー考えてごらんなさい、これは宇宙の火のマントからこちらへ放射してくるのです!この言葉の力がこちらへ放射してくるのです!人間の神経ー感覚組織(系)のひとつひとつ、いわば人間の頭のひとつひとつが、このとき火存在の言葉に翻訳すると「愛しつつ神々の意志を受けよ」という意味になるものの小さな、ミニアチュアの模像なのです。この「愛しつつ神々の意志を受けよ」という言葉、この言葉は、最高の宇宙実質のなかで作用するものであり、人間が死と新たな誕生との間で進化を遂げるとき、そのひとが死の門を通って担っていくものを、その後人間の神経ー感覚器官となるものに造り変えるものです。

 運動組織    グノームの合唱:目覚めを希求せよ!

 新陳代謝機構  ウンディーネたち:霊のなかで思考せよ!

 律動組織    ジルフェたち:創造しつつ呼吸する現存を生きよ!

 神経ー感覚組織 火存在たち:神々の意志の力を愛しつつ受けよ!

ごらんのように、境域の向こうにあるものが私たちの自然に属していること、これが私たちを創造する神々の力へと、他のすべてのものにおいて働きかけ生きているもののなかへと導き入れることがおわかりでしょう。別の世を待ち焦がれるもの、そしてこの言葉のなかにあるものすべてを思い出すとき、こう言ってもよいかもしれません、私は

   働く力のすべてと種子を観る

   もはや言葉をあれこれとかき回すことはしない−− 

 これは人類の進化、人類の発展の歩みのなかで実現されなければなりません。人間をさまざまなしかたで作り上げる種子の力のなかをのぞかないうちは、私たちはあらゆる知のなかで言葉をあれこれと引っかき回すのです。

 ですから私たちはこう言うことができます、運動組織、新陳代謝組織、律動組織、神経ー感覚組織は、合流してひとつになったもの、つまり、下から上へと響いてくる「目覚めを希求せよ」「霊のなかで思考せよ」、そしてこの上昇を志向する言葉に、上から下へともう一方が、つまり「創造しつつ呼吸する現存を生きよ」と「神々の意志の力を愛しつつ受けよ」が混ざることによって、ひとつになったものである、と。

 この「神々の意志の力を愛しつつ受けよ」、これは頭のなかで静かに創造するものです。下から上を目指してくる「霊のなかで思考せよ」、上から流れ落ちてくる「創造しつつ呼吸する現存を生きよ」、これはとくに、人間の呼吸が血液のなかの人間の働きへと移行する、リズミカルに移行する、そのしかたでひとつの写しを取るように、生き生きと相互作用しているものです。そして私たちに感覚器官を植え付けるもの、これは上から流れ落ちてくる「神々の意志の力を愛しつつ受けよ」です。けれども、私たちが歩くとき、立つとき、腕や手を動かすときに働いているもの、これは、人間をそもそも意志にしたがって生き抜くことに導くものであり、これは「目覚めを希求せよ」のなかに響いています。

 以上、人間がいかにあの宇宙言語の協和音であるかおわかりでしょう、この宇宙言語は私が皆さんに述べましたようにもっとも低い段階に解釈できるのです。この宇宙言語はさらに高次のヒエラルキアのところまで達しますが、高次ヒエラルキアは、宇宙を発生させ生み出すために、さらにまた別のものを宇宙言語として繰り広げねばなりません。けれども、これら元素存在たちがいわば宇宙へと呼びかけてきたもの、これは、創造し、造形し、形成する宇宙言語、あらゆる働きとあらゆる存在の根底にある宇宙言語であるものの、最終音なのです。

グノームたち    お前はお前自身を夢見ている

          そして目覚めを避けている。

 

          私は根の本質の力を保つーー

          この力は私に形成体を創り出す

 

ウンディーネたち  お前は天使のわざを思考している

          それなのにそのことを知らない。

 

          私は水の成長力を動かす、

          この力は私に生命の素材を形作る。

 

ジルフェたち    お前に創造の力が輝く、

          お前はそれを予感しない;

          お前はその力を感ずる

          それなのにこの力を生きない。

 

          私は空気の生命力を呑み込む、

          この力は私を存在の力で満たす。

 

火存在たち     お前を神々の意志が力づける、

          お前はそれを受け取らない;

          お前はその力で意志する

          それなのにこの力をお前から突き離す。

 

          私は火の志向する力を溶かす、

          この力は私を魂の霊性のなかに解放する。

 

グノームたちの合唱: 目覚めを希求せよ!

ウンディーネたち:  霊のなかで思考せよ!

ジルフェたち:    創造しつつ呼吸する現存を生きよ!

火存在たち:     神々の意志の力を愛しつつ受けよ!

 


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